2004年09月23日(木)
  「祝福の屋根修理」

前回の台風で、教会の屋根が負傷?!
一部がめくれ上がり、飛んでしまった。
先週の敬老の日に、教会の男性陣で修繕をする。

同じようにアメリカからの輸入資材で、教会堂を、
自らの手で建てられた、A先生が来て下さって、指
導して下さる。
指導というより、全面的に前に立って、自らが修繕
して下さるわけだが。

礼拝堂は屋根が急傾斜でかなり高い。そのてっぺん
に3人が馬乗りになって(恐ろしや〜)。

教会のSさんが、心配そう〜に、ずうっと下で見守っ
ておられる。
Rさんは、危ないから、けががあったらいけないか
ら、費用が高くても、業者に頼んだらどうでしょうと、
心底心配して下さっているのがわかる。

皆の祈りに支えられて、作業が少しづつ進む。

気休めの命綱をつける。「一応、これは心の余裕です
ね」とA先生(笑)「いや、頭の中がぐるぐる巡って、
もし落ちたら、皆が順番に落ちて行くのかなあと、頭
の中で光景が浮かぶんですわ」
「ロッククライミングの感覚ですか?」「その辺はワン
ダーフォーゲルにいたB先生が詳しい」
「上の人が落ちたら、皆、落ちるじゃないか?」

B先生「いや、上が落ちたとわかるなら大丈夫で、ぐっ
と腰に力を入れて踏ん張る」A先生「5人いて、1人が
落ちても、4人が踏ん張れば大丈夫ってことですよね」

B先生「でも、上が落ちたとわからないと、踏ん張らな
いから、全員落ちてしまう」
ロッククライミングのような、屋根修繕。
B先生「いや、もう落ちたら最後、どうしようもないか
ら、ここは、落ちないということにして。落ちる選択肢
は無いということで」恐い〜、まさに神様頼み。

女性はせっせと食事作り。神様頼みで、無事安全をひた
すら祈りつつ・・

朝から1日がかりで、無事修理終了!!遠方のA、B先生
は帰っていただき、後、足場の撤去作業。

もう当たりは暗い。Sさん夫妻に「もうあと少しだから、
子供達が待ってるから、帰って下さい」。
「いや、暗くて心配だから、屋根から皆が下りるまでは」
と、片づけながら最後まで待って下さる。

教会を思い、愛しておられる気持ちが、ひしひし、しん
しんと伝わって来る。

教会の皆の、背後の力強い祈りが、しっかり答えられた。
「屋根どうでしたか」「修理どうでしたか」と、皆が。

すべての事を益として下さり、屋根修理を通して、一つに
なって当たらせて下さった。

A先生「どのように修理すればよいのか、大変でしたが、
皆の祈りを感じました。神様を感じ、これは神様のため
のご奉仕なんだと思いました。私も恵まれました」
どういう風にすればよいかと、前夜考えを巡らし、眠れな
かったとお聞きする。

遠方のA先生を、更に足をのばし、送り迎えして下さった
B先生。
皆の思いが一つになり、暖かい気持ちに触れ、台風で飛ん
だ屋根を通して、神様の大きな祝福を受けた。

by 多恵子

2004年09月16日(木)
  「若い生涯」

若いDちゃん。
今、祈りつつ、神様が将来に備えて下さっている、
進路を求めつつ歩んでいる。

具体的には、試験に落ちたり、合格したりだが、
門を開いたり、閉じたりしながら、祈りの内に平安
与えながら、進むべき道を徐々に、示して行って下
さることが感謝。

「神様のみこころが最善なので、ほんとにみこころ
の道で良いんです。どの道を備えていて下さるかが
楽しみです。神様知って、本当に感謝です。

神様を知る以前はこうではなかった。将来の事も、不安
で、進むべき道もよくわからないし、自分に何が向いて
るかもわからないし、イライラして、思い煩いで一杯で
した」

救われて、神様のみこころの道を、祈り求めていた時、
自分の夢を実現させなさいと、時ピッタリに神様から
導かれた。一番したい事があるが、環境上不可能と諦め
ていた。
そして、環境上可能な範囲内での選択に向かっていた。
ところが、第一の夢の実現を決心すると、神様はその不
可能の門を開いて下さった。何と一番の夢に向かって前
進できた。何と幸せなことだろう。

Eちゃんも、祈り続けていた進路が、はっきりした。
自分でも、何がしたいかよくわからない。若い時って、
わからないよね。世の中も何も見えていない先に、将来
の進路を決めないといけない。これは、神様に頼れとい
うことだよね。
しかし、祈り続けていると、不思議に、平安と納得を与
えて、進むべき道を示される。祈りは力だ。

Fさん、子供のために進路を執り成し続けている。
「試験にずっと落ちると、落ち込んでしまう。でも、
そうじゃなくて、これは神様のみこころの道ではなかっ
たと、とればいいんですよね。
神様が一つ、みこころの先を備えて下さっていることが
信じれるので、感謝です」

神様を信じて、信仰によって歩めることが本当に幸せだ。
一人一人の人生に最善のご計画を持たれ、すでにそのル
ートが定められていて、それが一人一人にとって最高の
ルート、一番幸せな人生、それがわかるから、神様のみ
こころを求めて行ける。

特に、若い時に神様知れて、生涯を、多くの時間を神様
と共に歩めるって、本当に恵みだと思う。
by 多恵子


2004年09月14日(火)
  「病気」

交わりの中で、病気の話で盛り上がった。

Aさんは難病の持病がある。数ヶ月前もその持病
が出て苦しみに苦しんだ。
今、おさまって、楽になって、物も普通に食べら
れるようになり、もうどんなに感謝か知れないと。

食物を一切受けつけず、気分がいつも悪く、する
と、気力が失せて、外出は勿論のこと、全く何も
したくなくなると。自分にこもってしまって、軽
い鬱のような状態になると。

何も特別な事でなく、ごく普通の家事が、普通に
出来ている事が、もう嬉しくて、嬉しくて感謝で
ならないと。

持病が出た時、別の問題も勃発。精神的な苦しみ
も重なり、心身共に苦しい時期だったと。
でも、その中って、神様、神様、もう、神様を呼
ぶしかなくて、心底神様を求めたと。

振り返った時、普段と全然違って、神様にものすご
く、それは近くて、頼らせるために、通されたんで
すねえと。

忙しさの中にいるBさんも、今までなった事のない
胃痛や帯状疱疹、ストレスかねえ?疲れかねえ?と。

「でも、病気して初めて、普段、健康体なのが、当
り前でなくて、本当に恵みで感謝なんだと、心から
思いました。当り前だと、感謝がないですよねえ。
物が全然食べれなくて、食べたくなくて、普通に、
美味しく食べれる事だけでも、すごい恵みで感謝な
んだって」

ごく普通にしておれる事が、すごい神様の恵みで喜び。

先週、突然の腰痛に、以前患ったぎっくり腰の再来
だと、すぐに病院へ。
でも激痛は片側の腰だけ。う〜んと医師が、どうなん
かねえ?と、すると尿検査で鮮血反応が出て、これは
きっと石だと。

泌尿器科への紹介状を書いてくれて、翌日診察受けて
もし違ったら、もう一度舞い戻って来るようにと。

夜に激痛で、病院へ。薬、注射とどんどん痛み止め。
これは、痛み止めでごまかして、石が出るほかないん
ですと。
翌日夕刻には痛みが少しおさまり、聖日礼拝は出るこ
とができた。今ずっと、霊とまことによる礼拝を祈り
求めている。真心からの礼拝を献げたいと祈っている。

礼拝を献げることができたこと、神様の大きな恵みを
感じた。
翌月曜は痛みが無く、どうなったかわからない。

当り前でなく、恵みを忘れないで、神様に感謝できる
こと、ごく普通に、生きていることを感謝できること、
神様の沢山の恵みをもう一度思い起こさせられる事、
感謝じゃねえと。
最近、病気した姉妹達で、神様への感謝を語り合った。

by 多恵子


2004年09月12日(日)
  「私を変えて下さい」

いつも交わっているご高齢のCさん。

お身体もどこも悪いところがなく、いつも柔和で明
るくて、お元気だ。ご高齢なのに、神様の守りとし
か言いようがない。

教会へ来られた頃の思い出話をしていた。
教会に来て、牧師から学びをしてもらうが、どうし
ても神様のことがわからない。幾ら聞いてもわから
ない。

「先生も、紙を出してくれちゃって、図を書いて、
わかりやすうに、わかりやすうに教えて下さるのに、
まあ、全然わからんで、余りにもわからんもので、
もう、先生が気の毒で」(笑)

「先生に、『私はもう先が無いから、核心をバシッ!!
と言って下さい。もう、バシッと!!』と言ってたん
ですよ」と大笑い。

わからなくて、わからなくて、もうこれは神様に祈
ろうと、神様に祈り始められた。
「わからせて下さい、わからせて下さい。私を変え
て下さいと、もう必死で祈ったんです」と。

すると、見事にその祈りはきかれて、十字架の意味
がわかり、救いがわかり、神様の愛がわかり、救い
に入れられた。

そして、信じた時に与えられた喜びが、心にいつも
あって決して無くならないと。
胸に手を当てられて、何があっても、ここに喜びが
湧き出ずるようにあるんです、と。

独り身であられながら、喜びと平安の中で、日々感
謝して過ごしておられる。ただただ、感謝です。もう
感謝しかありません、と。いつも励まされる。

「神様を知れるように」「私を変えて下さい」の祈
りは、しっかりみこころにかなっているので、必ず
聞かれるのだと、教えられる。

ローマ12:2を一緒に学んでいて、「この世と調
子を合わせてはいけません・・自分を変えなさい」
この世の価値観が根深く、根強く培われている。
自分の力を誇り、自分に頼って生きる。自分が神に
なる。そして、自我はどこまでも相手を変え、環境
を変えようとする。不毛の戦いをする。

DさんやFさんが「わかる!絶対自分は正しくて、
自己主張して、自分を正当化して、相手を責める。
でも、神様を知ってるから、そんな時って、全然
平安がないんですよねえ。
後で、言わなきゃ良かった、しなきゃ良かったと
後悔して」

「私を変えて下さい」の祈りをして行きたいと、皆
で祈った。
by 多恵子

2004年09月09日(木)
  「罪を示される神様」

職場でチーフのAさん。
責任を任されている。仕事にミスが相次ぐ。
ミスが多い。それでなくても、忙しい最中、非常
に困る。

しかし、顔では「いいよ、いいよ、大丈夫だから」
と慰める。が、心の内では、何で、また〜ミスばか
りと、うんざりし、忙しさゆえイライラしてしまう。

心の内では責めている。しかし、その後すぐに、何
と自分が、するはずのないミスを、しっかり、しで
かしてしまった。

その時、自分は心の内で、ああ、このところ家が来
客で慌ただしく、忙しかったからだ、疲れてるんだ、
と言っている。

そして、次の瞬間、何と罪深い自分と、聖霊様の気
づきを与えられた。
人が失敗すると責めるのに、自分が失敗すると、そ
の失敗を認めない。忙しかったから、疲れているか
らと、自分を正当化し、言い訳している。

ほんとにそうだ、自分の罪は認めたくないものだと、
語り合った。

ダビデはバテシバと姦淫を犯し、それを隠蔽するた
めに、その夫のウリヤ殺害と、罪の上に、更に罪を
重ねた。

ダビデは、告白せずにいた時、その罪の重みに、悶
々と苦しんだ。

ナタンがダビデのもとに送られ、正面からダビデの
罪を指摘した時、ダビデはそれを率直に認めた。
罪を真っ直ぐに認めたダビデは、何ともえらい。

Bちゃんが、対人関係のトラブルに巻き込まれ、悩
んでいた。当然、自分は被害者だとばかり思っていた。
災難が降って湧いたと。

しかし、自分の心の内をよく探ると、罪が示された。
相手の罪に対して、断固とした自分の側の態度を取ら
ず、あいまいに、うやむやにしていた事を。それは同
意、同調になってしまう事を。
相手は関係無い。自分の罪だとわかった。神様はどこ
までも聖いお方と教えられた。

by 多恵子



2004年09月07日(火)
  「凄まじい台風」

台風が襲って来た。
風速60,2mで、暴風が凄まじく荒れ狂い、
ゴオッーと、不気味な風の音。ガラスが割れるかと
思ったほど。電気と水道も止まり大変だった。

高台にあり、まさに吹きさらしになる、教会堂の
屋根が一部飛んだ。
しかし、あの場所で、これだけで済んだのが不思議
なほどだった。

ベランダ越しに見ていると、周辺の何やかやが飛び
散り、舞い上がっている。
「危険ですから絶対に外に出ないで下さい」とアナ
ウンサーが言い、テロップが流れる。

外は危険で、凄まじい暴風雨、荒れ狂っている。
しかし、家に中にいると全く安全だ。風も雨もかから
ない。しっかり堅く守られている。

外の恐いほど暴風雨とそのごう音に、神様の「御翼の
陰」を思った。
“神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。
人の子らは御翼の陰に身を避けます“”詩編36:7

どんなに悩みと問題の、暴風が吹き荒れても、神様の
御翼の陰は穏やかで、安全で、安らかだ。

ある婦人が、離婚という、人生で最も苦しい厳しい試練
の時、気も狂いそうな、嵐が吹き荒れる中、御翼の陰は、
静かで穏やかで、全き平安と喜びがあったと、証しした。

“私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくま
ってください”詩編17:8

どのような悩みと苦しみの中でも、常に、隠れ家がある
ことが感謝!!
by 多恵子


2004年09月03日(金)
  「祝福の便り」

遠方のAさんから、祝福の便りが届く。

主にある幸いな、素晴らしい交わりを与えられた
婦人だ。いつも交わりに恵まれ、励まされていた。
ご家族で引っ越された後、どうしておられるかなと、
時々お顔を思い浮かべていた。

良い教会へ導かれて、ご一家で、恵まれた信仰生活
を送っておられるとの事、土地の自然も素晴らしく、
神様を賛美して生活しておられる様子に、心から感
謝した。

持ち家を売却しての、引っ越しであったが、思いに反
してなかなか買い手が定まらない。決まりかけるが、
流れてしまう。そんな事が幾たびも。早く行きたい。

「信仰が試されます。でも、あれもこれも神様のなさ
る事、すべては御手の内で、一番良い時を定めておら
れると信じています」。

とうとう、神の時が来て、買い手が定まった。最後の
お別れに会いに行く。
「良い方に巡り会えました。良い方に買って頂けて本
当に感謝でした。神様です。一番良い時でした。

火の柱、雲の柱で導かれる神様は、雲の柱が動くまで、
じっと、とどまらせなさいました。ほんとに神様が動
かれるまで、人は動けないんですね。忍耐する中で、
神様の導きと、神様の時があると、学ばせられました。
すべてが感謝でした」

家の売却も、引っ越しも、すべてに信仰に立ち、いつも
神様を見上げておられたAさん。

お便りに、素晴らしい報告があった。Aさんがずっと導
いておられた高齢のBさんが、以前にイエス様を信じ、
救いを受けられた。
病にあられ、非常に弱って来ておられるとの事、イエス
様のもとへ帰られる日も近づいていると耳にし、ご家族
へ電話をされた。
すると、これから先の事は、すべて教会にお願いしまし
たと、ご家族からお聞きし、胸が一杯になりましたと。

主は全部のこと、心配無いように祝福して下さいますか
ら感謝です、天国で再び会える事、大感謝です、と。

Bさんが病で入院されるまで、ずっと一緒に賛美し、交
わり、御言葉を学んだ。イエス様を信じられたBさんの
お顔が、とても安らかで、集会にいつも喜んで集ってお
られた姿を思い出す。

Bさんに、最後まで、神様の守りと平安が豊かにありま
すように。Aさんが、続けて信仰生活豊かに祝されます
ように。

by 多恵子

2004年09月02日(木)
  「風も止められた」

前回の、キャンプの思い出「雨を止められた神様」
であったが、

ちょうど今週日曜、大型台風がこちらに向かって
いた。テレビでは、九州南部に大暴風雨、川が逆流
し、床下、床上浸水のニュースが流れていた。
知り合いの、A教会に台風はいかがと、問い合わせる。

折り返し電話があり、「ちょうど日曜に葬儀式があり
ました。台風が来ているし、強風が吹きかけていて、
どうしたものかと、祈りました。

すると、風が止まったのです。ピッタリ止まってし
まって、午後の葬儀式の間中、止まりました。
そして、葬儀式が済むや、強風が吹き始めたのです。
神様が風を止めて下さいました。素晴らしい恵みの
葬儀式が執り行えました」と。

“何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こ
るかをだれも告げることはできない。
風を支配し、風を止めることのできる人はいない。
死の日を支配することはできない・・”伝道8:7

「神様は、風を止められました」と。雨も風も止め
る事のできる神様の御名を崇め、感謝した。

ついでに台風と言えば、何年か前の19号大型台風。
以前会堂のあった地区の、少し南の海岸では浸水した。

以前の会堂は、一軒家を借りたものだった。それは戦
前の年季の入った建物。一部床が落ちかけ、天井も落
ちかけ、物干しのベランダはグラグラで、地震があれ
ば、確実に2階は1階になるだろうというものだった。

19号台風は、近年になく大きなもので、暴風に窓
ガラスが割れるかと思ったほどだ。
荒れ狂って去った後、信号は停止、付近の看板や瓦が
落ち、塀や木々が倒れ、さんざんな爪あとがあちら
こちらに。

不思議な事に、今にも倒れかけの古い会堂は、傷一つ
なく、皆で何とも驚いた。神様の守り!!!
by 多恵子



2004年09月01日(水)
  「雨がとどめられた」

この日曜、教会は設立23周年記念集会だった。
教会23才のバースディだ。

食事交わり会で、昔の思い出を語り合った。
ちょうど、台風がこちらに向かっていたが、もう
10数年前のこと、当時、教会学校で毎年1泊2
日のテントキャンプをしていた。自炊だ。

40数名の参加。テントを7ケぐらい張る。まず
ほうきと、かまを持って、一帯の小石を取り除き、
草を刈り、整地から始める。いつも暑い中の作業。

教会学校のクラスをし、夕食準備をしている横で、
真っ暗になるまで、男性陣がテント張りをする。

だいたい、陽が落ちる頃、すべてのテント張り終了。
一晩寝て、翌朝になると、子供達のクラスをしてい
る間に、撤去作業。お昼過ぎの帰宅準備にちょうど
間に合うという、大変な作業だ。

枯れ木を集めて、給食用ほどの、大きな鍋持参で
食事作り。一つの軽自動車、丸ごと食料運搬だった。

すぐそばは川、子供達はもう大喜びではしゃぎ、
遊び回る。婦人方は日帰りで、食事の手伝いに来て
下さったり、のどかな自然の中で、わいわいと和やか
で楽しい交わりだった。

そんなある年だった。何もかも準備万端、大量の食
料に鍋類、調理器具、テントに寝具、かま、薪類、
会堂は荷物で埋められ、翌日の出発に備えていた。

翌日キャンプというのに、その夜、台風の影響に
よるどしゃ降りの雨、天気予報では翌日も大雨と
の事。
何より子供達が、それは楽しみに待ちわびている
キャンプ、それに、すでに購入した大量の食料に、
生鮮食品が・・

神様はキャンプの日時をすでにご存じであり、用意
も導いて下さった。台風も雨も支配しておられるお
方、雨がとどめられるように、祈ろう!!!

夜には、教会学校スタッフのAさんが心配して、
「祈りに来ました」と大雨の中、教会へ来てくれた。
スタッフ達皆も心配して電話がかかる。

外は、屋根を叩きつけるような豪雨だ。天気予報も
雨だと言う。しかし、すべてを支配しておられる主
に祈り始め、教会でも祈り、教会の兄弟姉妹方も祈
ってくれた。

雨乞いの逆、雨をとどめて下さるように。祈りに祈
り、その日2時頃まで祈り、すべてを主に委ねて寝た。

豪雨のその翌朝、目を覚ますと、何と雨が止んでい
る!!!うっすら日射しが見える。皆で見た神様の栄光
だった。

キャンプの間中、全く雨は降らず、すべて予定通り、
無事キャンプが出来た。主の暖かい眼差しと守りの
中での忘れられないキャンプだった。

そして、テント撤去をすべて終了し、片づけも何も
かも終え、車に分乗、走り出した途端だった。再び
雨が降って来た。大雨になった。

子供達も、皆で「わあ〜!神様だ!神様だ!!神様
すごいー!!すごいー!!」
忘れられない思い出だ。
by 多恵子