2004年10月25日(月) 「今日も恵みが満ち溢れて」
サタンの誘惑の学びをした後、楽しく交わっていた。 Aさん「私、身体が悪くて、働いていないから、家 で何もしていないのが申し訳なくて、申し訳なくて、 何だかお荷物で、すみません状態に落ち込んでしまう。 いや、主人も家族も何も思ってないんですよ。自分 が勝手に思ってて。 それで、電気も勿体ないから、消して、暗〜い中に いて、昼食も抜こうかと、これ抜けば、1ヶ月で幾 らになって少しでも助かるんじゃないかと。 テレビも電気代かかるからつけないで・・これって、 サタンですよね!!(大笑) こういう事してると、全然楽しくないし、何だかど んどん人生暗〜くなって、ますます自分はダメだ、 ダメだ・・に落ち込んで行って。私みたいなのが、 生きていて申し訳ない、すみません、になってくる」 「ええー!!」(大笑) 「神様は“あなたは高価で尊い。わたしはあなたを 愛している”と言っておられる」 「そうですよ!!(笑)神様はそう言っておられる のに、サタンの言う声に耳を傾け、同意して行って るんですよね」 Bさん「私もですよ!一人暮らしで、働いてないし、 この夏もクーラーつけるのが申し訳ないと、酷暑の中、 クーラーつけないで、頑張ったんですよ。 すると、余りの暑さに、体調崩して、身体をこわし てしまって、結局、病院へ行く羽目になって、それ もこじらせてしまい、医療代にえらくかかってしま って、何をしてるかわからん。 こんな事なら、クーラーつけとけば良かったと。 (大笑) 神様はそう言って下さってるんだと。神様は愛して、 溢れるばかりに与えて下さってる恵みを『感謝します、 有難うございます』と受ければいいんですよねえ」 サタンの声を識別できますように。 働いて与えられるものは「報酬」。しかし、何の働 きの無いものに与えられるのが「恵み」!! 今日も神様の恵みが満ち溢れ、恵みにおおわれてい る事に感謝。 by 多恵子
2004年10月23日(土) 「その場で!!」
友人の証しにとても恵まれた。 心身共に、厳しい状況にある友人。 ほんの少し前に癌の手術をし、現在も予防治療で、 身体的に大変なさなかだ。 しんどくて、だるくて、仕事もままならない。 精神的にも参ってくる。 心身共に、しんどさが募ると、イエス様のもとへ 行かなくちゃと思うことがしんどい。 しんどくて、イエス様のもとへ行けない。 聖書読まなくちゃ、祈らなくちゃと思うができない。 更なるしんどさを抱えてしまう。 そんな時、バルテマイの聖書箇所に触れた。 せっぱ詰まった、断崖絶壁のバルテマイの状況、 その中で、彼のした事は、ただ叫んだだけ。 弟子達が黙らせようとしたが、尚も、大声で叫び 立てた。 その声にイエス様は、バルテマイを呼び寄せて下さり、 彼の一番欲しいものを、癒しを与えて下さった。 彼は見えるようになった。 その時、バルテマイは自分であり、イエス様のもと へ行こうとしても行けない。しんどくて、行けない 自分。 そうだ、その場で、叫べばよいのだ!! イエス様のもとへ行こうとするから、しんどい。 その場で叫ぶことならできる。 その事を教えられて、ほんとに感謝だったと。 行き詰まった時こそ、神様の力や恵みがわかる 素晴らしい幸いな時。 友人が極度のせっぱ詰まった中で、神様の大き な恵みに触れて、その恵みに私もあずかった。 ほんとにそうだ!!すごい!! 座り込んだまま、立てないまま、その場で叫べ ばよいのだ。 何という恵み!! by 多恵子
2004年10月10日(日) 「先が見えない中で」
遠方の知り合いから祝福の便りが。 ずっとライフワークを祈り求めていて、老人介護 の仕事が導かれた。 そのための学びが必要だ。40代で、母子で暮ら していて、子供を養い、生活がかかっている。 今の仕事を辞めることになる。学びの費用や、これ からの必要、そして、仕事と学びが本当に出来るの か、様々なな不安に押しつぶされそうになる。 しかし、主の導きが確信できる。真っ暗な中で、主 だけを見上げ、信じて、その方向に一歩を進み出した。 学校への入学準備、学びに影響のない仕事捜し、 夜の学びの間の子供達のこと、目の前で紅海が分か れて行くように、不思議に一つ一つ道が出来て、導 かれて行った。 今、ビジョンが現実となり、夜の学校へ通い始めた。 学びに、支障のない新しい仕事が与えられ、子供達 も見て下さる方が備えられ、すべての必要が主によ って配慮され、与えられた。 子供達の心にも、Aさんの心にも生き生きとした喜 びが与えられている。 先の全く見えない中で、状況を見ると恐れと不安で いっぱいの中で、ただ主を信じること、信仰が試さ れた。 信じるだけで、道が開かれて行った。 「彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんで した」(詩編22:5) 目に見えることは、信仰ではない。何も見えない 中で御言葉を信じて行くことを教えられる。 by 多恵子
2004年10月03日(日) 「些細な犠牲」
イエス様は、ほんとに真理なるお方。 甘い言葉で、何でもいいから入信せよと、決して言われない。 この道は狭い道で、払うべき犠牲もあるよ、しっかりよく考 えてついて来なさいと言われる。 感情だけで信じても、種まきの例えのように、試練が来ると、 こんなはずではなかったと、枯れてしまう。 「自分のいのちまで憎まない者は、わたしの弟子になること はできない」「十字架を負ってついて来ない者は、わたし の弟子になることはできない」「自分の財産全部を捨てない では、わたしの弟子になることはできない」 結局、中途半端が、一番惨めであわれで、苦しい。 世におれば、それなりに平安に過ごせる。一旦救われたら 世の価値観は苦しい。平安がない。 かと言って、神様のことも中途半端なので、よくわからない。 世では平安がなく、歩調が合わない、が、神様にも全面的に 従えない。これは一番惨めな状態。 世へは戻れないので、神様へと前進して行くほか無い。 Aさん「犠牲を払う事って、日常生活の些細な事に出て来ま すよね。神様に焦点合ってなかったら、ほんと自分の事しか 考えない。それが正当で、合法的だったら、神様のみこころ から全くそれて生活してしまう。 朝、家族で出る時間が異なって、順番に駅まで送迎し合うん ですが、私の番でないと、朝の1分でも惜しくて、頼まれて も、“何で私が行かんならん”となってしまう。 すぐ近くなんですよ。でも、犠牲を払おうとしない、その前 に、まず神様が飛んでる、だから、自分中心になってしまっ てるんですよね。 やっぱり、朝一番に神様と交わって、神様をしっかり心に据 えて、神様に焦点当てて生活しないと出来ないですよね。 まず、“神様!”と心に来たら、対応が守られるけど、神様 が飛んでると、神様なしで、やっぱり自分が対応してしまう。 それで気づかない。 教会へ来て、こうやって御言葉に向かう時、先週の一つ一つ 全部が見える。(笑)」 「毎日、機会がいっぱい与えられていて、そこで、即、神様 に従ったら、家族に神様の潤いや温もり、栄光を現わす事の できるチャンスなんですよねえ。教会へ来るとわかる(笑)」 「一人が、いいよって、気持ちよく犠牲を払うと、家族全体 の雰囲気がさっと変わってしまうんですよ。そして、自分が 自己中心になって、トゲトゲすると、家族にも伝染して、皆 がそうなってますよねえ。神様に従いたいです。」 生活の瞬間、瞬間に「神様!」と呼んで、従って行けます ように。 by 多恵子
2004年10月01日(金) 「思い煩い」
「思い煩い」について、皆で語り合った。 Aさん「私は鬱病を経験してるんですが、ほんとに 思い煩いが強いんです。今、主人に先立たれて、独 り住まいでしょ。すぐ天国へ行くのは全くいいんで すが、寝たきりになったらとか、半身不随になった らとか、痴呆になったとか、思い煩うんです。 経済的な事や、子供に迷惑かけたくないとか、健康は すごく思い煩う。最近どんどん老化して来て、そりゃ これだけ長年、身体も使ってたら、故障も起きますよ ねえ。 でも、ほんとに神様がおられて、私のために、一番良 いようにして下さると、信じれるから感謝です。思い 煩う時、必ずいつも示して、委ねるように、頼るよう にと、御声をかけて語って下さるんですよ。 信じていよう、お委ねしようと、いつも我に返れるこ とが感謝です。 Bさん「すごくわかります。私も、もう思い煩って、 思い煩って(笑)先へ、先へと、ああなる、こうなる と、自分勝手に考えてどんどん落ち込んで行く。 それが絶対に悪い方に考える。思い煩いですよね、全 然起こらないのに。性分なんですよねえ。」 Cさん「私の一番の弱さは、思い煩い。サタンはよく 知っていて、そこをいつも突いて来る。思い煩いが どんどん膨らんで、もうシナリオができあがって、 こうなって、ああなってと、最悪のシナリオ。でも、 いつもそうなった事がないのに」 Dさん「先のこと、思い煩います。悪い方へ、悪い方 へ、くよくよと考えて。ああなったらどうしよう、こう なったらどうしようと。ほんと、思い煩いと平安は同居 しない。神様見ていない。目の前の状況を見てる。不信 仰ですよねえ」 「みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや・・欲望 がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びませ ん」マルコ4:18 “みことばを聞いてはいるが”・・みことばを聞いてい ながら、思い煩いが起こって来る。みことばを聞いてい るから、安心してしまう。しかし、思い煩いはみことば をふさぐと、ある。 思い煩うと、落ち込み、気力が失せ、心が重苦しくなり、 御言葉が心に入らず、祈れなくなる。 皆が、「わかる、わかる。ほんとにその通りだ」と。 思い煩いを一つ一つ神様に、きっぱりと委ねて行く事を、 サタンの、思い煩いに来る攻撃を、しっかり見分けて、 サタンと戦う事を、語り合う。 思い煩いは、現実ではないのに、はっきり形になって 見える不思議なサタンの亡霊のよう。 思い煩いのいばらが生えるのを、次々摘んで切り取っ てしまい、御言葉の種を、信仰を育てられるように。 “何も思い煩わないで・・あなたがたの願い事を神に 知っていただきなさい”(ピリピ4:6) by 多恵子