2004年12月24日(金)
  「ここに場所なし」

続いて、23日の午後、A老人ホームへ慰問に行った。

当日も聖歌隊の皆、午前から練習に集まり、ギリギリ
まで練習を重ねていた。皆で祈って、電子ピアノも持
ち込み持参で出かける。

この電子ピアノが接触が悪く、途中でプッツン音が切
れる。時々、教会学校の賛美の途中で止まってしまい、
子供達がウッ!!と、止まってしまう。
止まると、鍵盤の下を強くドンと叩き上げる、すると
再度音が出る。

神様に頼るほかない。どうかカンタータの間、止まり
ませんように・・。

A老人ホームに到着。「コンサートが始まります」と
の館内放送。集まって来られる。
車椅子の方々も多い。スタッフ、職員方合わせると
60名ほどの方々が集まられた。皆、ご高齢だ。

スタンバイし、Aちゃんのソロから始まる。1曲終わ
るごとに拍手が起こる。
賛美が清らかで、静まり返って聴いて下さっている。
お一人お一人に神様の祝福がありますように、と願う。

職員の方々も、よく聴いて下さった。涙を浮かべて
聴いて下さっていた方も。
泣いていた婦人の方々も。意味は深くはわからないが
心が、神様に、真実なものに触れるのだと思う。

無事終了し、「有難う、有難う、聴けて良かったで
す。また、来て下さい」と、喜んでもらえて感謝だっ
た。手を合わせて合掌され、拝まれてしまった。

電子ピアノは開始前も、プッツン、プッツン、音が途
切れてヒヤヒヤもの。しかし、カンタータの間中、一
度も切れることなく、守られた。奇跡だ。凄い!皆で
神様を感じた。

外は寒いが、心は暖かく、神様の恵みに浸されて、
教会に帰着。クリスマス、神様の祝福があちこちに
及んで感謝。

澄んだ綺麗な賛美を聴きながら、前に映し出される
歌詞に、心が釘づけになり、ずっと見入っていた。
御子を、送って下さった御父の愛が迫って来る。
御父の愛を、心にはっきりと感じる。

その夕の特別集会では、冒頭からイザヤ53章の御
言葉がずうっと映し出された。

・・彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝
きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの
人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげす
まれ・・

心にドカーンと入って来て、大衝撃だった。全編流
れていたのが、へりくだりのイエス様。天の栄光を
捨て、何もかも捨てて、この世界に来て下さって、
その最期は十字架の死。
愛で心が溶かされるように、恵みが心に迫って来る。

そして、最後の賛美が「ここに場所なし」。
一間さえの宿もなく、家畜小屋を宿とされた・・。
救い主のために、心の中に場所がない・・。

「主は求めたもう 今日も場所を。なが心の内に、
主の場所ありや」

自分のために、何もかもを捨てて下さったイエス様
を、心から締め出している。都合の良い部屋だけを
明け渡して、尚も自我が占拠している。
自分のことだと思いつつ、尚も、おおっている神様
の愛に涙が出た。
by 多恵子




2004年12月19日(日)
  「感動した!!」

昨日、教会の聖歌隊が、クリスマスの施設慰問に行った。

日曜ごとに、聖歌隊の若者達が自主的に、早朝から早練
をして、祈りと共に、練習を重ねて来た。

施設のクリスマス会の中で、出番が与えられ、クリスマ
ス聖歌を歌うことになったのだ。

いよいよ当日。施設に行き、職員の方に迎えられる。
クリスマス会が始まる。神様の栄光が現れるように、証
しとされるように心の中で切に祈り続ける。

聖歌隊の番になり、前に出て準備する。Aさんがプロジ
ェクターを使い、パソコンから歌詞と絵が映し出せるよ
う歌詞と絵を編集してくれた。

当日、借りて来たプロジェクターを、ぶっつけ本番で、
パソコンにつなぐ。映像が出ない・・?? あれ?何で
だろう??
聖歌隊の心配げな顔。あちこち触り、しばらくして、
不安な顔が、パッと笑顔に。あ、うまく行ったんだ。
映像が出たー!!!

Bちゃんのソロから始まる。静かな綺麗な賛美歌が室内
に流れる。歌詞が前に映し出される。歌詞を一言一言か
みしめながら、美しい賛美と一つになって、心にしみ渡
り、それがメッセージとなって心に大反響して来る。

十字架やイエス様の絵画の映像が、強いインパクトをも
って迫り来る。
歌詞と絵と賛美の「3つが一体」となって、相乗効果で、
大パノラマとなって、強烈な迫力で心にぐいぐい入る。

賛美だけだと、歌詞も聴覚だけでどんどん流れて行くの
で、綺麗だけで終わるところが、視覚が入ると、歌詞が
はっきりと理解できて、賛美がメッセージとなる。

圧巻の、一大メッセージを聞いたという感じで、圧倒さ
れた。御子を送られた御父の愛、犠牲の愛、一方的な神
の愛、神を拒む強烈な自我、自我が王である、どこまで
も頑なな心、尚も注がれている神の愛・・

一番後ろで祈りながら聞いていた。神様を感じて、心が
神に触れて、恵まれて、恵まれて、涙が出て、涙が出て
・・。

何より祈りの中で行われ、背後に祈りがあり、祈りによ
る賛美が献げられ、神が働かれた。

すっぽり神様の中に置かれた、恵みの異次元にでもいる
ような、不思議な空間の、言葉に尽くせない恵みのひと
時であった。

Aさんの歌詞と絵の編集の賜物、聖歌隊の一人一人の賛
美の賜物、Bちゃんのピアノの賜物、C君のオカリナの
賜物、すべての賜物が一つとなって用いられていた。

私はそのすべての賜物の恵みを、一人で受けて、溢れる
恵みに、全身浴させてもらった。
by 多恵子






2004年12月10日(金)
  「肉と御霊」

肉と御霊、新しい性質と古い性質の戦い、日々
の生活について続けて交わっていた。

Aさん「料理をしていて、もう一品欲しい時に、
主人の好きなものがあるんです。でも、手間が
かかりなかなか大変。出来合いのものを、切っ
て済ませるだけなら、手間いらず。

でも、その時に、自分優先じゃなくて、夫優先に
して、大好物をちょっと時間と労力をかけて作る
と、もう全然違う。
夫が、帰宅して、うわっ!と大喜び。食卓が暖か
くなるんです。

私も気持ちが入ってるから、嬉しくて喜びが来て、
その場に潤いと温もりがあるんですよね。
御霊は、夫の喜ぶものを作ってあげなさいで、肉
は時間と労力がかかるから大変だ、の思い。
御霊に従うと、自分も喜びがあり、周囲も暖かく
なることいつも経験します」

Bさん「私、ずうっと祈っているから、家では夫
に御霊が導いておられる方を、葛藤があるけれど、
選べるようになって来た。そして、その実をいつ
も見せられる。

自我からの言葉を、言っちゃいけんと、ぐっととど
めると、ほんとに言わなくて良かったと、いつも。
自分には出来ないけれど、神様がおられるから、助
けられて、出来る。

家では、神様のみわざ見るのに、それが職場では
もう全然だめ。完全に神様が飛んでる。肉で対応
して、ずっと肉の自分なんですよねえ」

「次の段階で、来年はきっと職場でも、みわざを
現して下さるんよ。祈って行けばいいよね」
「はい。そうなんですね。職場でも神様を見上げ
ていたい。祈って行きます」

Cさん「子供が0時も過ぎて、私ももうクタクタに
なって寝ようという時に、ズボンのすそ上げしてと
持って来たんです。
えっと思い、もうクタクタで、この週末じゃあ、い
けん?と聞くと、どうしても明日までにして欲しいと。

肉は、何で昼間言ってくれない。時間が一杯あった
のにいと。でも、御霊はしてあげなさいと。
してやろうと思えて、ヨレヨレながら、細かい針仕
事をした。
翌朝、見た子供がニコッと、それは嬉しそうな顔で、
『わあー、お母さん、有難う!』。してやれて良か
ったと、神様の助けに本当に感謝でした」

肉に従うと、自分の心も重苦しくなり、周囲とギク
シャクする。御霊に従うと、自分の心も嬉しく、周囲
もあたたかくなり、潤う。

御霊に従うために、御霊に属することを「ひたすら」
考えていることができるように。
by多恵子

2004年12月02日(木)
  「主の慰め」

友人Aさんがメールをくれた。

「新聞に、阪神大震災のその後の人々の思いについて、シリ
ーズで掲載されていますが、今日は、森祐理という、ゴスペ
ル歌手の思いが紹介されていました。

・・震災で弟が亡くなり、その葬儀で、父親に歌ってほしい
と頼まれた。歌う事なんて出来ないと、最初は思ったけれど、
思い直した。
 
『・・揺れ動く 地に立ちて なお十字架は かがやけり』 
関東大震災で作られた聖歌「遠き国や」を、泣きながら歌っ
た。・・・
  
こうして今一度、改めて”歌詞を読んでみる”と、心にじん
と響いて、泣きそうになりました。
様々なことが、今、身辺にあって、途方に暮れそうになり、
今、置かれているところが「揺れ動く地」に思える。

そんな「揺れ動く地」に立っているけれど、それでもなお、
十字架は輝いている。
この『なお』というのがいいですね。私たちの恵みと希望は
どんな時でも『なおそこにある』って、誰かが指差してくれ
たみたいだった」

遠き国や海の果て いずこに住む民も見よ

慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり

慰めもてながために 慰めもてわがために

揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり 聖歌397『遠き国や』

★<慰めもて>変わらざる主の十字架は輝けり <慰めもて>
汝がために、<慰めもて>我がために

主が友人を<慰め>て下さったのであり、その慰めは、悩みが
深いほど大きい。主は必ず<慰め>を与えて下さるお方。

Bさんが言った。「こうやって、Aさんみたいに、主は問題を
取り除かれるのでなく、それをもおおう<慰め>を与えて下さ
るんですね。
いつも、問題が無くなって欲しい、しかなくて、自分が厳しい
試練だった時、全く神様の慰めを受け取れなかった。問題解決
しか目が行かなかった」

「ああ、だから、本当は素晴らしく<慰め>ていて下さったの
に、的が合ってなくて、全然受け取れなかったんだ」「そう」

辛い時、悲しい時、必ず備えられている<主の慰め>を受け取
れますように。
by 多恵子


2004年12月01日(水)
  「選択」

日々、毎瞬、毎瞬、御霊と肉の選択であることを、
今日も皆で、先週の出来事を話し合った。

Aちゃん「もう忙しくて、忙しくて、する事が山積
みのパニック状態。それがなかなかスムーズに出来
なくて、試行錯誤の連続で、一つの仕事をこなすの
に深夜までかかる。

翌日、持って行くと「えー?こんなのだめよ!」
と一言で却下。「はい!もう一度して来ます!」と
口では言うが、もう〜頭に来る。

同時進行で、あれも、これもと言われ、時間は無いは、
身体がもうぐったり。余りに疲れ果てて、ぼう〜っと
していたら、やる気が無いように見られてしまい、
『Aさん、頑張ってる?』と、はっぱかけられ、怒り
心頭、もうブチ切れ寸前状態。自分はこんなにやっと
るのにー!!

1週間、ものすごく見えた。サタンがあれも、これもと
しなければならない事を見せて、パニックにする。
時間的に無理、出来ない、焦らせる。その誘惑に肉がつ
いて行く。
焦って、イライラして、結局うまく出来ない。心の中で
周囲を責め、腹を立て、何をしているかわからない。

何かに手をつけていないと不安でたまらず、やたら動き
回るが、不毛。実を結ばない。
自分の力で、自分の思いで、動き回っていた。思い煩い
といら立ち。しかし、我に返れて、神様を見上げる事が
出来た。その時、心にすうーっと平安が来た。

中途半端にでなく、もう全面的に忙しい時は、神様に頼
り切れるはずなのに、サタンは頼らせないで、全く逆の
方向へ連れて行く。
新しい1週間は、頼って、頼って歩みたい。

Bちゃん「先週もあった!忙しい中、自分も時間が無く
て、しなければならない事、一杯あって、でも車を洗わ
ないといけない。
何とか用を中断して、車を洗ってた。すると思いが来て、
『自分の車だけ洗うのは、幾ら何でも自己チュウじゃろ。
家の車も洗った方がよい』でも、もう一つの思いも来て、
『何で私が洗わんならん、する事一杯あって時間無いの
に。その時間、自分の事に使う方がよい』

御霊の思いと肉の思い。でも、御霊の方を選べて、家の
車も洗えた。すると、その後、花壇の手入れや水やりや
ら、その辺を綺麗にする事まで出来て、自分でもびっく
り!母がもうそれは喜んでくれて、神様の栄光が現れ
た!!」

Cちゃん「姉妹で共有の部屋が、片づかなくて汚くて、
妹の持ち物がとにかく多い。妹の所有物だから、妹が片
づけてくれないと、どうにもならない。
ある日、もう口まで文句が出かかったが、御霊様の制止
を感じて、言ってはいけないととどめた。

すると、片づけないといけないと思っているが、なかな
か出来ないんだろうなと、思いやりの心が来て、そこに
言われても、嫌な思いと反発しかなかっただろうなと、
言わなくて良かったと、御霊様の守りに感謝だった」

思いを御霊につけて、今週も御霊の導きに従える
ように!!
by 多恵子