2005年01月25日(火) 「証しのチャンス」
「肉と御霊」の学びをしていた。 Aちゃんは、神様から信仰生活に、ここ数年はっき りしたテーマが与えらえていて、それは「家族への 証し」。 いつも神様から語られている。よほど神様はAちゃ んを用いて、家族に福音を伝えられたいよう。 御霊様の導き、日々の生活にチャンスを与えられて いる事がよくわかるという。それを生かせる時と、 全く殺してしまって、後で気づいたり。一杯チャン スが与えられているのに勿体ないですよねえと。 でも、祈り始めて最近与えられているチャンスに気 づくようになったと。 「昨日もあったんですよお。お母さんが、お父さん の食事、ラーメン置いておくから言っといてねと、 外出した。 それで、私は勉強していて、忙しいんですよぉ。そ したら、お父さんが出て来たので、『ラーメン置い てあるから、自分で作って食べんさい』と言った。 その時に、御霊様の示しをはっきり感じた。あなた が作ってあげなさいと。 私が作ってあげたら喜ぶだろうな、私が作ってあげ たらいいんだろうな、神様のみこころだと思うが、 私だって勉強で忙しい・・と心の中で、言い訳して て、でも、して上げたらいいだろうな・・、 グズグズしていると、父の作業がどんどん進んで、 ラーメンが出来上がってしまった。ああ、証しの チャンスを逃してしまった・・ して上げていたら、父は喜んでくれて、その場にイ エス様の潤いと温もりが生まれ、双方が喜べただろ うに。 家族に、潤いと温もりを与えるチャンスを下さって いるのに、捕らえて行きたい。 Aちゃんと同様に、ちょっとした親切、ちょっとし た配慮、ちょっとした犠牲で、周囲に主の温もりや 潤いを伝える事が出来る。 証しのチャンスが日ごとに、豊かに与えられている。 まず、それに気づけるように、気づけて御霊に従え るように。 by 多恵子
2005年01月22日(土) 「最善をして下さる神様」
遠方の主に在る友人から電話があった。 母が召された事をらせたので、電話をくれたのだ。 「良かったね!良かったね!!本当に良かったね!! 天国は、子供が親に出来る最高のプレゼントで、親 孝行よね。 今頃、お父さんとお母さん、まあ、こんな良い所に 来てと、もうびっくりしとってよ。こんな素晴らし い所に来れるなんて、子供が紹介してくれてと。痛 みからも解放されて、喜びと安らぎの中におられて、 本当に良かったね!!嬉しいね!」 明るい、張りのある声で、喜びに溢れた電話をくれ て、改めてクリスチャンてなんて、すごいんだろう と。勝利なんだろうと。本当に、圧倒的な勝利者だと。 親が続けて亡くなって、良かったね!!嬉しいね!!と 言える、この福音の力、絶対的な希望、イエス様の 犠牲、神様のご愛を、つくづくと思った。 “死も、いのちも、御使いも、権威ある者も・・高 さも、深さも・・私たちの主キリスト・イエスにあ る神の愛から、私たちを引き離すことはできません” ローマ8:38 近況語り合ってて、娘が妊娠したが、流産しかかって いる事を話すと、彼女も2回流産したと。 それが不思議で、一番最初の子供の時は、だめだ、ど うやっても無理、育たないと、医者に諦めるよう言わ れた。それが、無事出産出来て、元気な赤ちゃんが与 えられた。 次の妊娠も流産しかけで、初期に入院していた。そし て医師からもう安心、大丈夫、必ず育ちますと太鼓判 を押され、帰宅した途端、それが流産してしまった。 「すべてが神様の御手の中にあるのよねえと。神様の ご計画とみこころが成っているんだなあと。今は、 流産した事も感謝なんよ」と、とても明るい声で。 でも、○○ちゃんのお腹に、神様が与えて下さった命、 守られて無事育つよう祈ってるね!! “すべてのことが、神から発し、神によって成り、神 に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえ にありますように。アーメン”ローマ11:36 クリスチャンは神の御手に握られており、わけのわか らない運命に翻弄されているのではない。一つ一つの すべてが愛の御手から来ていること。 友人と話していて、神様は最善をして下さること、 目に見えるかたちがどうであれ、最善しかされない 事、信仰のかたちで、しっかり見えて、とても引き上 げられた。 by多恵子
2005年01月20日(木) 「失望しないで祈り続ける」
母に癌が発覚し、手術はできず、見守り状態になった 時、福音を語り、神様のことを語り続けた。 罪のこと、十字架の身代わりの死、滅びと天国、救い はプレゼントであること、福音は理解できるが、自分 はまだすぐには信じることは難しいと行った。 死は迫っており、信仰与えられることは、神の働きで あり奇跡だと、祈るばかりであった。とにかく救われ て欲しい・・それだけであった。 その日、家に戻り、夜、神様に向かった時に、はっき りと御言葉が臨んで来た。 “いつでも祈るべきであり、失望してはならない・・” ルカ18:1 “まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のために さばきをつけないで、いつまでもそのことを放って おかれることがあるでしょうか”ルカ18:9 失望しないで続けて祈りなさい、38年祈り続けて来 た母親の救いに、必ず決着をつけて下さると語られた。 とにかく天国へ行って欲しい。絶えず祈り続けた。 雑用しながら、頭を使わない集中しなくて良い時は いつも祈り続けた。 すぐに信じるのは無理と言っていた母が、少しづつ変 わり、天国へは行くと言い始めた。でも、すべき事を 済ませてからだと。 最後には、条件が無くなり、天国へ行くとの意志を表 明してくれた。そしてその1週間後、天に召されて行 った。 昨年暮れ頃、危篤になり、行ったり来たりした。 行くごとに、衰弱が進み、どんどん痩せて、痛みを訴 えた。ある時は、激痛が襲うようで、話もできない状 態だった。 心臓と血圧がまだやや落ち着いている。しかし、長く はないと言われた。年末の最後、救いの確認をして、 余りにも激痛を訴える母と一緒に祈った。 「救って下さったことを感謝します。天国へ連れて行 って下さい」 正月明け、深夜3時頃の急変だったので、最期を看取 れず、それが最後だった。 祈りの答えだった。一番美しい時に天国へ連れて行っ て下さったと、受け止めることができて、感謝した。 痛みがいっさい無い、幸せの中で、今イエス様と安ら いでいる事に感謝。 “けれども、私たちの国籍は天にあります” ピリピ3:20 これからも天に帰るまで、沢山の祈りの課題、失望し ないで、祈り続けることを励まして下さった。 by 多恵子
2005年01月19日(水) 「生きておられる主」
家の整理のため、実家へ行った時のこと。 ドアをキイで開けた途端、丁度すぐそばで、妹が片づけ をしていて、即会話。 いざ、帰る段になって、そのキイが見当たらない。捜し 回るが、ドアを開けて、妹と喋って・・手にあったその キイの記憶が全く無い。途絶えている。 妹も捜し回ってくれる。コートのポケット、いつも置く 所、バッグの中、無い・・無い・・。う〜ん、どこへ行 ったか?? そうだ、祈ろう!と、見つかるよう心の中で祈る。 そして、もう一度全部捜し直す。バッグを調べ直すと、 何とあったー!!何度も見たのに、全く気づかなかった。 うわっ、神様だ!!祈りの答えに感謝。 以前、全く同じ事があった。キャンプで終了日、眼鏡が 見当たらない。幾ら捜しても無い。帰りの運転に困る。 皆も捜してくれるが、無い。部屋での交わりの集いで 祈った。すると、集会終了後、かばんの中で発見!! うわっ、神様有難う!!何度も見たんだけど??見過ご してたんだ。祈りの答えだー。 翌日、娘が登校時に、財布が無いと捜し回る。免許書、 カード類、学生証全部入っていると。最後の店の支払い の時、ちゃんと手に持ってた。友達の車で送ってもらっ て、落とす所がないと。 「何をすればいい?」に、友達の車を捜して貰い、お店 にも一応連絡、無ければ、銀行のカードをすぐ止める。 まず、祈ることよ。 1日、娘から連絡が無いから、無かったのかな??と 思いつつ、祈っていた。 帰宅した途端、友人から連絡。車に落ちていたと。 うわっ、良かったー!!!嬉しい〜!!と。 まず、娘にちゃんと管理せよと、いっさい言わずにお れた事が感謝。幾ら気をつけていても、自分もよくやる ものね。一つの事に集中すると、記憶が途絶えてるし。 その朝、デボーションは、使徒1:2「イエスは・・数 多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを 使徒たちに示された」だった。 日常生活で、確かな証拠をもって、ご自分が生きている ことを示して下さる!! 祈りの答えを本当に感謝!!日々、今日も、様々な出来事 の中で、ご自分が生きていることを、示して下さることに も感謝!! by多恵子
2005年01月16日(日) 「母の死」
先日、81才の母が天に召された。 去年の春前、10ヶ月前に、父が天国へ旅立ったところだ った。元気だった母が、気力ががっくり失せて、食欲無く、 身体も弱って来た。 夏に心不全で入院。貧血がひどくて、心臓に普通の2倍の 負担がかかるとの事。輸血治療を行っていた。 一応治療済み、療養型病院へ転院という事になり、退院時 の検査で、何と胃癌が発覚!! まず医師がええっー!!と、びっくり。体力無く、もう高齢 で、手術は無理なので、見守ることに。幸い痛みは全く無 かった。 転院して、歩けていたのがベッドの中だけになり、少しづ つ弱り、多分、転移もしているのではと。 暮れに、突然痛みを訴え出し、激痛のようで、衰弱がどん どん進んで行った。食物が摂れず、すべて点滴に。 そして、お正月が過ぎた頃、心臓の急変で、神様のもとへ 帰って行った。 母のために祈る中で、いつも「私の時は御手の中にありま す」「神のなさる事は、すべて時にかなって美しい」の御 言葉が臨んで来た。 「すべて」なんだと改めて。幸せな事だけでなく、苦しい 事も、悲しい事も、「すべて」の時が、神様の美しい時な のだと。 一番美しい時に、天に召して下さったのだと感謝できた。 父が、「夕暮れ時に光がある」ゼカ14:6 の通り、亡 くなる半年ほど前に、神を受け入れ、はっきり信じてくれた。 身体が弱って来る母も、父と同じ天国へ行って欲しいと、 福音を伝え続けた。最初は「自分はお父さんのようには、 すぐ信じることは難しい」と言っていたが、少しづつ少し づつ、神は働いて下さり、最後には受け入れてくれて、天国 へ行くと同意してくれた。 その救いの確認ができた、1週間後、天に召された。神のな さる事は、すべて時にかなって美しい。 私が救われて以来、38年間、両親の救いのために祈り続け て来た。両親とも、救いはほとんど今際の際であったが、38 年の祈りが答えられた。 もう一つの祈りは、この救いを親族にも証ししたいとの祈り。 両親共の葬儀を教会で執り行え、親族が福音を続けざまに 聞く機会が与えられ、祈りの答えに感謝!! 「神のなさる事は、すべて時にかなって美しい」 癌は前からあったのだろうけれど、退院時の検査で発覚。 もし、入院していなかったら、癌もわからないままだった・・。 癌発覚により、こちらに死の備えができて、切なる祈りが与 えられ、もう時間限定と、見舞う度に、神様のことを伝える ことが出来た。 両親が間を置かず亡くなり、とても寂しくはあるが、天で 二人が安らいで幸せであることに、深い感謝と平安、喜び が与えられていて、こんな慰めはないと、しみじみと感謝 に溢れている。神様、有難う!!! by多恵子
2005年01月01日(土) 「神の時がある」
新年おめでとうございます。 昨年最後のAちゃんとの学びで、一緒に一年間の恵みを 振り返りながら、『神の時』の不思議について話した。 “天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての 営みには時がある”伝道3:1 “神のなさることは、すべて時にかなって美しい”3:11 「すべて」に時があり、「すべて」が美しい。 Aちゃんの妹さんが、暮にすんなり救われた。教会へ来 て、福音を聞いた時、十字架の意味を理解し、その場で 「信じる」と。とても素直に。すごい!!良かった!! Aちゃんも大喜び。 「今まで何だったのかなあと(笑)私も事あるごとに話 してたんですけどねえ(笑)ほんとに、『神の時』があ る事を感じました。 神様の時でないと、幾ら言ってもだめで、信じる事が出 来ないんですよねえ。時があるんですねえ」 父が昨年救われた。私が救われて、38年祈り続けた末 だった。 82才で、死を前にした今際の際だった。救われて、老後 には喜びと平安の、教会生活をしてくれたらいいなと願っ ていたが、自分の思いとは全く異なり、死の直前だった。 神様の主権と、厳粛な『神の時』を思った。一番美しい 『時』なのだと納得し感謝できた。ずっと祈って来たゆえ だった。 今年も、様々な事があるだろうが、喜びの『時』も、悲しみ の『時』も、『すべて』が神様の美しい時なのだと、新年に 改めて思いつつ・・。 もう一つ、昨年、そのAちゃんが進路について、神様に全く 『委ねる』ことが出来た!!素晴らしいみわざを見た。 就職試験で、第一志望の一次試験が不合格だった。 その時、本当に平安そうだった。「いやあ、感謝なんです よぉ。不思議だけど、ほんとに平安で。神様が最善をして 下さったし、今後もして下さると信じれる。 私、こんなんじゃないんですよぉ。先の事考えるとすごく 思い煩って、心配して、不安になって。それが平安なんです」 周囲がものすごく恵まれた。Aちゃんが心底平安でいるのが わかる。伝わって来る。ほんとに神様を感じた。皆に報告す る時に「試験だめだったけど、感謝で・いいん・よ・ね?!」 と、Aちゃんを見ると、爽やかに「はい!感謝です!(笑)」 『委ねる』ってなかなか出来ない。委ねた「つもり」だが、 委ねていなかったりする。 B婦人も子供の事を思い煩って、心配して、不安で、「委ね ます」と、教会に来ては祈るが、どうしても握っていてだめ。 委ねられない。 不安で、心配で、委ねないといけないとわかるが、どうして も委ねる事が出来ない。 事態がどんどん進み、もうどうにも出来ない、どん底に至っ た時、委ねたんだと思うと。180度変わった。すっかり平 安になり、子供がどんな状態でも、受け入れる事ができて、 見守ってやれるようにされた。不安も心配もない。奇跡だと。 どこがどうなったのかわからないが、委ねられたんだと思う と。 <アメイジング・グレイス>の2番 ♪♪ 恵みはわが身の 恐れを消し 任する心を 起させたり ♪♪ 委ねることが出来ることは、自分の力でなく、神様の『恵み 』によるのだと納得。 by 多恵子