2005年04月21日(水)
  「素晴らしい慰め」

今日は孫の1才の誕生日。
今まで守られ、育まれ、ただただ感謝でならない。

去年の今日、Aちゃんは陣痛が思うように来ない
ので、もうこれは帝王切開にとの医師の急遽の判
断。今から、帝王切開の準備をして、手術との急
のメール。祈っていると、続いてメール。

その帝王切開の準備中に、自然分娩で陣痛が来て、
生まれた。
Aちゃんの両親が駆けつけたが、間に合わなかった
ほど。神様のみわざを見た出産だった。

その丁度前月に、父が亡くなった。
病院での突如の急変で、家族が最期を看取れない
まま。
しかし、はっきりと救われていて、天に、イエス
様のもとに帰ったことが大きな慰めであった。

そして、去年の4月21日、新しい命が、神様から
与えられ、父を失ったことへの、神様からの慰めだ
と感じた。神様は素晴らしいお方、大きな慰めを下
さった。

守られ育てられて、1才。赤ちゃんの成長は凄まじ
い。急成長だ。クリスチャンが、これだけ成長した
らすごいよね。
足を一歩蹴り、這い出したと思うと、あれよあれよ
という間に自由自在に。
つかまり立ちで、立ち始めると、すぐに一人で立ち
出した。今、歩き始めるところだ。

今年の1月に、続いて母が、父から10ヶ月後に天
に召された。イエス様を信じてくれて、天国に父と
共にいることが大きな慰めだ。

葬儀式を終えた直後、一昨年結婚した娘の妊娠が発
覚。又、又、神様が慰めを下さった。
妊娠を知らず、葬儀で無理をしたせいか、切迫流産
寸前であったが、神様により守られた。

この間、お婿さんのおじいちゃんが亡くなった。
夏の終わり頃出産予定、お婿さんの親族にも、大き
な慰めにして下さることと感謝。
いつも「慰め」を豊かに与えて下さる主に感謝!!

“しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は・・
・によって、私たちを慰めてくださいました。”
Uコリント7:6

by 多恵子

2005年04月20日(水)
  「無条件の愛」

「この世と調子を合わせてはいけません」

培われた根深い価値観があるよね、と皆で交
わる。

今この瞬間もこのままで愛していて下さる、
私が神を愛した
のではなく、神が私を愛して下さった。
なかなかわからない。このまま受け入れられ
るとは思わない。
このままの自分じゃダメで、神様に従ってい
たり、神様を
求めていたり、神様に近くいるなら受け入れ
られると、
漠然と思っている。

良い事をしたら賞められる、頑張れば賞めら
れる、
まあ、このままで賞められる事はない、この
世の価値観、
根深く培われた価値観によるのかも。

この4月新任のAちゃん「もう忙しくて忙し
くて、する事が
多くて追っつかない。朝の出勤も早いし、デ
ボーション
がなかなかとれない。ああダメだなあと思う。
でも、携帯配信の
日々の御言葉で、まずこのままで愛していて
下さるという内容
の御言葉が続いていた。
デボーション出来ない自分を、まず神がこの
まま愛していて
下さるんだと思った。すると、すごく嬉しく
なり、感謝な思いが湧いて、
少しでもデボーションしたいなと思った。
「ねばならない」じゃなくて、「したい」と
思った。

不思議ですよね。出来ない自分をまずこのま
まで受け入れ
て下さっていると知る時、じゃあ、デボーシ
ョンしなくていいや
でなくて、したい!と思えるんです。
心から自発的な思いですよね。」

愛していて下さる。今、このまま受け入れて
いて下さる。
だから、神様に感謝して、喜んで従って行き
たい。
邪魔をするのが、そのままで良いはずがない
自分はダメという「この世の価値観」。

「この世と調子を合わせてはいけません」
by多恵子

2005年04月19日(火)
  「祈りの答え」

Cちゃんが、お母様に良い証しができる
ようにとずっと祈っていた。

お母様が身体の調子が悪い。
あちらが「痛い」、こちらが「痛い」と毎日
言葉が口からついて出る。
毎日、毎日の事なので、またかと思ってしまう。

すると、持病持ちのD婦人が「身体が具合
悪いのはほんと辛いんよ。毎日、毎日だと周囲
はまたか、というのもわかるんですよぉ。

でも、身体はきつくて、またか、の反応は
辛いんよぉ。優しくしてもらうとものすごく嬉
しい。お母さんに、優しくしてあげてね。」

Cちゃん「Dさんの『お母さんに優しくして
あげてね』が、もうズキッ!!と来て、ああ、母に
優しくしようと思いました(笑)

「あの言葉がすごいインパクトでした。聖書の
御言葉伝えようとしても、なかなか難しいんです
よぉ。
そんなに聞くわけじゃないし、こちらも説明しよ
うとするがうまく言えない。
身体のしんどい母に、優しくすることが証しなん
ですよねえ」

「それが一番の証しだわ。ずっと祈ってる祈りの
答えだよね」
by多恵子





2005年04月18日(月)
  「どうしても必要なこと」

今週のメッセージ。マリヤとマルタさんの箇
所。
「あなたは、いろいろなことを心配して、
気を使っています。しかし、どうしても必要
なことはわずかです。いや、一つだけです」
(ルカ11:41)

まず第一に大切なことが、座して、神様の御
声を聞くこと。なすべき事は山積だが、優先
順位が大切。
霊的に枯れた状態で幾ら動き回り、スケジュ
ールをこなしても本末転倒。何の実も無い。

デボーション第一にしなければ、まず何かを
始めると、次々となすべき事が起こり、デボ
ーションは1日持てなくなってしまう。

Aちゃん「よくわかります。朝起きるや、その
日のスケジュールが頭にどっと来る。朝も
早い出勤なので、時間が無くて、もう準備に
バタバタ、バタバタ。

ちゃんとデボーションが出来ないで、先週過
ぎたんです。でも、前回学んだ“すべての事
について感謝しなさい”の御言葉がずっととど
まっていて、感謝を数えて、感謝している自分
がいて、その事が感謝でした!
今週はデボーションして、歩みたいです!」

やっぱり御言葉は力で、御言葉がとどまって
いるなら、守られるんだなあと。
“わたしがあなたがたに話したことばは、霊で
あり、またいのちです”ヨハネ6:63

Bちゃん「御言葉がとどまってないと、ほん
と流されます。自分が立つのでなくて、忙し
い状況に飲み込まれてしまって、その場と人
にどんどん影響される。
自分の肉が反応して行ってしまって、カッカ
して、せかせかして、尚且つそれに気づか
ない。」

Cちゃん「私、時間がいっぱいあるんですが、
時間があってもぼお〜っとしてしまって、時
間の問題でもないですよねえ」(笑)

デボーションしようとすると、あれこれ、あ
れこれ思いがさまよう。先に、この事をして
おかなくちゃと思う。それをしていると、気
がそがれて行ってしまう。

何かぼや〜っとして、聖書読んでもピンと来
ないなあと、諦めてしまう。昨日読んでも、
何やわからんかったし、今日も、わからんだ
ろうと。(笑)モヤ〜ッ、ボヤッ〜として終
わってしまう。(大笑)」

それって、サタンが来てるわ。デボーション
しようとすると、物凄い攻撃が来るよ。
ありとあらゆる方法で阻止して来る。次々と
思いを持って来たり、祈ってる途中で考えさ
せたり、用事を思いついたり、眠くなったり、
集中できなかったり、サタンは一番嫌なん
だね。祈りと御言葉が。

「御霊に属することをひたすら考えます」
ローマ8:5
「イエス・キリストをいつも思っていなさい」
I テモテ2:8

御霊に属すること、神様を思おうとした途端、
攻撃が来る。物凄い阻止と妨害。ぼやっ〜と
していたら、何も無いのに、一旦、心を神様
に向け始めるや、凄まじい攻撃に会う。

ほんとに霊の激しい戦いがなされていて、デ
ボーションはサタンが必死で妨害している。
よほど嫌なんだ。逆にそれほど大切で、
無くてはならないただ一つのもの。

by 多恵子

2005年04月17日(日)
  「生活に“気持ち”がある」

忙しいと、「心」が「亡びる」。

Bちゃんが話して来る。毎日毎日目の回る忙
しさで、すべてに心が立ってしまっている。
座することがない。朝にデボーションするが、
それ自体も、次のスケジュールが気になって、
もうすでに心が立ってる。

御言葉に心が集中していない、神様に向いて
いないから、字だけ追って、御言葉が何もと
どまっていない、入らない。

忙しさの途中に、ふと今日の朝の御言葉は何
だっけ?と思うことがあっても、全く思い出
せない。何一つとどまっていないのだ。

でも、する事は次々と臨み、スケジュールに
追われて、疲れ果てて1日が終わる。
そこに、心や気持ちが伴わず、沢山のなすべ
き事をこなしているという感じだ。そして、
自分の思いと自分の力で成し遂げている。だ
から、イライラするし、思い煩い、流されて
しまっている。

周囲にも心を向けられない。配慮ができない。
自分のことだけになってしまう。

ぶどうの木に、イエス様にとどまっていない。
“わたしを離れては、あなたがたは何もする
ことができないからです”ヨハネ15:5

「祈りがあり、御言葉がとどまっていると、
生活に<気持ち>があって、潤いがあって、
喜びがあるんよね。」
「そうです!そう!御言葉がとどまっていると、
全然違う。一つ一つのする事にも心があって。」

「イエス様から離れていると、イライラ、イ
ライラして、周囲もさばきまくって(笑)
やるべき事は、全部こなしてるんだけど、心
が荒んでる。まさに離れている」

“わたしにとどまりなさい。わたしも、あなた
がたの中にとどまります。

あなたがたも、わたしにとどまっていなければ
実を結ぶことはできません”

“人がわたしにとどまり、わたしもその人の中
にとどまっているなら、そういう人は多くの実
を結びます”ヨハネ15:5

by多恵子



2005年04月16日(土)
  「神の美しい時」

「天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある」伝道3:1

神様の「時」、完璧な「時」、すべての事が
「神の時」にかなって、導かれている事を思
う。
A婦人。遠く郷里のお母様に、相手のお身体
の都合や、何しろ忙しい日々に
もう長い間会っていない。婦人会で皆に「会っ
て来たら」と励まされ、高齢になって来るし、
証しもしたいと、志が与えられた。祈りの中
で、不思議なように様々の事態が調整され、
門がどんどん開かれ、とうとう実現した。

お母様はそれは喜んで下さった。するとちょ
うど不思議なように、状況が整い、すぐ近い
内に連休があり、日を経ずに、次はA婦人一
家で会おうということに道が開かれた。お母
様と一緒に礼拝ができ、御言葉に触れる時も
与えられ、孫達にも会え、喜んでもらえ、本
当に良い証しとされた。

Aさん「本当に<神様の時>があるんですね。
定めて下さってるんですね。幾ら時間があっ
て、状況も自由になっても、気持ちが整って
いない。又、幾ら気持ちがあっても、時間が
無く、状況が整わない。

<神様の時>というのは、気持ちがあって、
心も整えられて、そして環境が備えられ、開
いて行く。「気持ち」と「環境」が一致する
時なんですね。

神様はすべてに「時」を備え、大きなみわざ
を現して下さる。

「神のなさることは、すべて時にかなって美
しい」伝道3:11



2005年04月08日(金)
  「キャンプに行って来ました」

ティールームを読んで下さっている方、有難う!
しばらく滞っていて心配して下さって有難う!!

カンボジアへ宣教視察に行き、帰国後すぐ、長
島へジュニアキャンプに行き、バタバタしてい
ました。

ジュニアキャンプへは、少し距離のある地区集会
のAちゃんが一人で参加してくれた。以前お姉ち
ゃんが教会のキャンプに参加して、イエス様を信
じることができた。
それで、「いいよ、いいよ、キャンプはすごくい
いよ」と勧めてくれたそうだ。お姉ちゃんと一緒
に参加予定だったが、お姉ちゃんは都合で参加出
来なくなった。

それでも、皆と初対面の中、一人で来てくれた。
中学生で参加最年少。皆も祈って、接してくれて
とても暖ったか〜い、いい雰囲気だった。

キャンプ中にイエス様の十字架のお話をすると、
「信じる」と。聖書の御言葉が心に触れるようで、
ポロポロ涙が出て溢れ出した。
イエス様の身代わりの死、神の愛に肩を震わせ
て泣いていた。悩みがあり、神様が心に触れて
下さったんだろうなと。

「イエス様信じれて、良かったね!」Aちゃんは、
涙顔で、「うん」としっかりうなずき、「キャン
プに来れて良かったね!」に、「うん!」とニッ
コリ微笑んだ。
皆もAちゃんの救いに、歓声を上げて大喜び。

そして、帰宅後、この4月。不登校だったAちゃ
んが自分から学校へ行くと。新学期から行き始め、
部活までして帰って来たと。

感謝で感謝で、溢れた。神様に感謝!!
神様は心の芯から湧き上がる力を与えて
下さる。神様によって生きて行く事が出来る。

キャンプの祝福に、喜びが満ちた。
by 多恵子