2005年05月26日(木) 「存在そのものが喜び」
孫は、今、1才2ヶ月だ。 手をひじで曲げて前に直角に出し、バランスを 取って、ロボットみたいに歩き始めたかと思 うと、あれよあれよという間に、どんどん歩いて いる。 赤ちゃんを見ていると、神様と自分の関係を 教えられる。 赤ちゃんは自分の無力を知っていて、何か 恐怖が来ると、すぐにしがみついて来る。 公園へ連れて行き、大きな犬が吠えた途端 止まって、だっこと手を伸ばす。 あんなに小さいなりで、あれほど大きな犬、 大変な恐怖だろうなと思う。 どんどん歩くが、足元の段差が大きくて、自 分の手に負えないと、手を出して来て、助け を求める。 不安が無い間は、どんどん進むが、何か障 害があり、不安材料があると、しがみついて 来る。顔がこわばって、本当に怯えている。 情報が無いのだから、理解出来ないのだか ら、あの小ささでは、目に映る得体の知れな い何もかもが、幽霊のように恐怖だろうと思う。 弟子達が、海での大嵐の中、向こうから来る 白いぼんやりしたものを幽霊だと恐れたよう に。 腕の中で、しっかり抱きしめてやると落ち着く。 「大丈夫。何があっても、必ず守るから何の心 配もないよ。」それは、そのままイエス様が私 に言って下さってるんだとわかる。 「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることは ない」 赤ちゃんは、何もしなくても、存在そのものが 周囲に大きな喜びと祝福を与える。 心和ませられ、心癒される。 神様にとって私達も存在そのものを喜びと していて下さる。 赤ちゃんはお母さんの腕の中で、全き平安 そのもの。 神様の御腕の中で、憩って、安らいでいたい。 by 多恵子
2005年05月26日(水) 「自分の思いと神の思い」
神様のみこころと、自分の思いは本当にしば ば違う。 “人の心には多くの計画がある。しかし主の はかりごとだけがなる”箴言19:21 「でも、なぜか自分が計画する時は、負の計画、 マイナスの計画は入ってないし」と皆で大笑い。 良い計画は幾らでも立てるが、ここで失敗して、 ここで病気になってという予定は入っていない。 だけど、実際はそれが起こるから、計画通りで ないと言っても、自分の思いによる計画だ。 「自分の思いが強いと、神様が見えなくなること 経験しました」とBちゃん。 教会の学び会に行けるよう、祈って祈っていた。 ところが続けさまに、仕事でどうしても自分が 出なければならない状況が続いた。 ずっと祈っているのに何で??で落ち込んでしま った。祈りが聞かれない。自分が何か間違ってい るのか、自分の何かが悪いのかと、更に否定的に しか見えず、ますます落ち込んだ。 今日、みこころに従う中で、試練が来る事を学ん で、よくわかった。 祈った結果、自分がどうしても仕事に出ないとい けなくなった、祈ってこうなったから、これは神 様から来たものなんですね。これを受け止めて、 学ぶ事がみこころなんですよね。 そう受け取れば、良いことわかって感謝。 そんな選択肢が無かったから、思い通りでないか ら落ち込むばかり。 ほんとに、行けなかった代わりに、こうやって家 庭集会をちゃんと神様は与えて下さったし。 物事が自分の思い通りでないから、つまり自分が ものすごく強くあるから、自分が軸であり、それ 中心に回ってるから、神様が見えなくなる。 自分に都合悪いものが来ると、感謝など全くなく、 不平不満が募る。自分の思い通りでないから。 でも、自分焦点から、神様焦点に変えると、物事 は神様の思い通りであり、神様のみこころ通りに 回っているわけだ。 それを受け入れる時、心が平安になり、感謝が来る。 自分の思いが強いと、受け入れられないどころか、 何もかも思い通りにならないので、真っ暗闇。 自分中心の思いが問題だ。 by 多恵子
2005年05月25日(火) 「カンボジアに心ひかれて」
今日はカンボジア料理のお店へ行き、初めてカンボ ジア料理を食べた。 3月にカンボジアへ行った時には、結局一度も食べ られなかった。 中継地点のマレーシアで、独特の香辛料の入った料理 を食べて、ちょっと胃にこたえて、カンボジアではど うも食べられなかったのだ。 それで何を食べたかと言うと、ハンバーガー。外国へ 行って、ハンバーガーと笑われる。それしか食べられ るものがない。 初めて食べたお店のカンボジアカレー、ココナツミル クが入っていて、辛くて甘い。美味しい。 カンボジア旅行記を読んでいた。アンコールワットへ 向かうために、観光のためボートで移動していて、銃 撃にあった話。 トゥール・スレン博物館。ポルポト時代に、昔の高校 を刑務所に。拷問による大虐殺。遺骨が積まれている。 ある一行は、博物館見学後、美味しいものを食べに行 く予定が、食欲全く失せ、女性達は泣いているし、皆 で心重く沈んでしまった話。 Aちゃんと話していたら、そのポルポト時代に政府 からの虐待を受けた医師の書いた本を読んだ事が ある。余りの残虐さに、これから先は気分が悪くなる 人は読まないで下さいと、但し書きがあったほど だと。 人間があんなに残虐になれる事が、思われたと。 生まれ持った罪の性質がサタンに同意して行く時、 そうなるのか。 家族は無意味と解体され、家族がバラバラ。密告 社会を作り、密告した者が生き残れるしくみ。 家族同士が裏切りあった。その傷の深さ、憎悪 の深さを今でも見るという。 皆、家族の誰かが殺され、全員生きている家族など ないと言う。 文句や不平は勿論、濡れ衣でも虐殺され、悲惨な 歴史だ。 ポルポトって何を目指したんだろ?ただ200万 もの人を殺そうとしたわけではないだろうに。そ れも自国民を。 「神の愛がわからない。まず、愛という概念自体 がわからない」カンボジアで実際に働いている宣 教師さんが言っておられた。余りにも傷が深すぎて。 カンボジアの人々に神様の愛が届けられるように。 カンボジアで出会った宣教師の方々が豊かに用い られるように。 訪ねた孤児院の子供達に祝福があるように。 私達の教会のカンボジア宣教がこれから用いられ、 カンボジアで救われる魂が起こされるように。 日々に切に祈りつつ。 by 多恵子
2005年05月23日(月) 「御言葉を心に根付かせる」
今週の礼拝メッセージ。 「わたしのことばを聞いてそれを行なう者はみな、 岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べること ができます。 雨が降って洪水が押し寄せ・・それでも倒れませ んでした」(マタイ7:24) 家を建てる時、基礎工事が一番大切。信仰生活 も同様で、土台が一番大切。土台がしっかりして いないと、試練の時に倒れる。 「みことばを聞いて行なうこと」が、岩の上に家を 建てることであり、土台だ。それが賢い人であり、 人生にどんな試練が来ても倒れない。 Aちゃん「メッセージの中で、種まきの例えで、御 言葉が種との説明があった。心は土地で、種を 心に入れないといけない。種を心に入れたら、そ の種に命と力があるから、行ないが出来ることが わかった。私は心に種を入れる事を示された。 御言葉をぼおっーと聞いてる。しっかり聞いて、心 にとどめないといけない」 Bちゃん「私も同じ事、教えられた。行ないは自分 の力で出来ない。御言葉を行ないなさいとあるから、 さあ、行なおうとするが、自分の力でしているから、 出来ない。 そうじゃなくて、御言葉の種を、土地である心の中 に受け入れて、深く根ざすなら、芽が出て実がなっ て行く。だから、種が大切で、御言葉によって、行な いが出来て行くことがわかった!」 Cちゃん「私は御言葉は聞くが、御言葉は御言葉、 行ないは行ないと分離していた。はなからこんな高 度な事、実行など出来ないと。出来るはずがない。 それって、サタンで不信仰、肉の思いですよねえ。 でも、ちょうどその前に、<心を神様に与えて向け て行く事>を語られていて、御言葉を心にしっかり 植えつけるのは、心を神様に与えて行く事で、つな がって、生活の中で教えて下さってることが嬉しか った」 御言葉が心にある時、行動が変わる事を経験する。 忙しくてイライラしそうな時、「すべての事について 感謝しなさい」の言葉が来ると、それを心が選び取 ると、イライラするはずがイライラせず、感謝が生ま れる。 今、育児で24時間営業のFちゃん、時間も労力も 取られ、自分の事は何一つできない。普通ならイラ イラして、手かせ足かせの状況に悶々としそうだが、 「すべての事に感謝」が心にずっとあって、そうじ ゃなくて、子供がこんなに神様から元気に守られて いて感謝!に、発想が行く。心が平安に守られてい る事に気づき、驚き、更に感謝。 心に植え付けられた御言葉が、肉の行動を目の前 でシャットアウトし、方向変換してくれる。 御言葉を素直に心に受け入れ、しっかり根付かせる 時、種には命と力があるので、行いができて行く。 by 多恵子
2005年05月20日(金) 「瞬間瞬間の選択」
二つの性質がいつも葛藤するよね、と話し合う。 古い罪の性質と、救われて与えられた新しい性質。 この二つがいつもあるよね。 肉は、どろどろの肉の欲望がからみついて、常に プライドを守ることや、自己防衛、自己憐憫、自己 正当化、自分の思いを遂げようとする。自分が 執拗にからみついて来て、常に常に、妨げてくる。 でも一方にもう一つの思いがある。これではいけ んだろう、神様のみこころではない、新しい性質 は神様に喜ばれること、自分に死んでゆくこと、 御言葉に従って行くことをを思う。 しかし、また、肉がそれを阻止しようとする。そん なしんどい事しなくていいよ。出来ないよ。そこそこ で良い。プライドが傷つくよ。 しかし、心の底は満足できない。神のみこころは 何かを知っている。従った時、平安と喜びに満た されることも知っている。 Dちゃん「夫婦喧嘩をした時、もうはっきりわかる。 肉は、自己主張、自己正当化をして、自分は正し い、必ず悪いのは相手。肉は相手を攻撃し、責め るのみ。 でも、御霊様は違う。あんたが謝れと自分に言わ れる。間違っているのは自分だと。はっきりわかる。 もう謝る言葉まで一言一句すべてきれいに頭に 浮かぶ。(笑)御霊様が言っておられる。よくわかる。 そこで、葛藤が来る。肉は何で謝らないといけない、 相手だって悪い。でも、御霊は謝りなさいと言う。 御霊様を選ぶべきだとわかるが、サタンの猛攻 が来る」 このDちゃん、いつも集会に来ては、神様の光の 中で新しくされ、「やっぱり帰ったら謝ります!!」。 いつも後で連絡が来る。「謝りました!!すっごい心 が平安です!夫婦関係も回復し、喜び与えられ てます」 でも、集会に来る事自体がすでに神様を選んで いる。来たら、謝る事を実行しないといけなくなる 事がわかっているわけで。心の底は謝りたい。 だから、神様のもとへ来る。 今日も目の前に繰り広げられるかっとうに、御霊様 と新しい性質の方を選択して行けますように。 一生涯、天国へ行くまで瞬間、瞬間の「選択」だ。 肉も御霊も、自分が選択した方が、後ろを見る時、 しっかり実になっている。 by 多恵子
2005年05月18日(水) 「わざわいは実は祝福」
神の思いと人の思いが違うこと、神の思いは遙かに 高いこと、色々な場面で学ぶ。 前に、こんなはずでは無かったAちゃん。建て上げ、 築き上げ、励まし合え、慰め合える、クリスチャンの 麗しい関係を思い、出会いを与えられたBちゃんと、 真の友にと、祈りを続けていた。 真の友にの、祈りが答えられた。自分の思いとは 全く違う方法で。 ある時、双方の誤解で、言葉足らずが原因で、ギク シャクしてしまった。麗しい関係が答えのはずが、 何でギクシャクするのか。どうでも良い関係なら、 放っておくが、真の友になりたいし、ずっと祈って いる。 神様のお心はどこにあり、何か、祈り求める中で答 えが示された。自分に問題がある。弱さをきちんと 出して、相手に理解してもらうよう、でないと相互 理解は成り立たないと教えられた。 一番自分の出来ないこと、したくないこと。ギクシャ クは、自分への、神様の取り扱いであることがわか った。自分自身をもっともっと、御霊は、自由にして 下さりたいのだ。自分で自分を窮屈にしていると。 決心をして、心を開いて、自らの弱さを話す事が できた。すると、大海のような平安におおわれた。 自分自身が成長して行くための、取り扱いに、 逃げないであずかる事ができた。喜びが溢れた。 自分の思いと神の思いは異なり、いつもいつも 神の思いは遙かに高い。 目の前に様々な、一見「わざわい」に見える事 が起こるが、実は確実に平安と将来と希望のた めのものだ。 信仰の目で、目の前の状況を見ることが出来る ように!! by 多恵子
2005年05月17日(火) 「求めは答えられる!」
Bさん、職場で様々な試練があり、辛い事が重なった。 どうしても、婦人会に来たかった。御言葉を聞き、祈 り、皆と交わり、慰めと励ましが欲しかった。 時間を取って予定していたが、同僚に急用が出来、代 わりに出勤になった。翌週は以前から休暇を取ってい たので絶対に来れると楽しみにしていた。 すると、何と病欠者が出て、休暇も返上、出勤になっ てしまった。辛さの上に、どっと落胆がおおいかぶさ った。 サタンが私を妨害しているのか?そう思った途端、も う失望落胆のどつぼに落ち込んだ。 その時、日々の御言葉で、神様にはすべての事に深い ご計画があり、災いではなく平安と将来と希望の計画 であること。 そして、隣人を愛することは、主のみこころで、職場に どうしても人員が無くて、必要とされている状態を思っ た。 御言葉に触れると、視点が変化して、出勤する事ができ た。必要とされている事を、覚えて働く力が与えられた。 それほどの求めに、近くのC婦人が、仕事が済んだら 帰宅前に、家に寄るよう招いてくれた。婦人会の学びを そのまま伝えるからと。 B婦人は大喜び、そのようになり、その日B婦人は御言 葉により、生き返り、新たにされ、元気が与えられた。 次は、B婦人が仕事帰りに来れるよう、C婦人宅で婦人 会をする事に。 神様は「求め」を、真に喜んで下さり、求めには必ず答 えて下さることを皆で見て、喜びを与えられた。 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え」 エレミヤ33:3 by 多恵子
2005年05月15日(日) 「試練は嫌だけれど・・」
今日の朝拝は、「試練」についてのメッセージだった。 試練が与えられるのは、1古い人が砕かれ削られ 小さくされて行くため。2神に頼り、神に近づくため 3兄姉皆で祈り合うようになるため 試練は絶対に祝福で、試練が無ければ成長が無い。 振り返って神様に一番近い時って、全員が言う。「試 練の時だった」と。あれほど神様によりすがり、頼った 時はない、神様に近かったと。 だけど、試練は嫌なんですよねえ。 Aちゃん「試練の時の祈りが的はずれ。試練の時は、 この試練が何とか無くなるように、状況が変わるよう に、逃げる事、避ける事しか祈ってないです」(笑) Bちゃん「私もそうだ!もう逃げたい、避けたいしか 無い(笑)何とかこの試練が無くなるように、又は、 状況から脱っする事ができるように」 今、四方八方から厳しい試練にあるCちゃん「同じ です!苦しい事は逃れたい。皆、同じなんですねえ。 でも、本当に苦しみ通してしか、味わう事の出来ない 喜びもまた経験しました!神様がすごく身近に感じら れました。皆の祈りに励まされました。ほんとにメッ セージの通り、そのままです!」 Fちゃん「試練の時って、ほんと古い性質があらわに なる。見たくない、ふたをしておきたい、自分の一番 嫌なところ、そこがクリアにされて、はっきり認めさ せられる。そこを通ると、解決があって、すごい成長 があるとわかっている。 どう、冷静に考えても、試練を通って成長できるなら 通った方が良いですのにねえ。だのに、直面すると逃 げの一手なんですよねえ(笑)」 でも、逃げたくない新しい自分もいる。嫌だけど、痛 いけれど、しっかり受け止める事を選択しようという 新しい自分がいる。 by 多恵子
2005年05月13日(金) 「神様の思いは違う」
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたし の道は、あなたがたの道と異なるからだ。 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの 道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いより も高い」イザヤ55:8 神様の思いが、自分の思いと、全然違うと、皆で盛り上 がる。 Aちゃん、将来の志を同じくする中で、信仰の友が与え られるよう祈っていた。麗しい主に在る友情を想像して いたのに、相手を通して自分の弱さ、自分の中の今まで ずっとあったが、目をそらしていた闇の部分を示された。 相手がどうこうでなく、自分の闇を解決しようとの主の みこころだ。絶対に見たくない、触れたくない、自分の 内のドロドロが照らし出されることに。 祈りはしっかり答えられてる。「ああん!思ってたのは、 こんなんじゃない!気持ち良いただただ麗しいものだっ たのに!!痛くて辛い。でも、祈りが答えられてる!」 Bちゃん、証しをしたいと、周囲で用いられるよう祈って いた。 すると、ほんとに環境が導かれて、目の前に証しすべき 人を置いて下さってた。相談、相談で、大変な状況の 人々ばかりで、受け止めきれない自分に、ただただ神様 に頼り、よりすがる。 でも、思ってたのはこんなに大変な事でなく、麗しく主を 証しする事だった。でも、祈りは答えられてる! Cちゃんも、Dちゃんも、導かれて、喜んで行った職場が えらく大変で・・ 全く自分の思いと違う。神様の思いって、自分の思いと ほんとに違うんだ。 でも、神様の思いは高い。目先だけでなく、先まで見通さ れた、すべての面で最善のご計画。切磋琢磨されながら、 成長がある。 「そのように・・必ず、わたしの望むことを成し遂げ」 自分の望むことでなく、神様の望むことを成し遂げて下 さる。人間には目先のことしか見えないし、先を見通す ことが出来ない。 最後まで見通しておられる神様の導きは、確かだ。 by多恵子
2005年05月11日(水) 「祈りが違う」
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けて下さい ます。私たちはどのように祈ったらよいかわからな いのですが、御霊ご自身が言いようもない深いうめ きによって、私たちのためにとりなしてくださいます 人間の心を探り極める方は、御霊の思いが何かを よく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこ ころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるか らです」(ローマ8:26,27) 御霊が祈りを助けて下さる事、深いうめきによって、 とりなしていて下さる事を学んだ。 どう祈ってよいかわからない、的はずれな祈りをする 私たちを助けて、祈りを修正して行って下さる事。話 し合っていると、 Aちゃん「わかります。ほんと的はずれな祈りが修正 されます。職場の対人関係でギクシャクしてしまって、 相手が謝って来い、謝って来いと祈っていたら、祈って いるのに余計腹が立って来て(笑) それで、自分から謝って、関係を回復すべきだと示さ れて、それを祈ると心の底に平安が来て。何で自分な んだ、相手だって悪いと思う古い性質が来るんですが、 でも、みこころがはっきりしたので、選択して従おうと 決心しました」 Bちゃん「祈りがきれい事で、建前だと気づかせられま す。声に出して祈ると良いと言われて、声に出して祈る と、ほんとに自分の気持ちとズレがある、違うというの がわかります。 「○○さんと話せますように」と祈っていて、え?これっ て違う、自分の心は全然思ってないとわかった。 それで、「話したいと思ってません、でも助けて下さい」 と正直な気持ちを祈ったら、祈りが聞かれた。 自然に話せて、すごく和やかな良い関係与えられます!」 御霊様が祈りを修正し、みこころにかなった祈りができ るよう助けて下さること感謝! by 多恵子
2005年05月09日(月) 「新しい人と古い人」
今日も、「古い人」がいかに強いかとの話しに。 「子供に、どうしても口うるさく言ってしまう。小言 と文句が出てしまう。頭ではわかっているのに、古い人 が強くて、言っては後悔する。 口を必死でおさえていると、子供に『お母さん、目が言 っとるよ』と言われてしまった(大笑) 今まで生きて来て、そのままでいいよと言ってもらった 事など一度も無い、この世界には絶対にあり得ないか ら、もうわからないんですよね。 そのままではダメだ、ダメだ、がこの世界の価値観で あり、古い人の根強い価値観。すぐそこに戻ってしま う。 『ちゃんとしなさい!そのままではダメ!頑張りなさい!』 で、ずうっと育てられて来て、自分も頑張って、ちゃん として来た。 だから、子供にどうしても要求してしまう。子供を損な って行くのがわかっているのに。古い人なんですよね。 御言葉聞くと、我に返る。」 「それにね、このまま神様のもとへ行けない。きれいに なって、ちゃんとしないと行けないんですよ。」 「プライドがあるもんね。」「そう、プライドが 邪魔をして汚いままじゃ行けない。汚いまま受け入 れて下さるなんて、神様の世界って、もう全く違う から、練習して、練習して、行かないとほんとに わからないですねえ」(笑) 古い価値観と戦いながら、日々新しく、新しくされて、 常に神様と交わって、頼って頼って行く事なんですよ ね。 by 多恵子
2005年05月08日(日) 「御言葉にとどまる」
今日も、日々の信仰生活を語り合う。 「すべての事について、感謝しなさい」(Tテサロニケ 5:18)この御言葉を特に覚え、日ごとに実行してい るAちゃん。 思い通りにならない事態にも、感謝して感謝していると、 今までの自分なら落ち込む状況なのに、落ち込まずに、 心が守られている事を発見! 感謝して行く人に、ますます感謝する事を与えて下さる 神様。今週も感謝して、恵みを数えて歩めるように。 失敗してしまったというBちゃん。心の中でいらいらし ていると、つい悪口に同調してしまう。言わなくてもよ い肉の言葉を発してしまう。後でしっかり後悔する。 「その時って、神様がまるっきり無い。飛んでしまって る。頭、空白。全く神様が無くて、御言葉がとどまって 無くて。 だいたいその前に、ここ数日、自分の心がすごくざわつ いて、肉の思いに支配されていて。それを神様のところ へ、逐一持って行かないといけない事がわかりました。 神様のところへ持って行って無いから、自分の内に抱え 込んで、肉の思いで一杯になっている。そこに、誘惑が 来たら、抗しきれないんだと。心を洗いざらい神様に打 ち明けて、祈って行きます」 Cちゃん「御言葉が心にとどまっていない時、ほんと肉 の行ないをしてしまう。安楽な方へ、楽な方へ必ず流さ れる。 でも、肉の強烈な力も教えられる。御言葉知ってて、な すべき事もわかっているのに、そちらはしんどいから、 選ばない自分がいる。 でも、ほんと後悔するし、平安がない。御霊の導きの方 を選択して、みこころを歩んで行きたい」 信仰生活って、一瞬、一瞬の選択だ。御霊とサタンが、 どちらもが引っ張る。御霊を選んで行く事が神様を愛す る事だ。神様への愛を、今週も現して行けるように。 by 多恵子
2005年05月07日(土) 「石はすでに転がされて」
「あれほど大きな石だったのに、その石がす でにころがしてあった」(マルコ16:4) 今日の配信の御言葉だが、新会堂建設で、い つもいつも大きな石が、すでに転がしてある のを見て来た。 奇跡につぐ奇跡で、大きな石が転され続け、 新会堂が建った!!神様のみわざを見る機会 だった。 5千万の土地購入献金をし、1千万の不足だっ た。なぜ?しかし、石はすでに転がされていた。 不動産が好意で取引先銀行を紹介してくれた。 何とそこに、兄弟がキリスト伝道者という副支 店長さんとの出会い。年内一括返済を条件に、 本店に上げないで、支店の権限で、融資を受け られるようにとの取り計らい。土地購入を果た せた。 年内に1千万の必要が満たされるよう、皆で祈 りに祈った。祈りが積まれ、暮れが近づた頃、 その大きな石もすでに転がされていた。 ある先から大きな教会債の申込みがあって、 すべてが満たされ返済できたのだ。 年が明け、次は建物融資。3千万近い担保物件 が必要との事。もう皆が献げ尽くして無い。 とにかく祈りに祈り、貸せるものを募集。 その石もすでに転がされており、4月に全額整い、 融資が下りたのだ。 そして、今6年目、返済においても常に、大きな 石がすでに転がされているのを見て来た。目の 前の必要はことごとく完璧に満たされて来た。 神はまことに生きておられる! by 多恵子
2005年05月04日(水) 「神の愛が今日も」
連休は、連日素晴らしい好天だった。 その内の1日、孫も一緒に備北公園へ。庄原 にある、かなり大きな広い公園だ。 そのインター出口で、1キロ以上の渋滞。大 変な人波、人混み。家族連れで一杯。駐車場 も満車で、臨時駐車場へ。送迎バスが無料送 迎。そこも一杯に車で埋まっている。 公園に入り、やっと腰を下ろすのに、家から 何と2時間半もかかっている。28度もあった そうで、確かに暑かったが、湿気が少ないのか カラッとした暑さだ。日陰は涼しい。 よく手入れされた花が素晴らしく綺麗。赤、黄、 白、ピンク、ブルー、色とりどり。カラフルで、 見事に咲き誇っている。 花と言えばこの歌だ。 ♪「花屋の店先に並んだ いろんな花を見て いた人それぞれ 好みはあるけれど どれもみ んなきれいだね」♪ 学びの準備をしていて、マタイ5:45の御言 葉が前日から心にとどまっていた。 “天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、 正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくだ さるからです” これって、よく考えたら、すごい神様の大きな愛だ。 神様の無条件の愛、一方的に与える愛、犠牲の愛 などを思う中で、良い者にも悪い者にも、太陽を 上らせ、雨を降らせて下さる、注がれている神の 大きなご愛を思っていた。 神の造られた自然の中で、神の愛が満ち満ちてい ること、神に愛されていること、神の愛に包まれ ていることが、何だか全身に迫って来た。 “天にも地にも、わたしは満ちているではないか” エレミヤ23:24 日常生活で御言葉が心にあり、反すうしていると、 本当に喜びと恵みが来る。御言葉がとどまる事は いのちだ。 神様に包まれて、見事な晴天の中、家族で楽しい 楽しいひと時を与えられ、心満たされる祝福のひ と時であった。 by 多恵子
2005年05月01日(日) 「結婚31周年」
4月29日は、31周年の結婚記念日だった。 子供達が集まって、皆で手料理を作ってくれ、 祝ってくれた。大きな祝福だった。孫を加え て9名になっていた。 31年前の結婚式。夫はすでに宣教地で開拓 宣教を一人で始めていた。私はその前月に神 学校を卒業したばかり。結婚式のすべての準 備は母教会で引き受けて下さった。 主にある兄弟が、とても大きなウェデングケー キを朝早くから作って下さり、それをカット して皆に持って帰って頂いた。すべて兄姉の ご奉仕による、手作り結婚式だった。 まだ未信者だった父が、感無量に「神聖だっ た。神聖な、神聖な式だった」と言った。 そのように遠方の親族に伝えていた。 お礼を除いた、式のすべての費用が¥15, 000。今では到底考えられない。式後、 そのまま開拓地へ。あれから31年、神様は 確かに祝福して下った。 子供達が皆信仰持ち、父は孫から福音を聞い て救われた。母の救いのためにも、順番に行 っては証しができた。 叔母の今際のきわには夫が福音を語ってくれ て救われた。二人の祖母も今際のきわに、は っきりと、再度救いの確認が出来た。 31年前の結婚、二人の生活から、救いが親 族に及んで行った。 今1才の孫がいる。クリスチャン3世。教会 の方が「○○ちゃんて、どこを見ても、全部 クリスチャンですよねえ。 双方のおじいちゃん、おばあちゃん、おじさ ん、おばさん達全員クリスチャンだ」 31年間、夫婦の間にイエス様がおられて、 素晴らしく祝福して下さった。 “ふたりはひとりよりもまさっている。ふた りが労苦すれば、良い報いがあるからだ”伝 道4:9 熟年になって、夫婦が喜びと楽しみであり、 ますます祝福と信頼と感謝が増し加えられて いることがただただ感謝。 by 多恵子