2005年06月22日(水)
  「わざわいではなく」

朝、息子の伴侶Aちゃんからメール。
「思わぬ事が起こります」と題名。
何かな?と思い、見ると、交通事故。
トラックが突然、バックして来て車同士ぶつか
った。今、自分と子供は教会に戻り待機中と。

詳細わからず、加害者か被害者かもわから
ず、すぐ集会の時間なので、集会の中で皆に
も祈ってもらう。

聞いた時、エレミヤ29:11「わざわいではなく
て、平安を与える計画であり、あなたがたに将
来と希望を与えるためのもの」が臨んで来る。

災いではなく、平安と将来と希望。クリスチャン
に災いは一切無いこと改めて思い、感謝。
心平安に、神様の導きに委ねる。

集会後、連絡有り「すべて良きに導かれ感謝
でした。双方で交番へ行き、話し合いもスムー
ズに。相手が家からバックで出ようとし、全然後
ろを見ていなかったため、相手側の過失で、保
険で修理してもらえるそうです。

「すべての事について感謝しなさい」一見災い
も感謝できることが感謝だ。

良いように導かれ感謝。これから全国を回るの
で運転の守りを祈らなければと思わされた。
by 多恵子

2005年06月21日(火)
  「みこころを行う」

「みこころに従う事、教えられました」とCさん。

「先日朝、突然、兄から、ちょっと父を看に来て
くれないかと電話があったんですよぉ」

お義姉さんおってじゃし、私が行かなくてもいい
んじゃないかと思った。でも、祈ると行くように
導きを感じた。

いつもの私だと、家の事を綺麗にしてじゃないと
出るのは嫌で、気が済まない。全部済ませてから
でないと絶対出ない。
でも、その時、それは私の思い、私の気持ちであ
って、そうでなく、神様のみこころに従おうと思
った。
今まで絶対に無かった事なのに、家の事を全部
置いて、すぐに父のところへ向かった。

すると、本当に具合悪くて、即、入院になった。
すぐに行って、本当に良かったと神様を感じた。
自分もすごく平安で、周囲も助かったと喜んでく
れて、本当にみわざを見るんだとわかった。

その時、今まで自分の気が済まないからだけで
あって、家の事など、後でもいい事と思えた。

自分の思いでなく、自分の気持ちでなく、神様の
<みこころ>を選んで行う事の大切さを教えられ
た。神様に従って行きたいと思えた。

Dさん。子供が教えても教えても、なかなか算数
ができない。この子のペースがあり、この子はゆ
っくりなんだと受け入れる事が出来て、ゆっくり
でも少しづつでも理解して行ければいいと思えた。
神様がおられると思うと、何をうじうじ、悶々と
と思えた。
心ゆったり構えられ、お委ねできた。自分の心が
平安に守られている事が何より感謝。

以前の自分なら、もうイライラして、叱咤激励で
お尻を叩いて、強いて、自分が何とかしようとし
て、間違いなく子供を損なってましたと。

よその子供も気になって、思い煩いと不安のどつ
ぼだったと思います。信仰によって歩める事が本
当に感謝です、と。

神様がおられ、常に指針を与え、みこころの道へ
と導いて下さる事が本当に感謝。

by 多恵子


2005年06月19日(日)
  「神に知っていただく」

Aちゃんが賜物を与えられていて、その分野の
奉仕の導きを祈る事になった。

丁度その時、ピリピ4:6,7を一緒に学んだ。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝
をもってささげる祈りと願いによって、あなたがた
の願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の
平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・
イエスにあって守ってくれます」(ピリピ4:7)

思い煩うのでなく、その思い煩いの一つ一つ
を神に委ねる事、そして、自分の願いは願い
として神にそのまま申し上げる事、思い煩い
も願いも神に知って頂いた事で、委ねる事
ができて、心は平安になる事。

Aちゃんは、帰ってそれを実行した。
その奉仕をする際の不安事項を、一つ一つ
全部紙に書き出した。几帳面で、完璧を求め
てしまうがため、様々な不安が来る。

具体的に全部書き出して、一つ一つ祈り
その不安を神様に知って頂いた!
そして、奉仕をしたい願いも祈り、知って
頂いた。
知って頂いたので、心が平安になった。

そして、導きの御言葉が来た。
「神を愛するとは、神の命令を守ることです。
その命令は重荷とはなりません」Tヨハネ5:3

うまく出来るか、ちゃんと出来るか、くよくよ
して負担になるのではとの心配に、御言葉
で答えて下さった。

奉仕にあずかる決心が与えられた。

Aちゃんの証しを聞いて、皆も恵まれた。
一つ一つ神様に思い煩いも願いも知って
頂ける恵みに感謝!!

by 多恵子

2005年06月18日(土)
  「見えるところでなく」

「主によって語られたことは必ず実現すると
信じきった人は、何と幸いなことでしょう」
(ルカ1:45)

Aちゃん「状況を見てしまって、なかなか語
られた御言葉を信じる事が難しい。だいたい
状況、見えるところって、正反対なんですよ
ね。目に見えるところって、影響受けてしま
って、見えない御言葉を信じる事ができなく
なってしまう」

新会堂建設の時に、ギリギリの瀬戸際を経験
した。
皆で会堂建設のみこころを祈り求めた時、神は
「建てる」と語られ、皆で一致して確信を与え
られた。各自が、それぞれ御言葉を与えられた。

信仰と祈りで、皆で、会堂建設を決定した。
祈りの中で、土地探しを始め、候補地を上げ、
最終的に一つの土地が定められた。
土地と会堂で、1億を越える経費となった。

お金は無い。信仰と祈りによる建設だった。
5300万の土地購入献金の時も、信仰によっ
てだった。
常に、ギリギリの瀬戸際で、現状を見れば、お
金は無い。しかし、御言葉を見れば神は建てる
と言われる。いつもいつも、目に見えるところ
を取るか、御言葉を取るか、二つに一つであっ
た。どちらかだ。どちらかを選択すれば、もう
一方は退く。

見えるところは不可能に見える。しかし、神の
語られた御言葉に立ち、御言葉を取って、取っ
て、取って進んだ。ずっと信仰だった。そして
信仰が試された。

本当に1億数千万の新会堂が建った。神は御言
葉を実現し成就される。

常に、目の前の状況ではなく、神の語られた
御言葉を取る事、それが信仰だ。
御言葉を信じて、信じて行く時、実現する。
by 多恵子

2005年06月15日(水)
  「変わるのは自分」

以前教会に来て下さったAさんと、数年振りにまた
お会い出来た。ずっとお仕事で、その時もわざわざ
休みを取って来て下さったのだ。

子供さんが不登校で悩みの中におられた。子供と
のコミュニケーションもうまく行かず、教会へ来て
下さった間も、ずっと泣いておられた。

家が近くのBさんがずっと寄り添い、祈りを聞いては
皆でAさんのために祈っていた。
休みが取れて、集会に来て下さった。

「時々は休むが、子供が学校へ行くようになったんで
す。本人がしんどいんだろうから、行けないなら、いい
やと思えるようになったんです。子供をあるがまま
受け止めようと思えるようになった。
子供を変えよう変えようとしてたが、自分が変わらない
といけないとわかった。変わるのは自分なんですよねえ。
自分が変わりたいです」

皆が「ええっー!!偉い!!すごいですよ!」

だから、子供さんが変わって来られた。温かい親子
の触れ合いの場面、場面も聞けた。
「お母さんが変わっちゃったんですねえ。すごいですよ!」

相手を変えよう、変えようとして、不毛の苦闘をする。
絶対変わらない。自分も変わりたくないのに、他から
変えられようとするなら、反発と拒否と抵抗のみ。

神様のみこころは、自分が変わること。

Cさん「私も子供を変えよう、変えようとしてたんです。
でも、そうじゃなくて、子供をあるがまま受け入れる事
学んで、努力してます。

うちも学校に行きにくい子供がいて。でも、古い性質は
強くて、受け入れるんじゃなく、『もうそれぐらい、我
慢したら』『もう、我慢してくれよ』と子供に強いて行
こうとする。
ほんと子供を損なう事わかります。神様にあって間違
ってる事がわかります。

子供が大好きなので、ビデオで毎日一緒にマツケン
サンバ踊りながら、家事が気になり、洗濯物を干す事
が気になり、時間は無いし、外側ニコニコで、段々顔
がひきつりながら、踊ってる。(大笑)
家事より、子供の方が大事と言われる神様に従って、
自分が変えられて行きたいです」

「私を変えて下さい」の祈りは必ず答えられる。

by 多恵子




2005年06月13日(月)
  「あるがままで」

Aさんが「私、すぐ地が出て、ベラベラお喋りして
しまうから、Bちゃんのようになりたいんですよぉ。
慎ましく、喋らないで、余計な事言わないで、でも
存在感あってそこにいる」

Bちゃん「ええっー」(笑)

Aさん「それでね、公けの場所に出た時は、その
ようにと思って、黙って、何も喋らずに、ニッコリし
て、当たりさわりの無いように頑張ったんですよぉ。
そしたら、帰って偏頭痛になって、もう頭が痛くて
痛くて、体調壊して」(大笑)

「よっぽど、押し殺したんだ」(笑)

「そんな。AさんはAさんでいいんよ。それがA
さんなんだから。あるがままのAさんが最高」

Aさん「そうですよね。それでいいんですよね。
身体まで壊してたら、おかしいですよね」(笑)

イエス様は私達を解き放って、自由にして下さる。
そのために十字架で命を捨てて下さった。
自由を与えて、あるがまま生きられるようにして
下さった。
型にはめるのでなく、自分が最も自分らしく、
生き生きと、生きられるようにして下さる。

何かしたからでなく、何も出来なくても、今、この
まま受け入れられて、愛されている事を思う時、生
きる事に喜びが湧く。生きている事が嬉しい。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い」

神様の愛をしっかり受け入れて、受け止めて
有難う!!と心からの感謝を献げて行く事、これが
神様を愛する事だ。
by 多恵子




2005年06月10日(金)
  「喜びは伝染する」

<最近の心恵まれる言葉>
★ご高齢のAさん。「日々生かされている事を神様に
感謝しています。今日も、洗濯機をスイッチポンで回
したら、用事をしている間に、勝手に洗濯仕上がって
いる。何と感謝な事かと。

まあ、当たり前なんですが、感謝で感謝で、神様有難
うございます。こんな洗濯機を作ってくれた人に感謝
しますと、思わず祈ったんですよ。(笑)」
「洗濯機ほんと感謝です。昔、母は手で洗ってました」
「はい、私も手で洗ってましたもの」「感謝する時、
心に喜びが生まれますよね」

愚痴を聞くと、心が重苦しく、しんどくなるが、感謝を
聞くと周りにも喜びが伝染する。

★子供が学校に行きにくいBさん「育児で学んだように、
ひたすらスキンシップをしています。だっこしたり、手
をつないでいます。今日はマツケンサバを踊りました!

よその子を見ては比較してしまい、羨望や妬みで落ち
込んでいたが、神様が造られたオンリーワンである
事、この子に神様のご計画がある事、神様が特別に
愛して下さっている事に焦点当てると、心が楽になり
ます。感謝です」

★Cちゃん「神様が全く無条件の愛で、このままの私
を愛してくれて、大きな愛に包まれて本当に幸せだなあ。
この世は条件付きの愛しか無いから、神様を知って
いて、愛されていて嬉しい、何だか生きてるだけで感
謝で一杯、幸せ一杯になります」

★Dちゃん「日頃学ぶ御言葉が、実生活通して、膚
でわかりますね。試練は痛いけれど、試練を通る
と、ものすごくよくわかる。ずうっと試練通して、実地
訓練で教えられて来た感じです。

二つの性質があるのもよくわかる。以前は肉の思う
まま自己憐憫だけだったが、今はそれが肉だとわ
かる。そちらを選ばないで、御霊の方を信仰の方
を選ぶ事、選択だとわかって来た。

落ち込みが少なくなったんですよ!!以前の事思う
と、ほんと落ち込まなくなりました。いつも選択、
選択、選択ですよね。でも、学んだ御言葉が
実生活とあいまると、ほんと膚でわかるという
か、身をもってわかります」

交わりで恵まれます!!
by 多恵子



2005年06月08日(水)
  「思い煩い」

思い煩いについて学んだ。

「思い煩いがある。子供が学校へ行きにくくて不安で
すごく思い煩っている。でも、それを神様のところへ
持って行くのでなく、人に頼り、自分に頼って来た。
だから、うまく行かないと人を責めるし、自己嫌悪に
陥る。悪循環。
神様のもとへ、一つ一つ持って行って行きたい」

「自分の一番弱い所が思い煩い。絶対にそうならない
のに、いつも否定的に、最悪を想像する。シナリオが
頭の中に出来上がっていて、ドドッと落ち込む。
弱さに気づきが与えられて、そっちに行きそうな時、
拒否する事、そちらを選ばない事を学ばされている。
培われたものは根深く、放っておくと、無意識に古い
パタンに行くので、いつも祈って御霊の導きに従う事
の大切さがわかる」

「戦いですよね。目に見えない御言葉を信じて行く事
は。片や目に見える状況、目の前のものは、実際目
に見えるから強いですよねえ。すぐに影響されてしま
う。目に見えるものを見ては、どっと思い煩い、不信
仰に陥ってしまう。御言葉を信じる方を選択するんで
すよね」

「肉の方に流れるのは、簡単で楽ですよね。それで思
い煩いモードにすぐ入ってしまう。無意識だと自然に思
い煩ってる。選択だという事を学んで、どちらか二つに
一つで、神様を信じる方を選んで行く時、ほんと心が守
られる。状況は大変で、ものすごく不安があるはずなの
に、不安でなく、平安を経験します」

S婦人が教会に来て下さった時、リストラになった時だ
った。以前から教会へ来たかったが、日曜も出勤で
時間が取れなかった。奇しくもリストラになり、時間が
出来たから来て下さったのだ。

神様を信じられて、一緒に職のために祈り始めた。
捜すが、なかなか無い。ご主人は亡くなっておられ、
どうしても職は必要。捜せど捜せど、無かったが、
Sさんは、「それが平安なんですよ」と明るい爽や
かなお顔。

「“空の鳥を見なさい”の箇所を読んだんです。
“あなたがたのうちだれか、心配したからといって、
自分のいのちを少しでも延ばすことができますか”

“なぜ心配するのですか”と語られ、よく考えたん
です。本当にそうだと思った。思い煩って、何か
どうにかなるかと言えば、何もどうにもならない。
心が暗く落ち込むだけ。
それなら、思い煩うなと言われるので、心配するの
はやめようと思ったんです。すると、ほんとに心が
平安なんです。私が明るいから、子供にも良くて、
家の中、明るいんですよ」

それを聞いて、周囲の皆が驚いて、大変励まされ
て恵まれた。

by多恵子





2005年06月07日(火)
  「選択する」

Bさんが「親戚からちょっと頼まれ事をしたんですが、
時間、労力大変で、自分のスケジュールもあるし、
仕事もしてる身で、しんどいなあと思ったんですよ。

でも、祈ろうと神様に祈った。すると、して上げるよ
うに導かれ、神様は助けて下さる、神様を<信じ
よう>と思った。
それをすると、心がものすごく平安になり、喜びが
与えられた。楽しくできた。相手もとても喜んでくれ
こちらも嬉しかった。神様に従って良かったと、心
から思えた。

でも、神様を信じようと、信じる事を選択した。初め
て経験した。信じる事も選択しないと、出来ないん
だとわかった。選択なんですねえ。」

Cさん「わかります。新しい人と古い人がどちらも
あって、いつも選択ですよねえ。人のためにする
事って、犠牲が要りますよね。自分の時間、してい
る事、予定を置いて、そちらをする。

でも、自分の事でなく、そちらを選ぶ時、すごく心に
喜びが与えられる。自分の事は出来ないが喜び
が来るんですよ。自分の事はまた、時間を下さる
わと。

その反対に、そちらを無視して、自分の事だけし
て行くと、自分の好きな事をしているはずなのに、
何の喜びも無いんですよねえ。全然嬉しくないし。
御霊の導きに従う事、そちらを選ぶ事が、平安
と喜びなんですねえ」

いつも二つの性質、二つの思いがある。神に
従い、みこころに従おうという思いと、自分を
通し、自分の思い通りにしたいという思い。
新しい性質と古い性質。御霊が新しい性質
を成長させるよう助けていて下さる。
肉はどこまでも自分の道を行きたいが、御霊
によって、導きに従う事が出来る。

「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して
肉の欲望を満足させるようなことはありません」
ガラテヤ5:16

御霊がいつも助けて下さることに感謝。
by 多恵子



2005年06月06日(月)
  「傷」

先週、孫がけがをした。一人で歩いて転んでしまった。
出血していて、少し深く切っているようで、すぐ病院へ。
縫って、白いぐるぐる巻きの包帯が痛々しい。

毎日ガーゼ交換で病院へ。病院が恐怖らしく、大泣
きだそう。しかし、段々慣れて来たのか、一昨日ぐら
いから泣かなくなったと。痛みも取れて来て、傷口も
乾いてきているよう。回復与えられて来ていて、癒し
を祈っているが、神様の守りに感謝。

子供がけがをすると、親は即、対応する。病院で、必
要な診察と治療が与えられる。天の御父は、それ以
上に心を配り、私達の一つ一つの事柄に対応して下
さる。心的、霊的、身体的、常に必要を与えて下さる。
私達を愛して、恵もうと待ちかまえておられる。

母親のAちゃん、「片手を使えないと、うまく片手をか
ばい、一つの手だけで生活していて、神様はうまくし
て下さってるなあと。

痛いところは、触れられるのが嫌で見せたがらない。
でも、病院へ行くと、その触れられたくない所、痛い
ところをお医者さんに見せて、治療してもらわないと
いけない。そこをあらわにされるが、それにより
適切な治療が施される。

私達も同じだと思った。神様に自分の見せたくない
所、痛い所をはっきりあらわにされ、認めて行く時
癒しが用意されている」

痛い所、ふたをしておきたい所、触れられたくない
所、そこを自分も直視して、神様のもとへ持って
行く時、癒される。
神様にきちんと癒されないと、普段はどうもない
が、その傷に触れるような事があると、ズキズキ
と痛む。隠されているだけで、おおわれている
だけで、癒されていないから。

孫の傷はどんどん回復に向かっている。
神様は傷を癒して下さるお方なんだと、見せら
れる。

by 多恵子






2005年06月04日(土)
  「日々の御言葉」がピッタリ!!

Aちゃん「すごい忙しい中で、する事が一杯あって、
もう許容量オーバー状態。でも、自分なりに一生懸
命やった。ところが、時間もないし、十分には出来
なかった。

出来ていない事で、注意を受けた。すると、自分の
反応は腹を立てた。自己弁護し、自分は一生懸命や
ったと自己正当化する。むしろ、大変な状態で自分
がした事を認められない事に怒りが出て来る。

培われた古い思考パタン、行動パタンがあって、そう
いう時には、無意識に自分にこもってしまう。
でも、古い人と新しい人がいて、古い人に、肉に従っ
てはならない事を学び、とにかく祈った。

しかし、自分を正当化する的はずれな祈りであった。
でも、神様に従いたいと祈った。すると、神の思いは
人の思いと違うとの御言葉が心に来た。
何か自分が間違ってるのでは??と思うがわからな
かった。
そうしていると、その日の、日々の御言葉が携帯に
来た。何と自分の状況にまさにそのままでびっくり!!
何で自分の事がわかるのかと驚いた。
神のみこころは正反対で、自分の方がへりくだる事
だとわかった。サタンが様々な思いをやかましく
吹き込むが、しかし、みこころがわかった以上、
従おうと決心した。

神様に従うと、平安が戻り、心に喜びが来た。
古い自分でなく、新しい自分が神様に従えた事
が本当に嬉しく感謝であった。」

「ピッタリの御言葉って、神様が特別に目を留め
臨んで下さっている事で、愛されているって事よ」
「ほんとに、嬉しいです!!」

培われた古い思考行動パタンが、神に従う事に
よって新しい行動パタンに変えられて行く。
by 多恵子


2005年06月02日(木)
  「祈りが取られる」

Aちゃんと話していた。
「先週のこと、日曜に教会で特伝があるから、祈らなきゃ
と、特伝のために祈ろうとしたんですよぉ。すると、
祈ろうと思うのに、気力が萎えて、全然気分が乗らない。
気持ちがふさがったようになって、祈れないんですよ。

祈れなくて、すると、そうだ、借りていたビデオ返さない
といけないから、早く見ないと、という思いが来て、その
時間ビデオを見てしまって」

「それって、サタンよ。祈りを取りたい。祈りが一番嫌な
らしい。私もあるよ。同じ。祈ろうとした途端、気持ちが
ふさがったようになる。真っ暗闇に入るような。
全く気が乗らなくて、ほんと祈れない。口から言葉が出て
来ない。何か重いものにおおわれたような感覚。

祈る前は、全くどうもないんよね。(笑)祈ろうとした途端
にそうなる(笑)サタンが来る」

「そうです!サタンだったんですねえ。サタンの事、いつ
もいつも聞いてて、何度も何度も聞いてるのに、やられて
しまったんですねえ」

「そんな時って、サタンだから、ふさがったような気分も
感情も無視して、もう意志で祈る。祈りは働きという面が
あるから、朝仕事に行くのに、今日は気分が乗らないから
と行かない人はない。気分が乗らなくても仕事に行く。
気分が乗ってる時だけ祈ってたら、一生祈れない」

「とにかく妨害が来るよね。祈っていたのに、途中で
思いがあちこち飛んで、巡って、考えてしまっていたり」

「あります、あります!祈ってたのに、途中で考えて
しまってる」

「それもサタンの妨害で、その時は間髪を入れず、もう
続けざまにガッーと祈る。雑念が入って、どうしても祈れ
ない時は、声に出して祈るといいみたい。思いにサタン
が来るから心で祈っていると、サタンも来て、思いとごっ
ちゃになって、わけわからんようになってしまう」

Bちゃんが「祈ってたら、突然思いが来て、ある人に腹が
立って、腹が立って、もう煮えくり返って来て、祈りをや
めた。祈る前は、何も全然腹立ってなかったのに」(笑)
「サタンが祈りを取って行ったんだ」「え?あ、ほんとだ」

Cちゃん「声に出して祈ると良いです!声に出すと、自分
の心が明確になる。〜して下さいと願いながら、え?
自分の心はそんな事、全然思ってないとわかる。本音と
建前がはっきりする。きれい事で祈っている」

Dちゃん「私、きれい事の祈りだ。良い子になって神様の
前に行こうとする。良い子でないと受け入れられないと
思ってしまう。そうでない事、いつもいつも聞いてわかっ
ているのに、培われたものがあって、出て来てしまう。
教会へ来ると我に返る。帰って、正直にありのままの
自分で神様の前に出ます」

Fちゃん「祈ろうと思うと、しないといけない事が次々
浮かんで来る。不思議ですよねえ。祈ろうとする前は
何も浮かばないのに。ふっと、あ、あれしなきゃと、
それにつられて、動いて行くと、結局全然祈れなくなっ
てしまう。サタンですよねえ」

サタンて、よほど祈りが嫌なんだ。こんなにもきっち
りと妨害して来るからには。

“私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、
力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天に
いるもろもろの悪霊に対するものです”
エペソ6:13

by多恵子



2005年06月01日(水)
  衝撃の「キリング・フィールド」

青年会で、カンボジアについて知ろうと、映画を見た。

「キリング・フィールド」ポルポト時代が背景の映画
で、アメリカ人新聞記者とカンボジアの現地の助手の
友情が描いてある。
ナチスの映画は色々あるが、ポルポトの映画はこれ一
つぐらいらしい。

ポルポトの虐待地獄を通った本人が、映画に出演、助手
を演じている。全くの素人なのに演技が巧い。心にしみ
入る。アカデミー助演男優賞をとったそうだ。数々の心
に残るシーンがある。
本当に通った人だったんだ。演技でなく、地獄を知って
いる人なんだ。
でも、この映画で描かれているポルポトの残虐さは実際
の2,3割なんだそう。こんなものでは無かったと。

映画を見る前に、その助手を演じた人が、アメリカに
渡った後、亡くなったと。
「殺された」に、皆で「えっ!」。一瞬、シーン。

1975年、ベトナム戦争が終結し、アメリカ軍が撤退。
カンボジアのロンノル政権も崩壊し、ポルポトのクメール
ルージュが政権をとった。その頃から映画は始まる。

カンボジアのアメリカ大使館から、ヘリコプターでどん
どん脱出する。
新聞記者がカンボジア人の助手一家も一緒に国外脱出
できるよう手はずを整える。
新聞記者は報道のため残る。助手も残る。助手の妻子
はアメリカ人と共に国外脱出に成功。

青年達「何で!何で!逃げんのん?はよ、逃げにゃあ!」
「ヘリコプターに、はよ乗れよ!!」「乗れー!」
「何であんな恐い所に残るん!」「そりゃ記者なら報道
したいじゃろ。使命感あるし」
「自分がせにゃあ、する人がおらんと、思うんじゃない
ん」「そんなー、私なら、私一人おらんでも、誰かおる
じゃろと思う。絶対逃げる」(大笑)

ポルポトのクメールルージュが首都を占拠する。言わん
こっちゃない、記者、カメラマン、助手は捕まる。そばで、
人々が無惨にいとも簡単に殺されてる。
殺人を何とも思わないやからに、取り囲まれ、連行され
る。主人公達の恐怖が伝わってくる。
言葉が一切わからず、自分達の命が、人を人とも思わな
い、残忍な者たちの手の中にある恐怖。

現地人の助手の懸命のとりなしで、命が助けられる。
恐怖政治がじわじわと、身辺に迫る。外国人は皆国外
退去する。現地人助手は新聞記者、残るなら必ず殺
される。

共に脱出を計ろうと、ニセのパスポートを作るが写真
で失敗し、助手はポルポトの虐待地獄を通る事になる。

大人は既成の価値観があるため、子供に照準を当て、
都合の良いように、洗脳する。子供に銃を持たせ、
大人を監視させる。子供が大人を殺して行く。

家族は無意味と解体し、相互監視させ、密告社会を作
り、誰も信用出来ない。もの言えば殺される。言うが
ままになるしかない。

1975年から4年ほど。ほんの30年前の出来事。
銃を持って人を殺した子供達が、今大人になっている。
宣教していて、愛がわからないと言う。愛の概念が無
い。こんな悲惨な歴史で、愛なんてわからないだろう
と思う。

子供が大人に銃を向けて監視し、支配している。異様
な異常な光景に、皆で大きなショックを受ける。
「でも、賢いですよねえ。大人は価値観固まっている
から、子供に目をつけて、子供を都合の良い人間に作
り上げようなんて」

助手が強制労働の虐待から脱出を計る。野山をひたす
ら歩いて逃避行。疲れ果てて倒れ込み、目を覚ます。
湿地帯の水たまりに、ドボッ!!と身体ごとはまる。
何と、そこは骸骨が埋め込まれた穴。ふと目を上げる
と、一帯は数え切れない、無数の骸骨、骸骨・・ 
広大な平原一帯に骸骨の残骸。

見ていて「ええっー!! 何!!」絶句。何だか凄い衝撃
だった。
それが、キリング・フィールド(殺りくの野)。強烈だ。
ポルポトが虐殺したのは、200万人と言われている。

アメリカへ帰国した新聞記者は、カンボジア報道で
ピューリッツア賞を受賞した。アメリカから、現地の
助手を捜すべく、あちこちに手を尽くすが所在不明。

相棒のカメラマンに、どうして助手を逃がさなかった
のか。賞を欲しいがために、現地にとどめたのでは
と責められた。彼を捜しにカンボジアへ行ったのかと。

結局、助手は地獄を生き延びて、記者と再会を果た
す。映画はそこで終わっていた。

終了後、皆で、しーん、と沈んだ。
「重い・・」「辛い・・」「えっー!! あそこに行くん
!・・・」「あかりちゃんも行くん!」

「パッションに続き、重かった。これは実話じゃけ、
迫るよね」「パッションも実話よね」

カンボジア情勢、落ち着いたのが1993年で、今から
ほんの10数年前。「えっー、それって、ごく最近の事
じゃん」
「ポルポトの虐殺って、報道されてたんか?」
「全然無かった。カンボジア難民の事はよく出てたけど」

「鎖国状態で、外国に伝わらないよう、留学経験者は殺
し、外国語を話せる者は殺し、知識層は皆殺し、手のき
れいな者も子供が殺してたよね。眼鏡かけてるだけで
知識人だと殺されて」

「外国も信じれんかったんじゃないん。戦争で敵を殺す
のはわかるけど、自国民を何100万人もの大量虐殺な
んて聞いた事ない。有りえん。」

唖然状態で、ずっしりとひどく心重く、しかし、カンボ
ジアの人々の救いのために、ずっしり重荷を増し加えら
れた。

今、現地で働いておられる宣教師の先生方が豊かに
用いられますように。
カンボジアのために祈るばかり。

by 多恵子