2005年07月29日(金)
  「神様の愛とご配慮」

1才3ヶ月の孫が生まれて初めての高熱。
夏風邪らしい。39.6度出て、39度台からなかなか下が
らず。

今、親がカンボジア宣教アピールのために諸教会を
訪問中。先週は関東まで。
移動が車で、狭い車の中や、行く先々で全く違う顔、顔・・
少し遊んでもらったら、バイバイで、又、次、知らない人々。

1才3ヶ月の身には、理解不能で、わけわからず、混乱。
きっと頭のコンピューター、オーバーヒートしたんだ。
過度のストレス疲労かな。小さい身で、一生懸命頑張って、
家に戻った途端、大安心で、病気になったんだ。

一箇所に数日滞在すると、笑顔が見えて元気になるという。
やっぱり旅回りがこたえるんだろうね。
ぽわ〜〜ん、ぼお〜っとしてたらいいんだけど(笑)じいっ
と観察して、じいっーーと、焦点ずらさず見続ける。

オモチャを渡すと、普通、そのものを喜んで楽しむが、
裏をひっくり返して見る。
鏡を渡すと、普通は、映った顔を見て大喜びする。
お友達がいると思うのか、鏡って、小さい子は喜ぶ。
でも、鏡もひっくり返して裏を見る。どうなってるんだろ
うとの表情で。1才2,3ヶ月で、裏を見るかい〜??

ある時、孫が鏡を見ていて、その鏡に主人が映って
いた。すると、孫が後ろを振り返ったから、ぎよっ!!

それで母親のAちゃんが、日頃、感謝の生活、感謝を
数える事を祈っている。諸教会訪問においても神様の愛
とご配慮を知れるように、と祈っていた。

ある教会でカンボジアアピールの後、青年会がレストラン
で食事交わり会を企画して下さった。
ところが1才少しの孫は歩ける事が嬉しくて、全然じっと
しておれない。レストラン内を歩きたがり、厨房まで入っ
て行こうとする。迷惑なので、母親のAちゃんが駐車場に
に連れ出て、自由にさせてやった。

車の出入りがあり、危ないので神経遣いながらの子守り。
これなら教会で待たせてもらったら良かった・・皆と交わ
れないし・・と思いが下降して行く時、ハッと、サタンだ!
そうじゃなくて、神様感謝します!と瞬間、感謝の方を選
んだ。

すると、その場が感謝になって、心が温かくなり、心が
守られ、こうやって元気に守られている事が感謝、感謝を
数えながら子守りができた。そして、その時教えられた。

今、宣教のための働きが始まっているが、神様はしっかり
小さな子供をみてやりなさい、ケアして、目を向けなさい
と言っておられる事を。
考えたら、働きにだけ思いが行くと、子供の事に全く割く
時間が無いという事に気づかされた。
ほんとに感謝でした!!と、帰って来た。

今回の病気、神様の愛と配慮を知れますようにと、
祈っていて、“子供に配慮してやりなさい”との、神様
の愛とご配慮だと知れた。祈りの答えだ。

小さな子を、その心をご配慮下さっている、神様のご愛と
慈しみに、感動した。慈しみ深い、優しい優しいお方だ。

今朝、平熱に戻ったとのこと。感謝!!ぐっすり眠り、
休ませて下さって、精神的ストレスも癒して下さったんだ。

皆のお祈りに感謝!!
by 多恵子

2005年07月25日(月)
  「癒された!!」

1才3ヶ月の孫が、2ヶ月ほど前に、けがをした。

一人で遊んでいて、ボールを追いかけ、椅子を
倒して、その椅子が手に倒れて来て、親指から
出血。

ちょっと出血がひどいので、すぐ病院へ。
思ったよりけがはひどく、爪がはがれ、4,5針
縫ったそう。
固定され、白い包帯グルグルの腕が痛々しか
った。麻酔が切れると痛いようで、痛み止めを
飲んでいた。

皆も癒しを祈ってくれた。少しづつ回復し、1ヶ
月ほどした頃、包帯が取れた。
どうかなと、指を見ようとすると、後ろに手を
やって隠す。親指を曲げて4本の指の中に
入れてしまう。

見せたくない。心が傷ついているんだ。こんな
に小さいのに、痛々しい。

お母さんにも、見せたくない。お母さんが「病院
へ行くが、子供は見せたくないが、お医者さん
が包帯を取って、ガーゼを取って、全部あらわ
にして、診てもらう事によって、治療され治る。

神様へも同様だと思った。自分の傷を見たく
なくて、触れたくなくて、隠しておおっておきた
いが、神様の前に傷があらわにされる時、
癒して下さるんだと思いました」

はがれた古い爪が、くっついてしまって、
下から新しい爪が生えて来ていて、どう
なんだろうかと、心配して祈っていた。

すると、久し振りに帰って来て、その古い
爪と新しい爪が完全に同化してしまったと。

癒されたんだ!!

爪を見ようとしたら、孫の方が自分から
見せてくれて、びっくり!!

心も癒されたんだ!!神様すごい!!
by 多恵子



2005年07月24日(日)
  「別世界」

フルタイムで働いている婦人。朝出て、家に帰ると
家事が待っている。食後は家族団らんし、あっという
間に寝る時間になるという。

「世の中にいると、ずうっと流されてしまったりします。

携帯配信の「今日の御言葉」を、いつも職場の昼休
憩に見るんですよぉ。
すると、突然、別世界に入る。全く違う時間が流れる。
心に喜びが来て、潤いや温もりが来る。一日の内で、
その昼休憩だけが一人きりになれる時間で、いつも
心安らいで、満たされて、さあ、昼からも頑張ろうと
思えるんです。」

御言葉に触れ、神様に触れている事を感じる。

Cちゃん「バタバタ過ごしてたんですが、先週とにか
く朝祈ろうと思い、実行した。やっぱり朝、デボーション
したら全然違います。時間を取って、心を神様に向けて、
祈り、御言葉聞いて、出ると、心が全然違う。

1日、神様に意識が向くんですよね。神様意識している
と、態度や言葉が違って来るんですよぉ。
神様意識して生活するのと、しないのとで大きくその日
が変わる。
自然に明け渡して行けて、イライラが無くなって来て
平安があります。神様との交わりって、すごいですねえ」

生きて働かれている神様と霊が触れる時、霊は息を
吹き返す。どんなにダウンしている時でも、神様に
触れた途端、生き返る。

by 多恵子

2005年07月22日(金)
  「感謝を選択」

今日、早朝にDさんからメール。

「アレルギーのせいか、身体中があちこちかゆくて、
ぶつぶつあせもみたいで、辛いです・・でも感謝して
行けたらいいな。祈って下さいね」

それでなくとも、この猛暑、酷暑の中で、消耗し、干し
上がってる。それが、身体中かゆいなんて、どんなに
辛いだろうなあ。

ああ、感謝だ!!そうだ、感謝だ!
感謝して行く時、サタンの足場を無くしてしまう、サタン
を打ち砕いてしまう。感謝には霊的な大きな力がある。
心が解き放たれる。不思議だけど、実践で経験する。

伝道者の働きをしていて、家で準備する。学びの
準備やお話の準備、プリント作り、かなり時間が
要る。
家事や雑用をしながらする。洗濯物を干す時と
たたむ時、必ず肉にサタンが言って来る。
「ああ〜、時間が無いのに、面倒だなあ〜」

すると、はっきりした声が聞こえる。「こう
やって元気に、身体が守られて洗濯物を干せる
事、たためる事が感謝」

すると、そうだ!感謝だ!と、以前ぎっくり腰で
寝たきりになったり、急性胃炎で転げ回ったり
石で、苦しんだり・・その時、動ける事が何と
恵みで感謝と心から感謝した。

途端、心が引き上げられ、喜びもって出来る。
神様に焦点が合う。

状況を見せるサタン、神様を見せる聖霊様、
いつもどちらかを自分が選択している。
そして、実を刈り取ることになる。

でも、聖霊様の導きがわかる事が何と感謝。
今日も感謝を選び取り、すべての事を感謝して
行けるように。
朝から、Dさん通して、恵まれ感謝!!

「すべての事について、感謝しなさい」Tテサ
ロニケ5:18

by 多恵子


2005年07月21日(木)
  「無駄は一つもない」

遠方のいつも励まし合える友からメール。

今、厳しい試練の中にあり、しかし、この事は決して
無駄ではなく、意味があり、目的があり、必ず将来に
つながっていると、信じれる事が感謝だよねと、話し
合っていた。

すると、今日のメール。
テレビで、小野田勇さんのドキュメンタリーがあった。

第2次世界大戦 が終わり、フィリピンに取り残された
ままとなり、ルパング島で発見された元日本兵。
終戦を知らないまま、30年近く、ジャングルの中で兵
隊のまま、生存。20代で召集され、50代になって、
日本へ帰還。

1年後、ブラジルへ移住。日本では様々なあつれきが
あり、自由に過ごせず、牧場を開拓。今は日本の子供
達のために自然塾を始めて、ブラジルと日本の往復。

インタビュアーが小野田さんに質問。「戦争があって、
フィリピンへ送られ、戦後もっと早い時期に救出されて
いれば、人生を無駄にしなかったと、悔しい思いはない
ですか?」

「よく人に聞かれますが、そういうの、無いですね。フィ
リピン時代がなければ、こうだったのにとか、私自身
はそういう後ろ向きに考えることが嫌いです。いつも、
その時々に与えられている事を一生懸命する、それ
だけです。」

友が、ましてや神様を知っている私達は、もっとそう
ありたいよね、と。

人生に無駄は一つもない。今、わけがわからない、ど
うなっているのかもわからない、真っ暗な、トンネルの
中だとしても、これが、決して無駄でない、これがあっ
たゆえに将来につながる事、それがわかる事は、救い
であり、希望、力だ。

全く見えないけれど、神様を信じて行こうと、思える。
友との祝福の交わりに感謝!!

by 多恵子


2005年07月19日(火)
  「知っていただける喜び」

「何も思い煩わないで・・あなたがたの願い事を
神に知っていただきなさい。
そうすれば、人の考えにまさる神の平安が、あ
なたがたの心を思いをキリスト・イエスにあって
守ってくれます」ピリピ4:6

心の願いを神に<知っていただく>。そうするな
ら、心が<平安に守られる>。
御言葉の真理だ。

先日、軽い腹痛が起こり、しかし、外出の必要が
あった。
出たくないなあ、しんどいなあ、出先が腹痛がひ
どくなれば不安だなあ、そんな思いが来た。

その思いを「何も思い煩わないで、神に知って
いただきなさい」とあるので、神に告げた。

すると、びっくりした事に、心が全く平安になった。
神に不安を<知っていただいた>と思った時、
心が嬉しく、あったか〜くなったのだ。

不安が失せ、安らかな気持ちで一杯にされ、
仮に何かあっても、神が知っていて下さるのだ。
御手の中、どうにでもして下さると思えた。

状況は全く変わらないのに、心は全き平安だった。
そして、出先では守られ感謝だった。

何より、不安を知っていただいた、と思った時の
温もりと喜びが、何にも代え難いものだ。

Bちゃんも、「私も!不安や思い煩いは、片っぱし
から紙に書き出して、それを祈って、ことごとく全
部を、神に知っていただいてます!すると、御言葉
与えられたり、ほんとに平安与えられています!

何か、心が落ち込んだり、暗い時、あ!神様の
もとに持って行ってないと、気づかされます!」

神様がことごとくを受け止めて下さる、何と感謝!!
by 多恵子



2005年07月17日(日)
  「変えられる」

Aさんが、ずっと祈っていた対人関係があった。ギクシャクして、
うまく行かず心辛い間柄だった。祈りの課題で、ずっと祈りが
積まれていた。

先日、突然、出会う機会がやって来た。神様の導きを感じ、
祈って時を持った。
すると、辛い思いをせずに、心穏やかに、平安の内に対応できた。

祈りの答えだ。「自分も変えられたんですかねえ??」と、Aさん。
えー??!!と、びっくり!! 今までの辛さ苦しさを知っている
だけに。相手は同じなんだから、Aさんが変えられたんだ。

だいたい、状況を変えよう、相手を変えようとして、不毛の苦闘
をする。
いつも学んでいるが、「私を変えて下さい」の祈りだけは、必ず答
えられることを教えられる。

ちょうど今日、Bさんも、「全く思い通りでない、パニックにな
るような状況が発生した。その時、すべてが神の支配の中であり、
たとえ予定通りにならなくても、また別の道を備え、最善をして
下さると素直に、すうっーと信じれたんです。以前の自分では全
く無い事です。変えられてるんだなと、思い、感謝でした」

先日Cさんが「何かあると、とにかく自己憐憫の殻に閉じこもって
しまう。自分はかわいそう。ますます暗闇に落ち込んで行く。
でも、最近、感謝をしている自分に気づき嬉しいです。
変えられてる。以前はそんな事無かった」

ほんとにイエス様に従って行く時、変えられて行く。

by 多恵子

2005年07月14日(木)
  「すぐ目は見えるところに」

集会に、Bさんが来るなりドッーと話し出した。

子供が勉強しない。このままじゃあ、人生どう
なる。今やっておかないと受験に間に合わない。
今すれば、何とかなるじゃないか。

「もう見てたらカッカなるんですぉ。」

「頭ではわかるんだ?強いて押しつける事は、
何の益もなく、子供を損なうだけだって」
「そう。今まで、育児の学びをして、頭ではよー
くわかる」(笑)
「でも、目の前で見てたらだめ!何とかしなきゃ、
このままでは絶対受験無理。目について、目につ
いて」
「子供が自分でしようと思わない限り、言っても
だめよ」
「だめ!うちの子は、本人がやる気になるのな
んて待ってたら、受験日前日だ。」
「入れるところなんて、どこでもあるよ。行ける
ところに行けばいい」
「でも、余り環境が悪いのも心配だ。やって行け
ないんじゃないかと」

横からCさん「環境の問題でもないですよ。私の
知り合いのお子さん、その手の学校へ入ったん
ですが、まあ勉強して、勉強して、立派に卒業し
て行かれましたよ。」
「そのお子さんは良いけど、うちの子はだめ。」

大笑いも入りながら、何じゃかんじゃと話す。B
さんは思い煩い、心配で、頭いっぱい。

その日、「感謝」の学びをする。
すると、学びを終えた後、Bさん「うわっ、感謝
する事を全く忘れてた!!感謝が飛んでしまってた。
神様に申し訳ない。そうだ、感謝ですよね。感謝し
ます!子供のことも感謝します!」

さすが、Bさん!!! やっぱり神様を思ってて、
神様に従いたくて、御言葉に反応すると、ちゃんと
我に返る。

Cさんも「私も生活の不安面ばかりが大きくなって、
心配で心が支配されて、感謝が飛んでました。
不安面を数えるのでなく、与えられている感謝を
数えると、本当に感謝ですよねえ。

でも、見えるところに襲って来るサタンの力って
凄いですねえ。強いですよねえ、感謝と恵みを見
事に隠してしまう。見えなくされてしまいますよねえ。
不安はしっかり見えてねえ。これサタンですねえ」

サタンの力は強い。しっかり武具を帯びて、霊の
戦いであることを認識していないと、すぐにやられ
てしまう。目に見えるところの影響力は大きい。

見えない神様をしっかり見て行けるように。御言葉
に立ち、御言葉思い、今日も、神様の愛とご配慮を
見つけ出して、喜び、感謝して行けるように。

by 多恵子


2005年07月13日(水)
  「感謝は力」

「すべてのことについて感謝しなさい」Tテサロ
ニケ5:18

「感謝すること」が、大きな力だと日常生活で経
験すると、皆が話す。

Aちゃん「毎日、子供が何やかや引っ張り出して、
全然片づかない。イライラしそうになるが、そうじ
ゃない、子供が元気である事、どんどん成長してい
る事が本当に感謝だと思うと、そちらの方に発想が
行って、状況がどうでも、感謝できる。

感謝していると、そちらに好循環して、肉の思いが
来た時も、感謝に発想の転換が出来て行く。

Bさん「感謝すると、本当に引き上げられる。否定
的な思いや、自己憐憫に陥りそうな時、そうでなく
て、感謝に目を向けて行くと、そこから脱して、心
が落ち込みから守られ、神様の方へ向いて行く。ほ
んとに守られます」

Cさん「感謝を忘れてました。思い煩いで、サタン
にやられていました。経済的な不安や身体の心配で、
どんどん思い煩いが募ってて、でも、違う。

今日、経済的必要が与えられている事がどんなにか
感謝、こうやって集会に来る電車賃がえられている
事が感謝。身体が守られている事、こうして元気に
集会に来れる事が感謝です。

何してたんだろうと、我に返りました。サタンの言
うままに乗ってたんですよねえ。感謝して、感謝し
て歩みたいです」

Cさん、同じ一つの事態が、見方の違いで、天と地
ほどに違って来る。これってすごい!
貯えもなくて、何かあればどうしようと、どっと不
安と思い煩いで暗くなる。
そうでなくて、今の必要が与えられている事が恵み
で感謝、今の必要を与えていて下さる神様は、将来
の必要も必ず与えて下さる。

感謝して行くと、信仰的、前向きになり、ますます
好循環になって行く。

「あふれるばかり感謝しなさい」コロサイ2:7

by 多恵子


2005年07月12日(火)
  「続・神様の祝福を見る」

教会の人達も「カンボジア宣教師Aさんご一家のテレビ
を見ました!」と話した。

「信仰面全面カットで、又、カンボジアの悲惨、苦悩の背
景も出て来ないので、あれだけ見ていたら、のどかな良
い所で、国際協力支援団体でもバックについているのか、
ぐらいですよねえ」

皆で、「お子さんの『親の生き方がかっこいい、自分も将
来同じようにカンボジアで働きたい』との言葉に、ものす
ごく感動しました!」 皆が、あそこに感動したと。

ほんとに感動した。あの大変な中で、日本とまるっきり
違う生活、治安面も神経使う、宣教の働きで一番難しか
った事は何ですかと、お聞きした時、即、「子供です」と
答えられた。

まず子供の遊び場がない。現地の子達は身体の造り
が違う。川の水を飲む。全く平気。もう身体がそうなっ
ている。が、同じ事をすると、すぐ病気になるので、ど
うしようもない。
治安も不安なので、子供達だけでは遊ばせられない。
送迎は必ず必要。子供が環境的に一番大変でしたと。

伝道者の親は、自分達は選んでしていて、したくてして
いて、それで良いが、その時はその時なりに、子供に
精一杯したと思うが、それでも、子供を犠牲にしたの
ではと、思ってしまう。

教会の婦人達も、子供達に、これで良かったのだろう
かと、又、今もなかなか思いように行かない育児に
悩む。

そんな中、日本では考えられもしない、大変な
環境の中で、お子さんがそういう風に素晴らしく
育っている事に、大きな大きな感動を覚える。

ご両親の深い愛情と、神様の素晴らしい祝福を思う。

by 多恵子




2005年07月11日(月)
  「カンボジア宣教師ご夫妻」

テレビに、カンボジアへ行った時にお会いした
Aさんご一家が出られた。
カンボジアでの孤児のための働きが紹介され
ていた。

この3月にカンボジアへ行った時に、お会いで
きて、8年前、カンボジアへ移り住んで以来の様々
な事、カンボジアでの生活、宣教活動、「何でも
聞いて下さいね。お役に立てる事があれば感謝
です」とお話して下さった。

もうすぐカンボジア宣教に出る息子夫妻の、
大きな参考、助言、神様の備えに心から感謝した。

「来た頃は、街中で銃声があちこちで聞こえていま
した。それを思えば、今は落ち着きました」
「伝染病は一通りしますよ。腸チフスなど、風邪みた
いなもんです。原虫赤痢、デング熱、私も一通りし
ました。娘がこの間、デング熱でタイに搬送された
んです。後遺症が残るかと思いましたが、何とか
大丈夫で感謝でした」

「排水設備が無いんです。最近ようやく出来て来た
んですけどね。普段は地面に吸い込まれてるようで。
雨期になると、もう許容量オーバーになって、生活用
水もトイレも一緒くたになって、洪水になりプカプカ浮
かんでるんです。停電がしょっ中で、ろうそくで生活。
最初はストレスでした」

ひえ〜!!と聞いた。排水なんて、考えた事もない。
全くの当たり前で、そう言えば、排水設備があるから、
ちゃんとうまく生活が成り立ってるんだと、初めて
思った。台風の時、ほんのちょっと電気と水道が止ま
ると、どんなに依存しているかに気づく。

5日間つきっきりで取材されたそうだが、番組では
信仰面は一切出ていなかった。まあ、当然だろうけれど。
ストリートチルドレン、孤児達のために学校を作り、
孤児達のお世話をする様子が映し出されていた。
実際は祈りと信仰によって、主のために労しておられる。

番組だけ見ると、のどかに明るく描かれていたが、背後
を知っているので、自分の中でミックスして見て、深く感
動した。
何に感動したのかと考えたら、A宣教師ご夫妻がすべて
を献げて、神様のために生きておられる姿だった。
何もかもを献げて、生きているクリスチャンの姿を見る時、
心が深く動かされ、恵まれる。引き上げられる。

「宣教されていて難しい事はどんな事ですか」とお聞きし
たら、「愛がわからないんです」と言われた。どんなに伝
えも神の「愛」がわからない。愛という事の概念自体が
無い、と。

ポルポトの悲惨な大虐殺で、国民の200万人が殺され、
家族はすべて解体され、子供が銃を持ち、大人を監視。
ポルポトの命令で親をも殺すという、異常で異様な世界。
理由なく殺され、それもいつ殺されるかもわからない極
限の恐怖。
互いに裏切り合わせる体制を作り、人間にとって、一番
尊い「愛」と「信頼」を破壊した。

愛がわからない人々に、実際に愛する事によって、伝えて
おられる。
この命はいつか朽ちる。神様の愛を知り、永遠の命を
受け取る方々が、一人でも多く起こされますように。
ひたすら祈っている。

by 多恵子

2005年07月10日(日)
  「正しい事が正しくなくなる」

「対人関係で、ちょっとギクシャクした。でも、どう
考えても自分の側に非はない。相手サイドのミスだ。

相手から来れば、快く赦したいと思う。しかし、自分
の心に平安が無い。何か心がすっきりせず、そう言え
ば、ここ数日、御言葉が入って来ない。いつも神様と
よく交われ、御言葉も心に入って来て、語られる。

何でだろうと思う。何か心がイライラしていて、日常
のちょっとした事にもイラつく。
神様としっくり交われない、平安も喜びも無い。初めて、
もしかして自分の側に何か問題が??と思いが至った。

導きが欲しくて、携帯に来る「日々の御言葉」を以前
のもずっと見ていた。すると、「わたしの願うように
ではなく、あなたのみこころのように」の箇所が心に
入り、語られた。相手が謝るべきの自分の強い思いに、
それが当然で、正しい事の裏に、しっかり自我が乗
っている事に気づかせて下さった。

自分がへりくだりなさいと言われているのがわか
った。自分のプライドや自我を砕きたいと思って
おられる事がわかった。
心に平安が戻り、すっきりした。自分の方から
相手に声をかけることが出来た。
相手は悪いと思い、声をかけられないでいた事が
わかった。素晴らしく祝福された。

相手は関係無い。信仰生活、いつもただ自分と神様
の関係がすべてなんだと教えられた。」

正しい事と、神様のお心は違う。自分に確かに非は
ないが、「自分は正しい」を隠れみのに、自我がし
っかり自己主張をし、神様の御前に、正しくなくな
ってしまっていたのだ。
パリサイ人になってしまっていた。

でも、偉い、Aちゃん。へりくだって、しっかり
御霊の導きの方を選んで従って行った。
by 多恵子


2005年07月09日(土)
  「判断の前に祈りを」

祈りが、生活の中に少しづつ広がって来ました!!

Aさん「昨日も、休みを取っていて、婦人学び会
に来る予定が、突然夜遅くに職場の人から電話が
あった。明日用が出来たので、代わってもらえな
いかとの事だった。

自分が責任者なので、休んでもらってよい、私も
休むから、いいから、残った人でやっといてと、
言った。

でも、そうだ、祈ろうと思った。<判断する時は祈
りを!>が最近ずっと生活の中に、定着しつつある。
祈っていると、責任者であり、リーダーである自分
の立場を思う時、何だかわがまま言っているよう
に思えた。神様は出るように言っておられると感じ
て、出勤した。

すると、その日は思いに反して、ものすごく忙しく
手が足らず、本当に出勤して良かったと、祈り
によって導かれたことが感謝だった。
代わりに、今日の集会に来る事ができたし、祈って、
神様を求める時、本当に良きに導いて下さること経
験する。自分にも、周囲にも良い結果となる。

「職場でも、ふっと時間の空いた時、祈るんですよ」
「え!すごい!!」

「すると、職場の人に、『○○さん、祈ってるんですか』
と言われる。『え!何でわかるん?』と言うと『わかり
ます』と。(笑)」

Aさん、家庭の中では、何かある時も、まず祈れる
し、夫や子供のためにも祈れるようになりました、と。

でも、職場では、神様が飛んでしまってる。家では
祈って出るんですよ、でも仕事始まるや、神様が
吹っ飛んでしまってる。自分の力でやってるんです
よねえ。だから、イライラしたり、思い煩ったり、
不満が心に出て来たりで。

「じゃあ、今年のAさんのビジョンは、家の次に職場
で、祈り心でおれること、祈って判断求めることよね!」

そのビジョンが実現している!!すごい事だ!!
神様に感謝!!
by 多恵子

2005年07月08日(金)
  「明け渡さない心が問題」

神様が信仰を喜ばれることを学んでいた。

「色々な事で、信仰試されます。子供の就職試験
の時、一方では、委ねていたらよい。神様が絶対
に良くして下さる。子供に一番ふさわしい所を与
えて下さる、大丈夫だ、との思いがある。御霊の
思いだ。

でも、もう一方では、信じきれないので、本当に
いいのだろうか。このままで大丈夫なんだろうか。
ほんとに祈っているだけで大丈夫なんか?自分が
何とかしなくては。コネを捜し回った方がよいの
ではとの、思いが来る。強い肉の思い。

自分が、明け渡していない事がわかります。肉が、
神様に頼るのでなく、自分で何とかしようとして
いる。だから、平安がない。悶々とする。祈って
はいるんだけれど、半信半疑で不安。
問題は自分が委ねきれないところにあったのだと、
よくわかる。

子供を神様に明け渡さないで、自分がしっかり握
っている。だから、信仰がふらふらグラグラする。
今までを振り返ると、絶体絶命になって、もう自分
でどうしようもなくなって、断崖絶壁、なすすべな
く、もういいやと、ほんと握っている手を放した時、
いつも神様の奇跡やみわざを見た。振り返ったら、
ほんとそうです。

結局、ほんとに就職試験、合格が与えられ、行き先
が与えられた。それも子供も好きな道、子供に一番
ふさわしい所へ導かれた。神様は真実だった。

自分の委ねきれない不信仰が問題。今日、自分自身
を神様に明け渡して、子供を委ねます。不信仰でな
く、神様を信じて行きたいです」

いつも肉と御霊の二つの選択が目の前にある。
信仰も、信じて行こうと意志しなければ、あり得ない。
不信仰でなく、信じる方を選び取って行きたい。

by 多恵子



2005年07月07日(木)
  「いやし主」

孫が1ヶ月前に、ケガをした。
親指の爪がはがれ、かなりの出血、小さいので痛々
しくて、可哀相。
いやされるよう、益とされるよう、この事でイエス様
を知れるよう、祈った。
皆も傷がいえるよう、祈ってくれた。

3週間ほどして包帯が取れた。痛みが和らいで
来たのか、傷のある手の方も動かすようになった。

そんな時、自分自身にシャーペンの芯が薬指の
爪と皮膚の間に、4分の1ほど刺さる出来事があ
った。痛いのなんの・・。孫の痛みを思った・・。

孫の傷がいえて来て、手の状態を見ようとすると、
後ろに隠す。又、親指を中に入れて、他の4本の
指で包み込んで隠す。見られたくない、見せたく
ない。

1才2ヶ月で、こんなに小さいのに、心の傷になっ
たんだなあと思う。心が傷ついたんだ。
いろんな事、小さいから、わからないだろうという
のは、全然違う。しっかり感じ取っている。

赤ちゃんの時に、愛を充分に受けると、世の中を肯
定的に見れるようになり、虐待を受けると、屈折し
て歪み、否定的に見るようになるという。

心が伸び伸びと豊かに育つように、愛情を一杯に注
いで、愛してやりたいと思う。
神様の愛、両親の愛、周囲の皆の愛を溢れるばかり
に受けて、孫は本当に幸せだ。

今日、最後の病院通いだったそう。もう大丈夫ですと。

「わたしは主、あなたをいやす者である」出エ15:26

あの時は、孫の痛みに心が痛んだが、きれいにいやして
下さった。あの時にすでに、この時が備えられていたわ
けで、信仰は逆算で、まずいやしを見て行くんだなと。

いやし主である主を、実感した、膚で感じた今日だった。
主は、身体も心もいやして下さる、いやし主。

孫のけがのお祈り、心から感謝します。
by 多恵子

2005年07月06日(水)
  「愛は自由に基づく」

Gさん「ついつい子供に口うるさく言ってしまう。
家に出入りするティーンエイジャーの子供達にま
でつい口が出る。お行儀や様々な事が見ておれな
くて、注意してしまう。

このままだと大人になった時に困るとの、老婆心、
しかし、言えば言うほど、彼らはますます態度が
悪くなる。こちらはますます怒り狂い、ひどい悪
循環。

ほんとにこれは違う、自分は間違っていると思う。
口を押さえていても、目がしっかり言うので、見
ざる、言わざる、聞かざるで、もうその場を離れ
ている。

人は自由のあるところに、自由意志で神様を愛す
ることを選び取ること、わかります。

ガミガミ、口うるさく言われて決して従おうと思
わない。ますます硬化する。

自分自身も、自由があって、自発的な自由意志で
神様を愛する事を選ぶ事、それを学ぶのに、45
年もかかりました。

でも、今は、自分の自由意志で、主を選びたいと
心から思います」

強制された、強いられた、愛は存在しない。
愛だけは、強いられて出来ない。

“主は御霊です。そして、主の御霊のあるところ
には自由があります”Uコリント3:17

by 多恵子




2005年07月05日(火)
  「古い価値観は根深い」

救われる前の、古い培われた価値観は根深いと
話す。
Aちゃん「どうしても、古い価値観に帰ってしまう
んですよぉ。頑張って、良い行いをしないと受け
入れてもらえない。良い事をしているなら、神様
に愛されている。出来ない私は、だめだ」

「そうじゃなくて、良い事が出来ようと出来まい
と愛されている。神様の愛は全く変わらない」

「ふと、我に返ると、そうだ!教会へ来ると、
そうだ!と思える。だけど、世にいると、肉
で突っ走ってしまい、変な肉の元気で乗り切ろう
としてしまう」

“律法によって義と認められようとしている
あなたがたは、キリストから離れ、恵みか
ら落ちてしまったのです”ガラテヤ5:4
とある。

「そう、その通りなんですよ。肉の力で頑張
ってイエス様から離れ、恵みから落ちている。
だのに、肉は凄い力があって盛り返して来て、
頑張ってしまう。でも、しんどいんですよ。
この繰り返しをしている。古い価値観は
根深いです。身体にしみついている」

「御言葉は何と言ってるか、古い価値観と
御言葉を置き換えて行く事を続けて行く事だ」

「でも、変えられたところも、いっぱいあるよね」
と、皆で。
不意の事態が起こった時、神様知らなければ
不運と諦め、落ち込みしかない。

しかし、不都合な事が起きても、神は愛していて
下さる、この事は益となる、すべての事について
感謝だと言われる。神にはご計画があり、しよう
としている事を知っておられる、わざわいはない・・

今までには決して無かった、確かに新しい価値観
がある。すべての事について感謝という発想があり
それを信じようとする、新しい自分がいる。

根深い古い価値観が、新しい価値観、御言葉
に置き換えられて行くように。

by 多恵子



2005年07月03日(日)
  「成長させて下さる神」

Aさんが「小さい頃、自分は泳げず、字が下手だった。
すると、親は水泳を習わせ、字を習わせた。自分は
嫌で嫌で、苦痛で苦痛でたまらなかった。
自分の子供には、苦手な事でなく、好きな事を習わ
せて伸ばしてやりたいと切に思う」

「何かわかる〜、親は良かれと思って、足らないとこ
ろを何とかしてやろうと、一生懸命だったんだ」

「でも、神様はすごいよね。皆に賜物が与えられて
いて、その賜物を伸ばすように言われている。
親の役目は、子供が賜物を見いだす事を助けて
やること」

「育児の最初から神様を知っていたらと、つくづく
思う。育児をやり直したい。刈り取りをしてる。
でも、神様知れて軌道修正できて本当に感謝。
神様知っていなかったら、どんなに子供を損な
っていたかと思う。良かれと思って」

「若い頃、色々親への不満があったが、年をとる
と、自分は不満であったが、でも、親は親なりに、
良かれと思ってやってくれたんだと、思えるよう
になった」

「子供に押しつけてしまって、子供が反発する。
どうしても、良かれと、子供のためと思い、
押しつけてしまう。でも、気づきを与えられる
事が感謝」

子供を変えよう、変えようとしていたBさんが、
深い水の中を通られ、子供を変えるのでなく、
自分が変わらなければと、言われ、びっくり!
Bさん、変わられた。Bさんが変わったから
子供も変わって来た。

皆で、えっー!!すごいー!!
「Bさんに、教えてもらわんにゃあ、いけんわ」

“私が植えて、アポロが水を注ぎました。しか
し、成長させたのは神です”Tコリント3:6

子供を成長させて下さるのは、神様。
神様がおられるから感謝!!

by 多恵子

2005年07月01日(金)
  「いつも二つから選択」

クリスチャンには新しい性質と古い性質、二つの性質
が内にあるから、信仰生活、日々の生活は複雑だ。

<いのちの御霊の原理>と<罪と死の原理>(ローマ
8:2)が今も働いている。
「罪と死の原理が働いてて、常に下に、下に、罪の方へ
肉の方へ、落とそうと、足を引っ張っているものがある
のよくわかります」「いつも下に、下に、なんですよね」

「でも、いのちの御霊の原理が上に、上に、私達を
保っていることが感謝ですねえ」

万有引力の法則が働いていて、必ず物は下へ落ちる。
しかし、万有引力の法則が働いているに関わらず、
それに打ち勝って、鳥は空を飛んでいる。命がある
から。命の御霊の原理は罪と死の原理に打ち勝って
空を飛ぶ。

「いつも心の中に、二つの反応があるのがわかる」
自我の反応と、御霊が導いておられる反応。

「相手が嫌な態度で来ると、肉は、一言嫌みを
言ってやろう、すっきりする。でも、御霊は優しい言葉
をかけて上げなさいと、正反対の二つがくっきり
浮かび上がる」
「自分が選択した方が、実になる。御霊を選ぶと
自分も平安、周囲にも潤いと温もりを撒く。
肉を選ぶと、肉はすっきりするが、しかし必ず
平安が無くなる。又、自己嫌悪になり、落ち込む。
周囲にも、嫌な荒んだ空気、害毒を流す」

常に二つの心があり、御霊様は、御霊の方を
選べ、選べと促して下さる。
サタンは、肉を選べ、選べと誘惑して来る。
どちらかをいつも選んでいる。それが結実する。

「二つの反応がわかる時は、選べるし、わかる時は
選ぼうとするが、わからない時は、肉に行ってしま
っている」(笑)
その時は、凄い勢いで肉に流されていて、気づかない。
あとで、振り返った時にわかる。

サタンは自分を隠すのが最大の攻撃方法。
背後で働いて、どんどん働いて肉に引っ張って行く。
しかし、気づきを与えて下さる事に感謝。

御霊に自分を委ねて行く時、自由にされて、
喜びが心に湧き、従いたい思いが来る。

by 多恵子