2005年09月26日(月)
「きちんと向き合う」
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神様にしっかり向き合う事、自らの心を探って
頂き、余すところなく心を打ち開けること、正直
に祈ることを学んでいた。
神様に、自分の心を告げる事が大切、納得行か
いなら、そのまま告げる。わからなかったら、
そのように、自分の心をそのまま正直に告げる
事が大切。
友人が、嫁姑の問題で、姑がいじわるをして来る。
それに対抗する自分もいじわるだと。人間には
根深い罪の性質があるよねと。
ある時、姑がいじめて来て、もう腹が立って、腹
が立って、叫び祈った。「神様ー!姑を殺したい
です!何でですか!何でこんなにいじめられるん
ですか!憎いです!大嫌いです!」
心の内を、底まで洗いざらい、神様に叫び祈った。
すると、心が変えられて、全き平安になって、もう
ニコニコして、その足で姑の部屋へ行ってるのだと。
そして、姑と交わって、もう嬉しくて心に喜び満ち
て本当に心の底から楽しくて、姑と笑い合う。
心の本音を神様に言って行く時、奇跡が起こる。
心が変えられる。建前で何を言っても神様に通じて
いない。本音を受け止めて下さるお方だ。
Aさん「ハンナさんもそうですよね。夫にさえわか
ってもらえない、心の苦しみ、いらだちを全部神様
に泣き叫び、ぶつけた。
はたから見てもわからない。酔ってるようにしか見
えない。はたからも理解してもらえない。しかし、
見えない心の内を神様にすべてぶつけた。
でも、ハンナさんは、神様に受け取ってもらって、
心の底からすっきりした。問題はもはや解決した。
まだ見える形で表れてはいないが、心が神様と通じ
て神様が受け取って下さったと、全き平安になった。
自分も外側だけ見て、環境、状況は全然自分の思う
ようでない。自分の思いとは反対に行く。
環境だけを見て判断するなら、何もかも自分の思い
通りにならず、神様は私を愛してくれていないと結
論づける。
でも、そうじゃない。自分の心をいい加減にしていて、
神様ときちんと向き合わない。だから、外側しか見え
ない。心を全部、ハンナさんのように御前に注ぎ出
す時、霊的に心の内がすっきりする。そして、環境
がどうであれ、心には平安が来る。」
神様の御前に静まり、心のすべてを打ち明け、正直
な自分の心を神様に向ける。それが大切。その時、
必ず光が見え、導かれて行く。また、心は癒される。
きちんと神様に向き合う事が大切と教えられる。
by 多恵子
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2005年09月24日(日)
「素晴らしい慰め」
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先週、娘が出産、3280gの男児が誕生した。
神様が新しいいのちを与えて下さった。感動。
皆のお祈りを感謝。
名前は馨(かおる)、良いかおりを放つ者とされ
るようにと。
今年、1月7日、癌を患った母が、もう少し大丈
夫と思っていたが、突然天に召された。
関西で葬儀式となり、広島から関西へバタバタと。
葬儀式の段取りやら、雑用やら子供達皆で手伝
ってくれた。
娘もバタバタを何やかや動き回り、無事、教会
での葬儀式を祝福の内に終えて、皆でホッ。
皆、それぞれ家路についた。
帰った途端、娘の腹痛。病院へ行くと、妊娠し
ていて、何と流産しかけ。切迫流産。
即入院となった。妊娠に気づいてなくて、葬儀で
バタバタしたのが身体にこたえたよう。
何とか赤ちゃんが守られるよう、必死の祈り。
皆も祈ってくれて、A姉がこれは慰めよ!と。
去年、父が突如天に召された、1ヶ月後に長男
夫妻の赤ちゃんが誕生。神様の大きな慰めだ
った。
この赤ちゃんは母が亡くなった事の慰めだと。
絶対に大丈夫だと、祈る。
皆に祈られ、切迫流産の危険は何とか去り、
その後も妊娠期間中、腎臓結石になったり、あ
る時は外出中に、急に腹痛が来て、顔が真っ白、
一歩も動けず、救急車で運ばれた。
これはもう流産かと、皆も真っ青。しかし、この赤
ちゃんは神様からの慰め、絶対に与えられる!
絶対に大丈夫!と片方の心では確信が揺がな
い。
病院へ行くと、極度の貧血で倒れたとの事。
良かった。あんな、こんなの危機を通り、無事
出産にこぎつけた事、本当に神様だ。
主が守られたなら、どんな中も守られるんだ。
娘の夫の、おじいちゃんも亡くなられ、双方の
家の、慰めとして下さり本当に感謝。
「それは、私たちにキリストの苦難があふれて
いるように、慰めもまたキリストによってあふれ
ているからです」Uコリント1:5
by 多恵子
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2005年09月14日(水)
「クワイ河鉄橋」
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タイへ行って、一番行きたかったのは、カンチャナブリ
のクワイ河鉄橋。
パックツアーで、時間的にも無理と思っていたら、
A宣教師ご夫妻が車で連れて行って下さった。
車で1時間半。高速道路ではないのに、信号が全く
無い。「140キロで飛ばしますかー」と。
信号が無いせいか、往復で3度も事故を見た。
日本軍がタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道を敷設した所。
突貫工事による強制労働で多くの犠牲者を出した。
連合軍の捕虜達や現地の人々。
そこにある、戦争博物館の文書によると、捕虜約
1万6千人、現地人労働者10万人が亡くなった。
最低5年を要する敷設工事を、15ヶ月で開通させ
た。そのために多くの犠牲者を生み出す事になった。
労働者の小屋がそのまま再現されている。
竹の小屋で、一人の寝るスペースが75cm。
飢えやマラリヤ、コレラの伝染病で医療品の不足で
死んで行った。
この時の事が、アーネスト・ゴードンの著書「クワイ河収容
所」で出て来る。自らもこの時の捕虜で、後に牧師にな
った人だ。
ある時、シャベルが1本足らなかった。怒った日本人兵士
は犯人が名乗り出なければ、順番に皆殺しにすると銃を
向けた。その時、一人の捕虜が「私がやりました」と名乗り
出た。
その捕虜は殺されたが、シャベルを数えると実は数え間
違いで、全部揃っていた。自分達の身代わりに死んだ事
を知り、その時から、殺伐とした収容所内が変わって行
った。病人の世話をし、他を思いやる人間性を取り戻し
て行った。
「エンド・オブ・オール・ウォーズ」で映画になっている。
ゴードンが「戦場にかける橋」を見て、真実は全く違う
とこの映画が出来たとか。
でも、9・11テロが起きて、反戦映画なので劇場公開
されなかったそう。
連合軍共同墓地に、6,982人の犠牲者が埋葬されて
いるとか。墓地は綺麗に管理されている。
墓石に家族のメッセージが刻まれている。20代の若い
兵士が多く、家族の深い深い愛情が表現されている。
一人一人が家族にとって、どんなにかけがえのない、
尊い、大切な存在であるかが強烈に伝わって来る。
「また会う日まで」が多く記されている。天で再び会え
る信仰と希望が心に響く。
家族の愛情が1,2行に凝縮された言葉は、心打た
れる。時間がなく、ほんの一部しか見れなかったが、
ずっとそこにいたい感じだった。
A宣教師ご夫妻と車中交わりつつ、幸いな恵み多い
1日であった。
by 多恵子
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2005年09月13日(火)
「タイへ行って来ました」
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先週、格安ツアーがあり、6日間タイへ行って
来た。
いつも夏に、夫と二人で1,2泊で温泉に行って
いるのが、今回はどこにしようか?行きたい所も特
になく、う〜ん、どこでも〜と、ぐずぐずしていた
ら、突然、破格ツアーがあった。
これって、温泉と値段だって変わらん。
何でこんなに安いんだろ??
知り合いのタイ宣教師ご夫妻に会えるなら行く!
するともう満員で、キャンセル待ちと。
御心がなりますようにと祈っていたら、キャンセルが
出た。かくして、温泉がタイになった。
1日、ツアーの自由日があり、その日、終日宣教師
ご一家と交われた。
「百聞は一見にしかずで、宣教地を見てもらえた事が
感謝です」と言われた。ほんとにその通りだ。聞くの
と見るのでは、まるで違う。
まず暑い。37度だったが、空気が歪んで見えるような
熱気。
観光に回るが、もう暑くて、ふえ〜。冷房の効いたバス
に戻ると生き返る。もう何でもいいから早くバスに戻り
たい気分。
スコールがあって、雨が通り過ぎると爽やかで涼しく
なる。今の季節はまだ良いそう。暑い時期には40度
になるとか。
パックツアーだったので、朝早くから夜遅くまで、休憩
無しで、連日のてんこ盛り日程。ホテルには寝に帰る
感じ。行ったからには、目一杯観光させてくれようとの
旅行社の配慮なんだろうけど、疲れたー。
ずうっと寺院巡り。寺院の多い事に驚く。そこかしこに
大きな寺院、小さな寺院、ほんと仏教の国だ。95%が
仏教徒だそう。クリスチャンは0,5%とか。
うちの家も仏壇はあったが、両親は無宗教だと言って
いて、仏教は一応の習慣であり、信仰の対象とかでは
無かった。
父がイエス様をはっきり信じて天国に召された後、母は
仏壇も、もう開きもしなかった。母が天に召されるまで
閉じられたままだった。
タイでははっきり信仰の対象であり、仏教がまさに生活の
中心、息づいてる感じだった。
敬虔な礼拝の場であるため、短パンやタンクトップは禁止
となっていた。
「え?神様、何で、来る日も来る日も、朝から晩まで寺院
巡りなんです?これは何?」
理由がわかった。私個人で観光したなら、寺院は観ない
からなんだ。
ツアー組み込みで沢山の寺院を観れて良かった。
どのような中で、A宣教師ご夫妻が宣教しておられるのか、
目の当たりに見る事が出来た。
日本ですら都会伝道と田舎伝道は全然違う。
このタイの地で、イエス様の福音が伝えられている尊い
お働きを思った。
教会へ連れて行ってもらった。その日はクラスが持たれ、
若い人たちが讃美の練習をしていた。
主が、生きて働いておられることに感動した。
半年前訪れたカンボジアの地でも、宣教師の先生方により。
主の宣教がなされていて、それぞれの地でのお働きの同労者
とされたいと思った。
by 多恵子
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2005年09月01日(木)
「サタンの火矢」
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Aさんが日々の「サタンの火矢」を話してくれる。
もう、朝起きた時から、うわっ〜と思いが来る。
自分にとって難しい人が数人いて、それらの
人への恨みつらみが来る。
朝、トイレに行くと、トイレにまで来て、もうその人
への悪い思いが、ぐわっ〜と、もう朝から気分
悪くなる。
「お客さんがトイレにまで来る」「は?!」(笑)
でも、それを聞いている自分がいて、そうだ!
そうだ!と同意している。ぐわっーと一通り中傷
が終わると、又、次のが始まる。それが終わると
又、最初から始まったり。
テープレコーダーがずうっと回っているよう。
もう疲れる。
「それがサタンだとはわかるんだ」「はい、はっきり
わかる」
もう済んだことじゃけ、ええじゃと思うのに、あの時
ああじゃった、この時こうじゃったと。サタンが来る。
何十年も前の、傷ついた事を突然言って来たり。
ずうっと聞いてると、やっぱり同じで、グルグル
回り、又、最初に戻って、何度もテープが回る
ように回ってる。
お風呂に、今日は子供が一人で入ってくれたから、
さあ、ゆっくり出来る、くつろごうと思って入ると、
風呂にもサタンが来て、もうくつろぐどころか、
次から次ぎへと思いを入れて来て、思い煩いの
どつぼ。
台所にも来て、気持ち良く、トントンと包丁で切っ
てると、サタンが来て、又、ああじゃ、こうじゃ
もう暗い、重苦しい、嫌な思いになる。
サタンて、喜びや潤いをもたらす事が無いですね。
思うのが、私自身も知らない、私の悩みの種を
的確に知っていて、そこを突いて来る。すごい
ですよね。
人にとってはすごい悩みになるが、私にとっては、
全然煩いにならないところには来ない。ほんとに的
がピッタリ合ってる。
サタンの火矢、朝起きた時から、トイレ、洗面、
朝食準備の間、ずうっと襲って来るサタン。
学びで、「すべての事について感謝しなさい」を学
んで、サタンから傷つけられた人の中傷が来た時、
もう自分としては赦してるし、「感謝します!」と
言うと、ピッタリそこで思いが止む。
そして、しばらくすると、別の人の中傷が来る。
又、「その人を感謝します」と言うと、ピタッと止む。
「感謝」はすごい力。サタンの攻撃を封じる。
サタンはずうっと来るから、1日中、神様に感謝
していたらいいいわけだ!!
“これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取り
なさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、
みな消すことができます”エペソ6:16
by 多恵子
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