2005年11月28日(月)
  「何も思い煩わないで」

学びの後の交わりで、「思い煩い」について話して
いた。

ご高齢のAさん「私はものすごく思い煩いが強いん
ですよ。ずっと先の事を考えて、心配してしまう。
鬱もしましたからねえ。

でも、ほんとに、神様が委ねよと言って下さるから、
ふと煩いそうになると、お委ねするんですよ。
本当に感謝でならないです。私は独り暮らしです
から、先を考えるときりがないですよねえ。

でも、経済的な事も、在宅での仕事が与えられて、
ほんとにそのつど、必要が与えられるんですよ。
口コミで、思ってもいなかった所から仕事が与え
られたりするんです。神様だなあと感謝です。

“明日の心配は無用です”と、言われていますも
のね。今日、元気で生かされている事が感謝
で、感謝していると、平安と喜びで守られます。

あの金持ちの例えもありますよね。作物を貯え
て、さあ全部自分のものだ、将来も安心だと
言っていたら、たましいは、今夜取られると。
命も、生死もすべて、神様の御手ですよねえ」

ご高齢のAさんと話していて、お独り住まいで、
身体的なことも、経済的なことも、日々も、御手
に委ねて生きておられる姿に、ほんとに「明日の
心配は無用、不要」と感謝だった。

昨日も、Bちゃんと話してた。ルツって自分の国を
離れてナオミと共に、ユダの地ベツレヘムに行く。
全く見知らぬ地へ、まことの神様を頼ってすごい
よね。

今、私たちは聖書を読んで、ルツの結末がわかる
けど、ルツはわからないわけで、丸ごと神様に、身
を委ねて、信じて行ったんだ。

「ここに来て、朝から今まで家で休みもせず、ずっと
立ち働いています」ルツ2:7

明日の事は、いっさい思い煩わず、今日のみこころ
を忠実に、誠実に行って行くことを教えられる。

by 多恵子


2005年11月23日(水)
  「忍耐と我慢」

Aさん「私のはねえ、忍耐でなくて、我慢なんですよお。
子供に、もう〜うじうじと。もっとああせい、こうせい
と言わないんですよ、口には出さないけれど、
ずうっと心の中で、思ってる。」

Bさん「忍耐と我慢は違うんじゃ?」

Aさん「忍耐とは、神様が良くしてくださると、前向
きに、信じて行くことじゃないですか。

そうじゃなくて、ひたすら心に鬱積させて、我慢し
ている。我慢だから、積もりに積もると、許容量
オーバーになると爆発する。

この間も、たまりにたまっていたものが大爆発。
ああ〜、もう子供にめちゃくちゃ言うんですよ。

神様に導かれて、御霊の実の「忍耐」が与えられ
ますように、です。」

Cさん「あるよ、ある、ある。つい、要らん言葉、
余計な言葉が出る。いい事なんにもない。
子供を損なって行きますよねえ。」

前に、Hさんが「我慢は、自我の『我』と自慢の『慢』
で、身体の痛みをじいっと歯を食いしばって、我慢
していた時、これは違う、これは神様から離れている。

全然、神様に頼っていないで、自分でしていると気づ
いたと。我慢するんじゃなくて、イエス様に頼って頼
って、拠り頼んで行くのだと。

自分で自分のもとに溜めるじゃなくて、神様を呼んで、
神様に現状をぶつけて、丸ごと頼って行くんだよね。
by 多恵子


2005年11月18日(金)
  「御言葉は鏡」

御言葉が大切という学びを始めて、

Bさん「朝、デボーションで心に留まる御言葉を
今までノートに書いていたが、それだと一日握る
のに間に合わず、紙に書いて持つようにしたん
ですよぉ。
それでも、御言葉何だったんだろう?とぼやけて
ダメで、御言葉が心にとどまらなくて、もう手に
マジックで書いてたんですよぉ

でも、それでもダメなんです。手を見ると思い出
すが、心にとどまってなくて、力にならない。

それで、学びを始めてから、もう暗記しようと決心
して、朝心に留まった御言葉をもう暗記し出した
んです。すると、全然違って、御言葉が、一日心
にしっかりとどまってるんです!

自分の今までの姿が見せられました。御言葉に
対して、ぼんやりしていて、一つもはっきりして
いなくて、全然握ってなくて、うろ覚えだから御言葉
でなくて、自分の思いになってしまってて。

これが、今までの自分の姿だったんだなあと。
御言葉がしっかり心に無いから、いつも歩みが定
まらなくて。はっきり御言葉が心にあると、全然
違います!!」

これを聞いていたCさん「ほんとにそうです。
この世に出て行くと、もう世の価値観が凄まじい
勢いで襲って来る。自分もその影響を受けて、
自我に合う、自分に都合のよい、自我に心地
良い思いに、どおっ〜とおおわれ、支配されて
来る。

その時、御言葉が来ると、我に返る。そうじゃない、
この思いが自我かて来ていて、世の価値観だと
気づける。
御言葉の力はすごいです。御言葉が無いと、自我
の自己中心な思い、又、思い煩い、この世の妥当な
思い、神無しの価値観に欺かれて行ってしまう。
ほんと、あ、違う!と御言葉が来ると気づく。」

Cさん「肉が反応して行くと、相手に要求してしまう。
どうしてこうしてくれない、ああしてくれない。

こういう状態なのは、相手のせい。でも、御言葉に
示されると、我に返れて、違う、自分の弱さであり、
自分がきちんと責任とる事だと、自分に向き合わせ
られる。すると、平安になる。」

Dさん「御言葉が心に入らない時がある。字づらだけ
追っていて、全く何も感じない。字しか見えない。

そんな時って、それが自分の姿なんだって気づかさ
れる。心が座って無くて、神様に向いてなくて、心
がさまよっている。自分のそのままを、映し出されて
いるんだって」

御言葉は鏡で、自分の姿をそのまま映し出してくれる。

by 多恵子

2005年11月16日(水)
  「神に不可能はない」

海外のAさんから久し振りの便り。

親族への証しのことで、とても励まされる。
Aさんの実家はお寺。ご両親共にお寺の住職。
いつも帰省した時は、場所が無いから、お寺の本堂
で寝ると。

お父様が数年前に亡くなられたが、その折り、帰国し、
死期が近づいていたお父様に付き添い、数週間を
過ごせた。
小さい頃の思い出や色々な事をしみじみと語り合え、
こんなに、父と心通わせ語り合えたのは、生まれて
初めてだと。

そんな病床で、「聖書の神様のお話していい?」と
言うと、心開かれたお父様は、福音を聞かれた。
耳を傾けて、まことの神様のことを聞いて下さった。

自分は寺を守らないといけないし、檀家の人々が
いるからと、今の境遇の中で、公に表明は出来ない
がと言われ、しかし、御言葉の種が心にしっかり
蒔かれた。
耳を傾けて聞いて下さった。表明は出来ないが、
心で信じて下さったかも知れないなあと。

そして、残されたお母様は、住職の資格を有し、しば
らくお寺を守っておられた。高齢になるからと、辞され
お寺を出て、長女さんと同居。

Aさんがお母様に、どうしても救われて欲しくて、かつて
帰国の度に証し、神様の事を語り続けた。
しかし、全く聞く耳が無かった。幾ら話しても心に入らない。
聞かれなかった。

それが突然、今年の夏の帰省時、180度心が変えられ
御言葉がすうーと心に入り、しっかり聞かれる。教会に
まで一緒に行って下さった。心が開かれていて、信じて
もいい、ただお墓や、親族の事はと気にされた。

しかし、御言葉に耳を傾けられ、突然の変わり様に、
驚き、神様は何でもお出来になる。不可能は一つもない
と親族の救いを祈っている皆に、大きな励ましとされた。

そのお母様が、聖書を300頁読んだが、自分にはよく
わからないと。落胆されているので、近くの牧師先生に
訪問をお願いしようと思うから、祈っていて欲しいと。
導き手がないと、どうしてもわからないと思うと。

何より、その300頁を読まれた事にびっくり!!驚異だ!
本当に求めておられるんだ。
お母様の救いを切に祈っている。

神様は、突然心を変える事がお出来になる。
何でもお出来になる神様に、親族の救いに、忍耐して
祈り続けている兄姉に大きな励ましとされた。

“いつでも祈るべきであり、失望してはならない・・”

“まして神は、夜昼神を呼び求めている選民の
ためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを
放っておかれるでしょうか”ルカ18:7

by 多恵子

2005年11月13日(日)
  「朝の交わり」

週の始めに、神様を礼拝して、気持ちよく新しい
日々が始まる。
「ところが忙しくて、デボーションがおろそかになる。
すると、どんどん何だか、祈りも御言葉も上っ面だけ
になって行くんですよお」とAちゃん。

先週は、もうさんざんでしたと。
朝、字ずらだけ読んで、バタバタとデボーションを
済ませる。心が立ってしまっていて、座していない。
ちゃんと神様と交わっていない。形だけのデボーション。
すると、肉がどんどん勢いを増して来る。
対人関係の対応に、日々の状況に、イラ立ち、思い煩
い、腹立ち、焦りが出てくる。

ちゃんと朝、交わった日は、それが肉であるとわかる。
心に御言葉がとどまっていないと、肉であることすら
わからず、ずうっと後になって、あの時はああでこうで
と悟る。

朝、しっかり交われると、御言葉が一日、心にとどま
っている。それは思い出すとかいうものでなく、心に
ずっとある。自然に、反芻し、力とされる。

ところが、御言葉がとどまってないと、朝のデボーショ
ンは、何の御言葉だったかすら、思い出せない。
そして、起こる様々な事態に、肉の判断、肉の思い、肉の
力で対処している。それがわかるのも後になってから。

そうなって来ると、凄まじい世の勢力に押し流されて
しまい、座する事をせず、立ったまま日々を過ごす。
どんどん悪循環で、心に思い煩いや、いら立ち、ちょっと
した事に怒り、焦り、それに飲み込まれてしまう。

日曜、教会へ来て、肉で過ごしたと、流されていた事に
気づく。物凄い否定的な方へ、不要のエネルギーを
使ってしまっていた。疲れ果てていた。
まず流されている事に、気づかない。

教会へ来ると、流されていたことに気づけて感謝。
神様を礼拝して、もう一度正しい位置に戻され、
不毛の、先週一週間の状態が解き明かされ、わかる。

気づけることが感謝!!
新しい一週間が、与えられていることが感謝。

“主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
主こそ、私の受ける分です」と。”哀歌3:22

新しい一週間に、主を期待し、喜べる事が幸い。
by 多恵子


2005年11月09日(水)
  「今日一日だけ」

いっさいを委ねて生きておられる69才のAさん。
年金では足らず、貯えなく、体力の要る重労働の
仕事で身体もいつまで続くかわからない、そのまっ
ただ中で、全く先を煩わず、今日の一日を、今を、
喜んで生きておらえる。

お手本、見本、委ねる事の視覚教材で、ほんと
に私の心にもずっとある。

今日だけ、精一杯生きれば良いのだ。明日以降
はいっさいお委ねで。

だって、神様がおられないなら、しっかり思い煩わ
ないといけないが、神様が「何も思い煩うな」「委ね
よ」「明日を心配するな」と言って下さっているのだ
から。

今、デボーションで列王を読んでいるが、昨日も
読んでいた箇所で出て来た。
アハズヤ王が病気になり、使者に、「バアルの神
にこの病気が直るかどうか、伺いを立てるように」
と言った。
すると、主の使いが彼らに言えと、エリヤに告げた。
「あなたがバアルの神に伺いを立てに行くのは、
イスラエルに神がいないためか」

何か思い煩いって、すごく神様に失礼で、不信仰
で、「思い煩うのは、イスラエルに神がいないため
か」と同じだなと。

Bさんが、子供が学校で、クラスでギクシャクして
いて、辛くて休んだり、早退したりをしている。
段々受験も近づくが、悩みで受験勉強も全く手に
つかず、更に思い煩いとなり、もう子供がパニッ
ク状態。
わけわからない状態になり、何も出来ない。

その朝、Bさんが「明日の事は考えるま。何も
考え無くてよい。とにかく今日の事だけ考えた
らよい。今日一日だけ考えよう。

「目の前の問題にどうして行けばよいのか。
まず、学校のギクシャクに対して、自分の気持
ちは、気持ちとして、きちんと先生に伝えよう。
そして、今日一日だけ考えてするべき事をし
よう。」
そうすると、子供が冷静になり、「学校へ行く」と
言った。「先生に自分の気持ちを言う」と。

今日一日の事だけ考えたら良いなら、パニック
から守られる。今日一日の荷なら負える。
負えるだけの荷しか、与えておられない。

今日一日だけ生きる事の力を、教えられる。

“だから、あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。労苦は
その日その日に、十分あります”マタイ6:34

by 多恵子



2005年11月06日(日)
  「自分の思いは強い」

日常生活で感謝な「気づき」が。

Aさん「親族との関わりで、義理の関係になると、つい
心に不満が出て、もっとこうしてくれたら良いのに、
ああしてくれたら良いのにと、口には出さないが、思
ってしまう。
そればかりを思っていると、更に感情が悪くなって行く。
御心の思いで接っせるよう、祈ってて下さい」

しばらくして、「お祈り感謝です!祈って接すると、すごく
平安に接っせるんですよ。そして、自分の思いを相手
に押しつけている事に気づかされました。
神様のみ思いでなく、自分の強い思いです。それを
退けて、神様に導かれて接すると、ほんとに平安です!」

いつも平安が失せ、イライラしたり、思い煩ったり、
怒りが出たり、これって、心の底を探ると、<自分の思い>
を遂げようとしているから。いつもそうだ。
その自分の思いを捨てる時、心が平安に満たされる。

Bさん「子供達が今、それぞれに大変な状態。かろう
じて学校へ行っているが、学校での対人関係で様々
あり、又、勉強もついて行けず、行きたくない状態。

育児の学びで学んだように、自分は口では、子供を
全面的に受け入れるような、いいような事を言って
いる。
でも、心の中は全く違って、「こうせんから、こうなる」
「もっとこうすりゃ、こうならん。あんたが悪い、もっと
ちゃんとしろよ」「もうそのくらい我慢しろよ」と、しっか
り言っている。二重のメッセージを送っている。

頭では受け入れているつもりで、心は全くありのまま
を受け入れていない。子供にしたら、口では言わない
が、心では拒否されている。だから、問題が次々起
こってるんだと気づかされた。

「口では受けれて、心では拒否して、もっと悪いです
よね。気づかされ感謝でした!」

自分の思い、自我ってほんとに強い。
気づきを与えられることが感謝。
by 多恵子

2005年11月03日(木)
  「神の思いと人の思いは違う」

クリスチャン人生、神の思いと人の思いが違う
ことをよく経験する。自分の思い通りにならない
方が多いかな。
ほんとに、自分の思いって、違うんだ。

Aさん、子供が色々つまずいていて、席替え
の時、子供の良いようになるよう、祈っていた。
不登校になられても困るので、学校に行きやす
い席でありますようにと。

子供も必死なので一緒に祈った。一つの思いが
あり、このようになりますようにと、切に祈った。

ふたを開けてみると、思いと全くの正反対だった。
思いの通りに、ことごとくがならなかった。
余りに見事で、祈った結果だし、神様の御心だと
確信できた。

祈ったその答えが「ノー」で、神様の御心が成し
遂げられた。
しかし、その事がはっきりわかるので、神様は計画
があられ、自分達は逃げる事と避ける事しか考えな
かったが、そうでなく、試練にぶち当たらせ、乗り越
えさせようとの、御心だと受け取れた。

祈ったので、ノーの答えから、神様の御心を悟れた。
神様は、呼べば答えて下さることが感謝だった。

自分達の思いと、ほんとに違う。しかし、神様の
される方が最善だともわかる。
だから、目に見える所は思い通りではないが、最善が
成ると信じれることが感謝だ。

今までの事を、フッと振り返った時、子供の幼稚園
公立が安くて応募した、クジであり、くじは神の御心
がはっきり現れる。
「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、
主から来る」箴言16:33

神の主権と支配の中、経済状態もご存じ、安いから
入れて下さるだろうと、確信して引いたが、はずれ
だった。ガッカリ、落胆した。「何で?」

しかし、結果的にはもっと良い所が備えられていた。
私立の幼稚園だったが、子供の教育への考え方が
ピッタリ合う、一切強制せず、伸び伸びと遊ばせて
くれる幼稚園だった。
経済的により、子供の心にフィットする先を与えて
下さったのだ。はずれて良かった!!!こんなに
感謝したことはない。

神のみ思いは常に高くて深い。「え!何で?」が
後に、深いご計画があったことをいつも知って来た。

これからも、自分の思いとは違う、神の御思いを
よく求めて歩めますように。
by 多恵子

2005年11月01日(火)
  「委ねて生きる」

69才のAさん、夏に教会へ来られる時、倒れて
救急車で運ばれた。
「暑さと疲れだったのか、今は元気です」と。

ご主人は10数年前に亡くなられた。年金では
足らないので、清掃と介護の仕事をしておられ
る。
介護も、ハードで体力が要って大変。老・老、介護
になると笑っておられた。でも、元気で介護させて
貰えることが有難いと。

清掃をしていた会社が倒産。介護だけでは足らない
が、なかなか次の仕事が無いと。

「祈りましょう」「はい、お願いします」と爽やか
なお顔。
「思い煩いが全然無いんですよ」と明るいお顔。
「神様と出会って、もうほんとに感謝で感謝で。まあ、
不安も全く無くて。」

61才の時に教会へ初めて来て下さった。
以前から何度も教会のチラシが新聞に折り込まれ、
メッセージが心に響き、行きたいと思ったが、日曜
が仕事でずっと行けなかったと。

リストラになって、教会へ来れましたと。
神様を信じられ、聖書の言葉が心の底にとどまると。
捜しても捜しても、職が無い時、「あなたがたの
うちだれが、心配したからといって、自分のいのち
を少しでも延ばすことができますか」の御言葉が
心底、そうだ!と思え、心配するのを止めましたと。

すると、全く思い煩いが無くなって、職の無い間も
何やかや与えられて、守られていますと。
その時も、もう皆で、Aさんすごい!!と恵まれて、
恵まれて。

「神様が『思い煩うな』と言って下さるし、『委ねよ』
と言って下さって、まあ、ほんとに必要は与えられます
しねえ。身体も守られて、感謝して喜んでます。」

先の事を、全く心配しておられない。老後の事も、
身体の事も、経済的な事も、全く。

先ではなく、今、元気で働ける事を感謝して喜ん
でおられる。

Aさんを見ていて、神様に委ねる事、思い煩わない
事、目の当たりに見せられる。すごい!!

明日は思い煩うな、いっさい神にゆだねよ、と
言われる神様に、委ねよう。

by 多恵子