2005年12月19日(月) 「物差し」
このところ、この1年で教えられた事を 語り合っている。 Aさん「自分の内に物差しがあって、その 物差しで、いつも人を見て、さばいていた。 外側を見て、出来る、出来ないで、判断 してしまい、さばいてしまう。 でも、それが自分の物差しである事に気 づいた。例えば、人が仕事でミスするが、 その人の心はすごく良くて、それ以外の 大切な事はできている。 そんな見方が出来るようになって、人をさ ばかなくなった。 ある人は、この事が出来ないが、でも、心 がとても優しい。ずっと神様がどう見ておら れるかでなく、自分の定規で人を量って来た。 それが世の価値観であり、肉の思いであり、 自己中心な思いだとわかった。 神様の思いと価値観で、人を見て行きたい」 Bさん「自分は正しいと思っていて、みこころの ままにと心から言えない。試練は痛くて、どうし ても嫌というのが、祈りながら、祈りの隅にあっ た。自分を隠しながら、神様の前に行こうとし ていた。 その自分に気づき、神様の前に自分を隠さな いで、出れるようになった。やっぱり良い子で ないと受け入れられないというのが、わかって いるのに根強くあることがわかった。 あるがまま、神様の前に出れるようにされた。」 例えば何かが起こって、自分の物差しで見ている 間は、パニックの悶々状態。でも、そうでなく、 神様サイドの物差し、神様の見方、神様の思い、 焦点を神様に当てて行くと、解き放たれて、自由 にされて、神様が見ておられるように、との視点 が来る。その時、自分の目が変わる。 この1年の様々な恵みをしっかり感謝して 行けますように。 by 多恵子
2005年12月14日(水) 「幸せ」
平凡な日常が「幸せ」そのものだと、気づかせ られる。実はなかなか気づかないのだと。 Cさんと、ほんとだ、ほんとだと、しみじみと話す。 何か大々的な事に、心躍り、興奮する事の 中に幸せを探すが、実は毎日の平凡きわまり ない日常なんだ。 よく劇的なドラマで、昔の幸せな時の回想シーン が出て来る。それが必ず家族で食事をする シーンや、親子で楽しげに遊ぶシーン。 どこにでもある、ありふれた日常の平凡な、 ひとコマだ。 普通のありふれた日常、それが「幸せ」その ものなのだ。幸せ=ありふれた日常。 テレビドラマでも、失った時にはじめて、気づく。 Cさんと、ほんとに今の普通のありふれた 日常の日々が、実はものすごい幸せそのもの なのだと、どんなにか感謝しないといけないし、 ほんとに感謝ですよねえ、と。 朝起きて、家族がいて、一緒に食事をして、 それぞれの働きについて・・このありきたりの 毎日って、実は「幸せ」そのものなんだ。 Cさん、「皆、不満ばかり言ってるけど、どんな に感謝かに気づいてないんですよねえ。」 神様、ほんとうに幸せを有難う。 by 多恵子
2005年12月12日(月) 「この世と調子を合わせては・・」
世の価値観と神様の価値観について学ぶ。 Aさん「職場で皆が話すんですよぉ。もう熟年夫婦 になると、主人と一緒にいたくない。各自それぞれ が好きなように時間を使いたいし、好きにしたい。 もう束縛されたくない、自由にしていたいと。 一人のご主人が今度単身赴任終えて帰って来るが、 自由な時間が無くなるのが、もう嫌でたまらないと。 別の人は、主人が家にいる日は、自分が外出 すると。もう、ご主人への愚痴と不平不満ばかり。 世の価値観ですよねえ。ほんとに神様知れて 良かった。自分だって、神様知らなかったら、 同じように思ってたと思う。 人間て、自己中心だから、自分の思い通りに 自分の好きなように、したいですよねえ。 神様知れて、神様の御心に従って行ったら、 ほんとに夫婦が祝福された。こんちくしょう!と 思う(笑)事があるが、自分の肉が反応して行く のもわかるが、それが御心でない事もわかる。 その時、その場での、神様が喜ばれる言葉と 態度がわかる。御霊様がほんとに示して下さる。 自我は爆発しそうだけど、御霊様の導きに従う と、その瞬間心が変えられて、平安になる。従 って良かったと、喜びが来る。ほんとに「選択」だ と日々教えられる。 神様に従い続けて来たら、ほんとに夫婦の間 が温かくなって、仲良くなって、愛情与えられ ほんとに感謝で、感謝でならない。 神様知らなかったら、熟年離婚していたと思う。」 Bさん「ほんとに御言葉にすべての指針が 記されていて、結婚生活も、育児もすべて 神様が導いて下さる。 それに従っていると、ほんとに間違いが正され、 どんな状態でも、もうだめなんじゃなくて、建て 直され、建て上げて下さる。もう、神様知らなか ったら・・と思うと、感謝しか無い」 by多恵子
2005年12月11日(日) 「感謝」
前回の学び会で、 集まった婦人方が皆、深刻な大変な状況。 Aさん「主人がリストラになるかも」 Bさん「母が認知症が段々重くなり、今老人 ホーム待ち状態。そこに介護してくれていた 親族が突如入院手術」 Cさん「父が何とか退院。回復してきて感謝。 でも、元気な頃から思えば弱った。」 又、経済的危機や子供の問題、様々な悩み と問題に取り囲まれている。 皆が深刻な厳しい問題の中にいるが、 その会話が「感謝よねえ!本当に感謝! 神様を知っていて良かった!神様を知ら なかったら、どうなっていたかわからない。 感謝!感謝!!」 神様はすべてご存じでいて下さる。 必ず良くして下さる。信じる事ができて、 希望がある。 状況大変な中で、暗〜くなるのでは全然 無くて、神様知ってて、本当に感謝だと、 皆で感謝、感謝と言い合える事が、もの すごく感謝であった。 by多恵子
2005年12月10日(土) 「祈りの妨害」
デボーションが大切であり、どうしても必要 なものであるとよくわかるので、持とうと すると、必ずサタンが来ると、皆で話す。 Aさん「持てる時にと言ってると、持てない から、時間を決めて、持ってるんですよぉ。 その時間、持とうとすると、『こんな事しとる 場合じゃない』『あれもこれもしないといけ ないじゃないか、忙しいのに、こんな事しとる 場合か』との思いが来る(大笑) 心が立って、ソワソワし始める。『こんな事し とる場合か』という声がずっと来る。 サタンなんですよねえ(笑)それに聞いて行くと、 身体は一応そこに座っているが、もう心がだめで ソワソワして集中できない。サタンの攻撃なん ですねえ。やられてしまってる。」 Bさん「もう思い、思いのオンパレード。次から 次へと。声を出して祈っていても、思いが 押し寄せる。祈るのに、凄いエネルギーが要 って、すでに疲れ果ててしまう。集中できない。 もの凄い攻撃が来る」 Cさん「祈る前は全然眠くないのに、祈り出す と御言葉を読み出すと、途端眠くなる。変です よねえ(笑)身体もほんとにしんどくなるし、 よほど祈りと御言葉が、サタンは嫌なんです ねえ。デボーション持つって、すごい戦いです よねえ」 「修道院や山へ行けばよいのではない、全然 関係ないですねえ。環境じゃなくて、サタン の問題で、サタンとの戦いなんですねえ」 祝福も大きい。神様に心を向けて行く時、 語られた御言葉は1日とどまり、1日みことば によって生かされていると実感する。 サタンて、御言葉と祈りを取りたい。逆に それがそれほど重大ってことだ。 by多恵子
2005年12月08日(木) 「自分を捨てること」
Aさん、神様の取り扱いがあった。 1年前から、あるイベントを楽しみ楽しみに期待 して待ちわびていた。夜にあったが、家族の了解 も得て、すべて0Kで、ワクワク当日を待っていた。 すると、突然、その同じ日に、学校の保護者会の 招集がかかった。昨今の時世に、子供を守るため の話し合いが急遽持たれるとの事だった。 夫婦で役をしているため、行かなければならない、 行った方がいいだろうな、との思いが来たが、 1年も前から楽しみにしていた事、ご主人に行って 貰うよう頼むと、仕事上どうしてもはずせない用が あって無理との事。 どうしても行きたいイベント、ご主人と大喧嘩になり、 でも、どうしてもご主人は無理。そうこうしていると お母さんが子供を見てくれる予定が、急遽お母さん にもスケジュールが入ってしまった。 祈っていたが、どんどん環境が閉じられる。 神様の思いは、自分の思いと違うんだと感じる。 行く事はみこころではなく、ストップかけられていて、 保護者会に行く事がみこころなんだと感じる。 自分にとっては1年前からの大好きな楽しみ、 大泣きしたが、神様に従おうと思った。 決心して、当日ご主人に告げると、自らも役で 責任もあり、とても喜んでくれた。 その日、不思議に、少し行き違いのあった人と 会え、良き和解が与えられ、喜びが溢れた。 神様の祝福に心から感謝した。 そして、教えられた。平穏な日々、特に何もないと、 夫に証しもできない。 しかし、こういう中で、自分に死ぬこと、自分を 捨てること、自分の大切なものを犠牲にすること、 それらを通して、証しにされるのだと。 「また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で 主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、 神を知る知識を増し加えられますように」 コロサイ1:10 by 多恵子
2005年12月01日(木) 「ほめること」
Aさんが「感謝なことがあったんです」 「子供をほめてやる事が大事なこと、よくわかって いるのに、なかなかうまく出来なくて。 でも、この間、ほんとに心からすごいと思えて、 子供を心底ほめる事ができたんです。 ほんとに、すごいと。 すると、子供がその夜、何も言わないのに、一生 懸命勉強し出して、びっくり!! しました。 心からほめてやる事の大切さを教えられました。」 人は皆、認められたいという心を持っている。 しかし、子供が、少しできると、もっとできると、 頑張れとなってしまう。 Bさんが子供の頃、親からほめられた事が一度も なかったと。 テストで幾ら良い点を取っても、絶対にほめてはもら えず、もっと頑張れといつも言われた。もっと頑張っ て更に良い点を取っても、更に頑張れと言われ、きり が無かった。 幾ら頑張っても認めてもらえない、ほめてもらえない 事で、心身症になり、いろんな要素が重なり、鬱を 通ったと。 そして、救われてクリスチャンなのに、子供に同じ事 をしている自分に気づかされると。 子供が出来ないと「どうして出来ないの!」と叱り、 子供が辛い悲しい状況にあるのを、「それぐらい我慢 しなさい!」とイライラして叱っている自分に愕然と した。 親にわかってもえなくて、あんなに悲しくて、辛かった のに、全く同じ事をしている。 でも、神様を知っている事が感謝で、子供に「ごめんね」 と謝ることが出来た。 できない子供を、そうあって欲しくないと思う、自己中心 な思いがあって、心が拒んでしまう。あるがままを受け 止められない。 神様が、そう出来ない自分を、まずあるがまま受け入れ て下さっているご愛により、あるがまま神様のところへ 行けて、自分の心が変えられて行くことを経験する。 by多恵子