2006年01月31日(火)
  「祈りのパワー」

孫が、何とかウイルスによる気管支炎になった。
悪性ウイルスなので、脳に行けばやっかいと。
咳をぜいぜいと、嘔吐と下痢で、まだ4ヶ月の身
でかわいそうに。

丁度、婦人の学び会で、一緒に祈ってくれた。
癒される事と「この事を通して、神様の素晴らし
さ知れるように」と祈った。

するとAさんが、「神様!菌を殺して下さい!」と
力強い祈り。単純明快な祈りに、うわっ!と圧倒。

そうだ!祈りはゴチャゴチャ遠回りでなく、
単純率直に祈ればよい。もう一度原点へと、気づか
せられる。
集会後話すと、不思議にAさんと同じ思いが与えら
れていた。

去年、もう一人の1才少しだった孫が、親指にけが
をして、何針か縫った。真っ白いグルグル巻きの包帯
が痛々しい。心が傷ついているんだろう、お母さんに
も手を心配する皆にも、手を隠す。

親指を見ようとすると、手を背中に隠す。包帯が親指
だけになった時も、見ようとすると、親指を4本の
指の中に入れて隠す。こんな小さな心が傷んでるんだ
とびっくり教えられた。

いろんな事、小さいからわからないだろうと、思って
しまうが、ものすごくわかってることに驚異。

その指が治った時、手を出して自分から親指を見せて
来たのに、またびっくり!身も心も癒されたんだ!
その時Aさんが「私にも見せてくれました!」

Aさんが「その時の事を思い出してました!」
私も思い出していて、同じように、神様の素晴らしさ
を見せて下さいと祈った。

左の心音がおかしいから、明日も来るようにと言われ、
娘がその翌日も続けて病院へ。

すると、昨日今日で「左の心音おかしかったのに、
良くなってる!」と先生も何でだろう??と不思議
そうに。「もう大丈夫、安心してもらっていいですよ」
と言われたと。

「祈りのパワーだ!!」教会の方々も祈ってくれた。
また、祈りの力を見せられて感謝だった!!!
by 多恵子

2006年01月22日(日)
  「不思議な神の働き」

救われた時の経緯も不思議だった。

高校生の時、クリスチャンの同級生がいて、とても
話しやすくて、よく話をした。
当時、クラスで面白がって、くじで席替えを、それも
毎週していた。教科の先生達が名前を覚えられずに
困ってた。

それが不思議な事に、席替えのたびに、そのクリス
チャンの彼女と必ず前後、左右になった。

「え!また、一緒だ!」「え!また!」ほんとに驚いた。
「わあ嬉しいー!また、お話できるね」毎週言っていた。
それで、よく交われて、いろんな事を語り合った。

“くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定
は、主から来る”箴言16:33

ほんとに背後に神様のみわざ、導きだった。彼女と
近づけて下さった。聖書を貸してくれて、初めて聖書
を読んだ。山上の垂訓に来た時、心に響いて来たの
を覚えている。自分の敵を愛し、迫害する者のために
祈りなさいのような。格言みたいに取っていたが。

10クラスあって、クラス替えがあったのに、翌年も
不思議に彼女と同じクラスだった。

そして、その冬、特別伝道集会に誘われて、初めて教会
へ足を踏み入れた。少し早めに着いたら、その日の講師
の先生に紹介された。歓迎して下さって、その先生が
「あなた、今晩救われるかも知れませんね」と言われた。

「救われる」って、意味がわからず、不思議な違和感だった
けれど・・。

集会が始まり、聖歌が賛美された。今まで聞いたどの歌
とも違う、何かきよくて、且つ力強かった。印象的だった。

メッセージが始まり、その講師の先生が一人息子を交通
事故で亡くされた話をされた。もう涙、涙の日々で、相手は
酒気帯び運転で、雨で見えにくかった。
自分はクリスチャンだから許しますと言ったが、辛くて悲しく
て、つい雨で無かったら、注意運転してくれていたらと、
相手を責める思いが出て来る。

その思いに苦しくて、どうしようもなく、ある日主の前に出て
心を全部打ち明け、祈った。
その時「七度を七十倍するまで赦しなさい」と光のように
心に入り、赦すだけでなく、愛しなさいと語られた。
涙が溢れて、悔い改め、翌朝一番に、その相手の家に
行った。そして「私を赦して下さい」と謝った。「あなたを赦
すと言いながら、心では憎んでいた」と。
相手はもうびっくりして、「これがあなたの信じている神様
なら、私も信じたい」と、その場で相手が救われた。」

その証しをされて、父なる神は、たった一人の子供である
イエス・キリストを十字架につけた。
子供が亡くなるとは、こんなにも辛くて苦しくて悲しい。
それを御父は、して下さった。あなたの罪を赦すために。
それほどにあなたを愛されたと。

このメッセージが、本当にわかった。御父の痛み、愛を
知った。初めて聞いた福音が、素直に入って来た。
信じたいと思い、その日、信じたい人はその場に立って
下さいと招かれた時、立った。

放蕩息子の小冊子を貰って、帰った。夜一人になった
時に読んだ。そのメッセージが心にどんどん入り、自分
が放蕩息子で、父の愛がわかり、迫り、涙が溢れて溢
れて仕方が無かった。

かなり後で、その夜の事を思い出して、あの日、本当に
救われたんだと思った。

by 多恵子





2006年01月21日(土)
  「死の恐怖から解放」

バイブルクラスで、いつでもどこでも証しが
できるために、自分の救いの証しを簡単に
まとめる学びをしていた。

自分自身も救いの経緯を振り返ってみて、
神様がどんな所から救って下さったかを
今一度覚える事が出来て心から感謝した。

中学生の頃に、死が恐くて、恐くて、考えると
気がおかしくなりそうなほどの恐怖だった。
夜に、空を見ると、ふっと底のない真っ暗闇の
深い淵に落ちて行きそうな恐怖を感じ、虚無感
に襲われた。

自分の死後、身体は焼かれて朽ちるだろうけれど、
身体が無くなるが、自分を意識しているその意識
が永遠に無くならないと思っている。
誰一人いない真っ暗闇の宇宙で、自分を意識する
自分だけは永遠に存在する。

誰もいない宇宙で自分一人だけ。そして意識は
永遠に無くならない。そんな思いが夜一人になる
とふと忍びより、早く寝てしまうか、他の事を
懸命に考えて、気を紛らわすしか無かった。
早く、翌朝になり、家族がいて、日常が戻る事だ
けを願った。恐怖と虚無が日常と隣合わせにいつも
あった。

今思えば、聖書の御言葉の言っていることだ。罪を
持ったままでは、永遠の滅びがある。罪から来て
いたのだ。

イエス様を信じた時、そんな死の恐怖から救われた。
救われて全くその死の恐れが消えた!救われてしば
らくして気づいた。完全に消え去っていた。
代わりに天国への喜びが心に生まれていた。

御言葉の言っている事が真に実現した。ほんとに
神がおられ、聖書の御言葉が真実で、事実である事を
身をもって体験した。

そして、パスカルが云うように心の中に空洞が
あって、何を持ってしても絶対に埋まらなかった。
何かに心を注ぎ、熱中しても満たされる事が無かった。

その心の底が満たされた!一分の隙もなく、満たさ
れた。満ち溢れる喜びを経験した。

神様がして下さったこと、これってすごい事!!
誰にも出来ないこと、神様がまことに生きて
おられることを身をもって知った。
もう一度、神様に心からの感謝を献げた。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くして下さったことを何一つ忘れるな」
詩編103:2

「これは、その死によって、悪魔という、死の力
を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれ
ていた人々を解放してくださるためでした」
ヘブル2:14

「その道は楽しい道であり、その通り道は、みな
平安である」箴言2:17

by 多恵子



2006年01月19日(木)
  「自分が、自分が」

Aさん「今年こそ聖書を読もう!と決心して、読み始
めたんですよぉ。そしたら、御言葉読んでると、こん
なんダメじゃ、出来んわ・・と暗くなって、落ち込ん
で、聖書を閉じる。
又、次の日、読むと、やっぱり自分は出来んと、
辛くなって暗くなって、閉じる。年頭からその繰り
返しで読めん」

Bさん「あ、私も同じ。出来ん、出来ん、ダメじゃと
思う。聖書読むと暗くなって、落ち込むって、読み方
がおかしいんじゃ?」

「出来ん、出来ん。聖書なんて、自分の力で絶対
実行出来ん。出来ない事がわかるために、律法
があると書いてある。
それで、律法はキリストに導くための養育係だと。
御言葉を自分で行なおうとするなら、キリストから
離れ、恵みから落ちてしまったと。
出来ないからこそ、イエス様がおられて、して下さる」

Aさん「そうなんじゃ。自分は出来んけど、神様が
させて下さると読めばいいんじゃ」

Bさん「でも、仕事とかは、自分がやらんにゃあい
けん??」

「祈れば助けて下さるよ。Dちゃんがね、家計の
足しにパートを与えられるよう、ずっと祈っていた。
すると仕事が来て、それがフルタイムの営業。
ワーワー泣いて、自分には出来ないと。営業など
全然向いてないし、それに主婦で、小さい子供も
いて、フルタイムなど絶対無理と。

それで、ご主人に話すと「いいじゃない。やったら?
僕も全面協力するよ」と意外な展開。

考えると、数ヶ月真剣に祈って来て、神様から来た
ものだと思う。祈りの答えだと。それで、自分には
出来ないが、信仰によって、仕事を受ける事に決断。

自分には出来ないからと、祈って祈って、信仰に
よって仕事を始めた。すると、何と、次から次と、
途切れることなく契約が入って来る。一番契約を取
る人になってしまった。もう、びっくり!!
Dちゃんて営業向いてるんじゃないの、と皆に言わ
れる始末。

「神様です!もう神様!神様がして下った!」
契約が取れる度に「神様だ!」と言っていた。自分が
栄光を奪わないで、いつも神様に栄光を帰していた
から、ずうっと契約を与え続けて下さった。

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、
わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」

自分に出来ないところに、働かれる神様。貧しい人
が幸いで、出来ないことが幸い。弱さに働かれ、
弱いところに恵みが十分。世の価値観と正反対で
これが、なかなかクリスチャンになってもわからん。

そんな事話していたら、A、Bさん納得!
「わかった!そうなんじゃ。聖書読んで、暗くなってた
のも、結局は自分の力でしようと思っていて、心の底
では、自分で出来ると思ってる。全然貧しくなくて、自
分で出来ると思っているから、落ち込むんじゃ」

この世の価値観は、出来るのが良いこと。能力ある
ことが善。貧しいこと、出来ないことは良くないこと。
嬉しくないこと。
神様の価値観は全くの正反対だし、内にある肉は
自分の力を誇りたくて、人からの評価を得たい。
自分が認められたい。
ずっとこの肉との戦い。「世の価値観、肉の思いに
流されてるんですよねえ。教会へ来ると我に返る」

いつも神様と交わっていないと、肉の価値観は
凄まじい勢いで襲って来る。
出来ないことが感謝。そこに神が現れて下さる。

by 多恵子


2006年01月18日(水)
  「神様との交わり」

今の高校生は、ほとんど皆が携帯を持っているとか。
Aちゃんのクラスに携帯を持っていない子がいると、
今どき、国宝、文化遺産だから、お願いだから、もう
持たないで、そのままでいて、と皆が言うそう(笑)

もう携帯を片時も離さず、お風呂に入る時もすぐ届く
所に置いていて、ずっとメールが入って、ずうっと、
ピッピピッピとメールを打ち続けている。
費用が大変で、そのためにバイトをし、バイト代を
携帯に注ぎ込んでいる子は多いと。

夜の間にコミュニケーションを取っておかないと、
次の日、話について行けないと。

ちょっと昔、ポケベルが流行し、それがPHSになり、
少しづつ携帯に替える人が出て来て、その内、あれよ、
あれよで、あっという間だった。家族全員が持ち、
今頃、持っていない人の方が珍しい。

「便利だけど、煩わしくないんかねえ?」
Bちゃん「今の若い子の文化。私なんてもうしょっ中
ケータイ持ち忘れて、携帯、不携帯の部類」

朝起きて、1日中、夜寝るまで、メールで交信。

そこで、本題。「人とそんだけ交信するんじゃろ。
神様とは、どうかい?」
「しとらんわ。全然しとらん」
「いつから?」「もうしなくなって久しい」

ほんまじゃわ。人と朝から晩まで、これだけ
交信するのに、神様との交わりは・・??
これじゃあ、いけま。
若者に、説得力持って迫った。(笑)

メール交信するほど、神様と交信したら、どんな
に親しくなれるだろう。

by多恵子


2006年01月17日(火)
  「11年前のあの日」

阪神大震災11年目だ。
両親と妹家族が、阪神住まいだった。

あの日、広島でもかなりの揺れだった。地震で目が
さめ、階下でデボーションしていた。

すると、息子が、階段をダダダと下りて来て、
「お母さん!神戸がすごい地震!」と、告げた。

デボーション中なんだけどなと思いつつ、上がって、
テレビを見て、びっくり仰天。信じられない光景が映
っていた。呆然。そこで育ち、見知った所だけにショックだ。

空から中継していて、実家近辺が火事にはなっていな
いと確認できる。

すぐ父から電話。「とにかく命は取りとめた!」と。
そして、間もなく、電話はつながらなくなった。
後で聞くと、父は揺れたと同時に、ベッドの上に、
ガバッ!と起き上がった。すると、父が寝ていた枕に、
テレビがガーンと飛んで来た。
そのまま寝ていたら、頭を直撃で命は無かったと。

母は頭をけがして、出血したが、病院など人、人で溢れ返り、
診察不能の状態。結局行かないで治ったと。

少し先に住んでいた妹家族も無事。すぐ後ろのお家
は全壊したと。
近所で、火が燃え上がり、消防車など待っていても、全然
来ない、こりゃダメだと、近所全員で、バケツリレーで必死
で消し止めたと。

すぐ水が止まったので、水洗トイレが使えず、両親も妹家族
も、しばらく小学校で寝泊まりした。

電話はすぐ止まり、公衆電話からは通じるとの情報、その
ようにすると通じた。食べ物が無くて、市から配給の冷たい
おにぎりを1ヶ食べただけと。
ガスが止まっていて、暖かいものが全く食べれないと。

宅急便も全面ストップ。こちら食料溢れているのに、なすすべ
なく、そうだ、自分に出来ることは、不可能が一つもない天の
御父に祈ることだと。
必死に祈った。食べ物が与えられ、ガスが使えるようにと。
すると、祈った数日後、大阪の親戚がリュックと両手の袋に
食べ物を詰められるだけ詰めて、夫婦で、電車が通っている
所まで、あとは徒歩で来てくれた。

戦時中のようだったと。そのリュックの一番下にカセットガス
があり、何と、火が起こせ、市からの配給車の水で、買い置
きのカップラーメンが食べられたと。

それに励まされて、水を祈ると、何と前の公園から地下水が
噴き出し、皆が行列で並び、それでトイレが使えたと。

父が1ヶ月入ってなくて、「風呂に入りたいなあ」の一言に、
与えられるよう祈ると、何と、被害の無かった田舎の親戚が、
近くの新しく出来た温泉に招待したいと、車で迎えに来てくれた。

神様の力とみわざを見た。
奇跡的に助かった父は、それから9年後、はっきり、主イエス
様を受け入れて、天国へ行った。母もまたその1年後、主を
受け入れて天国へ帰った。

by 多恵子

2006年01月11日(水)
  「求め」

デボーションの話題で盛り上がる。

Aさん「理想は朝5時に起きて、2時間ぐらいは
デボーションしたいんですよぉ。でも、現実は、
朝飛び起きて、うわ〜バタバタで、出来ん時も
ある。でも、試練の時は、朝起きて絶対に祈り
ますねえ。さあ、祈ろうじゃなくて、祈ってる。」

皆が「そうそう、同じ、同じ!祈らねばならない
でなくて、心が叫ぶ」

A「で、試練が通り過ぎると、また、いい加減
になるんですよぉ(笑)朝起きても、ぼや〜んと
したまま(笑)でも、出来ん時は、以前は、自分は
ダメと、落ち込んでたが、今は、神様のあわれみ
が尽きないところにとどまれるようになって感謝
です」

「落ち込むのはみこころじゃないもんね」

Bさん「感謝な事に何とか朝起きれて、与え
られてますが、バタバタの時は、5分でも集中
して心を向けて祈るんです。でも、その5分でも
感謝です。心を神様に集中して注ぎ出すと、何
か恵まれます」

Cさん「やっぱり朝起きようと思えば、早く寝な
いとダメですよね」「ほんと、ほんと、1日や2日
なら持つけど、やっぱり早く寝ないと起きれない」

Dちゃん「デボーション、長い間しとらん」「そうなん
じゃ」(大笑)「聖書読んでもわからんし」「そうそう、
なかなかわからんよね。大人でもわからんわ」(笑)
「うちのお母さんも、旧約聖書わからんて言う」(笑)

「一念発起で読もうと思ったら、マタイは何じゃわか
らん系図じゃし、わけわからんし」(笑)

聖書を読む事が今年の目標のFさん「聖書を
読み始めては、やめてしまって、又最初に戻って
の繰り返しで同じ箇所を何回も読んでいる状態で
す(笑)神様に助けてぇです。祈って下さい」(笑)

神様ってすごい。聖書を読もうと張り切ると、マタイ
の系図でつまずく。人間なら、最初に読みやすい
ように、注意を惹きつけるような記事にするし。
罪もあからさまに全部書いてあって、普通なら
都合の悪い事など隠蔽するし。

Gさん、未信者の高齢のお母様が、神様を知り
たくて、聖書を300頁読んだが、どうしてもわから
んと。Gさん、近くの牧師先生に訪問をお願いしたと。

「ひえ〜!!300頁も読まれたんだ!すごいー!!」
と皆でびっくり!!

学び会で、御言葉を学んでは、また読もう!!と新た
に励まされる。

極度の試練にあったJさん、いつも聖書を開いて
いた。少しの時間があれば、すぐ聖書を開いて
釘付けになっていた。
苦しい時には、神様をあがき求める。求めなけれ
ばならないでなく、心があがき、叫び求めている。

どうしても、この「求め」が必要なんだなあ。
求めがないと、ほんとに神様ってわからない。
必要が無いと、ほとんどわからない。

求めなさい、そうすれば与えられる。求める者に
ご自身を現して下さる。「求め」が与えられます
ように!!

by 多恵子


2006年01月09日(月)
  「信仰を使う」

試練は信仰の成長のために、どうしても必要で、
ヤコブ1:2−4によると、試練でなければ成長
は無いと、書いてある。

試練があると、忍耐が生まれる。忍耐とは、単に
じっと我慢する消極的意味でなく、積極的な意味
であり、神がこの事態を必ず良くして下さると信じ
ることだ。

良くして下さると信じれるのは、不都合な状態の
時だ。良い状態の時に、良くして下さると信じる
のは無意味だ。

その良くして下さると信じる=忍耐で、それを
完全に働かせて行く時、成長を遂げた者となる
と約束されている。

だから、成長は忍耐を働かせる事の出来る、試練
の時でしか、あり得ない。
だから、さまざまな試練に会う時、喜びでなく、
「この上もない喜び」と思いなさい、とある。

人は楽しい時は、信仰を働かせる必要がない。
順境の時は感謝して歩めばよいし、試練を
願う必要もないと思うけれど、やっぱり御言葉
の言う通り、試練は感謝だと思う。

痛い時、苦しい時、心が神をあがき求めている。
本当に信じようとしている。神が良くして下さる
ことを信じようと、信仰が働いて行く。信仰を使
っている。

自分の内に、神の与えて下さった信仰があって、
その信仰を使っていることが、この上もなく
嬉しい。

「神は良くして下さる!」どんな状態の中でも
この事を信じて、信じて行きたい。

by多恵子



2006年01月07日(土)
  「良いほうを見る」

今年年頭に、「主の良くしてくださったことを
何一つ忘れるな」詩編103:2 の御言葉
が与えられた。
この一年、主の良くしてくださったことを、ザル
に流さないで、しっかり一つ一つを受け取って
感謝して行きたいと思った。

Aさんの対人関係のことで、交わっていた。
相手から、以前自分の言葉で傷つけてしまった
ことを、チクッと責められると、ついこちらも
ムッとしてしまって、こっちだって傷ついてるし、
との態度になってしまう。

そんな事を繰り返していた時、でも自分はクリ
スチャンで、これは間違っていると気づいた。
態度は自分の選択で、肉ではなく、御霊の導
きの方を選び取らなければならない。

相手が攻撃的態度で来た時、柔和な態度で
応対すると、相手の態度が変わった。穏やか
になり、良い交流ができた。

それと共に、もし誰かに対して、傷つけられた
事、傷ついた言葉、腹の立つ事、その事だけ
をずうっと思い続けていたら、相手の良さが
全く見えない。神の祝福と恵みが見えない。
暗闇の世界にいて、ずっと相手に腹を立てる事
になる。肉とサタンの方を選択し続けている。

そうでなく、相手が良くしてくれた事も必ずある
はず。良くしてくれた事の方を見続け、相手の
良さを見続けて行くなら、自分も変えられ、神の
恵みと祝福のまっただ中におれて、周囲にも
恵みを放って行く。

「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」
は、対人関係で「相手の良くしてくれたことを
何一つ忘れるな」、良くしてくれた事だけを見続
けて行けということだと、わかった。
by 多恵子



2006年01月05日(木)
  「委ねることができた」

Aさん、年始の交わりの中で、改めて大きく
変えられた事を語り合う。

聖書や神様や教会への拒否反応は全く
無く、御言葉を聞くのも嫌でなく、訪問して
もいつも快く迎えてくれた。

でも、十数年もなかなか神様の事がわから
なかったよね、と笑う。長かったよね、と。

神様の事がわかり出したのが、やっぱり
子供の事で、自分でどうにも出来なくなり
神様に心の底から祈った。切羽詰まった
断崖絶壁の時に、神様を頼った。

どうにも出来ないので、子供を委ねた、
その時に、遠かった神様がすぐそばに
ぐんと近くなった。それから段々神様の
ことがわかって来た。焦点が合って来た。

生活の様々な困難が起こる。神様を知って
いて本当に、本当に良かったと心底思う。

でも、その知れる時が、やっぱり自分の窮
地の時、絶体絶命の時、試練の時。

あの試練があって良かったと、思えるから
感謝だと。あれが無かったから、神様の事
はわからなかった。自分でどうしようも出来
ない時にこそ、神様を知る。

頭ではわかるが、どうしても委ねられない、
委ねられないと言っていたAさん。
断崖絶壁、絶体絶命の時は、自然に委ね
たというか、たぶん委ねざるを得なかった
神様の取り扱いだった。

子供を委ね、自分を委ねた時、子供を最善
の道に導いて下さった。子供を最も幸せな
道に導いて下さった。

委ねる事が最善、しかし、出来ない者を、
愛なる主は環境を通し、そう出来るように
して下さる。
放っておかれない事が感謝だ。
by多恵子


2006年01月03日(火)
  「良い方はひとり」

「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。
良い方はひとりだけです」マタイ19:17

良い方はひとりだけ、天の御父が<良い方>であ
ることが平安の基だ。

試練の時、何かが起こった時、それが不都合で、
マイナスの事態であった時、<良い方>であり、
良い事しかされないと信じられる事が感謝な事だ。

父が階段で転んで、頭を強く打った。そのため、記憶
がストップしたり、おぼろげになったり、脳に何かの
異変があったよう。

それまで、元気に過ごしていて、その時、フッと来るの
が「あの時、転びさえしなければ」との思いだ。
「あの瞬間さえ無ければ」、しかし、これは違う。聖書
的思いではない。そうではなく、すべての事が神から
発し、神によって成り、神に至る。

神の御手の中で起き、この事を益として下さる。この
事があって良かったと必ずなると、信じた。
頭の精密検査をした結果、脳に腫瘍が見つかり、
数年前に切除した癌の転移だとわかった。

余命数ヶ月とも半年とも、これはこちらの側の備えの
ためであった。どうしても救われて欲しい。集中的祈り
が始まり、教会にも、対外の友人達にも、皆に祈って
もらった。
祈りが答えられ、父は救われた。本人にも周囲にも
はっきりわかる決心であり、明確な救いだった。

あの時、転んでいなければ、痛みも全く無かったので
脳の転移も気づかず、ある日突然亡くなっていたかも
知れない。転んで本当に良かった。父にも私達にも死
への備えが出来た。

母も同じだった。父の召天後、気力が失せ、食欲
無く、外出もせず、ずっと家にいた。台風の時に、ベラ
ンダの物を片づけた時に、疲れたのか足が腫れた。
その腫れは引かず、「あの時、台風が無ければ」と
の思いだった。
余りに腫れるので、病院へ連れて行こうとするが、
歩けず、救急車を呼んだ。すると、すぐにこれは心不全
と。極度の貧血から来ていて、入院治療。治療終了で
退院時に、身体全体の検査をした時に、胃癌が発覚。
余命いくばくと。もう晴天のへきれきでびっくりだった。

しかし、こちら側に備えが出来、祈りが積みに積まれ、
福音を語り続け、母も救われた。台風が来た事が感謝
で、足が腫れ、やむなく病院へ。その結果癌が判明。

「どうして、こんな事が?」が、実は素晴らしいみわざ
が成就して行く伏線だ。
今年も、良いお方が良い事しかされない事を、しっかり
受け取って行けますように。
by 多恵子


2006年01月01日(日)
  「心配無用」

2006年明けましておめでとうございます。

大晦日祈り会で、昨年1年間にして下さった
みわざを語り合った。

私自身は、昨年は母の救いが、38年間の祈りの答え
であり、大きな事だった。親の救いが一番の課題だっ
た。「返さなければならない負債を負っています」
ローマ1:14

愛情を注いで育ててくれた両親への、ずっしりとした
負債だった。

38年間色々な思いがあった。救われなければどうし
よう、地獄へ行ったらどうしよう。その折々に「夕暮
れ時に光がある」「恐れないでただ信じていなさい」
「同船している人々をみな・・お与えになった」・・
心にピッタリの御言葉を語り励まし、祈り続けさせて
下さった。

親の老後の事も、離れて暮らしていて、どうなる事か
と、周囲に認知症や脳梗塞の方々の事を聞くにつれ、
近ければよいが、どう看て行けるのかと思ったりして
いたが、すべて良くして下さった。

350キロほどの距離、入院後も1ヶ月に1度は訪
ねる事ができ、激痛が襲う頃、主は安らかな天へ連
れて行って下さった。

主に在って何の心配も無かった。いっさいの心配無
用であった。今、両親共に、天で安らいでいることが
大きな感謝と喜び、安堵だ。

逆に見るなら、主は両親共に今際の際に救う事を定め
て下さったいたわけで、38年間「心配無用」だった
のだ。

「だから、明日のための心配は無用です」マタイ6:
34

この1年、「思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」
Tペテロ5:7 「神が心配してくださるからです」
思い煩いを、委ねて委ねて歩みたい。

by 多恵子