2006年03月11日(土)
  「肉の愛情」

Aさん「生活の中で、ぐわ〜と強〜い肉の思い
が湧き上がって来るのがわかる。それが肉だと
わかる。

自分の親が可愛いくて、しっかり握りしめてる
から、それに、ちゃんと対応してくれない義理
の親族に、不満が心の中にすごい勢いで、噴出する。

でも、それは親への肉の愛情で、自分の〜で、
自分に属するものを愛する、自己中心な愛情。
肉が執着して、握りしめて、自分のものにして
いて、神様に明け渡さない事がよくわかる。自我
なんですよねえ。

肉の自己中心な愛情は、自分も周囲も損なって行き
ますよねえ。自分に死にたいと思う。御霊の愛に変
えられたい。神様の潤いを、家族親族に流す者とさ
れたい。神様のために用いられたいですよねえ。」

Bさん「わかる、わかる。神様を知る以前は、別に
深く思わず、夫を愛していると思っていたが、神様
を知って、夫を愛してるんじゃなくて、自分を愛し
ているのがわかった。
ある時、全く自分には、愛というものが無いとわかっ
て愕然とし、呆然自失だった。
神様に出会うまで、そんな事も考え無いですものねえ。
自分に愛は無いが、今、確かに、神様から与えられて
いる愛がある事がわかるのが感謝でならないです」

Cさん「私は結婚して、相手を砕いて、自分の思いを
通していた。束縛されるのが嫌で嫌でたまらず、好き
にしたい。
自由を勘違いしていた。自分の思い通りに生きるのが
自由。でもその裏で、相手がじっと我慢している。

私が生き生きしている事が、あなたにも子供にも
幸せなんだから、好きにする!と言っていた(笑)
夫が我慢していた(笑)

クリスチャンになって、ことごとく自分が我慢する
ようになったが、肉の力で我慢しているから、鬱積
が溜まる。どんどん溜まって、許容量オーバーにな
ると、必ず定期的に爆発していた(笑)
自分の力でしているからだと、よくわかった。

今、変えられた。祈って対応するので、溜まらない。
聖霊様がして下さっているのを感じる。我慢でなく、
愛したいと思えて、愛せる。愛情がある。神様だ。
神様の力ですよねえ。」




2006年03月09日(木)
  「生きることはキリスト、死ぬことも益」

A中国宣教師が来教。文化大革命を通った
二人のクリスチャンと共に。

宗教は一切違法との事で、三角帽をかぶら
され、西洋かぶれ、自分は間違っていたとの
自己批判をさせられ、辱めと屈辱、殴る蹴る
の迫害を受けたクリスチャン達。
ポルポト、カンボジアと同じじゃ・・と思いつつ
聞いた。

先日、中国から亡命成功したクリスチャンの
本を読んだ。虐待と拷問に次ぐ拷問、もう
残虐でメチャクチャ、読んでられない。

信仰は違法なので、家の教会で集会して
いると、公安が捕まえに来る。説教者は必ず
連行される。投獄。
「それって、やられっ放しって事です?まあ、
反撃はみこころじゃないし・・」

A先生「あのねえ、中国へ行くと決めた時から
捕まる事など覚悟の上です。そんな事、覚悟
してないと行ってません」
「バプテスマ受けたい人々がどんどん起こさ
れてます。でもね、バプテスマを授ける時に
はっきり聞くんです。迫害が来た時、どうしま
すかと。覚悟が無いなら授けません」

イエス様を信じる事は、命がけであり、死を
覚悟の上だ。

後で、婦人達が「都合良いとクリスチャンで、
都合悪いと、隠れキリシタンを使い分ける自分
は何と生ぬるい」

「A宣教師がもう強烈インパクトで、一生忘れ
られません」
「ものすごい衝撃でした。中国のために祈り
ます!」

共産主義の国では、信仰自体が不法なので
見つかれば投獄される。
丁度、賛美がかかっていた。♪♪

「♪冷たい冷たい北の国、すべてが凍る白い
大地 すきま風凍える、鉄格子の中で、
今日も歌声が響いてる。誰もがみんなおしだまり、
薄暗い部屋の片隅で、その人だけは胸を張り、
大きな大きな声で歌ってる。

♪ハレルヤハレルヤ、神は愛なり、
ハレルヤ、イエスは私のために死なれた。

静かに静かに落ちて来る。雪に閉ざされた
小さな灯りのもれる家から、今日も歌声が
聞こえる。
見つかってしまえばそれで終わり、捕まえら
れて、それで終わり、彼らは命を支払って、
今日もみんなやってくる。

♪ハレルヤ神は愛なり、ハレルヤ、イエスは
私のために死なれた。
ハレルヤハレルヤ、神は愛なり、ハレルヤ、
イエスは私と共におられる。」



2006年03月06日(月)
  「神様のご配慮」

今、カンボジアへの祈りのアピールのために、
一家で全国へデプテーション中のA姉。

デプテーションを通して、神様の愛とご配慮
を知れるよう、いつも祈っている。

沖縄で守られ祝福されて、沖永良部へフェリー
で移動中、余りの強風に、上下左右大揺れ、
乗った途端、船酔いでダウン。

与論島に途中停船、とりもとりあえずの下船。
(後で地図を見れば、与論島と沖永良部はすぐ
そばだったが・・と。)

A姉はフラフラで、夫のB宣教師は、荷物抱え
て、1才の娘も抱えて、初めての空港を降り立ち、
途方に暮れた。
何と、空港にタクシーは1台もおらず、山羊が
おった。神様、こんなところで、どうすりゃええ
んじゃろ・・。

すると、お客さんを向かえに来ていた、ホテル
の従業員がいて、親切にして下さり、携帯で
タクシーに連絡取って下さり、結局、島の総合
病院へ行く事ができた。

A姉は点滴治療を受け、静養。その前に1才の
娘にブツブツが出ていたのを、虫さされと思い、
ムヒを塗り続けていたが、それが何でか広がる??

ついでに、診てもらうと、内科医でわからないと。
丁度、千葉県から月2回来る小児科医が今日来る
から診て貰ったらいいと。
そして、小児科医が一目見るなり「これは水疱瘡」。

虫さされと思い込んでいたところ、的確な診察
治療を受ける事が出来て感謝。

突発事態も起こるが、振り返れば、神様の配慮
万端に、すべてが備えられている事、すべてが
導かれている事、また知る機会を感謝。




2006年03月05日(日)
  「明け渡すこと」

Aさん、「今日学びしてて、自分の心の状態が
はっきりわかりました。

神様になかなか従えない。それは、自分のしたい
事が強くて、自分の好きな事は絶対に放したく
なくて握りしめていて、それを取られるのが嫌で。
反抗してしまう。

でも、小さな事でも、神様の導きとかありますよね。
それはわかって、ええいっ!と従うと、心のもやもや
が消えて、心がスーッと平安になる。

すぐに従えばよいのに、グズグズグズグズしてる
んですよねえ。でも、従うと、ほんとに祝福だと
身をもってわかる。
ずうっと同じ事、取り扱われて、従う時間が段々
短くなってきて感謝(笑)

神様恐いから従っている。そうじゃないんですよ
ねえ。自我を通していると、必ずガツンと来るし(笑)、
自我を砕いて従う事喜ばれるば、自我が強くて、
なかなか出来ないですねえ。

神様が喜びと楽しみって、自分の内に無いので、
本当はそうなんで、自分の握りしめて放さないもの
が神様にもっと近づく事を妨げているとわかります。

これを明け渡したら、神様が大きな喜びで楽しみ
となること、よくわかる気がする。
それを祈って行きます。今日、心が照らし出されて
すっきりしました。感謝です。

Bさんは「自分にとっては子供がいのちだった。
どうしても明け渡せなくて、自分が握っていた。
神様に明け渡そうとするが、どうしてもできない。
それすら、自分の力では出来ないんだなあと実感した。

どん底まで行って、自然に明け渡す事ができた。
明け渡さざるを得ない状態にされて。神様の力だった。
その時から、子供が生き生きと自分の人生を生き始めた。
私も初めて干渉せずに、見守ってやれるようになれた。
本当に感謝で感謝でならない。」

自分にとっていのちとなるものが、それぞれにあっ
て、絶対に放せないと思う。人から見れば、何で
そんなものと思うが、自分にとってはいのちそのもの。
でも、それこそを神様に明け渡した時に、満ち溢れる
喜びが心に来る!!
喜びが心に満ち満ちる。

聖書知識が増し加わることでなくて、明け渡した度合
いで、神様がわかって行く。
握っているものを、明け渡して行けますように。

by 多恵子






2006年03月02日(木)
  「自分次第」

“神様に従うと、自分と相手の良いものを引き出し、
自分の肉に従うと、自分と相手の悪いものを引き
出す”これは法則のよう、生活で経験する。

Aさん「神様を知って、変えられました。職場でも、
チームの中で、ミスがあると、その修正のために
仕事が止まるし、時間が取られて、次の仕事に
ずれ込む。ミスが出ると、ついイライラしてしまう。

でも、自分も試練通して、神様の愛が少しづつ
わかって来て、自分が神様に愛されていると
わかると、人を愛したいと思える。
それで、心が自然に変えられて、それが人がミス
しても、イライラしなくなった。
我慢してるんじゃなくて、ほんとにイライラしない。
不思議だ。すると、職場の空気が全く変わってしま
った。和やかな、暖かい雰囲気になって、仕事が
ものすごくスムーズに行って、やりやすい。」

「相手が、してくれない、してくれないと思っていると、
不満と愚痴の応酬になってしまいますよね。
丁度、知り合いが、「〜してくれなくて、お前は
つまらん」と言うと、もう一方が「あんたもね」と
言った。そして、どちらからも愚痴を聞く事になる。

でも、私がどちらに接しても、どちらもすごく
やさしいんですよぉ」

「そりゃAさんが、相手を受け入れて、聞いて上げる
から、相手の良さを引き出すんじゃ」

Aさん「すごく教えられる。それでもまだ他人はワン
クッションあって、気を遣ったりがあるが、家族
だと甘えが出て、神様知る以前は、もう相手の
言葉にカチン!ときたり、ムッ!と来るとすぐ言
い返して、喧嘩になってた。

神様信じたが、まだよく神様の事がわからない
時は、言い返すのはよくないとわかるから、
言い返しはしないが、腹の中で、クソッー!と
腹を立て、根に持ち、恨みつらみを貯めていた。
だから、必ず定期的に爆発していた(笑)

でも、今は変えられて、悪く思えない。イライラ
もしなくなって、ほんとに不思議。
『ほうじゃねえ』『ああ、そうなんじゃ』と聞いてやると
相手はそれで気が済むのか、次の対応が肯定的
前向きに変わっている。

神様ですよね!イラ立ちで対応すると、相手の
イラ立ちを引き出し、受け止めて対応すると、
相手もやさしく反応してくる。」

相手の良いものを引き出すのも、悪いものを引き
出すのも自分だ。心を御霊に支配されていたい。

by多恵子


2006年03月01日(水)
  「信仰の思春期」

子供の信仰から大人の信仰へと移行して行く、
思春期の、あれこれを話していた。

Aちゃん「子供の頃は素直に信じてる。親がいる
ように、神様はいる。神様がいるのが当たり前。
何の疑問も感じない。

ところが、思春期になると、神様は太陽でいて、
という感じ。遠くで、あったかく見守っていて。
自分は好きな事がしたいから、干渉しないで、
近寄って来ないで。でも、見守っていては欲しい。
だから、遠くにいて、あったかく見守っていて」

「皆、そんな感じじゃないかな。自分が子供から
大人の信仰へと移行して行けたのは、神様に
“求め”て行ったからかな。ほんと、求めに必ず、
絶対に答えて下さいますね」

「普通に生活して行けるし、何だか、別に、神様
無しでも生活して行けてしまうから、その“求め”
が無いんだよね」

Bさん「私は大人で、大人になってから信仰持った
けれど、それ、私も同じ部分がある。すごくわかる!
遠くから見守っていて欲しくて、自分は、自分の好
きな事をしていたい(笑)思い通りにしていたから、
あれこれ言われたく無い、これが肉ですよね(笑)」

Cさん「うん、わかる、わかる。その太陽、すごい
ピッタリの例えじゃわ」(笑)

「神様が“喜びで楽しみ”までは行かないし、それほど
まで、まだ神様の事よくわからないし、何だか、現実
生活、神様なくても、生きて行けるし、そんなに必要
が無いんでしょうね」

若い友人のFちゃん「私はクリスチャンホームで生ま
れて、小さい時は、親に連れられて教会へ来て、教
会で皆と遊んで、単純に楽しかったんですよ。
思春期になって、やっぱり世が新鮮で、世がどんな
のか興味があって、世に行ってしまい、神様から
離れたんです。でも、小さい時に神様を知っていると、
必ず帰りますから、いっさい何も言わないで、見守る
ことが一番ですよ。
あんな時は、どうして欲しいかというと、黙って、見
守っていて欲しいんですよね。」

Jさん「行かないと、親に怒られるし、親とごちゃご
ちゃもめるのが、もううざいから、それがうっとうし
くて教会へ行っていた。
でも、身体だけ行っていて、心は全く神様に無かった。
でも、必ず神様に帰りますよ。一度知っていると、こ
の世に満足出来ない。やっぱり虚しくなって神様
求めました」

一世クリスチャンには、生まれた時から、神がいるのが
当然など、何と恵まれた、幸せな境遇なんだろうと思う
が、二世には二世なりの試練があるんだ。
子供から大人のかけ橋にイエス様がおられて、橋を渡
して下さることに感謝。

by 多恵子