2006年05月26日(金)
  「答えられた祈り」

以前、試練に次ぐ試練。厳しい試練が立て続けに
臨んだ婦人達がいた。

Aさん「神様に大声で力一杯叫ぶんですよ。神様あ〜!ほんまに
わかっとってんかあ〜!ほんまに、ちゃんと見てくれとってんかあ〜!こんなの感謝せいと言われても、感謝なんかでき〜ん!」

いつも皆で、重荷を負い合って、一緒に祈った。
心の内をあるがまま、正直に祈った。

Bさんと定期的に問題のある方の訪問に行っていた。
行く前に一緒に祈る。だいたい普通、「今から訪問出来る事を感謝します・・」と祈るが、

Bさん「神様、私は感謝できません。行きたくありません。でも、神様が行けと言われるので、神様に従って行きます。祝福して下さい。用いて下さい」
いつも素晴らしく祝福されて、神様は用いて下さった。
神様は正直な祈りを、喜んでおられることを感じた。

Cさんが特別集会の時に、前で、証しをしてくれた。
何の希望も持てず、真っ暗な、悲しい、苦しい歩みの中でイエス様に出会い、救われた。
教会へのきっかけは、病院でたまたま横にいて、知り合ったKさんがクリスチャンで、教会へ連れて来てくれた。それで、救われた。

証しの中で「私はKさんが大っ嫌い!でした。Kさんが余りにも幸せそうで、何もかもに恵まれてて、私は惨めで、哀しくて、Kさんが羨ましくて、妬ましくて、憎らしくて、大嫌いだっ・・」

集会に少し遅れたKさんが、丁度、「大っ嫌いだった」と証している最中に、その本人が入って来たのだ。
後でKさん「私の目の前で、面と向かって、大っ嫌いじゃ言うた」と皆で大笑い。率直で、何でも言える交わりだった。

Tさんが教会へ来てくれた。重い生い立ちや背景を抱えていた。
ちょっと教会の連絡事項があって、Sさんが、そのTさんに電話連絡してくれた。
丸っきりの初対面。全然知らない、初めての仲。その初めての
電話で、Sさんが、どんどんどんどん自分の事を喋った。自分の事家の事、大変な悩みや問題を赤裸々に喋り出した。

Tさんはびっくりして、「え!ちょっと待って!初対面の私が、そんな事聞いていいの?私に言っていいの?」とさえぎった。
するとSさんが、きょとんとした様子で、「え?教会では何を言ってもいいんだよ」と、自分の事を話した。

Sさんは初めてだった。誰にも自分の事を話した事が無かった。
それを聞いて、でも、嬉しかった。それから、Sさんも今まで誰
にも、どんな親しい友達にも、話した事のない悩みや問題を
話し出した。
一つ一つを具体的に皆で祈り、ことごとく祈りの答えを、沢山
の奇跡を見た。

正直な祈りに、もろに答えて下さる、神様を知って行った。

by 多恵子


2006年05月25日(木)
  「試練は痛いが・・」

昨日、Aさんと話していた。
「イエス様を信じても、最初の頃って、何だかよくわからない
ですよねえ。
信じているし、天国へも行けるが、自分の力で生きている。
神様、全然嫌じゃないし、御言葉聞くことも、全然嫌じゃないけど、それはそれ、これはこれって感じで、神様、全然関係なく生きてる。

日常生活に関係ないんですよ。自分でやって行けてしまうし、
別に、楽しいし、何ら問題無いと、それはそれ、これはこれで
ずうっと行ってしまいますよねえ(笑)」

「子供でつまづいたのが良かったんだ」
「そう、やっぱり行き詰まる事で神様求めて祈りましたねえ。それまで、神様頼る事がまず無かった。
子供の問題で、自分でどうする事も出来ず、頼って祈って、最終的に神様に委ねた。すると、ほんとに思いを越えて良くして下さって、最善に導かれた。あれが初めての経験だった。
振り返ると、あのつまづきが感謝だった。あれが無ければ、今も頭の神様で、全然離れて生活していた」

Bさんも「神様信じてるし、天国も行けるけど、何か頭の感じで、そんなに実感ないし、そこそこ、この世で楽しくやって行けるし、何の問題もないと、求める必要がなくて、やって行けてしまう。
神様を知れたのは、やっぱり試練通して。痛いけど、苦しい
けれど、もう神様を必死で求める。試練が無かったら、今もそこそこのままだったと思う」(笑)

Cさん「一時期、神様離れてたけど、もう行ったきりで、その
時は、神様の事など全く頭に無い。全くの神様無しで生活してる。それなりにやって行けるし、自分の力で生きて行きたいと思ってる。」「何で、帰れたのか?」

「行き詰まったから。自分の力ではどうしようもない問題が
立ちはだかったから」「それが無かったら、そのまま行ってた?」「ええ、そのまま行ってたでしょうね」(笑)

皆が皆、試練で、神様のもとに立ち返れて、頭の信仰が
試練によって、膚の信仰、実際を伴う信仰に入れられたと。

人間って、必要が無いと、求めが無い。求める必要が無い。
お腹がすいておらず、満腹のところへ、幾ら最上のご馳走
があっても食べられない。

試練は非常に痛いけれど、感謝で、振り返って、神様に一番近い時となる。

「神を求める人はいない」ローマ3:11

ほんと、人間て、放っておかれたら、神を求めないんだなあ。
自分で生きて行く。

「おのおの自分かってな道に向かって行った」イザヤ53:6

試練で、強固な自我の殻が砕かれて、恵みの中に入れられて
神様を知って行く。試練は痛くて辛くて苦しいが、神様を求める時、神様を知れる時、感謝。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました」詩篇119:71

by 多恵子

2006年05月24日(水)
  「突然に」

遠方の友人からメール。

いつも祈り続けている家族の救い。
突然、お姉様の救いの日がやって来たと。

・・少しづつ、神様に向きかけていた姉の心が、
ネガティブになり、神様に対して、そっぽを向いて
いきそうな雰囲気だった。
私は、遠慮がちに救いについて話してきていた
が、姉は"もう少ししたら"と渋っていた。

"もう少ししたら"と言われると、いつも何も言えなく
なっていたのに、その日ばかりは、自分でも驚くほど
神様に導かれて、言葉が口をついて出た。

心の準備が出来たらと言っている内は、その日は
来ない事、神様が姉を愛してやまず、救いたいと
願っておられる、その御手に飛び込む決心は、姉
自身がしなくてはいけない事。

神様の御手には、姉の悩みに対しての全ての解決
がある事、私が信用ならない人間だとしても、それ
だけは真実である事。
私たちの罪がそれを受ける事を、阻んでいるからこそ
赦しを願い、イエス様を救い主として受け入れる事
でそこまで歩いていける事・・・などなどが
気持ちとは裏腹にどんどん口から出て来た。・・

「その日に姉は救われました。姉の気持ちを量り
つつ、又、嫌われたくない思いもあり、救いを語るのを
躇していました。
でも、ただ口に言葉が与えられたという、表現がぴったり
なほどに言葉が口をついて出てきました。

私にはなんの用意がなくても、神様はその時必要を
備えられ、それはその者の能力にはよらないのだと、
しみじみと感じました。」

お姉様の救いのみわざを聞き、救いは奇跡であり、
御霊の働きであり、「神の時」がある事を見せられて、
恵まれた。

私も経験した。救われて以来、同居の祖母にずっと
証ししたり、教会へも誘い、来てくれていた。
「はい、はい」と孫の言う事と、喜んで笑顔で幾らでも
聞いてくれるが、心には入ってないのがわかる。

長年の偶像礼拝もあり、礼拝で十字架の話になると、
必ず眠ってしまい、サタンの強い妨害も感じていた。

とにかく日々に祈り続けていた。そんなこんなで10年も
経た頃、祖母と雑談していて、突然神様の話になった
時、心に入って行くのでびっくりした。御言葉が心に入っ
て行くのがわかる。

耳を傾けて聞いてくれて、御霊が働いておられるのを
もろに感じた。その場で、福音を語ると、「信じる」と
言った。
丁度翌日、特別伝道集会で、何も言わないのに、
招きで、「今日信じたい人前に来て下さい」の招きに
自分から前に出た。

あれだけ、心に入らなかったのに、突然の事でただただ
驚き、感謝、感謝だった。

父の救いの日もそうだった。前日まで、救いはあり得ない
と言っていたのに、突然、心が変えられた。

御霊が力強く働かれる「神の時」があり、それが「突然」来る
事があり、どんな時も決して失望しないで、家族のために
祈り続ける事が大切だと、つくづく改めて感じさせられた。

by 多恵子



2006年05月23日(火)
  「静かにすれば、救われ」

何かある時、何があっても、まず祈る!ことが大事と、皆で話して
いると、

Dさん「あったんですよ!この間。失敗したんです。
職場で、関係先機関に、検査を依頼するが、その間の、数時間
の待ち時間が、仕事にならないんですよぉ。

いつも時間がえらくかかって、もう少しだけでも何とかならないかと、
この間、人手不足で時間がかかるのも十分理解できるし、よく
やってもらってるが、もう少し時間を短縮出来ないものだろうかと、
相談を持ちかけた。

こちらとしても、文句や不満を言ってるわけでなく、相談という形で、
柔らかく持ちかけたんですよ。それなのに、相手は逆ギレ。

責められたと思ったのか、怒って、こちらへの不満、文句をぶつけて
来て、攻撃して来た。

こちらも気分を害してしまって、いけないと思いつつ、同僚達に
うっぷんを晴らしてしまった。
すると、悪い思いは伝染させてしまうんですよねえ。
普段からの、その関係先への思いもあるものだから、悪口
になってしまって。自分が、肉に蒔いてしまったなあと。
ものすごく反省させられた。

まず神様に祈ることが大切だなあと。自分の感情と思いで
行動すると、大失敗。周囲に害毒をまき散らしてしまう。

とにかく、まず静まること、自分の思いで動かないこと、
でも、ちょっと静まると、神様を意識する時間が出来るから
冷静になれるんですよぉ。肝に銘じて、まず静まること!!」

“「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、
信頼すれば、あなたがたは力を得る」

しかし、あなたがたはこれを望まなかった。あなたがたは言った。
「いや、私たちは馬に乗って逃げよう」

それなら、あなたがたは逃げてみよ。「私たちは早馬に乗って」
それなら、あなたがたの追っ手はなお速い”イザヤ30:15

何か、この御言葉の通り、そのままだ。

「ほんと、自分で立ち回って、逃げまくって。静まらないよねえ」
by 多恵子

2006年05月22日(月)
  「ひとりを呼び出し」

遠方のBさんから手紙が。
「母が聖書を読んでいます。感謝です。救われるよう祈って下さい」

Bさんは、14,5年前に、日本にいた時に、私達の教会の日本人集会に来会。ずっと主に在る素晴らしい交わりを与えられて来た。

実家はお寺。ご両親はお寺の住職さんだった。
「実家に帰った時は、場所が無いから、いつもお寺の本堂で寝るんですよ」と、話していた。(^^)

皆で家族の救いをいつも祈るが、Bさんも、住職のご両親の救いをずっと熱心に祈り続けていた。

お父様が危篤との突然の連絡に、海外から取り急ぎ帰国した。
祈りの要請の電話があり、こちらでも祈っていた。
とにかく、福音をお伝え出来るように、証しできるように。

Bさんはお父様の危篤と同時に、身も心も裂かれるような大試練が臨んだ。その試練を抱えての、もう考えられない状況だった。

しかし、試練はあるが、その試練のまっただ中で、主は心に平安を与えて下さって、お父様に向き合えるように助け、支えされた。
ずっとそばにいて、しみじみと子供の頃の話や思い出話や、色々な話ができて、父娘の心通い合う時とされた。
父娘でこんなにゆっくりと、しみじみと、いろんな事を話すのは初めてだったと。素晴らしい恵みの時とされた。

「聖書の神様のお話をしてもいい?」と聞くと、住職のお父様が、「ああ、いいよ」と承諾、受け止めて下さった。
平安の中で福音を語れたと。よく聞いて下さって、「すぐに信じるとは言えないが」と、しかし一緒に祈る事も、承諾され、祈れた。立場もあられ、そうだろうと。

御言葉の種が、はっきり蒔かれた。その後、亡くなられたが、神様にお委ねできた。

Bさんは帰省の度に、証しし続けて来た。前回は、御霊様の強い導きを感じて、御霊の導きの中で、福音が語れて、お母様は耳を傾けてよく聞いて下さった。
そして、今は、ご自分で聖書を読まれている。牧師先生が、時々
訪問して下さっている。
お母様も以前は住職をしておられた。神様のみわざだ。神様は、
祈りに答えて働いて下さる。

私の両親も、いまわの際に救って下さった。天国へ入れて下さった。奇跡のみわざだった。

「あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えよみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを」イザヤ51:2

ひとりで良いんだ。ひとりが救われて、そこから家族へ、救いが
伝わって行く。神様の祝福が長い長い時間の祈りをかけて、家族に浸透するように及び、家族を救って下さることを信じている。

by 多恵子



2006年05月21日(日)
  「良い贈り物は上から」

夜の地区集会にAちゃんが、顔を見せてくれた。
もう数日後に、海外転勤でお別れだ。

しばらく会えなかったが、ご主人のために一緒に
アメリカ人集会に出席していたので安心していた。

しばらく来れなくて、バタバタバタバタして、もう次から
次と、色々あって〜と、今は病院からの帰りなんです、と。

ええー!と、もうびっくり。「早く、帰って休んで休んで」
「はい、顔、見に寄ったんです。来週来ますからー!」と。
でも、何だか元気そうだったので、感謝だった。
神様の守りが豊かにあり、心身共に癒され、回復与
えられるようにと祈る。

Aちゃんとは、共通の友人を持つ間柄。
数年前、突然国際電話が入って、初対面で話した。
今度、日本へ転勤になったからと。
初めてだったけど、どうしても誰かと話したくてと、ワーワー
泣いて電話して来て、それが最初の印象深い出会
いだった。

どうしても与えられたい、心の底からの強い願いがあって、
祈りに祈り、求めに求めて、いつしかそれを得たいが
ための神様、信仰、ご利益信仰になってしまっていた。

神様の御心を受け入れ、神様にひれ伏すのでなく、
何が何でも欲しいと、神様の恵みをもぎ取ろうとして
いる、恐ろしい自分の姿に気づかされたと。

その姿を見せられ、涙ながらに悔い改めて、神様、もう
与えられなくてもいいですと、心砕かれ自分を明け渡した。
本当に、もう構わないと思った。神様に委ねた。

すると、その後、その欲しかったものが、神様から与え
られたのだ。自分でもぎ取るのではなく、神様が天
から与えて下さった。
神様のご愛を、身体いっぱいに溢れるばかりに感じて、
嬉しくて嬉しくて心から感謝した。

ほんと、私の願いでなく、みこころがなりますようにと、
神様に明け渡して、委ねるのが最善の道だ。
動機もきよめて下さって、どういう結果であれ、
神様は最善をして下さる。

「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は
上から来るのであって、光を造られた父から下るのです」
ヤコブ1:17

by 多恵子



2006年05月17日(水)
  「優先順位」

「心身疲れてて」と、Dさん。

Dさん「家の事をきちんとしないと、気が済まない。朝から予定
しっかり立てて、夜まで、ダッーとしまくる。
物事を後回しにするのが嫌いで、先に、先にと思ってしまう。
小さい頃から、後回しにせずに、ちゃんとするように、言い続け
られたからだと思う。
家事以外に、対外の色々用があるし、1日しまくると、もう
ヘトヘトのヨレヨレ。それで、主人が帰宅する頃には、横に
なってる(笑)
もう疲れたから、主人は知らん・・ (大笑)疲れるんですよお」

皆との会話。
「昼間寝とって、ご主人帰って来る時に、起きたらええじゃん」
「だめ。だって、する事しないと、気が済まない。でも、主人に
悪いなあと思う。主人も仕事で疲れてそう」

「ご主人、仕事大変よお。男の人は外で、ほんま大変じゃわ」

「そう、疲れてそう。元気ないし」「ご主人の手をしっかり握ったげ
りゃあええわ。手を握って、私のパワーあげる〜!」(大笑)

「そりゃ優先順位がおかしいんじゃ。ご主人優先で、家の事なんて
後回しでええじゃ。」
「ほんとだ!優先順位の問題じゃわ。神様、夫、子供、他の人、
仕事ですよね」
「ほんとだ。優先順位が狂ってますよねえ。どんなに疲れてても
子供には、ほいほい起き出してしてやれるのに(笑)」
「優先順位が狂ってるから、私も夫も満たされないんですねえ」

以前、Eさんの実母さんが倒れた時、びっくりして、即病院へ。
つきっきりで付き添った。当座の事ならいいが、母親思う心から
ずうっと付き添っていた。
すると、家の中がギクシャクして来た。ご主人が不便を我慢して
いるが出て来る。子供達も問題が出て来た。
自分は自分で、母が病気なのだから、家族が我慢してくれてもと
思ってしまう。皆が満たされない。

その時、優先順位が間違っていると神様から示された。親では
なく、夫と子供が優先である事。それに気づかされ、母も看るが
別に母には父がついてる。
夫と子供をまず優先に、心と生活を変えた。すると、不思議に、
夫と子供が気持ち良く協力してくれるようになり、全部が秩序立
った。そして皆が満たされた。

神様の優先順位は大切だ。

Dさん「ほんとだ!夫を優先で、今日から生活を切り替えます!!」
明るく帰って行った。

by 多恵子



2006年05月16日(火)
  「気づき」

心の中に信じる前に培われてる、古い体質、価値観て
強固にあるよねと、交わっていた。

Cさんは、とにかく自分を守ること。自分を守るから、相手
を責めて、自分を正当化する。

「うん、わかる、わかる。事ごとに、相手が悪いにしていれば、
自分を見なくて済むものね。ある、ある。」

「目がふさがってて、相手が悪いとしか思えないし、そうしか
見えないから、それって、神様知らなかったら、一生そうで
すよね。
神様知って、罪やら肉やら、自我がわかって来て、相手
でなく、自分の自我が問題である事に気づき、御心に
従った時、ほんとに心が平安になる。」

「自分が神様に従うと、相手も潤う。良い関係になる。
自分を守ろうとする、自分の弱さが来た時、気づけること
が感謝。」

Fさん「小さい頃から、自分はだめだ、だめだと言われて、
出来ない、出来ないと言われて育った。
だから、自分はだめだと思ってしまう。それだけなら
簡単なんだけど、心の底は、プライドがあるから、自分
にだって出来ると思いたい。
だから、自分で目標を作って、そこに到達しようと必死
で頑張る。もうクタクタになってでもする。(^^;)
でも、これって、幾ら出来ても全然満足は無いし、全く心
満たされない。
これって、古い自分なんですよね。出来る事が良い事
というこの世の価値観があって、それで何とか自分を認
めようとする。人からも認められたい。でも、全く平安は
ない。ただしんどいだけ。プライドのためですよねえ」

「何かする事によって、自分が認められようとする価値観
て根深くあるよね」
「出来ない自分をあるがまま受け入れて下さる、神の無
条件の愛、恵みが、肉は嫌なんだ。拒否するんだ」

「プライドがあって嫌なんですねえ」
Hさん「でも、自分の内側がまずわからないと、気づかない
と、何がどうなってるのか、わからんですよねえ」

「気づけることが感謝ですよねえ」

信仰生活、御霊様が光で照らし出して下さって、
気づきを与えられることが、何より感謝!!

by 多恵子





2006年05月14日(日)
  「心の一新によって変えられている」

「変えられた」話をしていた時、

Bさん「神様知って、聖書の学びしながら、少しづつ変えられ
てる。神様を信じていたら、人が信じられるようになってる。

以前は、人からちょっと批判されたり、欠点を指摘さたり、
ちょっと何か言われると、ものすごく攻撃的態度に出てた。
攻撃的になってしまう」
「自分を守ろうとするんじゃ」「そう。瞬間、ガード張って、
自分を守るんですよね」

「でも、受け止めれるように、変えられた。何か言われ
る度に、カチンと来たり、ムカッと来たりして、相手が敵
みたいに感じて、とにかく自分を守ろうと必死だった。

それって、相手を信頼していないから、否定的にしか
取れないんですよね。
神様信じて、相手を、人を信じれるようになって、すると
不思議だけど、肯定的に、前向きに、受け止めれるよう
になった。すごい変えられたと思う。感謝。

それで、職場でもなんですよぉ。いろんな人がいるじゃない
ですか。能力のある人、無い人、気のつく人、つかない人、
仕事の早い人、遅い人・・。
前はもう、仕事覚えてくれないとイライラし、遅いといら立ち、
間違えると、皆に影響してきて、それが重なると腹が立ち、
もういつもイライラして、すごいストレスだった。

でも、神様知って、一番大切なものがわかった。
仕事が出来る、出来ないじゃないんだ。その人が大切な
んだと思うと、その人の持っている良さが見えるようになった。

仕事は遅いが、その人はほんとに優しい。よく仕事を間違
えるが、人の悪口を決して言わない人、気がつかないが、
あったかい、場を和ませる人、一人一人の良さを見て行く
と、職場の雰囲気が、まるっきり変わった。

和やかになり、暖かくなり、仕事がしやすくなり、結局、
仕事の能率が上がったんですよ。
神様知って、ほんとに感謝で一杯です」

★Bさんは、自分には出来ないが、神様の喜ばれること、
御心と思うことを「意志で」選び取って行った。
意志を向けて、選択して行った。
気持ちが伴わない時もあるが、でも、神様の御心を選び
続けて行った。Bさん、見るからに変えられて行った。
皆で「Bさん、すごいー!」

「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神
に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために
心の一新によって自分を変えなさい」ローマ12:2

日々の生活の中に、じわっ、じわっと、神様が働いて
おられる。感謝。
by 多恵子

2006年05月12日(金)
  「心の傷」

2才の孫が、ちょっと出先で、ハプニングがあって、心に傷を受けて固まって帰って来た。
お母さんの胸に、しがみついて、両手で顔をおおったまま、顔を
埋め、絶対に顔を上げない。いっさい見ようとしない。身体全体が固まっている。
びっくりする。こんな小さな子が心に傷を受けたんだ。子供は
何もわからない、なんてもんじゃない。大間違い。

1,2時間ほどそのまま。そっとしておくしかないかと、皆で、自然体で、そっとしていると、少し当たりの様子を伺い、亀がこうらから首を出すように、少しづつ・・危害が無いようだと、顔を上げて来た。

大好きな、イチゴのケーキが目の前に。少し落ち着いて、大好物
のイチゴケーキを食べ出した。大きな丸ごといちごを、一口で
ほおばろうとした時に「うわっ!」と思わず周りから声が。

すると、その大きな声で、心の傷がフラッシュバックした!!
瞬間、目が一点を見据えたまま、目が固まり、顔が凝固した。
まるで瞬間冷凍のよう。凍りついた、その顔を目撃してしまった。ほんとに傷ついてるんだ。心って深い。かわいそうに。世界が固まってしまった。
食べかけの、大好きないちごケーキも、もう目に入らない。ケーキどころではない。眼中から消えた。

お母さんの胸に、顔を埋めて、凝固態勢。心痛む。
「う〜ん。どうすりゃいいんかねえ」「時しかないか」「時をかけて、癒えるの待つしかないか」「そうじゃねえ」

カウンセラー目指し、勉強中の、娘と話す。
「ねえ、これがもし親から受けた虐待だと、子供ってどうなるん
かねえ。○○ちゃんみたいに、他から傷ついたなら、親のもとで
癒される。親さえいたら大丈夫で、幸せだよね。

これで、同じ事を親から受けたとしたら・・。
自分を守ってくれる、砦のはずの親が、自分を襲って来るわけで。ほんと行き場所の無い、子供はどうなるんだろ。でも今、虐待、多いんだろうね。」
「うん、親から虐待受けると、行き場所がなく、追い詰められて
多重人格になるって習ったよ」

心と身体の創造主である、天のお父様、どうすりゃいいんでしょう?と祈る。

「わたしは主、あなたをいやす者である」出エ15:26
いやす事のできるお父様だ。癒して下さるように祈る。

祈っていると、それだけ心に傷を受けるということは、心に関して敏感なわけで、感受性が強いわけで、じゃあ逆に、愛情もわか
るはずだ。伝わるはずとの思いが来た。

「○○ちゃん好きよ、大好きよ」を言い続けた。ナースリーの間、皆で目一杯力一杯受け止めてやり、教会の皆も、心配してずっと祈ってくれた。祈りは大きな力だ。

次に家であずかった時は、玄関で一瞬、孫はちゅうちょしたが、家に入ると、元気に遊び出した。
その次に来た時は、ニコニコと玄関を入って来た。

少しづつ少しづつ癒され、笑顔が見えた。あれから3週間、もう
別人のよう。ニコニコと同じ席で、自分で食事。踊りまくって、
キャッキャとはしゃぐ。外へ出ると、嬉しそうに、トコトコテケテケと走るは走る、走り回る。

皆が「○○ちゃん、癒されましたねえ。良かったー!」と喜んでくれた。

“わたしは主、あなたをいやす者である”

きゃあ、神様有難う!!神様すごい!!
それにしても、心は深い。

by 多恵子


2006年05月10日(水)
  「め・ぐ・み」

Aさんと話す。
「以前、他教会の方が来られた時、20年目にして初めて
福音がわかった。初めて恵みがわかり、ずっと苦しい苦しい
しんどい、重荷を背負ったクリスチャン生活をしてたと
言われた・・
私も物凄く、いびつなクリスチャン生活だったと、今、気づき
を与えられています。
杓子定規で、かくあるべき、ねばならない・・デボーション持つ
のは御心で、持つべき。
すると、何がなんでも形にはめる。子供が小さくて、起きて
来ようものなら、デボーションが邪魔される、妨害される、
まるで子供がデボを阻む妨害者。受け入れられない。

そんなにまでして、デボーションして、それで、御言葉が1日
とどまって、御言葉で生きているかというと、全く無い。
デボーションはそれはそれ、生活はこれはこれで、分離してて
全く自分で生きている。何の意味もなしていない。

律法そのもので、まさにパリサイ人が祈り、十分の一を献げ
礼拝し、何の落ち度もなく言いつけを行っている、それだと。

愛がない。神様を愛して、何かをするというのが全く無い。
する事が正しいから、どんなにしんどくても正しいから、しなく
てはならない、と思うし、しようと思って来た。

根本的に間違ってる、信仰が何であるかを、何もわかって
いない事に気づいた。」「え、すごい!気づきだ!」

「人を見れば、伝道、伝道と思って来たが、実際のところ
人は非人格の伝道対象者でしかなく、何といびつで、何と
間違ったあり方だったんだろうと。
そうでなくて、内にイエス様がおられるのだから、自然に
していたら、自然にいのちが流れ出て、証しになるはず
ですよねえ。
神様のされる事は、自然であるはずだと、今は肩から
力が抜けるように自然体で、自分はもういっさい何も出来
ません、ただ神様がして下さい、それだけですと、言ってる」

以前ある先生も「イエス様を信じた頃は、それでなくても根
が真面目な私は、信仰生活は修業だと勘違いしていました。」

「比叡山延暦寺ですね」(笑)

Aさん「私もそうです。性格が真面目で、ましてや神様なの
だから、もっと更に真面目でないとと思い、なすべき事はしな
ければ、でも、神様いりません、結構です、自分でしますと、
枝がぶどうの木から離れて、自分で行ってるんですよねえ」

「正しいことをしてるから、わからない、絶対にわからないよ
ねえ」

でも、御霊様は忍耐もって導き、示し、気づきを与えて
下さる。恵みのもとに導いて下さる。

“しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の
下にはいません。
御霊の実は、愛、喜び、平安・・”ガラテヤ5:18

by 多恵子

2006年05月07日(日)
  「気持ちを受け止める」

思春期まっただ中の、子供さんを持つAさん。
ああ言えばこう言うの、まさに反抗期。

子供にも内面の色々な葛藤や悩みがあり、学校へ
行けない悶々の日々を母子共に過ごされた。

受験という、将来の進む方向を決めなければ
ならない大きな節目に差しかかった。

子供の中には、子供の気持ちがあり、堅い意思
があり、普通世間一般とは違う方向を望んだ。

親は学校からも、子供のためだと、世間で言う
普通の道へ行かせるよう言われた。
子供はわからないのだから、親が強制してそう
すべきだと。
後で良かったという事になるのだからと。

それこそが子供を損なって行く。
Aさんが、子供の気持ちにそえるように、皆で
祈っていた。神様がAさんの気持ちにも働いて下
さるように。

Aさんは、子供の気持ちを尊重した。この世の
価値観でなく、世間体でなく、子供の気持ちを
受け止めた。

子供の願う進路に進んだ。それはきっとしっかりと
自分を持って、意志を持って進んで行かなければ
ならない大変な道だ。

今、その道に歩んでいて、事実、「大変だ」と素直
にAさんに言うという。
以前は、自分の気持ちなど言った事のない子供さん。
何か言うと、「うるせえ〜」としか言わなかった。

親が気持ちを受け止めたことで、子供の心が開かれた
んだ。親子の心の通い合いが生まれて。

皆も、温もりの、素晴らしい知らせを聞けて、
心ほっこり。(^^)/

by多恵子

2006年05月04日(木)
  「何を変えるか」

 「神よ。変えることのできるものについて、それを変える
だけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け入れる
だけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできない
ものとを、識別する知恵を与えたまえ。」
   (ラインホルト・ニーバー)

この祈り、そうだなあと思う。皆で話していて、日常生活で、
丁度、真反対してるよね。
自分は絶対に変わりたくないから、相手を変え、周囲を
変えようとする。不毛の戦いを経験する。
自分も変わりたくないのに、周囲は絶対に変わらない。
ますます悪くなって行く。

Aさん「夫婦で予定とか組むじゃないですか。後楽のスケ
ジュールとか組む時も、ちゃんと主人に聞いて、いいという
から立てて行くんですよお。
それが、日が近づいて来ると、たいぎいそうにする。
めんど臭そうに、ぐずぐず言い出すんですよお。それなら
最初から行く言わなければいいのに。こちらも無理に
行こうと思ってないし。

ぐちぐちたいぎそうにされると、こちらも嫌になって来て、
気力が失せて、楽しくなくなる。
そこでいつも、こちらの側にも不満や不平が胸に出て
来る。
相手を変えようとしている事に気づかされて。
何でこうなんだ、もっとこうであればよいのに・・
それは自分の思いであって、自分の思い通りに
相手を型にはめようとしている。

相手を変えるんでなくて、そのまま受け入れようと思えた。
行く段になると、めんど臭いと感じているんだから、
その気持ちをそのまま受け止めて、ぐちぐち言うことを
「ああ、そうじゃねえ」「ほうなんじゃ」と受け止めた。

すると、それで相手はいいみたいで。気が済むみたい。
受け止めると、それで気が癒されるようで、行かないんかと
思うと、そそくさと用意し出す。「よし、行くぞ」と。(笑)

他の事でも、愚痴や煩いや心配事を、「そうなんじゃ」
と受け止めると、それでいいみたいで。
主人は癒されるんですねえ。

こうあって欲しい、こうでない、と相手を変えよう変え
ようとしていた自分が、変えられて感謝です!!(^^;)

すごい真理だ。

by多恵子




2006年05月03日(水)
  「普通は特別」

少し前までお身体しんどかったDさん「普通というのは
有難いですねえ!!!何と有難いことかと思います。
こうやって普通に動けて、集会に来れて、神様の恵み
ですねえ。しみじみと神様を思います」

持病持ちのKさんも「悪化する時は、もうどうにもなら
ずしんどくて、落ち着いた時には、ほんとに感謝で感謝
で、感謝で一杯でつくづくと神様の恵みがわかります」

私も先日、めまいがして、2日間ほど横になっていた。
とにかく、起きれない。めまいと共に吐き気が来て、
気持ちが悪くて、気分の悪いと言ったら。
ほんとに「ダウン」といういう感じで、その時には、もう
身体が起きれるなんて奇跡に思える。
歩けるなどと、どこの世界の事かに思える。
身体は重くて、だるくて、とにかく寝ている事しか
出来ない。

それでも、3日目には、寝たり起きたり出来て、
少しづつ力がついて来て、段々と回復し元に
戻った。普通に起きれること、歩けること、動き回れ
ることが、何と恵みで有難い!!感謝!!

生活している瞬間、瞬間に、ふっと、こうやって
今、動ける事がなんて感謝!!嬉しい!!
ふっと、心からの喜びが湧き上がる。

当たり前でなく、そこに神様を覚えることができて、
神様の恵みに目が行く。

この神様の恵みと祝福と愛を、身をもって知らせる
ために、病を送られたんだと思える。

デボーションで詩篇を読んでいたら、「わたしは岩の
上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう」とあった。

日々の何気ない、平凡な日常に、神様が随所に「岩
の上にできる蜜」を置いて下さっていて、神様の甘い
喜びと祝福がある。目が曇っていたら、見えないし、
心が鈍っていたらわからない。
目の前の事をこなすのに、多忙過ぎても見落として
見えない。

病気をして、普通であることが、岩の上の蜜である
ことがわかり、心から嬉しいー、喜びと感謝が溢れ出る。
普通は特別なんだとわかる。普通の生活に感謝が
しみじみと出て来る。

ということは病気が感謝なわけで、痛みや傷を通してしか
見えないものが、様々あるんだろうな。

by多恵子

2006年05月02日(火)
  「♪我が身になされしみわざを♪」

多動性障害のお子さんと、思いがけずに関わりを与
えられたCさん。
祈って下さい!お祈りお願いします!と神様に祈り
つつ懸命に関わっている。
じっと出来ずに走り回る子供さんを、必死で追いかけ
回る毎日だと。
まだ、小さなお子さんで、一つ動作が出来ると、もう
やったー!ばんざーい!と、ばかりに嬉しくて心から
ほめる。椅子に座れただけで、すごい事なので、ほめる。
一つ一つ出来た事を、心から一生懸命ほめると、
子供もそれは嬉しそうにしていて、意欲が湧くのが
もろにわかる。

「つくづくと、自分の今までの子育てを反省させられ
ました。自分の子供をこれだけほめてやった事がない

全くほめてなど来なかった。出来て当然で、もっと
もっとと、もっと出来ると更に更にと、要求ばかりして
来た。もう、子供に申し訳なくて、申し訳なくて。
よくまあ育ってくれたものだと、神様に感謝で、感謝で」

Aさん自身も、辛く苦しい長期間の病を通った。
どんなにかしんどかった、その病を神様は祈りに答えて
癒して下さった。丁度回復した時に、仕事が与えられた。
それもたまたまその働きの募集があって、普段なら絶対
目にとまらないのに、その時、たまたま目にとまって、
即、採用となった。神様だった。

人のお世話が出来ることが、すごい!神様のみわざ!
本当に神様です。
それが、学生の頃、勉強したのが社会福祉だったん
です。それがまあ、今、役立って。神様は無駄なものを
一つも与えられないんだなと。ずうとパズルがつながる
ように、色々とつながります。

Aさんを慈しんでおられる神様、Aさんになされている
神様のみわざを通して、神様のご愛が見える。周囲もひ
しひしと神様の愛を感じる。

♪わが身になされし みわざをおもえば うたわで
あるべき 主のみめぐみ やさしき めぐみの
もろてをさしのべ ひきあげたまえり ああ主は愛なり♪

Aさんと同じように、自分にもして下さっている神様の
みわざを覚える時、「ああ主は愛なり」。

by 多恵子

2006年05月01日(月)
  「“今”を生きる」

「だから、あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。労苦は
その日その日に、十分あります」マタイ6:34

神様は明日のための心配を一切無用だと言っておられる。
「今日」を生きるようにと。

★今日も、集会の交わりで、ご高齢のA婦人。
体調悪く、しばらくお休みしておられたが、回復されお元気に
出席して下さった。
「私、6回も転んだんです。家の中で。」
「まあ、何ともなくて良かったですねえ」「はい、まあ、神様に
守られました」「もし、外で転んでいたら、けがしてたかも知れ
ませんよねえ」「ええ、確実にけがしてたと思います」

「貧血があり、フラフラしながら、独り暮らしなんですが、
神様がおって下さるから、もうくよくよ思い煩わないんですよ。
経済的にもね、ギリギリなんですが、それもお委ねしてます。
空の鳥を見よ、野の百合を見よ、と言われる神様が、
必要は与えて下さるから、心配しません。」
「朝起きて、感謝じゃねえと思える毎日が感謝でならない
です」

物でなく、富でなく、自分の力でなく、神様の御手に
よって支えられている平安と喜びは、何にも変えられない。

朝、起きた時、喜びが心に湧き上がる。この1日嬉しいなあ
と思える。外からの刺激による喜びでなく、内側から御霊の
喜びがふつふつと湧き上がる。神様を知ってるって、御手に
守られているって、なんて幸せなんだろう。

★別のご高齢の婦人も、お身体強くない、経済的に働かないと
食べて行けない、それも一つの仕事では無理で、二つの
仕事をしておられる。
どれ一つ取ってみても、お身体のこと、経済的なこと、将来
のこと、不安と恐れのどつぼにはまりそう。

しかし、全く、全然思い煩いが無いと言われる。
いつ会っても、感謝で、感謝でとお顔が平安で、喜んでおら
れる。神様が「明日のことは思い煩うな」と言われるから、
思い煩わんのですと。
とにかく、今、身体が守られ、今日元気に過ごせる事を
感謝しておられ、明日以降のことは完全に委ねておられる。

「今日」を、「今」を、感謝して感謝して、「今」を生きて
行きたい。
by 多恵子