2006年06月30日(金) 「痛い時」
信仰生活に様々な試練が臨む。 Aさんから「今、大変な試練にある友人のために祈って下さい」 と祈りのリクエストが来る。 又、人生の折り返し点で、大きな試練に会ったBさんは、祈り も出来なかったが、今、かなり落ち着いて、段々と、神様が教 えようとして下さっている事が見えて来た。今までの信仰を振 り返り、正される恵みの時とされている。 「感謝です。今まで自分の力と強烈な頑張りで歩んで来て、自 分では信仰だと勘違いしていた。 信仰によって歩む事の本来の意味を、神様が教えて下さって、 今からが始まりの感じです。でも、人生の半ばにして気づかせ て下さって感謝でした。こんな挫折や失敗をしなければわから ない、ほんとに自分がどんなに強い者であったかがわかります。 ただただ感謝です。」 Cさんも突然臨んだ試練に、パニックで、動揺と混乱の中を 経過し、今、神様へ信仰を向けて、神がして下さる事を待ち 望んでいる。神様に立ち返れた事が感謝でならないと。 自分の試練の時は、自分がトンネルの中にいるので、真っ暗で 見えないが、試練にある人々と関わっていると、よく見える。 試練のまっただ中にいる時は、とにかく辛くて、苦しくて、 もう痛いばかりなので、願うのは、ただただ問題解決だ。 目の前の痛みをもたらす問題を解決して欲しい。 解決して、取り除いて欲しい。楽になりたい。 しかし、神様は問題解決より、神様との関係を第一に考え ておられるのがわかる。 そこに目を留め、それを問題にしておられるんだと思う。 神様との関係を正したい、神様に焦点を向け、神様の ご愛の中に置きたい。 あるいは、もしかして、自分が間違っているのかも知れない と思わない限り、神様との関係を軌道修正する事はない。 立ち止まらせて、神様との関係を点検し、焦点を神様 に合わせ、自分の内側も照らし出され、神様への信頼 を深めて行って下さる。 痛い時は、神様との関係を深めて下さる恵みの時だ。 by 多恵子
2006年06月23日(金) 「祈りの答え」
教会のAちゃんの神学校卒業式だった。 3年間守られ学びを終え、無事卒業感謝だった。 今から32年前、開拓伝道を始めた時の祈りを 思い出した。 開拓の働きと同時に、一つの祈りがあった。 日々の祈りにしていたのが、小さな働きだけれど、 今から始まる働きの中から伝道者が起こされるように。 これが心からの願いだった。 開拓の小さな集まりでも、この中から、もし伝道者が 起こされるなら、働きが世界へ向けて拡がって行く。 憐れみ深い神様は、見事に祈りに答えて下さった。 4人の伝道者を起こして下さって、三原とカンボジア に、そして、Aちゃんはこれから伴侶の遣わされた先で 魂のために、働くことになる。 開拓始めた頃の事を思い、感謝が溢れた。 オープニング集会は私達夫婦と母教会からの応援 に駆けつけて下さった方と広島で親しくなった青年が 集ってくれて4名の集いだった。 ここから32年間の働きが始まった。 神様は生きておられ、教会は生きていて、いのちがある から必ずその命は膨らんで行き、小さな群れから世界へ 遣わして下さる・・。 働き人が起こされた、祈りの答えに心から感謝した。 広島での働きと共に、思いを越えた恵みも下さった。 岩国基地のすぐそばでも、集会を与えて下さった。 アメリカ人を夫に持つ婦人方が、入れ替わり立ち替わり 集ってくれた。 3年毎に転勤があるので、皆、アメリカに帰ってしまった が、送り出す働きにあずかれて感謝だった。 会堂建設で、崖っぷちの切迫感の中で、24時間連鎖 祈祷をしようと、全員で祈りの時間分担。その時、アメリ カの婦人方が分担して、夜、私達が寝ている間の時間を、 受け持ってくれた。 まさに、24時間連鎖祈祷が実現し、見事その祈りが答 えられた!! 祈りは答えられる! 数え切れない沢山の祈りが答えられて来た。 改めて、祈りに答えて下さる、真実な神様を覚えた。 by 多恵子
2006年06月18日(日) 「力尽きる時」
語らいの中で、A婦人が 「試練が来て、ほんとに自分の力でどうしようも出来ない ところまで行って、初めて明け渡せますねえ、と。 ほんと、どん底まで行かないと、委ねられない。自分で は委ねようとするんだけど、頭では委ねたつもりなんだけ ど、委ねていない。 目の前の状況を見ると、もう不安で不安で、落ち込む。 委ねなきゃと思い、でも、出来なくて、状況を見てしまい、 しかし、これではいけないと、又、委ねなきゃと思う。 そんな繰り返しの中で、もうどんどん状況は悪い方へ傾き、 心は、思い煩いと不安と恐れで、真っ暗。 ほんとに、疲れ果て、どうにも出来なくなって、ギブアップ した時に、自然に委ねる事が出来た。 あんなに委ねよう、委ねようとして、どうしても委ねられなか ったのに。 どん底へ行った時に、明け渡せた。あの事、この事、一つ 一つの事に、全く同じところを通された。 明け渡した後は、もう全く平安。どのようになろうと、どう 進もうと、目の前の事態を受け入れられる。一見マイナス 方向に進もうと、神様は必ず良くして下さると、信じれる。 まるで、使用前、使用後のように心が変えられる。 この信じれるというのが、すごいですよねえ。以前は信じ られなかった。試練の中で、愛されているとわかるのも、 感謝ですよねえ。」 ★放蕩息子は、何もかも使い果たして、食べるのに困った。 困ったので、ある人のところへ行った。その人から豚の番人 の仕事が与えられた。 困ったぐらいでは、神様に立ち返れず、自分の力で何とか しようとする。まだまだ自分の力がある。それで、策を講じて ある人のところへ身を寄せる。 しかし、豚の番人をし、その豚のえさを食べたいと思った が、それすら与えられず、もう絶体絶命になった。 その時に、我に返り、神に立ち返ろうと思った。 中途半端では、まだまだ自分の力に頼り、どん底へ行か ないと立ち返れない。 どん底は感謝だ。神様にすべてを明け渡す事が出来る。 恵みの場所だ。 自分の力が尽きた時、恵みが初めて見えて来る。 いつも、自分の力の尽きた時だ。 by 多恵子
2006年06月16日(金) 「同じ状況で」
遠方の親友より、久し振りの嬉しい便りが届く。 近況が色々記されている。 「子供の就職活動を通し、自分自身の信仰も試され ています。」 教会のA婦人が、就職活動は「シュウカツ」と言うんで すよ、と教えてくれる。シュウカツは大変なんだ。 何度も何度も落ちて普通で、その度に、親子で落ち込 むと。そのAさんも親子で、その試練を通り、現状見れ ば落ち込み、神様見ると引き上げられ、その繰り返し を通して、結局、子供にとって一番ふさわしい先が 与えられた。 「ああ、信じとけば良かった。神様に申し訳ない」と。 「幾つも受けるが、落ちる度に、ガッカリし、親の方も その度に心騒がせ、心配し、落ち込み・・、そして、 神様のもとへ行くと、平安になり、また、目に見える ところを、現実を見ると、ガッカリし、思い煩い・・ また、神様のところへ行くと、そうだ、と平安になる。 この繰り返しで、いい加減、胃も痛くなってきて、 もう親もこんなでいいのかと(笑) 神様を見て、信仰に立っていると、大丈夫と思え、 平安になり、信仰的に、前向きに、肯定的になり、 沢山の恵みや感謝が見えて、自分も恵まれ、子供も 励ませる。 しかし、状況と現実と子供を見ると、不安と焦りで つい子供に口出しし、要らぬ事を言い、子供にプレッ シャーをかけてしまい、後悔と反省。」 これって、状況が変わったから、反応が変わるので 無くて、全く同じ状況で、全く正反対の反応。明暗 くっきりだ。 目に見えるところ、状況を見ると、不安と焦りの「不 信仰」へ。神様と御言葉と祈りに立てば、平安と恵み と感謝の「信仰」へ。 結局、自分がどちらを選択するかだ。その結実が後に ついて来る。見えるところか、御言葉か。 信仰生活、すべての場合において、いつもこの通りだ。 「確かに、私たちは見るところによってではなく、 信仰によって歩んでいます」Uコリント5:7 by 多恵子
2006年06月15日(木) 「山あり谷あり」
更年期障害で大変なAさんやBさん、ほてり、のぼせ、だるさ、 不定愁訴、情緒不安定になり、気持ちが落ち込むと。 Aさん「私、ほんとに救われてるんだろうかと」「へ?」 「でも、聖書読んで、祈ってたら、神の子だと言って下さるし、 いのちを与えていると言って下さって、やっぱり救われてるん だなあと」 「うん、うん、救われてる、救われてる!更年期!更年期!」 Aさん「今は湧き上がる気力なくて、死んでるような感じなん ですが、でも、御言葉も読めて、すると、荒野に水をわき出 させ、荒地に川を流す、新たにすると、色々な箇所から語 られて、希望が持ててます」 Bさん「私の更年期と子供の思春期が重なって、もうぐちゃ ぐちゃと、わけわからん(笑)私も、ついイライラして、もう腹 が立って来て、言わんでもいい事、口走ってしまうし。 険悪ムードの中、子供も悪かったと思ったのか、子供が謝 って来て、又すぐ元に戻るんだけど、そう思ってると知った だけでも慰められて。祈れるから、神様知ってて避け所です」 Cさんが更年期の時、気持ちが落ち込んで落ち込んで、 底知れぬ寂しさと暗さと、わけもなく悲しくて、どお〜っと 深い渕に沈むようだったと。でも、必ず通り抜けるから、通り 過ぎると、パッと突然世界が開けたように、光が射し込んで、 あ、抜けたとわかったと。 突如の試練が臨んだDさん、極度の不安と恐れに襲われ、 苦しくて、苦しくて、許容量オーバーで、涙が溢れて。 でも、「その人は倒れてもまっさかさまに倒れはしない。主が その手をささえておられるからだ」詩篇37:24 神様に立ち返り、すべてを明け渡して、御前に近づき、 祈った時、心に平安を与えて下さった。 状況に関わらず、主の平安を下さった。 信仰人生、山あり谷あり、良い時も悪い時も通る。 「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっか りやりなさい」Uテモテ3:2 のごとく、良い時も、悪い時も、一つ一つの事態が、すべて 神様から来ているから、しっかりそのときどきを生きて行き なさい、だ。山も谷も感謝。 一つも無駄なく、どんな小さな出来事の中にも、神様が教え ようとされている事がある。それがわかった時、神様のお心 に触れて喜びに満ちる。 by 多恵子
2006年06月13日(火) 「打ち傷」
神様に正直に祈ることについて話していた。 Aさん「もう、気持ちをすべて神様に告げてます! 出来ません!無理です!嫌です!ありのままの 気持ち全部告げる事によって、すごい解き放たれ ました。だって、出来ないんだもん。 それを、ありのまま告げる時、ほんとに気持ちが 楽になって、自由にされて、心に喜びが来ます。 それまで、神様の前で、良い人だったんです。 頭では、教理ではわかっているのに、神様の前で 自分を隠す、自分できれいになってから、御前に 出なくちゃと思う。 こんな汚い、醜い姿見せられないと。頭ではわかっ ているのに、どうしても、そうなんですよねえ」 「今まで培われた根深い世の価値観だ。良い子 は良くて、悪い子はだめ。受け入れられるには、 良い子でないといけない。 良い子になるよう頑張れと、お尻叩かれ叱咤激励 される。良い子になるようひたすら頑張る。疲れ果て る。平安も喜びも何もない。」 無条件の愛って、わからない。この世には無い。 聞いた事も見た事も、心に浮かんだ事もない。 まさにTコリント2:9だ。イエス様のゆえに、このまま で受け入れられ、愛されている事がなかなかわか らない。頭ではそうなんだけど。 世の価値観と相反するし。 親友が「神様!いじわるする姑、辛くて辛くて、もう耐え られない。憎らしいです。殺したいです!」と神様の前に 叫んだ時、心が180度変えられた。 姑に対する愛が、いとおしむ気持ちが、湧き上がり、溢 れて来て、「その足でスタスタと姑の部屋へ行ってるんよ。 それで姑を慈しむ気持ちで一杯なんよ。ものすごくいい 交わり与えられて、何かもうびっくり!ほんと私じゃない、 神様なんよ。私は恐ろしい罪人、でも神様がおられる から、ほんとに嬉しい。心に喜び一杯」 こうごうしいだけの神様なら、とてもじゃないが近づけない。 でも、あの十字架で、血まみれなって、身も心も裂かれ て、ぼろぼろになって下さった御子がおられる。 辱めを受け、つばきされ、打たれ、苦しめられ、しいたげ られ、砕かれ尽くされたイエス様が、心のドロドロを、何 もかも受け止めていて下さる。 イエス様が十字架で打たれて下さったので、その打ち傷 で癒される。 見た事も、聞いた事も、心に浮かんだ事もない愛に、 今も包まれている。 「・・キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされ たのです」Tペテロ2:24 by 多恵子
2006年06月11日(日) 「心配ない」
交わり恵まれる。 ご高齢のAさん、年金生活で、余裕がない。 お身体も不調の時はずっと横になっておられる状態。 「でも、夏季献金を、どうしても神様にお献げしたいと 祈ったんです。無いので、献げるものを与えて下さいと。 すると、不思議に仕事が来たんです!お献げするもの が与えられて、感謝でした。 身体がどうにもならない時は、横になっていて、独り 暮らしなので、誰にも気兼ねもなく、仕事が来た時 には、必要な体力も与えられて。 仕事があっても、身体が不調だと出来ませんし、仕事 も身体も生活の必要も、もうすべて神様頼みです。 老人ホームも費用など聞いていたら、とても無理 です。寝たきりになったら・・とか、思いますが、牧師先生 に「神様がおられるじゃないですか」と言われ、「あ、そう だ」と、我に返り、ほんとに神様がおられるから、どうなろう と、大丈夫だと信じれて。 お委ねしてるので、平安に過ごせて、感謝ばかりです。」 ご高齢で、お独り暮らしで、お身体も不調であら れたり、ただ神様に頼っておられる姿を通して、この 御言葉を絵に描いて下さっているよう。 “空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、 倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの 天の父がこれを養っていてくださるのです” マタイ6:24 Bさんも「それが感謝だったんです!うちもねえ、ちょっと 今大変で、子供の学費免除の書類を出していたんで すが、通って、有難いです。神様が備えて下さってるん だなあと。何も心配ないなあと」 “心配するのはやめなさい・・天の父は、それがみな あなたがたに必要であることを知っておられます”6:31 物質的必要も、霊的必要もすべて、天の御父が知って いて下さる。 by 多恵子
2006年06月09日(金) 「危急の事態」
いつも祈っている、Aさんのご主人が、突然リストラになった。 養う家族があり、状況だけ見るなら、大パニックだ。 いっさい給料ストップするし、保障もすべて無くなってしまう。 絶対神様は良くして下さること、信じて、祈って、見上げ て行きますと。 今までリストラになった兄姉方に何度か会った。 Bさんは集会で恵まれて恵まれて、自分を献げて生涯 従って行きたいと、献身した。その献身の直後、ご主人 がリストラになった。 「え?私が献身したから、リストラになったのか?」と思わず 思った。でも、そうじゃなくて、神様は予めこのリストラの 大試練をご存じで、私に献身の恵みを与えて下さった事 がわかったと。 なかなか次の職が無かった。けれど、その間も生活を切り 詰め、節約して、心が全く平安だった。不思議に思い煩 いが無く、神様は絶対に養って下さる、必要与えて下さる と信じれた。 自分が平安なので、主人も焦りや不安から守られ、祈り 続ける中、蓄えが尽きる前に次の仕事が与えられた。 この平安を与えようと、すべてを献げさせて下さったと、 神様のご愛を感じた。 Cさんは、貯えも無いまま、仕事を失った。当座の生活 にも困るので、職捜しの間の必要のため、親戚から少し お金を借りようと思った。 職が見つかれば、すぐ返せるし、親戚は喜んで、気持ち良く 貸してくれる事が目に見えていた。 しかし、その時「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。 そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられ ます」マタイ6:33 から、借りるのでなく、神に祈り、神に 頼るよう示された。 そのように神に頼り、祈っていると、不思議な事が起こった。 一人の人が、以前、お金を借りていて、やっとめどがついて 返せるのでと、お金を返済して来たのだ。昔の事で、貸した 事も全く忘れていた。神の真実とご愛を知った。 そして、職が与えられた。 いつも励まされているDさん、高齢でリストラになった時、 「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分の いのちを少しでも延ばすことができますか・・なぜ心配する のですか」マタイ6:27 この御言葉が心にしっかりと入って、心からそうだと思え 心に受け取った時、完全に思い煩いが消えたと。 全く思い煩いが無いのだと。もうそれに周囲が驚愕で 恵まれて、恵まれて。 神は、今日も、生きて働いておられる。 by 多恵子
2006年06月08日(木) 「ちょうどその時」
Aさんが不思議な導きの話をして下さった。 宿泊のためホテルにいたら、変わった人がいて、 カセットに、凄まじい罵りや憎しみの言葉を録音 している。 余りの言葉に、胸が痛くなって、お話出来たらいい なと思った。 すると、朝食の時に、また、出会って、心の中で 祈った。「御霊様が導いておられるなら、近づいて 話せますように」。 「導きならじゃなくて、導いておられるんですけどね。 それで、目の前に行って、ここよろしいですか、と聞 いたんです。すると、『ああ、ええで』と言うので、 目の前に座って、朝食を食べた。それで会話を始め た。 すると、神様の事を話すと、まあ、よく聞いてくれるん ですよ。驚くほど聞いてくれて、その録音は調停中 の事態があって、弁護士に渡すためだったそうなん ですがね。よく聞くと、何か○○組系の人で、小指 が無かったんですけどね。 それで、その人、次の集会に教会に来てくれたんで す。不思議な導きでした」 先週も不思議な導きがあった。 特別集会なので、案内を新聞折り込みにした。それを 見て一人の婦人が来会。 以前から聖書に関心があった。知りたいと思っていた。 すると、丁度新聞に折り込みが入っていた。又、テーマが 「ライオンと魔女」、その本を丁度、以前読んだ事が あって、お話を聞きたいと思った。 仕事中だったが、抜け出て来ましたと。 導きって、神様のタイミングが「丁度」ピッタリなんだ。 以前、Bさんは、その新聞折り込みの案内チラシを 読んで、教会へ来たいと思ったが、日曜が仕事だった。 ずっと来たいと思ったが、行けなかった。そのチラシを 5枚ほど置いています。特伝の度に折り込んだので その度にちゃんと取っていて下さったんだ。 そして、リストラになられた。丁度その時、またチラシが 入って、日曜の仕事が無くなったので、来る事ができ ましたと初来会。神様を信じられた。 同じ集会で、平日に婦人の特別集会をした時、 C婦人がチラシを見て来たいと強く思った。でも仕事だ った。しかし、その日、丁度電車のストになり、仕事が 休みになった。それで来れて、その日、救われた。 以後、次々に知り合いを連れて来てくれた。 ナオミとルツがエルサレムに帰ったのが、丁度大麦の 刈り入れの時だった。 ルツが働こくため、落ち穂を拾いに出ると、丁度 ボアズの畑だった。そして、丁度その時、ボアズが やって来た。 「丁度」ピッタリの神様のタイミング、導きを生活の 中で見れる感謝。 by 多恵子
2006年06月07日(水) 「思いに要注意」
サタンの火矢の話になる。 「知らない間に、どお〜と落ち込む」サタンなんじゃ。 思いをどんどん吹き込んで来る。サタンは何でもありで、 ある事、無い事、妄想をかき立てる。白を黒に、黒を白 に歪める。 「確かにそうだ。突然、思いが起こる。吹き込まれるん ですね。ずっと以前の事が、突然来て、思いにどんどん 引き込まれ、そういう事を思う自分が嫌いになる。自分 が嫌になり、どんどん落ち込んで行く。いつも同じパタ ンだ。サタンなんだ」 「祈っている途中で、考え出す。考え込んでしまってて。 え?今、何してたんじゃろ?考えたたのか、祈ってたの か、何してたのか、わからなくなる。神様ごめんなさい、 と言いつつ。数分たつと、また、同じ事してて、心が次 の事に焦って、心ここにあらず、立ってしまってる」 「祈っていたら、どんどん思いが来て、あれしないと、 これしないと、祈ってる場合か。祈ってる場合などでない、 早くしなくちゃと(笑)思いが急く急く」 「祈ってたら、主人の言った事が心に来て、腹が立って 腹が立って、ムカムカして来て、祈りをそこで中断、止 めてしまった。祈りが消えた(笑)祈る前は、平安だっ たのに。祈り出すと、怒り爆発。サタンじゃあ」 「突然思いが来るの、よくわかる。自分は思ってないから、 まさにサタンですよねえ。突然不安材料が吹き込まれ、 思い煩って、暗〜くなって、知らぬ間に落ち込んでる。 自分が反応して行ってるんですよねえ」 「私も思い煩う。どんどんエスカレートして、ああなる、こう なると、結末まで、最悪のシナリオが出来上がってる(笑) でも、絶対そうなったためしが無い。サタンだとよくわかる。 弱い所に来る」 「何時間も思い煩ってて、無駄な時間過ごして、あ、サタン じゃったと気づく。1日終わって気づく時もある。」 「まだ、気づけるだけ良い」(笑) その事、あの事、思いに吹き込まれる、サタンの火矢を、 御霊様によって気づけるように。 by 多恵子
2006年06月05日(月) 「試練と共に恵みが」
神様のわざを見ましたと、Cさん。 突然の非常に厳しい試練が臨み、もう限界オーバー だったCさん。 「週1で、実家の母から必ず電話があるんです。 母には心配かけまいと、もう、いろんな悩みや問題事 は普段から、いっさい言ってないんです。 遠く離れてるし、心配だけかけても可哀想だと思って。 試練の余りの厳しさに許容量オーバーで、もう どうにもできず、母に聞かれた事に、嘘は言えない から、事実をありのまま告げた。 いつもなら、心配するゆえに、何やらかんやら必ず言う 母が、深刻な事態なのに、不思議に何も言わず、 『そうなの』とだけ言った。 ずうっと聞いてくれるので、それで、何だか次々言葉が 出て来て、許容量オーバーだった事もあり、結局全部話 してしまった。何も言わず、聞いてくれた。 そして、何と証しができた。自分には神様がいて、拠り所 があって、聖書があるから、何があっても大丈夫で、心配 無い、どんな中でも生きて行けると。大丈夫だと。 神様の事が話せた。今まで話そうにも、何やかや言って まず聞かないし、話せなかった。それが、ずうっと聞いて くれて、初めてきっちり話すことができた。 聖書を読んでみて、と言うと、母が読むと、言って くれたんですよ!! もう嬉しくて、嬉しくて、感謝で、感謝で、試練の 中で、大きな恵みが与えられました。」 ずっと以前に親友が、辛い、苦しい離婚の危機を通った。 それがずっと祈っていた、彼女のお父さんが、その事を通 して救われたのだった。 「お前がこの苦しみの中で、支えられているのが嬉しい。 わしも信じる」と。長年の祈りが、こんな形で答えられる とは、と、尽きない神様の慈しみとあわれみを、見せられた。 試練と共に、大きな恵みを備えていて下さる。 by 多恵子
2006年06月04日(日) 「光」
先週、灯りの無い、真っ暗な夜道で、段差に気づかず、 転んでしまった。擦り傷と打ち傷で、痛い、痛い。 その夜は「出かける?いる?どっちでも、好きなようにした らいいよ」と言われて、出かける方を選んだのだ。 一瞬、サタンの思いが来る。「外出せずに、とどまってれば 良かったんよ」「そうすれば、けがする事も無かったのに」 そうじゃない!と御霊の思いが来る。「すべての事について 感謝しなさい」、すべての事に神の支配があり、これも感謝、 「感謝」を選ぼうと思えた。 ある人が、とにかく不意の事態、不都合な、マイナスの事態 が起きた時、まず「いいんだ」と思えと。 「いいんだ」と思えて、そして、これが最善、ベストと、思っ た時、心に平安が満ちた。痛いけれど、これはベスト、すると すっかり平安になってしまったから、不思議。 光って、すごい。光の全く無い、暗闇は目の前が見えない。 ほんとに転ぶんだ。 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」 詩篇119:105 ほんとに光が無ければ、歩けない。みことばは光だ。みことば が無ければ、進むことが出来ない。進む道がわからない。 みことばが無ければ、神がわからず、自分の本当の姿がわから ない。みことばに照らし出されて、初めて自分の姿を知る。 歪みや錯覚や、偽りがわかる。 暗闇にいると、すべて順調で、何の問題もない。万事OKだ。 しかし、光線が当たると、暗闇で見えなかったほこりがはっきり 見えるように、光によって心の中の間違い、罪が見える。 「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかも やみの中を歩んでいるなら」Tヨハネ1:6 信仰生活、何の問題も無いと思いながら、闇の中を歩んで いることがある。 照らし出されること、気づけることが、もう愕然!えっー!で あるが、ただただあわれみ、感謝。 「すべての人を照らす・・まことの光」ヨハネ1:9 by 多恵子
2006年06月03日(土) 「砕きは痛いが感謝」
「クリスチャン人生、砕かれるよね」と、交わっていた。 愛の御手だと思う。 振り返って、砕かれ、砕かれて、神様を膚で知って 来たし、それが無かったら、何も、何一つ、神様のこと をわかっていないと思う。 神様は、愛の御声に、従順に従って欲しいと思って おられる。御言葉を聞いて、素直に従えたらどんなに 良いか。 でも、人は強情で、頑固で、自我が強く、自分の 道を行く。 Aさん「そうです!結局のところ、神様に対する畏 れが無いんですよ。神様を甘く見てる。少々は大丈 夫だと、なめてかかってる。」 「主を恐れることを選ばず、わたしの忠告を好まず、 わたしの叱責をことごとく侮ったからである」箴言2:29 生活の中に、色々な事柄が起こって、神様としか 思えないような事態があり、まさに神様から、忠告が 来ているのに、尚も神様を認めず、神様を恐れずに 歩むのは恐い。 ガーンと砕きが来る。神様への聖い恐れが生じる。 昔、出産の時、様々な奉仕が一時お休みとなった。 出産後、そろそろこの学び会やあの奉仕を始めたら 良いかなとの御霊の促しを感じた。 しかし、忙しくてバタバタしていて、ぐずぐずしていた。 始めるとなると、時間的、労力的犠牲が必要となる。 御霊の促しを感じながら、すぐ出来ないで、尚もぐず ぐずしていた。 その時、耳に痛みがあり、段々痛みが強くなり、病院 へ行くと、菌によるものとの事、通院を続けて治ったが、 相当な痛みだった。 その時、わかった。愛の語りかけに応じる事ができない 者のために、砕きが臨み、後押しして下さった事。 即、従えた。痛いとすぐに従う。ほんとに現金だ。 自我の殻は固くて従えない。砕きは感謝。 強情が砕かれて、素直にされて、従うようにされる。 その奉仕を通して、素晴らしい恵みと祝福に あずかれて、大きな喜びを備えて下さっていた。 本当に始める事ができて感謝だった。 神様を畏れて、愛の御声に、促しに即従えたらどんな に良いだろう。そう出来るように。 by 多恵子
2006年06月02日(金) 「弱さを認める」
自分の本当の姿を認める事は難しいと、交わる。 Aちゃん「デボーションがなかなか出来なくて、 形だけはするが、心が立っていて、あれもしなきゃ これもしなきゃ、こんな事してる場合でない(^^;) 御言葉読みながら、心はそわそわ、神様ごめんな さい、と、心が全然伴ってない。 祈り始めて、途中ですぐあれはこうしなくちゃ、 これは、こうしなくちゃと考えてしまってて、え? 私、何してたんだ?祈ってたんだっけ?と。 もう、心がさまよってどうにもならない。 それに、身体はめちゃくちゃ疲れてて、お祈りが、 おいねりになる。ふっと、祈ってる途中で眠りこけ てる(^^;) 神様、ごめんなさい、ごめんなさいと、これまた口先 で言いつつ、同じ事を繰り返している。 だめだ、だめだと、小手先で何とかしようとするが、 身体も疲れ、目の前にこなす事が山積、心が奪われ る。 そんな中、気づかされた。自分の力で何とかしよう、 しようとしていて、自分の弱さ、自分が心底出来ない 者であることを認めようとしない。 自分の弱さを認めたくない、自分がいる。 これが問題だと神様が示して下さった。神様の前 に自分の弱さ、出来ない事を認めた。 すると、不思議に変えられて、それまで“ねばならない” の律法の義務だったのが、“したい”と喜びもって出来る ようになった。」 自分の出来なさ、弱さ、認めない者であることを 神様に告げ、認める時、変えられる。 信仰生活、いつもここだ。 by 多恵子
2006年06月01日(木) 「砕かれる」
遠方のAさんから、電話。朝毎に祈っている姉妹だ。 電話に神様を感じて、とても恵まれた。 祈って欲しい、今、神様の取り扱いの中にあると。 厳しい試練が臨んで、思い煩いと不安、恐れで、心が 苦しくて、苦しくてたまらない。 ご飯も食べられなくなって、心が重苦しく、鬱になりそうな、 状況だった。 以前、親しい友Bさんが、離婚の大きな試練を通った。 後に振り返って、書いた証しがあった。その苦しみが いかばかりか、書かれていた。 食事はおろか、もう何も出来ず、何も考える事すら出来ず、 朝、ベッドで目が覚めて、起き上がる事も出来ず、ひと息、 息をする事がやっとだった。 気力はすべて失せて、ただ、そこにいて、息をするのが やっとだったと。 その証しを読み返した。以前は、自分に経験無い事で よくわからなかった。 でも、今、形は違うが、そのBさんと一緒だった。 それは自分だ。すべて重なった。涙が溢れて、溢れて、 泣きに泣いた。 Aさん「私、砕かれた」。神様からの砕きだと受け止めていた。 しばらく神様から離れていた、今、立ち返らせようとの 神様からの愛だと。 祈っているのに、平安と恐れ不安が、どっと交互に逆巻 いて襲って来る。祈って欲しいと。 そして、その電話の後、来信。 「今日、話していて、神様が私の罪を示して下さいました。 神様に「助けてー」と叫んでいるのに、目を閉じて、この世 にしっかりしがみついている自分の姿が見えました。 神様が御手を広げて、助けようとしてくださっている。 私はただ、しがみついている物を離して、御手を掴めばよか った。神様が引き上げて助けて下さった。 そして神様の翼の下で守られる。私は安心していればよい。 今日一日平安でした。ご飯も食べられました」 神様はご自身に近づけるために、試練を送り、砕いて下さる こと、試練は痛くて辛くて苦しいけれど、真に神を知れること、 神の愛と慈しみの中にどっぷり入れられること、改めて、神様 を思った。 砕かれることはよくわかる。神は私達を砕かれる。後で、必ず 感謝だと思えるが、その時は痛いばかり。 Aさんに続けて豊かな祝福と守り、支えがありますように。 by 多恵子