2006年07月25日(火)
  「いやし」

孫が2才3ヶ月、全国を回っているのが、今週一旦
帰広だった。
なかなか知らない地を巡るので、心が落ち着かず、
情緒不安定で、固まってしまっていた。ちょっと重症で、
かなり心配した。

ママの郷里で少し休養したら、すっかり元気になって、
又、回ることが出来て、今週一旦帰広。
「わたしは主、あなたをいやす者である」出エ15:26の
御言葉の通り、すっかりいやして下さった。

「あっはは、あっははは」と屈託の無い笑い声が絶えず、
心がいやされたんだなあと。神様に感謝。祈ってくれた
皆に感謝。
心をどうにかするって、神様にしか出来ない。人の心を、
人がどうにも出来ない。神様のわざを見、神様をもろに
感じて、感謝が溢れる。いやし主を膚で知り、実感した。

丁度、自分の手に擦り傷をしたところから、菌が入り、その
箇所がただれて来た。痛みは無いが、病院からもらった
薬を塗り続けても、一向に何の変化もなく、ほんとに治る
のか??

全然見えるところは変化無いが、お医者さんの「治って
来てますよ。薬を続けて下さいね」に心がパッと明るくなる。
全然治ってるように見えないが、医者が言うと権威がある。
ひと言葉で、希望が持てて、御言葉じゃないが、不思議。

少しづつ、ほんとに治って来た。
丁度、癒された頃が、周囲に様々な重い事態があり、
この指の癒しが、真に励まし慰めとされた。
このように、様々な事態は、いずれ時が来たら必ずいやさ
れると、心から信じれた。
指の癒しは、心の癒しとなって用いられた。
この癒しを体験できて、傷も与えられたものであり、益
とされたと知った。

神様は無駄なことを一つもされず、起こるすべての出来事
に計画と目的を持っておられる。

by多恵子


2006年07月24日(月)
  「すぐ溺れる」

ペテロの海上歩行のところが話題に。
イエス様のところへ行きたいと願ったペテロを「来なさい」
と招かれた。
ペテロは水の上を、主のもとへと歩いた。風を見た途端、
沈み、「主よ、助けて!」と叫ぶと、すぐに手を伸ばし
つかんで下さった。

イエス様を見ていたら、どんな中でも歩めるが、状況を
見た途端、即、沈む。日常で、いつもいつも経験する
事だ。

するとAさん「私、いつも溺れてる(笑)やっぱり自分の力
でやってるんですよねえ。自分でやって、どうにもならなく
て疲れ果てる時に、初めて神様を呼ぶ。
でも、それまでは、しっかり自力でやってる。力尽きた時
に呼んでる。
そうじゃなくて、最初から神様に頼って、神様と共に
歩めるように祈ります!」

Bさん「わたしも、そう!頭ではわかっているのに、
いつも、何かが起こると、まず自分の力で何とかしようと
する。でも、少しづつ、それが早く気づけるようになっ
た(笑)

すぐパニックになり、不安がどっと来て、思い煩い、
自分が立って、自分が前に出て、自分の知恵、
自分の判断、自分の思いで、動いてしまっている。

それで、どうにもならずに、どんどん落ち込んで行った
時に、「神様!」と叫ぶ。
でも、ほんと、こんな不信仰な者を、すぐに助けて
下さる。そして、船をちゃんと港に導いて下さる。
ちゃんと、御心をして下さる。

何度も何度も、こんな事を繰り返していて、少しづつ
気づけることが感謝。」

すぐイエス様から目を離して、状況を見て、溺れる
けれど、手を伸ばして、助けて下さる。
いつもいつも助けられている。
しっかり、イエス様の伸ばされた御手を感じ、感謝。

by多恵子


2006年07月19日(水)
  「誘惑」

エバの誘惑のところを学んでいた。

エバに、サタンが「神は・・」と、近づいて来た。
神に反対するものなら、一瞬警戒のバリアを張るが
神や御言葉のことなので、警戒心なく、心を許す。

やっぱり、何と言ってもサタンと会話して行ったのが
間違いだとよくわかる。

サタンの火矢を受け入れて、会話をして行くなら、
絶対に負ける。
「それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ」
(箴言4:15)だ。
拒否、拒絶だ。会話をしない。

「『あなたがたが死ぬといけないからだ』と神が言われた」
とエバは言ったが、死なないかもしれないのニュアンスだ。

エバが御言葉に立っていなかったのを見て取った
サタンは、大胆にも、正反対の事を言って来た。
「必ず死ぬ」と言われたのに「あなたがたは決して死に
ません」
9割の真実に1割の嘘なら、見分けにくいが、これは
ストレートな、子供でもわかる大嘘だ。
惑わされて、すでに見分けられなくなっていた。

「あなたがたが神のようになり」神になりたくないかと、
誘惑して来た。自分の思い通りに生き、自分で判断
し、自分の力で生きる。こんな魅力的なことないよ。

その言葉を心に入れて、「そこで女が見ると、その木は
まことに食べるによく・・」
サタンの言葉を心に入れてしまうと、もうそのようにしか
見えない。霊的なものだから、御言葉でない限り、
抗しきれない。

Aさん、「うわっ、まさにこの通りだ。対人関係で、相手
の言葉に、カチンと来た時、御言葉が吹っ飛んで
るから、もうサタンの言う事にどんどん耳を傾けて、
肉がどんどん反応して、ドロドロの泥沼。(笑)

サタンが、肉のプライドにささやきかけて、傷ついた!
次に自己憐憫に来て、自分ばっかり我慢して!
怒りと、さばきと、敵対心が湧き起こる。

まさに、食べるに良く、目に慕わしくの、ごとく
批判に良く、非難に慕わしく・・取って食べてしまって
罪を犯してしまう。サタンだ。」

「サタンと、どんどん会話している事が間違いだ。
反応しまくって、腹が立つ、くそっー、何でよ!
私ばっかし!と」(笑)
罪に引き込まれて行く。

御言葉にしっかり立って、絶えず祈っていないと
知らぬ間に、サタンの会話に引き込まれている。

Aさん「御言葉が大切ですよね。日々の生活の中で
御言葉を反すうしながら、御言葉に心を向けて行き
たい」

by多恵子






2006年07月17日(月)
  「不思議な導き」

時々、聖霊の不思議な力強い導きって、経験する
よねと、交わりで喋り合っていた。
ふと以前の不思議な出来事を思い出した。

結婚して広島へ来る前、独身の時に信仰生活を
送った教会で、とても、お世話になった年配の
婦人がおられた。

私はまだ若い頃で、若い人達と教会学校の奉仕
もしていた。夏休みは、当時クーラーなど無い
猛暑の中で、汗だくになりながら、子供達のた
めの、夏期学校などもしていた。

そんな時、午前中の夏期学校が終わると、
家に呼んで下さって、「私は教会学校のご奉仕
などは出来ないから、この事でご奉仕したい」と、
スタッフ達にお昼を作って、ご馳走して下さった。
暖かい愛情と美味しい食事に、霊肉共に恵まれた
ものだった。

結婚して広島に来たので、もうなかなか会えなく
なった。
帰省も年に1、2回ぐらいで、帰った折りには、
お訪ねしていた。

ある年だった。実家に帰省して、その帰りに、ふと
そのAさん宅をお訪ねしようかとの思いが来た。
しかし、高速に乗るので、Aさん宅は丁度反対方向
になってしまう。

帰って色々する事も山積で、なるべく早く帰りたい。
どうしようかと、迷った。神様、どうでしょう?
どうしましょうか?と祈りつつ。

今日は急ぐし、このまま帰って、次回の帰省時に
お訪ねしたらどうかとの思いが来て、高速に乗る道
に向かった。

近道をしようと、普段と違う道を使って、インターへ。
すると、初めての道なので、突然、方向外進入禁止の
標識が出て来て「え?」 それが、Aさんの家の方向
へ矢印が向いているのだ。

びっくり!祈って走っていたので、これはまさに御霊
の導きと確信。
即、予定変更して、Aさんのお宅を訪ねた。
突然の訪問に、大変喜んで下さって、主に在る恵みの
楽しい交わりの時とされた。

そして、そのすぐ後だった。突然に、Aさんに癌が発覚。
即、手術。術後、面会謝絶で、治療が続行。

落ち着かれた頃に、お見舞いに行こうと思っていたら、
イエス様のもとに帰られたと、突如の連絡を受け取った。

あの日、神様はこれから起こるすべてをご存じで、
最後に会わせて下さったのだと、もう、神様をビン
ビンと感じた。もろなる聖霊の導きだった。

両親も祖母達も天に帰ったが、Aさん共に天で再び
会えるので、慰めがあり、ほんとに主に在ることが
感謝でならない。

by 多恵子

2006年07月16日(日)
  「障害が実は祝福」

夜の8:30から岩国で夜の集会を持っている。
Aさんからお電話があり、今日は来れると。

広島での夕拝が終わり、夜に岩国へ向かう途上で、
山口に入ると、何と突然の大雨。
バケツを、ひっくり返したような、まさにどしゃ降り。

ご年配のAさんは自転車で、集会に来られる予定。
これは自転車では絶対無理。来れないなあと、車の中で。
何とか、神様、雨が止みますようにと、心の中で祈る。

でも、数ヶ月分の雨が一度に降ってるような、凄まじい
どしゃ降り。Aさんの足が何とかなりますように・・。

ノアの洪水のような凄い雨だよねえ〜止むように!と
言いつつ。
そして、到着近くになると、あの大雨が、何と小雨に
なった!! 止んで来た。 うわっ〜神様のみわざ!

すると、その日、雨だったので、Aさんの娘さんが、お母
さんを車に乗せて、一緒に来て下さった!
雨ゆえに、娘さんも来れた。雨だったからこその恵み。

障害、妨害物であった雨が、実は恵みの雨であったのだ。

信仰人生も、今、妨害と障害としか見えない事態が、後に
なると、神様の大きなご計画のもと、実はそれこそが恵みで
あったと、わかるんだろうなあ。

以前岩国で、初めて婦人会で平日にクリスマス特伝をした。
チラシも婦人達で作り、配布も婦人達で、料理も手分け
して豪勢に作り、友人達を招いた。
そして、チラシを通して新来者を祈っていた。

ニュースをよく見てなくて、当日、その日が電車のストと
知った。広島から余裕を持って出たが、出ると車、車の
列で、大渋滞。全然動いていない。人の波が線路を
歩いている。

うわっ、これは、岩国まで、クリスマス集会の時刻までに、
絶対行き着かない。「何で?何で?神様!」と、でもハタ
と考えるに、神様はこの日にストだと予めご存じ、特別集会
をする事もご存じ。絶対何かのご計画がある。

それで、すべての事について感謝、この事態を感謝しながら
岩国まで運転する。祈りながら道を選ぶ。
以前、渋滞の時、高速に入って、それこそ全く身動きが取れ
なかったから、高速に入らず、一般道へ。

祈りながら、感謝しながら、行くと、それが不思議に段々
すいて来て、何と、集会開始少し前に到着!!
神様感謝!!

その日、一人の婦人の新来者があった。チラシを見て来て
下さった。「このチラシを見た時、どうしても行きたいと思った
んです。でも、私は仕事をしているから、無理だと思った。
すると、突然今日、ストのため休みになったんです。」

初めて来るのは勇気がいるだろうに、一人で来られた。
祈りの答えに、皆で大喜び。誘っていたそれぞれの婦人方
のお友達も皆で、祝福と恵みのクリスマス会が持てた。

その婦人はその日、イエス様を信じられて、後にお友達を
次々連れて来て下さった。

目の前の障害、妨害物の背後に、神様の素晴らしいご計画
があること、目の前の障害も受け止めて行くこと、信仰を
もって先を見ることを覚えさせられた。

障害と見えるものが、実は、祝福の原因なんだ。

by 多恵子

2006年07月13日(木)
  「神様の心」

Bさん「家の外回りの修繕がちょっとあったんですが、
それが留守の間に来てて、車や資材やらで、近所にはみ
出て、迷惑になったんです。
何や近所がややこしくて、近所同士あちこちでもめ事多
くて、普段からこちらもいつも忍耐して、ずっと我慢し
てるんですよ。

以前も、近所の工事で、うちの駐車場に無断で車を止
められたり、玄関にはみ出るほどの資材も置かれたり、
でも、色々な事は近所同士お互い様だしと、思っていて。

それで、今回も、あの時もこの時も、こちらも同じ状況
受け入れて、忍耐してるし、これはお互い様、相殺と、
思い込もうとしたんですが、

いいや、それは違うだろうと、神様の思いが来る。
そうだ、それは違うと自分も思い、挨拶に行った。突然
の工事で迷惑かける事を詫びた。すると、相手が日頃の
ことを「すみません」と言われ、びっくりした。一度も
そういう事は無かったので。

迷惑を詫びた後、心がすっきりすごい平安になった。
へりくだる事を教えられ、自分がいかに傲慢であった事
に気づかせられた。

相手がどうのこうのでは全く無く、自分と神様の関係が
すべてだと、また教えられた。
神様と自分が正しい関係にいれば、状況に関係なく、自分
の心は平安であること。
神様の示されるみこころに従って行くことが大切だと、
教えられた。」

Cさん「そうなんよね、そうそう!理屈は合ってて、
五分五分で、理屈は通るんだけど、全然平安が無いん
よね。そんな事、ある、ある。世の基準では別に正し
くて、間違って無いんだけど、神様の御心に照らすと
間違ってる。だから、平安が無いですよね」

善悪で行くと、間違う。正当で、合法で、これでいい
じゃんと。でも、神様の心は違う。一マイルに二マイル
行くんだし、十字架を負って従うんだし。

いつも神様のお心を求めて、従って行けますように。
by 多恵子

2006年07月12日(水)
  「変えられた」

Aさんがしみじみと、
「教会へ来て、ほんとに夫婦が変えられた。学びが感謝だった。」

「最初、学びをずっとしてて、頭ではよくわかるんだけど、
自分にはこれは出来んと、思っていた。
自我があるし、自分が強いから、学びはわかるが、自分は、
出来んと思っていた。

でも、教会へ来て、御言葉を学んでいる内に、不思議に少し
づつ少しづつ、神様に従うようになって行った。不思議です
よね。

そして、絶対出来んと思っていた事なのに、ほんとにちょっ
とづつ、ちょっとづつ実行している自分がいた。
実行して行くと、不思議に、自分が変えられて行くんですねえ。

私、変えられた。学びに来始めた頃と今は、もう全く、全然違う。あの頃、集会で、ずうっと主人の悪口ばかり言ってました
よねえ(大笑)
ずっと愚痴を聞いて貰って、毎回、不平と不満を吐き出してた。

でも、聞いて貰ったら、すっきりして、心新たにされて、さあ
愛そう、頑張ろうと思えて、いつも帰れてた。
今、全然、主人の悪口が口から出ない、無いです。本当に変え
られた。
やっぱり、従うことなんですねえ。従うと、変えられるんです
ねえ。

この間も、ちょっとあって、主人の物の言い方に、ちょっと
ムカッとしてしまった。

その時、自分は努力してるのに、自分を砕いて、夫に仕えて
るし、言葉も配慮して、口から出してて、自分はこんなに頑張
ってるのに、との思いがムクムクと湧き上がって来た。
自分の力でしてるんですよねえ。

自分の高ぶりを示された。この心にあるものを、あらわにする
ために、ムカッとする事を起こされたんだと、わかった。
砕かれたんですよねえ。でも、感謝です。続けて、祈って、
神様に従って行きたいです。」

神様に従って行く時、本当に変えられる。
Aさんに素晴らしい神様のみわざを見る。

by多恵子


2006年07月11日(火)
  「神のご計画」

祈りについて話していたら、
Aさん「自分の願いは願いなさいと言われるが、その願いが
自分の思い通りになるとは限らないし、ならない事も多い
ですよね。でも、私のために最善をして下さるんですよね。

これからも先も、しっかり心して、その最善が、自分の思い
通りではない事も多い、その事も受け止めて行きたいと思
います」

つらつら考えていた。「神の御心が成る」。クリスチャン長
くしていると、いつも聞いているし、全く当たり前の事だけ
ど、ふと、目からうろこに感じた。

生涯、一度たりとも、自分の思いが成る事は決してない。
すべて完全に神の御心が成し遂げられている。
自分の思いが成ったと思うものは、たまたま神の御心と
一致していたからだと。

苦しい事も、辛い事も、悲しい事も、必ずこれからもある。
それが無いことが、クリスチャン人生ではないのだから、
必ず次々とやって来る。
それはどんなに嫌で、痛くても逃れられない。
苦しみでしか、人は学べないよう。苦しみを通って初めて、
人生は、自分の思い通りにならない事を、学ぶのだと。

自分の思い通りにならないことを、何度も何度も思い知
らされて、人は初めて「神の主権、神の支配」を認めて
行くのだと。これが苦しみの答えなのだと。
人は余りにも自己中心なので、自分中心にしか、神も、
世界も見えない。苦しみを通して、初めて神中心に世界
を見て行くのだと。

愛する友人が、夫の不倫により、離婚も通り、想定外の
人生になった。「波瀾万丈だったね」と話すと、何もか
も落ち着いた今、この苦しみを通って「本当に」良かっ
たと思っていると。

驚いた。言語に絶する苦しみだったけれど、この事があ
って良かったと、心から思えると。
今でも、どちらでも選べるとしたら、絶対に通る方を選
ぶと。

自分は本当に高慢だった。それを知らずにいた。苦しみを
通して、それを知らされた。あのまま行っていたら、どん
なに恐ろしい事になっていたかと思う。絶対に嫌だと。

とことん砕かれた。割礼じゃないが、ほんとにもう生皮一枚
剥がされた感じ。通して下さって感謝で、感謝でならない。
初めて、恵みが見えた。恵みなんて全然わからなかった、
知らなかったと。

霊的に光のまっただ中にいる人は、自分の罪しか見えない。
人の罪が見えない。
暗闇にいる人は、人の罪のみ見えて、自分の罪が見えない。

彼女が言った言葉に驚いた。「私が悪かった。私が高慢
だった」「でも、不倫をした相手も悪い」「いいや、私が
罪人、私が悪い、私の罪」と。相手を責める一つの言葉も
無い。ほんとに気高く見えた。

苦しみの中で、神様の支配と主権を認めて行く者に
される。そして、神のご計画を見い出して行く。
砕かれ、へりくだらされ、ますます神の恵みにおお
われる。

by 多恵子



2006年07月10日(月)
  「心の幸せ貯金」

今日は集会があった。
朝出る前、子供が親を惨殺の暗い重いニュースをしていた。

昨日はヤコブ1:14,15を学んだ。「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられ、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます」

サタンが私達の弱い所に誘惑の餌を仕掛けて来る。弱い所なので、餌が来ると乗って食らいつく。その誘惑を拒否しないで、心にどんどん入れるとその誘惑を妊娠させる。
それは心の中で、どんどん成長させ、罪を出産する。その罪を熟させて行くと死を生む。

人は、突然行為に及ぶ事はなく、心の中で思いを妊娠させ、その思いをどんどん増幅させ、熟させて、行為が出産される。

妊娠したなら、必ず子供が産み出されるように、思いを妊娠させて行くと、罪の行為が産み出される。

餌が欲望に来た時に、拒否、拒絶して行けるように、祈りの生活、御霊に導かれる生活がどうしても必要、大切だ。

そんな暗い親子関係を耳にして、集会に出かけて、神様の恵みを
語り合っていると、

Aさん「うちの子が『お母さん、私、幸せ貯金してるんよ』と言うんです。何かと聞いてみると、「幸せ!」と思った事を心に、一つ一つ貯金して行くんですって。

それがすごく些細な事で、今日食べたかったものが、ピッタリ食卓に上がると、ものすごくラッキーで嬉しくて、「幸せ!」と、心の幸せ貯金に入れる(笑)友達との間で、ちょっとした嬉しい事とか、嬉しい言葉とか、良かった事とか、一つ一つ、心の幸せ貯金に入れるんだそうです。

うちは貧しいから、貧しい事も感謝だなあと思えたんです。
経済的に貧しい分、何もしてやれない分、そうやって、子供が幸せを見つけてるんだなあと、神様に感謝、感謝です!」

わあ、心の中に幸せがいっぱいだねえ(^^)/
心がほのぼのと、あったか〜くなった。何て健全なんだろう。
さわやかな風が吹き抜けるよう。
神様が子供を育てて下さってるんだなあ。

何より、子供の「こころ」を育んで、この、ますます暗くなって行く世にあって、養い育ってて下さっていることに、本当に感謝!

by 多恵子

2006年07月09日(日)
  「空の鳥」

ご高齢のAさんが「もういつも祈って、神様に拠り頼
んでいます。
独り住まいで、団地の上の階に住んでいます。ストーブ
と餅つき器を捨てたくて、身体に力無く、重い物も持
てず、どうしたら良いものか困っていたんです。

一つ一つの事を祈っていると、突然、友人のBさんが
時間が出来たからと、お弁当を二つ持って、家に交わ
りに来て下さったんです。

楽しい交わりをしていると、そのBさんが玄関に置いて
あったそれらをどうするのか?と聞いたんです。
捨てると答えると、何と、Bさんが、明日丁度うちの
絨毯を捨てに、山の上にある無料の廃棄所に行くから、
一緒に持って行ってあげると。車で持って行ってくれ
ました。
下まで運ぶのも重いのに、Bさんの親切が有難いでした。

まあ、神様だ!!と思いました。些細な事まで配慮して
下さって、しっかり共にいるよとの、神様のご愛と守り
を感じました。」

「身体も弱いのですべてお委ねしています。不思議なん
ですよ、身体の具合の悪い時は仕事が来なくて、それが、
元気になると仕事が来るんですよ!
全部が支配の中なんですねえ。弱っている時は寝ていな
さい、休みなさいという事なんだと、安心して休ませて
貰ってるんですよ。」

前にも、年金が減り、生活が大変で、でも献金を減らし
たくないので、新聞を止めたと言われた。
ただ、生活用品はバーゲンを利用して少しでも安く買い
たいので、広告が無いのが不便だなと思った。

すると、不思議な事が起きて、近くの独り暮らしのご
老人が早起きで、朝早くに新聞を読んでしまうと、もう
要らないからと、ポストに入れて下さるのだと。
そんなわけに行かないと、恐縮し遠慮していると、しごく
あっさりとほんとに、要らないものだからと。
それで、感謝して、頂いてるんです。まあ、感謝です、と。


“空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、
倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの
天の父がこれを養っていてくださるのです”マタイ6:26

いつ聞いても、空の鳥を養っていて下さる、天の御父を
絵に描いたようだ。

ただ幼子のように頼れば、ただ信頼すれば、すべての必要
を満たして下さる。

by多恵子

2006年07月06日(木)
  「宇宙人」

婦人会での「夫婦の学び」が、今日も話題で盛り上がる。

男性と女性の違いの項目に、「禁句」があって、男性に「男らしくない」と「力」に関する言葉は禁句と。「経済力がない」「力がない」

以前、やはり夫婦の学びをしていた時、Aちゃんが「あー!これ!全然知らなかったから、結婚した頃、いつも夫と喧嘩の度に、夫に言ってました!
新婚当時、給料も少なくて、ほんとに生活大変だったんですよぉ。それで、喧嘩の度に『この、くそ貧乏!!』『かいしょ無し!!』と、いつも言ってました!!うわあ、禁句だったんじゃ。(大笑)

この学びの通りです!そう言うと、主人が『離婚だー!!』と怒鳴り上げて。「離婚」が返って来るんですよ。

どうって事もない些細な喧嘩が、何で突然、離婚にまで飛躍するのか、全然わからなかったんですけど、うわあ、ひどく傷つけて、致命傷を与えてたんですねえ。うわあ、知らんかった〜。
もういつも喧嘩の度に離婚だ!離婚だ!が飛び交ってて」(笑)

「うち、友人間で、一番先に離婚すると言われてたんですよ。
それが、神様知って、救われて、友人間でも一番仲の良い
夫婦と言われてるんです。もう神様のお陰で、ほんとに神様に
感謝、感謝です!」

Bさんが「結婚した頃、企業戦士のごとく、夫は仕事や付き合い
で毎日0時を回る。朝は6時に起きて、すぐ出勤。私は、1日
一人で家にいる。ずうっとそんな状態で、どんどん虚しくなって来て、夫に爆発。『あなたは私を愛してくれてない!』と叫んだ。

その時、夫がものすごく怒ったんです。『こんなに大変なしんどい思いをしてるのに、どうして愛してないなんて言えるんだー!』と。
本当に怒って、もう大喧嘩。でも、何で怒るのかが、全然わからなかった。夫婦の学びをして、20年目にして、初めてあの時の怒りがわかった」(大笑)

Cさん「悩みとか、悶々とした気持ちとかが、あるじゃないですか。別に解決求めてるんじゃなくて、聞いて欲しい。気持ちを受け止めて欲しいし、気持ちを共有したい。

話があると言うと、『はい、はい、早く言って。10分以内ね!』『ポイントまとめてね。短くね。いつも何言ってるかわからん』と言う。もう意味わからん!!」大笑い

神様がいかに違って創造されたかが、ほんとに興味深い。
もう全く違って理解を越えている。同じものが二つあっても
しようが無いので、神様は補い合って一つの完成した人と
するために、全く違うものを造られた。違いは補い合うため。

「宇宙人、宇宙人」と、婦人達の合い言葉。

by 多恵子

2006年07月05日(水)
  「夫婦の学び」

今日は婦人会。
夫婦の学びをした。何じゃかんじゃ、ああじゃこうじゃ
と、皆で喋りまくり、いつもお腹抱えて大笑いしながら、
楽しい学びだ。

Aさんが「婦人会で夫婦の学びをして、最初は頭の
理解だった。でも、知ってるのと知らないのでは全然
違う。まず聖書から学べて知れた事が本当に感謝。

でも、自我があるから、実際に行おうとすると、ほんと
に出来ない。自我が抵抗し邪魔をする。何で、自分ばっ
かりと思ってしまう。
御霊の力でなく、自分の力で抑えて我慢して、行って
いるから、それは溜まると爆発する。

それで、定期的に1ヶ月に1回ぐらい爆発していた(笑)
自分が変わって行ったのは、やはり少しづつ神様を
知って行ったから。
出来ないながら、祈る事を始め、祈りはほんとに力だ
と知る。祈っていると、自然に神様に従いたい、従おう
という気持ちになった。自我は逆らうが、とにかく意志
を向けて、神様に従う方を、選んで、選んで、選んで行
った。

本当に変えられて行った。男性というのは、話をしな
いから、面白くない。同性といる方が楽しいと、以前は
思っていたが、本当に変えられ、神様が祝福して行って
下さった。神様が働いて下さった。

段々、夫といる事が楽しく、安らぎになって行った。特に、
何も話さず、黙っていても、とても居心地良く、心安らぎ、
幸せを感じるようになった。夫といる事が楽しくて、且つ
安らぐ。

職場の人達は皆、夫婦で旅行など行かないと言う。
全然面白くないから、同性同士で行くと。
もし、神様を知らなかったら、自分も同じで、子供も巣立つ
と、もう自分の気ままに、好きなようにしていたと思う。

本当に、神様が夫婦を祝福して下さった。夫に愛情が
あって、一緒にいる事が楽しく嬉しく、感謝でならない。」

夫婦の学びをする時、いつも神様が与えて下さった夫婦の
素晴らしさ、恵み、祝福を知り、どれほど感謝で、恵みで
あるかを実感し、喜びが溢れる。

夫に心からの感謝で一杯になる。ただただ感謝。そして、
夫を与えて下さった神様に感謝。

皆で、大笑いしながら、楽しく、何やかやと喋りまくり、
いつも心恵まれ、満たされて、更に良い夫婦にして頂き
たいと、会堂を出る。神様有難う!!

by 多恵子




2006年07月04日(火)
  「必要をすべて」

32年前、結婚した時は、6畳と4畳ぐらいの二間で、
お風呂は無し。近くの銭湯へ。
電話もなく、とても親切で優しいお隣の方が、呼び出し
をして下さって、急な連絡の時は助けられた。
開拓と同時の結婚生活は、とても楽しい思い出。

神様が本当にすべての必要を与えて下さった。

連絡にどうしても電話の必要を感じ、与えられるよう、
祈り始めた頃、母教会から連絡があり、伝道するのに、
電話は必需品なので、母教会からつけるようにする事
が事務集会で決まりました、と。感謝だった。

当時、日曜は、住まいの近くで、子供のための教会学校
をした後、大人の集会場所へと移動していた。
電車では集会時刻に、間に合わず、タクシーを使う事も
しばしば。しかし、そのタクシーも思うように来ない。
車があればなあとの思い、又、伝道活動の足のために、
どうしても車の必要も感じられて来た。

祈り始めていた時、何と一人の方が、神様に示されてと、
中古の軽自動車を献品して下さったのだ。
集会の送迎に、伝道や訪問に、その車は足となり、フル
に用いられた。心から感謝した。
車関係の仕事をしておられる、その方はそれ以後も、用の
途上に寄っては、教会の車の整備をして下さった。

久し振りにお会いし、30年前の感謝を告げると、整備は
覚えているがと、軽の献品が全く記憶に無いと忘れておら
れた。天国で豊かな報いを受けて下さるように。

家庭集会をしていて、賛美に元気が出るので、オルガン
があれば良いなあと、神様に祈り求めていた。
すると、丁度デパートで中古品の販売会があり、安くて
良いものがローンで買えた。

何もない開拓の時、本当に天から次々と必要が
降って与えられ、神様がまことに生きておられる事を
目の当たりに見せられた。

「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富を
もって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」
ピリピ4:19

by 多恵子

2006年07月03日(月)
  「開拓始めた時」

私達の教会は今年、母教会から独立して25周年だ。
だから、創設25周年。四半世紀になる。

開拓伝道で、大人の集会を始めたのが、その7年前。
公会堂会議室を、集会のために借りることができた。

その前ぐらいから、毎朝、学校前で案内を配布した。
集会案内と共に配布した、聖書通信講座に様々反応が
あった。

返信があった人々を訪問した。その中の、Aさんが
不思議な神様の導きを感じた。

見ず知らずの初対面で、訪問に行くと、Aさんはお母さん
と二人住まい。
丁度外出されるお母さんと、バッタリ出会す。不安を抱
かれてはいけないと、これこれの者で、こういう目的でお
伺いしましたと、身元をきちんと表明する。

すると、好意的というか、フレンドリイというか、「それ
なら、どうぞ、どうぞ、家に入って、聖書の話をしてやっ
て下さい、私は今から出ますから、どうぞ、どうぞ」
とお母さんに、家に入れられてしまった。

え??と、初対面だし、こちらがびっくりして躊躇して
いると、そのAさんも「どうぞ上がって下さい。お話聞き
たいです」と家に上げられてしまい、コタツに座り、じっ
くりと、きちんと福音をお話できた。
すると、その場でAさんは「信じたいです」と。

え?と、びっくり嬉しだったが、「案内を学校前でもら
った時、それを見て、すごく心惹かれ行きたいと思っ
たんです」と。

Aさんは、次の集会からずっと休まず来てくれた。
クラスの友達を、次から次へと連れて来て、しばらく後
には学校で聖研も開くようになった。

不思議な、まさに神様の導きと働きを見せられた。

by多恵子

2006年07月02日(日)
  「神様との関係」

前にAさんが、悩みを話した。どうしても嫌な人
がいると。何やかやと、悶々、話していた。

でも、結局苦しいのはその相手でなく、自分。
自分が苦しいばかり。

でも、それは、自分と神様の関係がおかしいから、
苦しくて平安が無い。
自分と神様の関係がすべてであって、神様との
間が平安であれば、何があろうと平安だ。

Aさんは、はっ!と、「ああ、そうですよね、
相手は関係ないですよね。自分が自分と神様との
関係をシャットアウトしてるから、平安が無いんです
よね。」

Aさんが、次に来た時、「平安になりました!」
「相手はどうであれ、自分が神様の前に罪を犯して
いることを、悔い改めました。
すると、不思議に、何やかや思っていた気持ちが
消えてしまって、平安になってしまったんです。」

前回の悶々としていた人とは見えない、別人みたいな
穏やかな晴れ晴れとした表情だった。

Bさんは、サークルで一人の人にきつく辛く当たられて、
辛くて辛くて、家に帰っても泣いていたが、祈って
いた時に、自分の心にも相手への憎しみや憎悪が
あることを示され、悔い改めた。

すると、相手が自分を妬んで、辛く当たっていること
が感じられ、そうしかできない相手も気の毒に思え、
気がつくと、その人の祝福を祈っていた。
その自分に驚いた。自分でなく、御霊の働きをもろに
感じた。心に喜びが来た。

神様と自分の関係がすべてであり、神様と自分の
関係が正しいなら、どんな時も、状況がどうであれ、
自分の心には平安があることを教えられる。

by 多恵子

2006年07月01日(土)
  「なりきり静香」

2才の孫のAがダンスが大好きで、ビデオの前で真似て
踊る。NHKの「お母さんと一緒」とか、フィギュアス
ケートのビデオとか。仕草が何とも言えず可愛い。

特にオリンピック優勝の荒川静香の、トゥーランドットの
演技は「もいっかい」「もいっかい」と、ビデオを戻し、
何度も何度も、踊る。「なりきり、なりきり」。
カーペットをリンクに、ジャンプも回転もイナバウアーも(^_^)v 
演技の順序も覚えていて、回転が来る場所もしっかり知って
いて、ちゃんとスタンバイしてジャンプ回転する。
「うわっ、ビデオと合っとるわ」

「なりきり静香」。写真に撮って、教会で見せると、
可愛いと大笑いだが、「目がほんま真剣そのものじゃ〜」
真剣に踊っとるんじゃ〜。

で、何度も何度も、静香さんのビデオを見る羽目になる
のだが、何度見ても、全くミスの無い完璧な演技、見事
だなあと、全く飽きない。感動する。
やっぱり考えられないほどの、練習に練習を積んだ訓練の
成果、陰の大変な苦労の上に、鍛え上げられた演技で
あるゆえ、感動するんだと思う。

他国の優勝候補選手達が、プレッシャーで自滅してしま
った中、ヘッドホンをずっと耳にし、他の人の得点を聞か
ずいっさいの邪念を入れず、ひたすら自分の演技に集中し
た結果だとか。
コーチが、予定していた音楽を変更し、静香さんの好きな
曲にし、楽しみながら、生き生きと滑れた結果、実力を
十二分に発揮できたそうな。

人を意識せず、横を見ず、比較をせず、神様だけを
仰ぎ見て、自分に与えられた賜物を十分生かして行く。
クリスチャン人生も同じだなあと思う。

上だけを見て、自分と神様との関係をしっかり築いて
行く時、くびきをしっかり負って、そして、生き生きと、
楽しみながら生きて行ける。

by 多恵子