2006年09月25日(月)
  「しらがになっても」

鬱を通っておられるCさん
「どうしても、思い煩いが強いんです。
明日の事や、先の事も。来週、親戚の集
まりがあるが、高齢ですから、身体が大
丈夫だろうか、ちゃんと行けるだろうか
と思い煩ってしまう。
でも、思い煩ったからと言って、何が変
わるわけでもないし、何がどうにかなる
わけでも無いですよね。全くならないで
すよね。思い煩いって、不毛の消耗です
よね。何の益も無い。害ばかりです。

でも、そんな時、神様にお祈りします。
祈りはいいですねえ。一つ一つ、『神様』
とお話するんです。
今日の集会も身体が大丈夫かなあと思った
んですが、昨日からお祈りしていたら、
元気に来れました。祈りがほんとに聞かれ
ます。まあ、すぐそばにいて下さって、
本当に有難いです。

私は独り暮らしなので、毎朝神様にお祈り
するのが楽しみです。朝起きて、顔を洗っ
て、ラジオ体操するんです。
すると、身体がしゃんとしますでしょ。
そして、聖書を読んでお祈りします。独り
なので何の気兼ねも差し障りもなく、本当
に感謝です。

同じ鬱を持っているFさん「私もずうっと
思い煩いが来るんです。今日から、Cさん
のように一つ一つ、神様に具体的に話すこ
とにします。
何か楽になるような気がします。今も何か
ストンと落ちて、気持ちが楽です。
仕事辞めたお陰で、次の仕事が見つかる
までの間、こうして来れて、良かったです」

御高齢で、ご主人に先立たれ、お独り住まい
のCさん、いつも神様に拠り頼んで生活して
おられる姿に教えられ、とても恵まれる。

日曜も、もうすぐ90に手が届くDさん、お
独り身で老人ホームにおられるが、「もう嬉
しいです。楽しいです。幸せに過ごさせても
らってます。神様のお陰です。毎日毎日嬉し
くて、もう言うことが何もありません」と
喜んでおられた。

Hさんも、すでにご主人亡くなられ、ご高齢、
しかし「明日のための心配は無用です」をそ
のまま生きておられる。明日のことをいっさ
い心配されない。私、こんなんじゃなかった
んです。大変な心配性で、これもみな神様の
お陰ですと。

「あなたがしらがになっても、わたしは背負
う。わたしはそうしてきたのだ。
なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って
救い出そう」イザヤ46:4

ご高齢の姉妹方通して、本当に教えられ励まさ
れ、恵まれる。

2006年09月24日(日)
  「心のうちにあるもの」

Bさんが昨年ほとんど1年間、厳しい試練を
通られた。
余りに辛く苦しくて、もういつもいっぱい、
いっぱいで、教会に来ては苦しさを吐露され
ていた。
苦しいばかりで、その感情が先立ってしまっ
て、なかなか御言葉も入らない時期もあり、
ただただお聞きしていた。

苦悩のお顔をされて、心底しんどそうで、本
当にお身体に障るのではないかと、心配する
ほどだった。祈ったり、御言葉を一緒に読ん
だりするが、もうギリギリの辛い日々を通ら
れた。

しかし、耐えられない試練はなく、時期が来
て、その試練も終わった。
そして、その試練の後、神様は特別な祝福を
送って下さって、今はもう喜びと楽しみのみ
というほどの日々を与えられておられる。

もう昨年から見ると、別人のように安堵し、
平安の中におられる。試練の後なので、その
喜びもひとしおだ。
試練がなければ、恵みが当たり前、当然でしか
無かったが、当然ではなく、神様からの素晴ら
しい愛顧であり、プレゼントであるとわかるか
ら、苦しみも本当に感謝だ。

そして、今、昨年は感謝でしたと言われる。
あの時は苦しいばかり、辛いだけだったが、
振り返ると、自分の内側が照らされ、自分の
心を知らされましたと。
自分の心がどんなものかわかりましたと。
あの苦しみは良かったと言われる。

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいも
のではなく、かえって悲しく思われるものです
が、後になると・・平安な義の実を結ばせます」
ヘブル12:11

まさにこの通りだ。「後になると」で、その時
は悲しいばかりだが、後になると、必ず実を結
ぶとは、ほんとにどんな時にも希望がある。

自分自身も周囲の兄弟姉妹達も、様々試練が来
るが、それらによって、内側を照らし出し、心
をあらわにされる。本当の自分を知らされるた
めだ。

試練とは、自分の心の内に、向き合わされる訓
練だ。

「あなたを苦しめて、あなたを試み・・あなたの
心のうちにあるものを知るため」申命8:2

試練は痛くて辛いが、やっぱり祝福の実を結ぶ。

2006年09月20日(水)
  「そこにある助け」

今、近所のトラブルで悩みにあるAさん。

テレビに出て来るような現実だ。大声で
怒鳴られたり、水をまかれたり、何やら
まき散らされたり、テレビのあのままだ。

小さな子供が一人でいる時が不安なので、
交番へ相談に行った。しかし、事件が起
きていないので、何も出来ないとの事。
起きてからでは遅いと思うが、どうにも
できないよう。

でも、何かあるごとにパトカーが立ち寄
ったり、警察官が巡回すると、抑止力に
なるのでと、対応策を施してくれた。

抑止策も感謝だが、結局、最終的に拠り
頼めるのは神様と心底確信できて感謝だ
った。祈りに答えて、どちらも与えて下
さったのだと思った。
最終的平安は神様にしか無いことも経験
した。そして、以前だったら絶対に考え
られなかったが、そうしなければならな
い相手もかわいそうに思えた。

近所の試練の中で思った事は、これから
カンボジアへ行く○○先生の事だった。
こんな近所どこではない、異国へ、異文
化の中へ、それも治安も医療も教育も何
もかも大変な中へ、神様が思わせて下さ
った。ほんとに守られるようにと思った。

そして、今までの事を思った時に、色々
な苦しみや悲しみ辛い所を通ったが、御
心に歩むと、その時は苦しいが、後にそ
れ以上の幸せを必ず感じ取れた。
いつも、苦しんだ以上の喜びと幸せだった。
悩みはあるが、どんな幸せを備えていて下
さるか楽しみだ。

何が起きた時も、神様に焦点を合わせ、
神様を通して見る時に、沢山の事を学べて
沢山の恵みが備えられていることを教え
られる。

何より、どんな時も共にいて下さる。何
と心強く、力強い。

「神はわれらの避け所、また力。苦しむ
とき、そこにある助け」詩篇46:1

2006年09月18日(月)
  「みことばは真理」

教会の姉妹の結婚式があった。
恵み溢れる良い式だった。

その中で、結婚についてのメッセージが
あった。
「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と
結び合い、ふたりは一体となるのである」
創世2:24

結婚は自立した男女によってでなければ
ならない。経済的自立と精神的自立。
親から援助を受けての結婚はあり得ない。
また、親に頼るべきでないし、親も結婚
した子供に干渉すべきではない。
その父母を離れなければならない・・。

そんな事を話していたら、Bさん「聖書
は真理ですよねえ。神様を知らないし、真
理を知らないから、夫婦、親子が混乱して
ますよねえ。
日本など、親が結婚した子供に平気で干渉
し、どんどん口出しするし、子供もそれを
聞いて、親の意見に従う。それが別に当た
り前ですよね。
親離れ、子離れができていない。だから、
夫婦間に問題が生じてますよね。聖書は
すごい真理ですね。

私も神様知らなかったけれど、神様を知っ
て、御言葉に従って行くと、親子関係、
夫婦関係が変わりました。親を離れる事を
して行くと、夫婦関係が建て上げられて
行き、ほんとに御言葉は真実です。

優先順位も、神様、夫婦、子供、親・・を
据えて行く時、ほんとにすべてが秩序立っ
て、主人とも子供とも、スムーズにうまく
行くようになって、驚いています。

優先順位が狂うと、結局全員が心満たされず、
祝福がない。皆が欲求不満になる。神様に従
うと、ほんとに変えられて行きます。」
御言葉は真理だ。

2006年09月15日(金)
  「みことばが大切」

エバの誘惑を学んでいた時、
Aさん「サタンからの誘惑、この通りです!
日常生活の中で、サタンが語りかけて来る。
まず「ほんとう?」と。

蛇は女に言った。「あなたがたは、園のど
んな木からも食べてはならない、と神は、
ほんとうに言われたのですか。」

従っててほんとうにいいの?自分の事を第一
にした方が快適だよ。自分を砕いて従うな
んて、しんどいよ。損だよ。

また、思い煩いにも来る。信じてるだけで
ほんとうに大丈夫?現状を見てごらんよ。
何かしなくちゃ。委ねていて、ほんとうに
いいの?

エバはサタンと会話をし始め、そこから間
違いで、乗せられて行ってしまった。

エバは御言葉に立たなかった。御言葉では
なく自分の言葉であった。触れてもいけな
い。死ぬといけないからと。

御言葉の無いエバを見たサタンは、更に
攻撃をしかける。「決して死なない」

「肉の思い、サタンの火矢が来た時、自分の
思いで対応するから負けてしまう。
その時、御言葉がない、御言葉に立っていな
い。この通りです。思い煩いの誘惑に、御言
葉に立っていないから、受け入れてしまい、
思いきり思い煩ってる。

自我に死んで従って行こうとする時、自分
だけ損だ、しんどい、相手はどうだの誘惑
を受け入れて、従うことをやめてしまう。
御言葉が大切なんですねえ。御言葉がない
とほんとに、エバと同じ、この通りになって
行ってる」

イエス様のように「・・・と書いてある!」
御言葉に立てるように。御言葉がいのち綱だ。

御言葉を暗記しようと言い合った。

2006年09月12日(火)
  「視点の違い」

目に見えるところを見ると不信仰に、目に見えない
神様を見上げると、信仰の中におれる。

Bさん「自分が神様を向いている時は良いが、現状
を、目に見えるところを見た途端、不安になり心が
暗くなる。どおーと落ち込んで行く。

心が神様を見ている時は、現実がどんなに心もとな
く心配で、大丈夫かなと思うような状況でも、神様
に委ねているから、神様が良くして下さるから大丈
夫!と思える。心も平安で明るいんですよ。

状況は同じでも、神様を見ている時と、神様から目
を離して、目の前のものを見ている時は心が全く
違う。ほんとに明暗くっきりする。

目を離した途端、くよくよし出す(笑)過去にさか
のぼって、あの時ああだったから、こうだったから
こうしなかった自分が悪い、もし、ああしていたら
もっと違った結果になっていたのにと、過去のどう
しようもない事を思い煩って、落ち込んで行く。
落ち込んで行くと、それに関連して、どんどん他の
面までネガティブになって行く。

ほんと不信仰になってる。過去でなく、今、この時、
イエス様が、目の前におられて、生きて働いていて
下さるのに、それを信じない不信仰ですよね。」

自分は確かに失敗したけれど、心から悔い改めたか
ら、赦して下さった。そして、本当に180度方向
変換しているし、向きを変えているし、もうこれは
益にして下さる事を堅く信じて立つのみ。

「神のご計画に従って召された人々のためには、神
がすべてのことを働かせて益としてくださることを
私たちは知っています」ローマ8:28

目に見える現状でなく、御言葉をずっと見続ける事
ひたすら見続けて、御言葉に立つ事を教えられる。

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことば
で造られたことを悟り、したがって、目に見えるも
のが目に見えるものからできたのではないことを
悟るのです」ヘブル11:3

by多恵子

2006年09月10日(日)
  「時と機会」

Aさんが母親のためにずっと祈っていた。
遠方なので、日頃はなかなか会えない。
以前から母親が病院で出て来る時に、こちらから
も出かけ、出先で会う機会があった。

かなり遠方でもあり、タイミングがある。行ける
かな、どうかなと思って祈っていると、「求めな
さい、そうすれば与えられます」の御言葉が胸に
起きて来た。

そこで、会えるよう、行けるようにと祈った。
そして電話をすると、今回、複数病院通う予定で、
時間が足りないかも知れないとの事、「じゃあ、
近くで宿泊したら」と言うと、「それもいいね」
との事。
翌日再度電話すると、そうするとの事で、会える
事になった。

Aさんも宿泊する事にして、出かけた。何とか証
しがしたい、少しでも素晴らしい神様の事を知っ
て欲しい。
以前からずっと肩をさすって上げ、足をマッサージ
して上げたかった。
それを出来る機会が与えられ、感謝した。マッサー
ジしながら、色々な事が話せた。喜んで貰えた。

終わって寝る前に、「お祈りしてもいい?」と聞
くと、「ああいいよ」と言ってくれて、この身体
はいつか朽ちる事、魂は永遠に存在する事、父親
は天国に行っている事を話した。
すると、母親は私も信じたいと言ってくれた。

神様はいつも、「時と機会」を与えて下さる。
祈っていると、その時と機会をキャッチできて、
あずかれる事を一緒に見せられ感謝だった。

by多恵子

2006年09月08日(金)
  「祈りの力」

教会の歴史を振り返り、自分の過去も振り返っていた。

宣教師さんの教会だったので、信じたらすぐバプテス
マで違和感がなかった。
信じて、1ヶ月後にバプテスマを受けた。

でも、絶対に出来ない事があった。それは「献身」。
自分の将来も、自分のプランも、自分自身をすべて
渡すことなど、絶対に不可能だった。

自分のプランがあったし、自分の思い通りに生きた
かった。それを捨てるなどと考えられなかった。
神様は信じているが、自分の計画通りに生きたか
ったのだ。

「献身」に対して、「ノー」「無理」との答えを出
していた。
それが何で出来たのだろう。段々、神様のことがわ
かってきた事があるかも知れない。
神様には私に対する計画がおありで、生涯の道を
すでに決めて下さっていること、賜物の人生が用意
されていること、信じるだけでなく、生涯従って
行くお方であること、そういう事が少しづつわかっ
て来る。

しかし、自我もある。自分の計画を放せない。
神様は決して無理じいされない。

結果的に献身できたのは、宣教師の先生の祈りだった。
救われた時から「あなたの献身のために祈っています」
と祈り続けて下さった。

ある時は、「特にこの2週間、あなたの献身のために
特別に祈りました」こんな事が度々あった。
祈って下さって悪いなあと思うが、でも、生涯を明け
渡すことが出来ない。どうしても出来ない。

結局、救われて4年半後、生涯を神様に明け渡した。
ギブアップだった。無条件降伏。
すると、伝道者の道に導かれた。自分では思っても
みなかったことだった。

献身できた背後に、宣教師先生の「祈り」があり、
祈りゆえに、できたのだなあと。
救われた時から、ずうっと祈り続けて下さったその
祈り。改めて「祈り」の力をひしひしと感じた。
「祈り」は人を変えることが出来る。

神様に、宣教師先生に感謝!!
今、その先生は天に帰られ、主のみもとで安らいで
おられる。
by 多恵子


2006年09月07日(木)
  「神の愛が届くように」

この間、映画「キリングフィールド」を再度見る機会が
あった。
ベトナム戦争に巻き込まれて、カンボジアの悲劇が始ま
った。シアヌークが外遊中に、クーデターが起こり、
親米ロン・ノル政権が始まった。
ベトナム戦争が泥沼化し、サイゴン陥落して、ベトナム
戦争が終結。アメリカ軍がベトナムから撤退。

アメリカ軍のカンボジアでの誤爆から映画は始まり、
カンボジアのアメリカ軍も、大使館も全員速やかに
撤退する。瞬く間にもぬけの殻となる。
緊迫感溢れる。やがて「ここは血の海になる」と、
これから起こる事を知っていて、見捨てて、さっさと
引き揚げて行く。

やがて、政府軍を倒したポルポト率いるクメールルージュ
が実権を掌握。人々はこれで内戦が終わり、平和が来ると
思った。ところがこれが狂気の沙汰で、人々を無差別に
どんどん殺害して行く。無差別殺人だ。
報道のために残った新聞記者達も、殺されそうになる。
カンボジア人通訳の機転で、命を救われ、フランス大使
館に逃げ込む。
クメールルージュの恐怖政治は始まり、全員都市から
農村へ移動。知識層の殺害。追っ手の手がどんどんのび
て、外国人記者達はタイへ国外退去。カンボジア人通訳
も何とか偽造パスポートで救おうとするが、見つかり、
彼一人、虐殺地獄に残る事になる。

意味なく理由なく殺害、殺害、殺し過ぎて人数すらわか
らないと。その数300万とも。拷問に虐殺。
本当にその虐待地獄を通った本人が、カンボジア人通訳
の役で出演。真に迫る演技で、アカデミー助演男優賞を
取った。こんな映画どころではないと。ほんの数割しか
表されていないと。

家族をバラバラに解体し、互いに密告させ、不満を言った
だけで殺され、濡れ衣でも殺され、もう誰も信じる事が
できず、言葉も出せず、食べ物も僅かで、皆が黙ったまま
死人のようにただ働いた。それしか出来なかった。

愛すること、信頼することを奪われたカンボジアの悲惨な
歴史。宣教師が自由に入れるようになり、何とか神の愛が
届くように。深い傷を負った人々が救われ、永遠のいのち
を受けることができるように。

2006年09月06日(水)
  「交わりの中で」

Aさん「子供が、就職試験で、良い会社に合格決ま
ったが蹴ってしまった。その時は、それほど思わな
かったが、その後、なかなか良い先が無い。
あの時、何で蹴ったのかと、何で、何でと自分の内
で悔やまれる。心の内で、子供も責めている自分に
気づく。
状況や現実のマイナス面しか見ていない自分に、教
会へ来ると気づかされる。

“もし、あなたが信じるなら、あなたは神の栄光を
見る”と言われた神様を信じて、必ず、良くして下
さる神様に期待して行こうと 思った。」

Bさん「子供が学校から、感謝だ、感謝だ、と帰っ
て来るんです。あの事が、この事が、神様が働いて
下さって、神様の恵みに感謝だと。
勉強がなかなか思うようにはかどらず、勉強面では
苦労してるんですが、一番大切なものを子供は知っ
ってる!神様からもらってる!と、本当に心から神
様に感謝しました。」

Cさん「私は、子供に、ポンポンズケズケ言いたい
事を言ってしまう。
先日も、子供が体調不調を訴えて来た。5,6年前
から不調だと子供が言ったら、『そいじゃあ、悪い
もんだったら、もうとっくに死んどるけえ、死にゃ
あへん』とポンポン言って、よく考えたらひどいで
すよねえ(笑)
子供がムウッとして、『そうに言うなら病院行って
来んさい!』と言うと、子供が行ったんですけどね。

まあどうも無くて良かったんですが(笑)Bさんを
見習って、家族の支えにされて、家族に神様を伝え
て行く者にされたいです。」

Dさん「“もし、あなたが信じるなら、あなたは神
の栄光を見る”で、私は、神様知る前の自分の失敗、
罪を心から神様に悔い改めた時、本当に真に赦され
た確信が来ました。私はそこで神の栄光を見ました。
罪を赦して下さる神様に本当に本当に感謝でならな
いです。
赦して貰ったので、私も人を赦す事が出来る者にさ
れました。以前は人を赦すことなど絶対にできない
者でした。ほんとに栄光を見せてもらいました」

2006年09月05日(火)
  「兄弟たちが一つになって」

25周年記念集会で思い出を語り合った。

やはり「新会堂建設」が、自分の歴史の中で大き
なインパクトだったと言う人々が何人もいた。

Aさん「思春期の頃、神様から離れてて、生活で
行き詰まる状況が出て来て、又、教会へ行ってみ
ようと思った。その時が、丁度新会堂建設まった
だ中だった。
1億もの建設費が必要で、お金など無い中、皆が
一致して祈っている渦中で、びっくりした。皆が
ものすごく祈っていた。信仰と祈りに立っていた。
自分も一緒に祈りに参加した。本当に会堂が建っ
て行ったのに驚いた。神様がまことに生きておら
れると感じた。
それに立ち会って、自分は神に立ち返れた。そし
て、自分も献身できた。すごいみわざだった」

Bさん「皆で一致して真剣に祈ったこと、祈りに
祈ったこと、信仰を献げて行ったこと、自分の中
でも一大イベントだった。始めから終わりまで皆
で話し合って、皆で詰めて、全員の要望が反映し
た会堂、それがすごい祝福だった」

Cさん「皆で一致して祈って献げた大きな思い出
です。今回の教会歴史作成の際に、当時の経済的
状況の記録も載せたので、牧師先生がいかに資金
繰りに苦労されたかよくわかると思います(笑)」

Dさん「やはり独立した時に、まだ人数も少なく、
牧師謝礼と家賃や維持費で、毎月赤字だったのを
覚えています。でも、その度に皆で祈って特別献
金をすると、必ず毎月満たされて、あれはインパ
クトでした。神様をすごく感じました。
今回歴史をまとめていたら、まだ初期の頃に人数
も少なく、経済的にも自立できないほどなのに、
海外宣教師が起こされるようにとの、祈りがなさ
れていて、ほんとにカンボジア宣教師が起こされ
て、祈りが答えられるんだなあと」

Eさん「子供の頃からずっと教会に来ていて、ナ
ースリーで、皆と遊んだのがもう楽しくて楽しく
て、楽しい思い出ばかりです」

嬉しい時も、苦しい時も、悲しい時も、皆で祈り
合い、助け合って来れた25年。
神様が与えて下さった兄弟姉妹に心から感謝。

2006年09月04日(月)
  「しあわせにするため」

昨日は教会の創設25周年記念集会だった。
記念礼拝と食事交わり会をした。

礼拝メッセージの中でも、申命記8:1−20
から「神と共に歩む」。荒野の40年を通して、
神は訓練を与えて下さった。荒野は人間の力が
役に立たない試みの場所。無駄なものは一つと
してなく、将来に向けて歩むための信仰を培う
ための訓練を与えられる場所。

独立した当初、ずっと毎月赤字続きだったが、
毎回各自の持てる5つのパンと2匹の魚を携え
来て、特別献金をすると、必ず満たされた。
毎月、毎月続くので、皆で不思議な神のみわざ
を目の当たりに見た。

神は苦しめ飢えさせ、マナを食べさせて下さる。
神の口から出るもので生きる、御言葉で生きる
ことを体験させて下さる。そして、神と共に生
きる結果として、良い地に導き入れられる。

その神と共に生きる事を妨げるものとして、高
ぶりに気をつけなければならない。物が繁栄す
る事で神を忘れないように。又、自分の手の力
だと自分を過信する事の無いように。すべての
良いものは神が与えて下さったもの。・・・・

試み、訓練を与えられる。しかし、赤字があった
からこそ、更に良きもの「信仰」が培われて行っ
た。赤字が益であり、あって良かった。
神様にある時、無駄なものが一つもなく、何で
こんな苦しみが、何でこんなに辛い事がとの、
その事こそが、祈りと信仰を大きくしてくれる。

そして「この40年の間、あなたの着物はすり
切れず、あなたの足は、はれなかった。」

ほんとに幾多の困難、問題、悩みがあったけれど
でも、霊的にも物質的にも、必要は完全に備え
られた。本当に生きておられる主が、今まで導
かれた。心からの賛美と感謝を献げるばかりだ。

「ついには、あなたをしあわせにするためであ
った」8:16


by多恵子

2006年09月03日(日)
  「心配無用」

もうすぐ70才になられるAさん。
「主人が亡くなって、無我夢中で働き続けて、61才の
時にリストラになって、どうしても支えが欲しくて教会
に来ました。
以前から案内が新聞折り込みに入っていて、行きたいと
思っていました。行った日は丁度、中国へ宣教に行って
おられる先生が来ておられ、そのお話と聖書のお話を聞
いて、この神様を信じて行きたいと思いました。

リストラになって後、なかなか仕事が無かったのですが、
神様にお委ねすると、不思議に心に平安が与えられ、思
い煩いことがありませんでした。
自分はそんなんじゃないんです。ものすごく心配するし
思い煩うのに、心が平安に守られて、感謝でなりません
でした。
私が思い煩わないから、娘と二人暮らしですが、家の中
も明るいんです。
その後、仕事が与えられ、本当に感謝でいっぱいでした。

今も、いろんな問題あるのですが、委ねていて、今日も
教会へ来れて、本当に感謝で感謝でなりません」

今、Aさんは住居の立ち退きを大家さんから言われ、次
の住まいを探し中。なかなかふさわしい物件が無くて、
祈っている最中。仕事も現在、3分の1ほどで、生活に
支障が来るので、祈っておられる。
でも、全然煩っておられない。いつも口から、神様感謝
神様感謝と、感謝しか出て来ない。

今日も50キロあるところ来て下さって、「神様が来れ
るようにして下さって、感謝で、感謝で。帰り、Bさん
が最寄りの駅まで連れて行って下さって、そこからちょ
っと息子に電話したんですよ。
すると、何と丁度広島に来てると。びっくりで、乗せて
帰ってくれたんです。帰りはお金も全く使わなくて、
神様の導きに感謝しました。」
経済的に大変な中、神様の祝福に感謝。

「もう自分が食べる分と、支払いがある分があります
でしょ。それだけあれば十分なんです。仕事もそれだけ
分与えられるよう、祈ってるんです」

先をいっさい思い煩われない、明日はお委ねしておら
れる信仰に本当に恵まれる。

「だから、明日のための心配は無用です」
マタイ6:34

by多恵子

2006年09月01日(金)
  「苦しみにあった事は幸い」

「私は、あなたのなさったすべてのことに思いを
巡らしあなたのみわざを、静かに考えよう」
詩篇77:12
                            
来聖日が教会創設25周年記念なので、先日もA
さんと25年の歩みを振り返っていた。

「22,3年前から集会に集っていたが、神様の
ことが全然わからなかった。嫌ではないから行っ
ていたが、雲をつかむようで、どうしてもわから
んかった(笑)

“生まれながらの人間は、神の御霊に属すること
を受け入れません。それは彼には愚かなことだか
らです。
また、それを悟ることができません。なぜなら、
御霊のことは御霊によってわきまえるものだか
らです”Uコリント2:14

この通りだねと笑う。御霊のことは、ほんとに
御霊によらなければわからない。肉には意味不明。

それが、今から6,7年前に子供に問題が起きた。
「子供の事は痛くて痛くて、自分の事より痛くて
必死になり、やっぱり祈ったり神様を求めた。
丁度時ピッタリに婦人会ができて、婦人会に来る
ようになって、痛い状況と学ぶ御言葉が一つにな
って、少しづつ少しづつ目が開かれて行った」

やっぱり自分にはどうしようもない、どうにも
出来ない悩みや問題が感謝だった。祈るし、神を
求めて行った。もし、あの時の問題が無かったら
今も、宙ブラリンの中途半端なまま、求めようと
もしなかったと思う。

苦しみ、痛み、辛さが、試練がやっぱり後になる
と感謝だったとわかる。

「今、聖霊様が内におられる事がわかる。御言葉
に自我を砕いて従って行った時、はっきり実が表
れるのがわかる。神はおられる、祈りは答えられ
るとわかる。以前の状態を思う時、天地の差だ。

幾ら御言葉を聞いても、どうしてもわからない者
に、神様は実地訓練を持って臨んで下さった感じ
です。あの痛かった事が今思えば感謝でならない」

“苦しみに会ったことは、私にとってしあわせで
した。私はそれであなたのおきてを学びました”
詩篇119:71

丁度、四半世紀をかけて導いて下さったんだと、
感謝!(^^)

by多恵子