2001年09月29日(土)
  変えられる

子供を小さい時に、親の思いを押し付けて
育ててしまったというB婦人。

「良かれと思ってやったが、子供の気持ち
を考えるのでなく、一方的に自分の気持ち
を押し付けていた事に、イエス様に出会っ
て初めて気づいた。
それが子供の幸せと信じ込んで・・。実は
どんなに子供を損なってたか気づかぬままに。

神様に、聖書に出会えて良かった!!
もう自分の思い通りでない、思い通りにな
らない子供の姿を目の前に、悶々とした苦
悩の日々を通り、神様に委ねる事を教えら
れ、子供を自分の手から解き放ってやった。

すると、子供は自由にのびのびと生き生き
と羽ばたいて行った。
常に子供のありのままを受け入れてやる事
しかない、それしかないと、思い知らされ
教えられた。
本当に神様を知れてよかった。でなければ、
どうなっていたかわからない。」
B婦人の言葉に皆で「おおー!!」感動!!

その同じB婦人が、「それがね、同じ事な
のに夫に対しては、どうしても要求してし
まってだめなんですよ。してくれない、し
てくれて当り前、もっとこうしてよ、つい
不平不満、愚痴、文句が湧き上がる。
子供に対しては、自分が変えられたが、夫
に対しては、私、変えられてない。よくわ
かる。変えられるよう祈って下さい。」

うわ!すごい!このB婦人の言葉に感動し
た。焦点が神様にピッタリ合ってる!
ちゃんと見えてる。

そんな時ちょうど、C婦人が初めて来会。
「夫を尊敬するとか、従うとか聞いて、今
までそんな発想、皆無でした。もう頭ガー
ンでした。ほんとに自分の罪が見せられて、
なんか自然に変わったんです。3週間前に、
教会へ来た時から、夫婦の間が全く変って
しまいました。すごいです。

家の中が潤ってて、あったかいんです。
ギスギスしていた以前と、全然違うんです。
私が優しい気持ちで接すると、相手も優し
くなるんだなあと、驚きでした。」

神様が働いておられること、従うところに
ご自身を現して行かれること。
目の当たりに見る時、いつも心潤おされ、
恵まれます。

by 多恵子




2001年09月25日(火)
  「光の中に」


 もし私たちが、神と交わりがあると言っ
ていながら、しかもやみの中を歩んでいる
なら、私たちには偽りを言っているのであ
って、真理を行ってはいません。
      Tヨハネ1:6

先日の婦人学び会で「やみの中を歩む」と
は、どういう事かについて学んだ。
本当の自分の姿を見失ってしまった人をや
みの中を歩んでいる人だという。
自分の生活の中で好い人を演じる、お行儀
のよいクリスチャンをやっているうちに、
自分自身を欺いてしまい、とうとう
自分にはなんの問題もない、そのうち罪ま
でないと思いこむ事があると学んだ。本当
に愚かで恐ろしい。つい最近
教会の20周年記念誌で岩国の姉妹たちの話
しを読んだばかりだったので、しきりに
姉妹たちの事を思った。ありのままの自分
を神様に明け渡し、素直に足りないものを
神様に求めて、また素直に御声に聴き従う
姿には、いつも新鮮な驚きを感じる。
流した涙も多かったに違いないが、一回りも
二回りも信仰の成長を遂げ、神様とさらに
密着して行かれた。光に中にいる人達だ。
姉妹たちの事を通して、また学びを通して
「今のあなたはどうですか」と神様に問わ
れたような一日だった。
「やみの中を歩む」者にならず、わからない
事や納得出来てない事をわかった顔をして
通りすぎず、素直に神様に尋ねていこう、
祈っていこうと思った。
神様との関係は逆境の中でだけ強まるので
はなく、順境に感謝して、
日々の生活の中の些細な隣人との会話の中
にも神様を感じながら語れば、舌は守られ、
僅かでも神様のエッセンスが香るかもしれ
ないように。
今を神様と密着していたいと思う。

       by富士子








2001年09月15日(土)
  有難う

昨夜、教会の帰りに店に寄った。
買物を済ませ、エンジンをかけると、何と
かからない!
え?何?僅か買物の10分ほど。何で?!
ガチャガチャあちこち動かすが、全くだめ。
何がどうなったのかも、わからない。

「すぐ来てー」夫にヘルプを頼む。夜も遅い。
はあ〜、ため息が出そうになるが、神様思い、
これもきっと良いことなんだと思う。

夫の顔を見て、ほっと安堵感が心に広がる。
車を見てくれて「バッテリーが上がってる」。
つなぐ線が入っておらず、取りに行ってくれる。
もう10時だ。夜空を眺めながら、又、又、待つ。
これも良いこと、益となると思いつつ。

買物帰りのおじさんが、どうしちゃったん?
と寄ってきてくれる。すぐそこにガソリンス
タンドがあるよ。チャージャーはあるんね?
じゃあ、いいんじゃね、大丈夫なんじゃね。
はい、有難うございます。

別のおじさんも、どうしちゃったん?大丈夫ね?
窮地の時は、人の親切が身にしみる。

夫が戻って来て、つないでくれた。すぐにエン
ジン始動。ふう〜「有難う」。

路頭に迷ったような気分の中、暖かい温もりで
心がいっぱいになる。潤いと温かい気持ちに満
たされて、神様を感じつつ帰路につく。
やっぱり良かった。良いことだった。
神様は素晴らしい。

by多恵子




2001年09月12日(水)
  私のとげは…


 この前の聖日礼拝で「弱さを誇る」というテーマ
でメッセージがあった。
人を高ぶりから守るために神様は私達に何かしらの
「弱さ」「とげ」を与えておられる。
人をつまずかせるような悪い弱さは祈って取り去っ
てもらう必要があるが、祈っても祈っても、神様が
取り去られない弱さは、何か目的があって私達に与
えられているのだ。それから目をそむけてはならな
い。というものだった。

メッセージを聞きながら、フムフム…私にもあるぞ!
「とげ」が「弱さ」がと思った。その日も朝からずっ
と付きまとっている弱さ。リウマチである。
この日は特に台風が15.16号と二つも発生して
私の体の中の何かが激しく気圧に反応していた。

しかし「弱さを誇る」と言うには後ろめたさがある。
現に私のリウマチ度は、昨日まで痛いと思った所が、
今日は、けろっと治っている。
「昨日上がらなかった肩が今日は嘘みたいです。神
様ありがとうございます」と感謝して、昨日身体を
かばっていた分、今日は頑張ろう!とのひたむきさ
が最近全く無い。
昨日ボチボチなら今日もボチボチ。気が付けば、
いつもぼーっとしている。
夢中で何かをしていれば、忘れてしまう程度のリウ
マチが神様の御心を大きくはずれて、つまずきとな
っているのか。
招きの時に前に出ていって、祈ってもらおうと思っ
たが「前に出て行けば後へは引けん、今はまだ頑張
れん。」との思いが来た。
今思うと自分で頑張れないから神様に委ねるのに。
ああ情けない…。かえりの車で潤に、

母:「今日のメッセージで、お母さんすごく恵まれた
  招きのに前に行きたかったけど、病気の事ごちゃ
  ごちゃ言うのもなぁ…。」とお茶を濁した。
潤:「出れば好かったのに」
母:「せめてリュウマチでもなかったら、この美貌じ
  ゃろ?今頃どうなっとるか…。感謝ですてか?」   
潤:「……。招きに出てそんな事言ったら『もっと
   他のとげも見えてますが。』て言われたりして
   …ギャハハ!!」  
母:「潤ちゃんだって顔もスタイルも、゛もっと″よ
  かったら、もし何着ても似合いすぎ!みたいな?
  それじゃ世間が放とかんじゃろ?」 
潤:「それ!それ!とげに感謝よ。ワハハ。」
と、たとえ神様は赦しても世間が赦さん!という会話
で盛り上がりつつ、内心、目を背けてはいけない問題
がはっきり見えた聖日だった。

それは私が高ぶることのないように、私を打つための、
サタンの使いです。Uコリント12:7



2001年09月11日(火)
  痛いけれど、さわやかな

メル友から続けての祝福が届けられた。

・・教会で一人の婦人に誤解から、失礼な態度を
取ってしまったのです。全く事情を知らなかった
ゆえの事でした。

聖霊様が私の心にどんどん、どんどん臨まれ、謝
罪を示されました。次に行った時、謝ろうと決心
しました。
そして、その時に、その方の背景を知り、自分を
心から恥じました。恥ずかしくてたまりませんで
した。
その方の所へ行き、一言発した途端、涙が溢れて
わーっと泣いてしまいました。謝罪すると、こち
らこそごめんなさい、ご迷惑かけてしまってと、
言って下さり、赦して、励ましてまで下さったん
です。
神様ごめんなさいの連続で、その方の言葉に神様
を見ました。

自分の膿を出して下さいとの祈りが増えました。
神様の砕きはとても痛いけれど、後は心にさわや
かな風が吹き抜けるようでした。赦された喜びが
心に溢れました。嬉しくて嬉しくて、賛美が溢れ
ました。神様の祝福は素晴らしいものでした・・・

“神へのいけにえは、砕かれたたましい。
砕かれた悔いた心。神よ。あなたはそれを
さげすまれません”詩編51:17

“主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
たましいの砕かれた者を救われる”34:18

“わたしは高く聖なる所に住み、心砕かれて、へ
りくだった人とともに住む”イザヤ57:15

自我が一番痛い事、出来ない事が、「謝ること」。
謝る事とはへりくだること、そして、神様の一番
祝福して下さるのが、この砕かれた心・・・
改めて教えられつつ・・

by多恵子

2001年09月10日(月)
 

悲しい事がありましたと、ご高齢の婦人。
老人ホームにお住まい。いざこざがあり、全く
無いことを中傷された。共同生活で、こじれる
のも、ギクシャクするのも嫌で、何とか良い解
決をと祈っていた。
証人を立てて、自分では全く無いことを証明し
た。すると、サッとその事が、こじれる事も、
尾を引く事もなく、見事にきれいに解決された。
「神様です、神様がすべて良くして下さいまし
た、もう、感謝でならないです」と。

ちょうど、バイブルクラスで「サタン」の学び
をしていた。生活の中で、どんなところに誘惑、
攻撃してくるかを、皆で話し合った。

「もう愛してくれないよ」「こんなあなたは受
け入れて貰えないよ」「もう見捨てられたよ」
「良くなんてして下さらないよ」「導いてなど
下さらない。ずっとこのままだよ」「お前など
だめだ、だめだ」「お前はこんなだから、愛さ
れない」「人を見てごらん。祝福されてる。お
前だけ祝福されない」
サタンは、こんな事を、しょっ中言って来ると。

重大な事実は、それが「嘘」であること。

「悪魔・・のうちには真理がない・・彼が偽り
を言うときは、自分にふさわしい話し方をして
いるのです。なぜなら彼は偽り者であり、また
偽りの父であるからです」ヨハネ8:44

神は、善悪の知識の木から取って食べるなら、
「必ず死ぬ」と言われた。
蛇なるサタンは、「決して死にません」と堂々
と完全なる嘘を言った!!!

「サタンの学びをして、最近、あ!違うぞ!
そうじゃない!サタンだと気づきます」「あ、
違う!聖書はどう言ってるか、神はどう言っ
ておられるかという発想が起きます」

堂々と、正反対の「嘘」を投げかけてくるサ
タン。違う!神はそう言っておられない!
「永遠に愛している」「決して見捨てない」
「導きの主」「あなたは高価で尊い」「わた
しはあなたを喜ぶ」

神は良くして下さる。愛して下さっている。
一生、このサタンとの戦い。

by 多恵子

2001年09月10日(月)
  すべての事に目的が

遠方のメル友から祝福が伝わって来た。

・・家の鍵をなくしてしまった。予め大家
さんから、付け替えは3万円と言われていた。
財政緊迫の折りビビッた。懸命に捜すが無い。
不安感から心が滅入りそうになる。

そこで、祈った。すると、この不都合な出来
事にも神様の目的があると思え、心がすっか
り平安になってしまった。

結果的には、鍵をなくした事で、様々な予定
変更を余儀なくされ、そのため、母親とゆっ
くりした、とても良い時が与えられた。
精神的に参っていた友人の電話が受け取れた。
今まで何度連絡しても、通じなかった友だっ
た。証しする事ができ、素晴らしい祝福だっ
た。
これらは通常の予定だと不可能だった。
おまけに、姉の旦那さんが鍵屋だった・・・

神様はいつも良くして下さる。良い事しかさ
れない。愛して下さっている。益とされる。
ご計画がある。・・・いつも、いつも、いつ
の時もそうだ。

日々の生活に、満ち満ちておられる主。
愛して、良くして下さる主を、どんな時も
<信・じ・て・いたい!!>。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはでき
ません。神に近づく者は、神がおられること
と、神を求める者には報いてくださる方であ
ることとを、信じなければならないのです」

by多恵子


2001年09月08日(土)
  急いで、ためらわずに!!

この日曜、「赦しなさい」のメッセージだった。
イエス様が赦して下さったのだから、互いに赦
し合いなさい。

礼拝後すぐ、Y子さんが「どうしよう!!どう
すりゃええん!!」「え?どうしたん?」
「あんたを絶対に赦さん、一生赦さんと手紙を
出したばかりじゃー!!」

若いメッセンジャーのところへ行って、「ああ
どうしようー。こんな事、ちゃんと先週にメッ
セージしてもらわんにゃあ困る。もっとはよう
言ってもらわんにゃあ困る」(大笑)

「ちょっと色々あって、すごい迷惑かけられた
んですよお。それを相手が謝って来た。でも、
赦さん!とちゃんと手紙書いて出したとこー」
「そりゃ、赦しなさいと、神様が言いよってん
よ」

午前0時過ぎてメールが来てた。「あれから、
帰りに、聖霊様の促しがどんどん迫って来て、
家に帰る前に、相手に電話して見事和解できま
した!すっきりして家に帰れました。感謝!!」

“ところが、しもべが何やかやしているうちに、
その者はいなくなってしまいました”T列20:40

よく経験する。ぐずぐずしていると、聖霊様の
促しの感覚が消えてしまう。無くなってしまう。
サタンが足場を得てしまって、本当に従えなく
なってしまう。

以前、一人の青年女子が、「聖霊様からずうっと
バプテスマの決心を導かれていたんですよお。
聖霊様の促しがずっとわかってた。何かぐずぐ
ずと従わなくて、その内、受けたいという感覚
が全く消えて、無くなってしまったんです。」

“私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを
守りました”詩編119:60

急いで、すぐに、ためらわずに、従えるように・・。

by 多恵子

2001年09月07日(金)
  香りはごまかせない・・

今朝、夫と一緒に、クリスチャンバイオリ
ニスト辻井淳兄出演の「残暑を吹き飛ばせ!
恐怖の音楽スリラー館」というFMを聞いた。
クラシックの中の怖い音楽をピアノとバイオ
リンで演奏しようというものだった。

司会者が様々な質問をする。「恐怖体験は?」
ピアノ奏者「フランスで、お城に行った時、
誰もいないのに、確かに人がいる、大勢の人
の気配を感じて、ぞっとした。後でそのお城
の歴史を知ると、なるほどという・・」
「辻井さんは?」「私は怖いのは嫌いですか
ら、そいういう所へはいっさい近づきません」
(笑)
司会者「辻井さんが一番恐いんじゃないですか。
実は今日、お弟子さんに来て貰ってるんです」
(大笑)

最後に「名曲とは?」辻井「香りだと思います」
司会者「はー?」
「味はごまかせますが、香りは決してごまかせ
ない。名曲とは必ずそういう香りを放っている
もの。だから、すべての人々は名曲を知ってい
ると、私は信じます。」
司会者「はあ〜。何か文化講演会を聞いてるよ
うな」(笑)

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる
人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストの
かおりなのです」Uコリント2:15

辻井兄は、この「キリストの香り」を言ったん
だろうなと思った・・。

味はごまかせても、香りはごまかせない・・。
クリスチャン・・言葉や物腰や態度はクリス
チャンらしくごまかせても、その身からかもし
出す香りだけは、絶対にどうにもならない。

高慢、自己中心、虚栄心、欺まん、愚かさの
香りがあり、そして、キリストの香りがある。
必ず、何かの香りを周囲に放っている・・

かぐわしいキリストの香りが放たれるために、
心の王座をいつもイエス様に全面的に明け渡し、
住んで頂けますように。

ちょうど昨日、一人の女性が、辻井淳の大ファン
で、辻井さんに紹介されてと、教会に来て下
さった。
「治癒不能の難病が発覚して、絶望と傷みを通
った時、辻井さんの奏でる音色が、優しかった
んです。心にしみ入りました。優しい優しい
音色でした。」

「祈りとイエス様への信仰で奏でておられるから
ですよ。」

優しい、優しいイエス様の香り・・。

by多恵子