2007年06月26日(火)
  「御言葉の種蒔き」

Aさんは私立の教員。
以前、自分自身がミッションスクールで学生の時、
聖書の言葉に触れて、その言葉がずっと心に留まり、
今に至ってることを思い、自分も何か聖書の言葉を、
一言でも生徒達に与えてやりたいと。

話を聞いていて、自分の高校時代の事を思い出した。
公立高校であったが、クリスチャンの倫理の先生が
おられた。
倫理の時間に、宗教の項目で、その中の一つである
キリスト教についての説明という事で、たっぷり時間
を割き、十字架の意味を説明された。

心にぐいぐいと迫り、入って来て、引き込まれるよ
うに聞いた。「父よ。彼らをお赦しください。
彼らは何をしているのか自分でわからないのです」
ルカ23:34

この意味を話されたが、よくわかった。罪の無いキリ
ストが身代わりに罪を負い、十字架上で血まみれになり
身体も心も裂かれながら、私の赦しを祈られた。

初めて意味を聞いて、心に大変な衝撃だった。
今思えば御霊によって語っておられたと思う。心に触
れ、心に響いた。
全く違和感も拒否反応もなく、心にスーッと入った。
感動した。その場の時間が止まったように聞き入った。

その時聞いて、それは日常とは別空間という感じで、
そのまま日が過ぎたが、その後、その学年の時に、
別のクリスチャンの友人を通して、教会の特別伝道
集会に誘われ、そこで救われた。
神様が、ずっと目を留め、手を延べていて下さった
んだなあ。改めて感謝に溢れる。

今思えば、きっとあの時間、先生は祈って祈って授業
をされ、機会を捕らえて、生徒達に福音を語って下さ
ったんだなと。神様に、先生に感謝。


2007年06月24日(日)
  「蒔き刈り」

★Aさん「また、与えられましたー。蒔いたもの
を刈り取る、蒔き刈りの法則。神様に献げたんで
すよぉ。
それで、学校が、週に数日しか行かないしと思っ
て、電車賃をその度に出してたら、えらい出費に
なって、バイトで貰ったお金が無くなってしまっ
て、困窮状態になってしまった。
すると、親を通して定期が与えられたんです。結
局、数日の登校でも定期の方が安かって、感謝で
した。

その前に、突然休暇が入ったから、旅行へ行こう
と思っていて、でも、何だかこれって神様の御心
なのかなあ?としっくり来なくて、平安も無いし、

すると学び会で、「御霊のために蒔く者は、御霊
から永遠のいのちを刈り取るのです」との御言葉
が心にぐっと入って来て、何だか喜びが来て、御
霊のために蒔きたいと思った。

それで旅行費用を全部献金した。すると、降って
わいたように、祖母を遠方の親戚まで送って欲し
いと頼まれ、ついでに旅行して来んさいと、往復
の新幹線代とお小遣いまでもらい、

皆には大変喜んでもらえ、感謝され、それに親族
と久し振りに良い交わりの時とされて、何もかも
良い事づくめであった。御霊に蒔く事の祝福を
もろに体験した。

★学び会で、「言葉」について学んでいた。
真実を語ること、人から聞いた事を人に伝える時
は、事実をその通りに伝えること、だいたい、聞
いた人が自分の色合いで聞き、自分の意見や思い、
主観を加えて次に伝える。
だいたいそうやって、次々と伝わり、事実が歪み、
曲げられて伝えられる。

Bさん「あー、ほんとその通りだー。そんな事、
気にも留めず意識もせず、自分の思い込みで聞い
て、自分の思いで次に伝えてる。言葉を神様の御
前で語るなど、発想も無かった。自分の思いのま
まに喋ってる」

事実でも、その場で、語る必要の無いことは語ら
ないこと。
人の徳を高めるか、喋る時に、よく考えて、何で
もかんでも喋らないこと。
逆に、語りたくない事でも、御霊の導きがあれば
語らなければならないこと。「ノー」をきちんと
言うこと。

色々学んでて、「ひえ〜、普段口から出す言葉な
んて全然意識してないです。考えもせず思うがまま。
それで対人関係がもうゴチャゴチャ、ギクシャク、
ガチャガチャ(笑)何か原因がわかった。祈って、
言葉に気をつけます」

もう喋らずに黙っていたら、罪を犯さずに済むだ
ろうと思うが、真実を語りなさいと言われ、黙っ
ていたらいいというものではない。

御霊に導かれて、言葉を発することができるように。
言葉も、蒔いた言葉は刈り取る。



2007年06月22日(金)
  「優先順位」

Aさんのお母さんが入院した。
心騒ぎ、心配し、母親を思う情でいても立っても
いられない。
兄弟も多いし、別に自分だけが看る必要無いのだ
が、不安で心配で、ついていたい。それで、毎日
つきっきりのごとくに、ついていた。

最初は突然の事で、緊急事態でもあり、夫や子供
達も心配し、了解してくれていた。
ところが入院が長引き、ずっと付き添っていると、
家の事がまるで出来なくなる。段々、夫に不満が
出て来た。
でも、こんな特別な時なんだし、ちょっとぐらい
我慢してくれてもと、妻側も不満が募る。何だか
不満と不満でぎくしゃくする。
更に長引くと、子供に弊害が出て来た。子供が欲
求不満で、情緒不安定になる。家の中がガタガタ
になって来ている。

この時初めて、優先順位が間違っていることに気
づかされた。
ただ母を看たいという自分の思い、自分の欲求だ
けを優先させ、家族の事を顧みていなかった事に
気づかされた。

神様、夫、子供、親という優先順位が狂っていた。
神様の秩序が狂うと、ほんとに皆が欲求不満になり、
皆が満たされず、心が荒んで来て、潤いも喜びも
平安もない。

生活を切り替えて、まず夫と子供を優先して行った。
兄弟達もいるし、自分一人で頑張ることもなかった。
すると、夫と子供達が、目に見えるように平安に落
ち着いて生活するようになった。

家の中に平和が戻り、喜びが戻った。すると、不思
議に少しぐらいはいいよと、夫も子供も気持ち良く
理解してくれ、理解の上で母を看れるようになり、
ほんとに神様に従うと、神様が働かれ、良くして下
さることを経験した。

Bさん、時間のある時は、親戚を助ける事で時間を
使っていた。
気持ちに無理なく、そうして上げたいと思い、それ
を続けていた。その時間、親族とも交わる機会とな
るし、むしろ良いと思えた。

ところが度重なると、ご主人のスケジュールと調整
取れなくなったり、ご主人を夫を一人残す事になる。
段々、悪いかなあとの思いが来るが、我慢してもらい、
親戚の必要を見て、そちらを優先させていた。

教会で交わっていると、夫さんを優先させて、親戚
のお手伝いの方を、神様に何とか別の方法を与えて
下さるよう祈ることに平安がある、と言われ、

優先順位のことを聞いて、夫が先である事を知った。
目の前にスケジュールが来た時に、そうしようと、
夫を優先した。
親族も、気持ちよく了解してくれた。すると、夫は
行動を共にすることが嬉しそうで、喜び、その時、
自分にも喜びがあった。夫婦の間に潤いと喜びが来た。

もし、聞いていなかったら、優先順位を狂わせたまま、
自分の思いでどんどん進んでいた。優先順位って大切
だとつくづく教えられた。

神様の秩序に従うと、不思議に皆が満たされる。そして
神様が状況を何とかして下さるし、責任持って下さる。

2007年06月20日(水)
  「すべてが益に」

Aさんから、大喜びの知らせが飛び込んだ。
お母様が「イエス様を信じたい人」の招きに
手を上げられたと。
Aさんが救われて、20数年祈りに祈って来た
心からの切なる願いが叶えられたのだ。皆で
歓声を上げ、大喜びした。

Aさんの実家は何とお寺。ご両親共に住職さん。
帰省すると、場所が無いから、お寺の本堂で
寝るんだよと言っていた。
ずっとAさんが証ししても、イエス様を伝えて
も全く聞く耳を持たれなかったお母様。
(そりゃそうだろうな、住職さんだもの)

でも、ここ数年前から、耳を傾けられるように
なった。「祈って!!」といつも遠方のAさん
からの祈りのリクエスト。
ずっと祈っていた。Aさんが「母が聖書を読んだ
けれどわからない、幾ら読んでもわからないから
自分にはだめだと言う」と。

「ええっー!聖書を読まれるなんて、すごい!!
驚異的な事だ。クリスチャンでもなかなか読め
ないのに」
「クリスチャンでも、わからんから大丈夫です
よねえ」とBさん(笑)

ちなみに「聖書読んでもわからん、わからん」と
いろんな人が首をかしげている。

お母様は教会にも行かれるようになり、Aさんの
実家の近くの教会の牧師先生が、時折訪問もして
下さって、御言葉をお話して下さっていた。

Aさんは離婚を通り、苦しみ悲しみ辛さの死の陰の
谷を通った。苦しみと悲しみの中も、ずっと主に従
い続け、主はこんなにも素晴らしい祝福を与えて下
さった。

主は離婚をも益として下さって、お母様は「色々な
事があった中で、子供達がこんなに立派に良い子に
育ってくれたのが嬉しい。イエス様のお陰です」と
言われた。

お母様は、Aさんの証しや生き様を見て、少しづつ
少しづつ心を動かされた事と思う。

どんな苦しい中も、辛さの中も、主に従い続ける
なら、どんな事をも、すべてを益として、祝福し
て下さることを、Aさんを通して見せられた。

2007年06月18日(月)
  「思い通りでなくて当然」

わいわいと話をしている中で、

Aさん「ショックな事や、思い通りにならない事が
起きますよね。すると『何でよ!』『何でなんよ!』
と、反抗的な思いが出て、怒りが湧いたり、又、
思い煩いや、不安もあるし、落ち込んで、悶々
状態になる。
『何で』『何で』の繰り返しで、堂々巡り。
何でかなど、わからないし。

落ち込んで、悶々状態の暗い中で、でも、ふと
神様を見上げると、不思議なんですが、神様は
きっと良くして下さるとの思いが来るんですよね。

良くして下さる、最善をして下さるお方だと思うと、
不思議に、あの否定的思考、怒りや不安や、
思い煩いの迷路、悶々がストップするんです。
止まるんです。

それで、あ、これでいいんだ、良かったんだと、
思える。どんなに不都合で、マイナス要因が
あっても、これで良かったんだと思えるから、
不思議ですよねえ。」

「神様は良くして下さると信じるのが、信仰で、
怒りや思い煩いのドつぼから、信仰の方へ
方向変換したんだ。信仰のメガネをかけたので、
だから、すべてが肯定的、信仰的に見える」

Bさん「思い通りにしようとする自我が強いから、
いつもイライラして、不平不満が募るんですよねえ。
今日は、ああしよう、こうしようとの思いがある。
すると、必ず思い通りにならない。

あれをして、これをしてと思っているのに、突然の
長電話が入ったり、突然の来客や、突発的な
処理の必要な事態が入る。

すると、あれもこれも出来なかったと、何だかイラ
イラして。妨害された、邪魔されたと思って。
すると達成感がなく、今日一日無駄だったみたいに
虚しくなって、どっと疲れて、しかも全然面白くな
くて、喜びも平安もまるで無い。」

Cさん「あ、わかるわかる。それって、全然神様を認
めてないんよねえ。“あなたの行く所どこにおいても、
主を認めよ”箴言3:6
自分、自分になって、自分だけが出ていて、主が吹っ
飛んでる。来客も、電話も、妨害じゃなくて、主を認
めて、主の御心でお導きなんじゃ」(笑)

「“そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる”
その通りじゃわ。そうですよねえ。邪魔で妨害じゃな
くて、主が何らかの御心をもって、目の前に置かれて
るんですよねえ。

冷静に考えたら、予定した事は全然出来なかったけれ
ど、でも、その人と、とても良い交わり与えられたん
ですよ。感謝ですよねえ。すべての道で主を認めて行
きたいです」

「思い通りにならない。思い通りにしようと思うから、
葛藤が生じて、怒りやいら立ち、思い煩いで一杯になる。

思い通りにならなくて、当たり前と思っていたら、腹が
立たないし、平安に喜びもっておれる。

でも、思い通りにというのは、物凄く頑固で頑なな強烈な
自我だとつくづく思う。

2007年06月16日(土)
  「恐れないで、ただ信じていなさい」

Aさんが話した。
「昔の事を思い出す。子供が小さい頃から、なかなか
うまく育てられなくて、すごく悩んで、思い煩って、
しょっ中落ち込んで、いつも暗くなってた。

子供とよほど相性が悪いのかと思ったり。あの頃の悶々
状況を思い出す。もう自分が必死で、ちゃんと育てな
きゃと思うから、子供を返って追い詰めて。

今、子供が成長して、主につながってくれて、御言葉
に土台を置くようになって来た。

今、時に、私が時間的、労力的に許容量オーバーに
なると、イライラしてしまって、子供にきつい言葉を投げ
つけてしまう。以前はそれで親子喧嘩になったり、子供
を追い詰めていたのが、
今は、子供が「お母さんは疲れているから」と受け止
めてくれている。ハッとさせられる。私より子供の方が
成長していると。

今、ほんとに不信仰だったと、後いている。こんなに
神様は良くして下さるのに、こんな今を与えて下さる
のに、どうしてただ信じておれなかったのだろうと。

将来こんなに良くして下さるなら、あの頃、ただ喜んで
感謝して、信じて信じて、過ごしていればよかった、
同じ時間過ごすのに、悩みと思い煩いと不安と恐れ
でなく、感謝と喜びと平安の中に過ごしたいと、つく
づく思う。

これから先も、経済的にや、環境的にやら様々な
恐れと不安はあるけれど、今まで導いて下さった神様
はこれからも守り、導いて下さると信じれる。
感謝して、感謝して歩みたい。」


Bさん「そうそう、いつも結果的に必ず良くして下さ
って、ああ、信じておればよかった、神様、不信仰を
ごめんなさい、になる。
あの恐れと不安と思い煩いは、何だったのだろうと、
ほんと、同じ、同じ。」

Cさんも、子供はいのちで(笑)どうしても自分が握って
委ねることができなくて、進路の度に、心配し、煩い、
落ち込み、悶々状態になるが、断崖絶壁にして下さって
委ねざるを得ない状況にされる。

自分では絶対に委ねないから、委ねるしかない状況に
まで追い詰められて、明け渡す。
その時、本当に、神が働かれて、神のみわざを見る。
結果的に、本人に最もふさわしい、最善の進路が与え
られる。神様ほんとに有難う(^^)/で、ああ、信じて
おれば良かったと、神様に申し訳ないと。

私も親の救いで、ものすごく思った。
自分が救われてから、38年後だったけれど、その間、
時に、ほんとに救われるのだろうかと、不安になったり
恐れが来たり、思い煩ったり、でも、人生の最期に
救って下さった。
それを目の当たりに見た時に、感謝して、感謝して
喜んで、喜んで、歩めば良かったと。

今後からはそうしたいと、心から皆で思うのであった・・

2007年06月14日(木)
  「蒔いたものを、刈り取る」

「人は蒔いたものを、刈り取る」話をしていた。
「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は
豊かに刈り取ります」Uコリント9:6

ある人が経済的に困り、月の支払いもあるし、生活にも
影響するようになり、必要が与えられるよう、祈っていた。

すると、ある取り分けていた出費分が不要になり、生活費
に回せると、これは祈りの答えと、喜び感謝した。

そうしていると、突然の不意の出費が生じ、その分を丁度
そのために使い、きれいに無くなってしまった。

喜んだのも束の間、いったいこれはどういう事なのかと、神
は何を言っておられるのか、御心を知りたくて、御前で祈っ
た。
すると、その祈りの中で、神は、もっと献げなさいと言わ
れた。え!食べて行くのにも大変なのに、もっと献げよと。

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は
量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでに
して、ふところに入れてくれるでしょう」ルカ6:38

御心を示されたので、決心して、生活も圧迫しているが、
信仰によって、神を信じて、思いきってバン!と献げた。
その時、心に喜びが満ちた。

そして、その後すぐ、全く思いもかけない、愛の献金が献げ
られて、すべての必要が丁度ピッタリに満たされたのだ!
与えられた事もだが、この事でまた神を新たに知った喜び
で溢れた。

そんな証しをしていたら、Aさんが「私も献げたい!」と。

「実は急に時間ができたから、旅行に行こうと思ったんです。
でも、旅行へ行くことが、神様の御心なんかどうかわから
ないでいた。どうしても行きたいわけでもなし。

今日、旅行でなく、その旅行へ行くお金を神様に献げたく
なったから、そうします。それが御心だと思います」
それで別れた。

数日後、「それがすごいんですよ!あのお金、献げたんで
すよぉ。すると、天から、思ってもなかった旅行が与えられ
たんです!
祖母を遠方の親戚の家まで連れて行ってくれと、頼まれて、
後は、好きなように見物でもしろと、交通費の上にお小
遣いまでもらって。
蒔いたものは、刈り取ること、体験できて嬉しい〜!!」

“人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、
御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り
取るのです”ガラテヤ6:7




2007年06月12日(火)
  「13年!祈りの答え」

海外からAさんが、夏休みで子供達とお里帰り。
未信者のお母様も一緒に、遠方から来教、二泊
三日の楽しいひと時を感謝だった。

遠方のご実家へは帰国するが、広島へは渡米以来、
13年振り。帰国時になると、いつも来広を祈り
に祈って来たが、13年間、なかなか道が開かれ
なかった。
経済的な事だったり、ご家族の意向があったり、
もう天国でしか会えないのかと思っていると、
突然、神様は門を開いて下さった。13年振りに!

ほんとに、神様が開かれるとパッと開くんだ。
神様が閉じられていると、どんなに思いがあっても
環境が開かれない。

「人は天から与えられるのでなければ、何も受け
ることはできません」ヨハネ3:27
すべてが主の主権と支配の中にある。

離婚という厳しい試練を通ったAさん、死の陰の
谷を通り、ただ主ご自身に守られて、今がある事、
主の御名を崇め、心から感謝した。

異国の地で、まだ小さな二人の子供を抱えて、途
方に暮れたが、主が養い、すべての必要が備えら
れていた。

車が故障した時、見積もりによると高額の修理費が
かかる。アメリカでは、車が無ければ生活が不可能、
不可欠の必需品だ。
お金が無くて、どうしようもなくて、主の前で泣い
ていた。
祈っていると、何と、その車が欠陥車ある事が判明
し、自動車会社から、すべて無料で修理してもらえた。

突然、借家を出なければならなくなった時、もうパニ
ックで大泣きだった。不安と恐れと思い煩いに襲われ
る。子供を抱えて、どうしていいかわからない。

祈っていると、教会の老夫婦のクリスチャンが、家に
来て一緒に住むようにと招いてくれた。
教会のすぐ近くで、その事を祈っていると、主がその
ように導かれている事を確信し、主からのものと、感謝
してそうさせてもらった。

家賃を取られないが、少しでも、気持ちとして納めさせ
てもらうが、それも宣教に献金するような、主に献身し
た老ご夫婦だ。

ご夫婦が子供達をそれは愛して下さって、あらん限り
の愛情を注いで下さって、子供達も辛さと苦しみの中
で、クリスチャン夫妻の目一杯の愛情を受けて育てら
れた。その夫妻を送って下さった主に、感謝しかないと。

夜も昼も働いて、経済的にはこれからも大変だが、今
まで必要を与え、守り、導き、支えて下さった主を思う
時、将来も必ず導いて下さると思えると。

離婚を通り、異国の地で、昼も夜も働きながら、子供達
を育てているAさんを通して、まことに生きて働いてお
られる主を見て、本当に恵まれる。
今までの守りを、目の当たりにし、心から主を崇めた。

2007年06月11日(月)
  「10年!」

10年前からクリスマスには必ず集会に来て下さっ
ているAさん。イベント時にも時折り、お顔を見
せて下さったりしていた。

それが今は、ニコニコと、ずっと集会に来て下さっ
ている。その姿に、喜びと励ましを与えられている。

「今日も御言葉聞いて、以前に聞いた事があるが
全然違います。以前は頭を通り抜けて、心ではな
かったんですね。心で受け止ていないから、頭を、
ふんふん、と通り過ぎてしまうんですよね」

「ほんとに種蒔きの例えの通りだね(笑)道ばたに
落ちた種は、他人事として聞いてて、自分の事とし
て聞かないから、心に入らない」「そう、そう、そ
れです」(笑)

土地は頭でなく、心。ほんとに、種が、心に植わ
る事が必要なんだなあ。御言葉は真理だ。

「ずっと祈って導いてくれた友人のBさんに
『あんた、10年かかったよ。10年じゃからね!』
と言われてます」(笑)
Bさんの愛にも本当に感謝。

「その前に、Cさんが5年!涙の祈りで、Bさんが
導かれたんですよね」

「そうそう。Cさんが幼稚園の父兄や近所の人々に
重荷を持って、祈って労していたが、何年も全く人
が来ない。
心砕かれて、もう神様一人でいいです、一人の魂を
与えて下さいと、叫び祈り続けて、それで救われた
のがBさん!」

「すごい、その祈りの答えだよね」

「それで、Bさんがずうっと忍耐もって祈り、証し
し続けたのがAさん、10年目に実が実った!!!」
「すごい!」

「神様の時は長い、でも、失望せずにいれば、必ず
刈り取る。」
「Bさんに、『あんた!10年!』と顔を見たら言わ
れてます」(笑)

Aさんが、喜んで集会に来て下さっているのが、もう
感動感激。Aさん通して神様が見えるから、更に恵ま
れる。

Aさん、試練に次ぐ試練があったので、神様のもとへ
来た。試練て、痛くて辛いけれど、本当に幸いで益だ。

そばにいたDさん「ほんまじゃねえ。試練が無いと、
自分でやってしまって、神様のもとへ行かんよねえ。
自分でどうにもならなくて、どうにも出来ん時って、
初めて神様のもとへ駆けつける。人間は強情じゃ(笑)

そいで、ちょっとひと息つくと、自分の力でやり出
すし、ほんとに自我が強いですよねえ。」「出エジプ
トの所で、パロがひと息
つくと、頑なに戻るもんね。問題が無くなると、自分
で歩み出す」(笑)

神様から離れてて戻って来た人々が皆、「行き詰まっ
たから」と言う。行き詰まる事は結局は感謝。幸い。



2007年06月07日(木)
  「見えない者が見えるように」

若い頃からの友人と話していて、

人生3分の2も過ぎて、振り返ると色々あった
よねえ、と。

友人がしみじみと語った。「もう波瀾万丈だった。
私、粉々に砕かれたわ」「うん、信仰生活って砕か
れる歴史だよね」
「ほんと割礼だね。皮がはがれて、むける感じ」
「そうそう、皮がはがれた感じ。痛くて苦しくて
血が流れて、もう耐えられない苦痛なんだけど、
でもほんとに、砕かれて良かった。感謝しかない」

「振り返れば、失敗が感謝で、失敗により高慢が
こてんぱんに砕かれる。失敗の無い人生なら
どんなに高ぶっていただろうと。その高ぶりに
すら気づかない。」

「今、わかる。私、本当に高ぶってたわ。でも
それが、信仰によって歩むことだと、信仰を貫く
ことだと、信じていたから恐いよね」
「うん、言ってること、わかる。わかる」

「自分の力で頑張って、人をさばきまくって、神様
の心と正反対の方向へどんどん進んで行く」

「あのまま行っていたら、ほんとに心の底から
恐い。失敗して、砕かれて、恵みが知れて本当
に良かった。
失敗したけれど、失敗する前に帰りたいと思わな
いんよ。神様の愛を知れて、恵みを知れた今が、
ほんとに感謝で、感謝で」

信仰のつもりが、信仰の名を借りた、自己主張で、
世と妥協しないという名を借りて、バッサバッサと
周囲を蹴散らして行く。それが勝利だとの勘違い。

「目の見えない者が見えるようになり」ヨハネ9:39
今、ほんとに見える。盲目だったんだ。主があわれんで
目を開いて下さった。

でも、ほんとに盲目で良かった。
見えていたなら、心底盲目となる。「見える者が盲目と
なるためです」



2007年06月05日(火)
  「どこにおいても主を認めよ」

Aさんが話してくれた。
「日常生活の中で、ほんとに神様が働いておられる事
を知れて、感じて、心恵まれています。

いつも、待ち合わせ時間に遅刻する人がいて、何で
遅刻するのかわからん、もう信じれん感じで、心でさ
ばき、つい嫌味を言っていた。

すると、自分がバイトに遅刻して、もう重大責任で、
ほんと砕かれた。
その時、大変な失態で、叱られると恐れが来たが、
祈りながら向かうと神様が「恐れるな」と励まして
下さった。
ドキドキしながら、不安と共に到着すると、「誰でも
寝坊する事あるから大丈夫」と優しく受け入れられて、
全く叱られず、安堵と安心で、涙が出てしまった。
自分のせいで、大幅に損害が出たのに、責められ
もせず、この時、神様の愛を膚に感じた。

神様の愛が、なかなかわからなくていたが、この時
初めて愛がわかった。ひしひしと感じた。神様に
抱かれている感覚だった。

祈る事を学び、祈りを実践して行く中での事で、
何より祈りが聞かれている事が大きな恵みだ。

対人関係で、何だか厳しく当たられて、辛い思い
にあったが、祈っていた時、ひょっと優しい言葉を
かけられて、その人の良さを感じた。見方が変わった。
祈りの答えに嬉しくなった。

友人関係もぎくしゃくする事があるが、祈っていると
自分の傲慢、虚栄心、プライドに問題があり、相手
でなく、自分のそのところが問題だと示された。

祈っていると、日常生活で様々なことを教えられる。
祈りが答えられることが、何より感謝で嬉しい。」

“あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる”
箴言3:6

一日の中の、一つ一つの起こる出来事や、対人
関係の中に、主を認めるなら、神様を知れる。

そうすると、日常が生き生きとして、神様に至る
所で触れる。喜びが来る。


2007年06月03日(日)
  「良くしてくださったこと」

突然遠方の友から電話が入った。
数年振りに声が聞けて、互いに喜んだ。
40数年前?! 救われた頃、共に信仰生活をした友で、
電話を切った後も、いろんな思い出が駆け巡った。

宣教師の先生が次の示された地へ宣教に出られ、途中
で教会が無牧になってしまった。

当時は7名ほどだったので、皆で話し合い、婦人方はご
主人が未信者で遠くへは無理なので、近くの教会へ行く
事にして、若い人々は電車ででも、それぞれ導かれた教
会へ行く事に決まった。
集会所も丁度、借りていた家が改装のため、出なければ
ならず、集まる場所も無くなってしまったからだった。

ところが、ところが、どうしても別れる事ができず(^^;)
自然に教会の近くの一人の婦人の家に足が向き自然集合。
別れられず、祈っていると、家を持ち回りで、家庭集会の
形で聖日礼拝はどうかとの案。

なぜか不思議に道が開かれ、婦人方もご主人不在の時
は家を使って0Kと、未信者のご主人方が許可して下さっ
て子供達は親御さんが、なぜか不思議に了解して下さって、
持ち回りの家庭集会ができてしまった。
不思議でならないが、道が開かれる時は、開かれるんだ。

そうこうしていると、倉庫になっている市場の小さな集会所
が借りれるとの情報が入り、そこで集会を始めた。ほんとに
不思議に道が開かれて行く。
そこで、特伝をしようとチラシを印刷し、配布。知り合いの
先生に講師に来てもらい、その特伝にはチラシを見て、何人
もの新来者が来て、びっくり!!!
後から思えば、ほんとに神のみわざで、いっさい人間の力で
なく、まさに神が働かれたことがよくわかる。

その友と一緒に教会学校を続けた。
そして、最も印象深く残っているのが、教会にまで来れない
子供達のためにと、毎週土曜に、徒歩でかなりの時間かか
る所へ行き、その公園で、子供達のために集会をした。
遊んでいる子供達を集めて、賛美し、聖書のお話をする。
毎週続けた。

特に、寒い冬にもう陽が落ちて、暗くなった中を徒歩で
(昔は車など無く)楽しく交わりながら帰る。
心に祝福と恵みの灯が赤々とともされ、神様に心暖めら
れて、満たされて、友と交わりながら戻った、その日々
が忘れられない。

必ず子供がお話を聞いてくれ、毎週そこに集ってくれ
る子達もいた。主のために働けた、本当に心満たされ
た幸いな思い出だ。

若い時に救われて、主と共に歩んで来れたことに、心底
感謝で一杯だ。
本当に良くして下さった神様に、もう感謝で感謝で心が
満ち溢れた。

突然の電話は、まさに神様が、恵みと祝福と喜びと感謝
を思い起こさせて下さるためであった。感謝。

“主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

あなたの一生を良いもので満たされる”詩篇103

2007年06月01日(金)
  「神のご計画」

今週、4人目の孫が生まれた。

娘が予定日近くに検診に行くと、全く気配無し、
まだまだ上にあって、全然下がっていないと。

次回検診は、もう予定日超過数日後になるが、
「はい、じゃ又、次回にね。まだまだ生まれま
せん」と医師の言葉。

で、皆で、まだまだなんだろうと思い込む。
予定日過ぎてから出産になるんだろうと。
何となく、色々な準備も気長にやっていた。
まだ、大丈夫だ〜と。

すると、何と、起こる予定の、起こるはずの無い
事が起きた。
予定日3日前の早朝に、陣痛が始まった。
前日も、全く何の気配も無かったのに。
そして、その日、すぐに出産、本格的に陣痛が
来てから2時間で出産という、大変な安産であ
った。病院もびっくり!という。

神様の主権、支配をひしひしと感じた。
下がってないのだから、出産になりようが無い
はずが、神様がちょちょっと動かされるなら、
すぐに出産になる。
見た目でも、人の思いでも、自然界でもない、
神のご計画が成るのだと。

神様次第であり、すべての権威と主権を握って
おられる全能のお方であることを見せられた。

準備していなかったので、大慌てであったが。
主の再臨もいつ来られても良いように、ほんと
に常に準備が必要だ。

最も美しい神様の時に出産を、出産を通して神を
知れるように、神の栄光が現されるようにとの
祈りにも答えて下さった。

今、祈りの課題で祈っている、様々な祈り、神様
次第であり、神様がちょちょっと動かして下さっ
たなら、即、答えられるし、その成就の「時」も
愛なる神の御手の中に握られていて、最善をして
下さるということを見せられた。

祈りへの、神様からの励ましであり、エールであ
った。見えるところでなく、見えない神ご自身が
支配しておられる。
「神様次第」「神の御手の中に握られている」と
の神様からのメッセージであった。

“私の時は、御手の中にあります”詩篇31:15

“見えるものが目に見えるものからできたのでは
ない”ヘブル11:3

皆のお祈りに、本当に感謝m(_ _)m