2008年01月26日(土)
  「おりにかなった助け」

地区の集会に集っているAさん。

「元気?最近いかが?」
「大風邪ひいて、身体が不調で大変でしたが、何とか
治りました。
親族の大きな病気やらで、もう1日たりとも祈り無し
で生きる事のできない年末年始でした。

皆の祈りで本当に支えられています。祈り無しでやっ
て行けません。お祈り感謝です。私も皆さんのため
に日々祈っています」

ご親族の大病で大変だったけれど、ほんと心底神様に
頼れて、皆で一緒に祈れた。
手術は大成功で、様々な細部にまで神様の、おりに
かなった助けを見せられ、本当に神様を感じた。

Aさん、もう祈りの日々で、祈り無しにやって行けず
祈りに祈る中で、神様がすべてをあい働かせて益とし
て下さることが信じれたと。
不安材料のまっただ中にあって、信じれて、平安を与
えられた事が、まさに奇跡のようだったと。

状況に関わらず、見える所に関係なく、祈りの中で、
主と交わり続けると、全き平安を与えて下さる。
この全き平安こそ、真に「おりにかなった助け」だ。

Bさん「私も大波、小波、ひっきりなしに、次から次
へと神様が送って下さってます」(笑)
「でも、ほんとに祈れて、頼れるから感謝です!!

何もなくて順風だと、祈るんですが、おざなりな祈り
になってしまっていたり、でも、試練が来ると、心底
祈れます。いつも道を示して下さるし、本当に有難い
です」

その日の集会の、メッセージ箇所が「あわれみを受け、
また、恵みをいただいて、おりにかなった助けを受け
るために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませ
んか」ヘブル4:16

主は弱さに同情できない方ではありません、と。
涙を拭きながら聞いておられた。

集会後、明るい笑顔で、「今日の御言葉ピッタリ!
でした!!ごちゃごちゃガタガタ身辺であるんです
が、神様がご存じでいて下さって、ピッタリに語って
下さる、ほんとに感謝です」

神様に愛されてるんだ。まさに「おりにかなった助け」
だ!神様は、かなった助けを与えていて下さる。

「かなって」いないと助けにならない。的はずれだと、
何の助けにもならない。まさに神わざだ。

私にも、神様は、いつも的を射た「おりにかなった助
けを与えるから、いつも恵みの御座に来なさい」と
語って下さった。

何か起こった時に、まず「神様!」と呼び、まず御座へ
行けるように!!

2008年01月24日(木)
  「神様との関係」

神様との交わりが、信仰生活のいのち。

Aさん「結局、大事なことは神様との関係だけ
ですよねえ。神様と近く歩んでいたら、すべて
の事が導かれますよねえ。

日々デボーションをして、神様との交わりの中
で生活していたら、心がすごく潤っていて、喜
びがあって、生活が導かれるんですよねえ。

忙しさにかまけて、祈りがおろそかになり出す
と、心に潤いが無くなって、ギスギスして来て、
人の言動にもイライラ、ムッとして、何だか
明暗くっきりなんですよねえ。

神様知る以前からの悪習慣、悪口を言わないよ
うに、ずっと祈ってるんですよぉ。

デボーションが順調に行って、神様と交わって
いる時は、友人の間で『悪口言ってはいけない』
などと、いさめているんですよぉ。

でも、神様との交わりがおろそかになると、
自分が率先して、悪口言いまくってて。
もう、周囲は混乱しますよねえ(大笑)」

Bさん「でも、わかる。私も、御言葉学んで
わかっているのに、問題が目の前に来ると、
神様も御言葉も、吹っ飛んでしまって、肉が
どお〜っと出て来る。

教会に来たり、祈ったり、御言葉に接すると
我に返る(笑)
御言葉が来ると、ああ、そうだと思えて、神様
に立ち返れる。
御言葉は力ですよねえ。祈りや御言葉を離れる
と、肉の思いが大きくなって、世の人と同じ
思考パタンになる」

「教会に来る度に、我に返れて、神様に従い
たいと思って帰れる。
ほんと、祈りの生活をしていたら、神様を
意識できますよねえ。祈ります!!」

Cさん「そうそう、そうです。私は根がすごく
悲観的で、ネガティブ。ちょっと神様から
離れると、もう何もかもが暗くなって、下向き
になって、すごい思い煩いと不安、否定的な
歩みになる。もう、どおーっと沈んで行く。

でも、神様と交わっていると、平安が来て、
大丈夫だと思えて、良くして下さると希望が
持てて、ほんとに神様すごいです!」

「わたしにとどまりなさい。わたしもあなた
がたの中にとどまります」ヨハネ15:4

「わたしを離れては、あなたがたは何もする
ことができないからです」15:5

2008年01月22日(火)
  「従うこと」

「神様に従うと、すごい祝福されるのがわかる」

Aさん「お姉ちゃんが私のストッキングを、しょっ
中勝手に使うんですよぉ。だから、私がいざ必要に
なると無いんですよぉ!
もう切れかけて、丁度、今日教会へ来る日で良かっ
たです(^^)」

「従う事」の御言葉を学んで、心満たされ、ニコ
ニコして帰り際「帰りストッキング買って帰りま
す」「お姉ちゃんにも買って帰って上げて」
「はーい!そうします!」

神様に従って、買って帰ると、今度は自分の失敗
が発覚、お姉ちゃんに迷惑かけていた。
「ストッキングのプレゼントが用いられたんです!
神様に従って、本当に良かった!!」

Bさん「最近も、従う事の祝福を教えられています。
“夫に従いなさい”との御心に従って、夫に従って
行くと、家庭内も、親族の間も、ほんとに良いよう
に導かれて行くのを見せられています。

御言葉を幾ら聞いていても、従わないとだめです
ねえ。従うことが祝福なんですねえ」

Cさん「従うことって、自分を砕くことですよねえ。
従って行くって、すごい祝福だとわかるけれど、
自我が砕かれるから、痛いですよねえ。

だから、決心するまでが、凄い葛藤なんですよぉ。
肉は、従わずにやって行こうとする。

神様飛んでしまってたりして。でも、御言葉が来る
と、やっぱり従おうと思えて、決心して従うと
すごい平安になって、やっぱり従って良かったと
いつも思える」

「親族の中で、ごちゃごちゃもめ事があったんです
よぉ。その時、とにかく自分の事や、自分の利害
でなく、神様の御心が成るようにと、それだけが
心にあって、祈れたんです。

そして、神様の言われる通りに従えたんですよぉ。
すると、親族に『あんたは違う』と言われて、
証しになったんだなあと。
神様に従うことの大切さを教えられます」

Dさん「バイト先で、最初仕事がなかなかうまく
出来ないから、周囲に自分の悪口を言われている
のが、聞こえてしまったんですよぉ。

すごく傷ついたけれど、でも祈っていたら神様に
導かれて、赦して親切で返しなさいと。
神様に従って、そうして行ったら、今では、悪口
言ってた人が、ものすごく良くしてくれて。
特に、私に良くしてくれるんですよぉ。
神様の祝福だなあと、本当に感謝です」

2008年01月20日(日)
  「有難み」

皆で、話していて、自分で困窮を感じないと、
有難みがわからないと。

Aさん「母が高齢で、段々身体が不自由になっ
て来ていて、ああして上げたらいいな、こうし
て上げたらもっと楽になると、自分としては、
色々考えて、助けようとすると、

母は、母の思いがあって、自分の思い通りにし
たいようで、そこでぶつかってしまう。

自分としても、母のためにと思っているが、
でも、よく考えると自分の、良かれとの思いを
押しつけているのかなと。

母が実際に自分で不自由を感じ、自分で助け
を求めた時に、助けたら良いのだと思えた。

先回って、楽に楽にして上げようと思っても、
本人がそう思わない限り、余計なお世話だなと」

Bさん「それ、子供にも言えるよね。ついつい
子供の先回りをして、道をつけて過保護にして
しまう。
子供が必要を感じる前に、与えてしまうから、
子供が困る経験がない。有難みがわからん
よねえ」

Cさん「自分自身もそうよねえ。すでに与え
られているもの、知らない内に与えられてい
るものって、全然有難みがなくて、粗末に扱
ってしまう」

Dさん「祈りもそうですよねえ。祈って祈って
与えられたものと、祈らずに与えられている
ものって全然違う。恵みによって沢山のものが
与えられているのに、その恵みがわからなくて
感謝がない。

でも、求めて、求めて、祈って祈って、与え
られたものって、有難みが身にしみて、大切
にしますよねえ」

「やっぱり、自分が困って、行き詰まって、
必要を感じて、神様に求めて、与えられたもの
って本当に嬉しいですよね。有難くって、有難く
って」

Eさん「私、財布がボロボロだったんですよぉ。
破れてて、もうカバンに入れてると、いつもお金
がカバンの中にバラバラに出てしまって。

カバンが財布みたいなものだったんです。でも、
買うのも何か勿体なくて、¥1000ぐらいは
するじゃないですか。
買う気がしなくて、そのままだったら、見かねた
主人が財布を買ってくれたんです(笑)

もう財布が有難くて、有難くて、感謝でならない
んですよぉ。やっぱり自分が不都合を感じて、
自分が困って、与えられる時、感謝が溢れるん
だなあと」

ほんとにそうだ。困る事がないと、何もかもが
当り前で、有難みがわからない。感謝がない。


2008年01月18日(金)
  「この方以外に、ない」

この近辺のある地方で、風習がある。

亡くなった人の棺の中に、5円玉を入れる。
「ご縁(5円)がありますように」との意味で
この世からあの世に渡る、さんずの川を渡る時に、
渡すんだそうな。
そうすると、さんずの川を渡してもらえるそうな。

「本当に5円玉を入れるんだよ」
「で、さんずの川で、誰に渡すん?」
「え?さあ〜?わからん??ほんまじゃ、誰に
渡すんじゃろ」

お盆に地獄のふたが開いて、3日間だけ、家の
仏壇に霊が帰って来るとか。
だから、お盆に供養する。
「3日間帰って来るんだったら、362日は空い
とるんかね?空いとるとこを拝んどるん?」「さあ?」

イエス様を信じる前、死がものすごく恐かった。
本当に恐怖だった。突き詰めると気が狂いそうなほど
恐かった。
とにかくひたすら考えない事だけが、解決策だった。
そちらに行くと、必死で思いの方向を変えて、とに
かく考えまい、触れまい、ふたをしておこう。
それしか無かった。

イエス様を信じた時、びっくりしたが、この死の恐怖
が全く無くなっていた。微塵もかけらもなく、消え去った。

ほんとに生けるまことの神がおられると、畏れで一杯に
なった。絶対に無くならない、自分でも、誰も、何も、
どうにも出来ないものだっただけに、真に神様に触れた。

「これはその死によって、悪魔という、死の力を持つ
者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となって
いた人々を解放してくださるためでした」ヘブル2:14

「一生涯死の恐怖につながれて奴隷」まさしく以前の自分で
「解放してくださ」った、今の自分だ。実際に起きた事だ。
自分にとっては奇跡。死の恐怖が全く無い。御言葉の通りに
この身に成っている。

暗闇、恐怖、迷信、閉塞感、絶望・・悪魔から来ている。

光、愛、平安、安堵、希望・・「光はやみに輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった」ヨハネ1:5

「この方以外には、だれによっても救いはありません」
使徒4:12


2008年01月16日(水)
  「変なこと」

Aさんが
「おばあちゃんが、昔の事をよく話して、一生懸命
必死で拝んだら、孫の病気が治ったと。

それで、何に拝んだんかと聞くと、『わからん』と
言うんですよお。はあ??と思ったんですけどね。

このお正月に、親族がおみくじを引いてたんですよお。
すると、もうすぐ受験の親戚の子が‘凶’だったんで
す。
もう皆、内心真っ青で、動揺していて、その子も泣き
そうで、皆は「大丈夫だからね。〃」と懸命に口では
言うんですが、皆、心が動揺しまくってるから、わか
るんですよね。

でも、神様信じてる私は、全然動じないから、その子
もそれがわかって、私のところにずっと寄って来て(笑)

本当にまことの神様に知られ、神様を知っているって
すごい恵みで感謝だなあとつくづくと思いました。
真理を知ってるって、すごい事ですよね。それも恵み
によって」

若い牧師のB先生「田舎に帰省して、親族と楽しく交流
してたら、親戚が仏教だと言うんですが、全然知らない
んですよお。何拝んでるのかも、わからないし、その教
えも全く知らないと。それで、僕が教えて上げたんです」

以前バイブルセミナーで、一つ大変納得した事があった。

立て続けに何か悪い事が起こると、例えば、家族が病気
や、事故やけがや倒産やらと、次々に見舞われると、必ず
先祖をちゃんと供養しないからだと言われる。

お祓いをしてもらって、先祖を供養するように。つまり
先祖のたたりだと。

講師が言った。「ちょっと考えてみて下さい。自分の
状況が思うようにならないからと言って、子供や孫の
人生を呪って、たたって、子供の人生、孫の人生をめ
ちゃめちゃに破壊してしてやろうなどと思います?」

「絶対に思わないでしょう?これは大嘘で、サタンの
惑わし、偽りです。
こんな苦しみの場所に、兄弟たちが来ないようにと、
大金持ちは言っている。
自分を供養しないから、子や孫にたたろうなどと、そん
な人間がいたら、私が説教する!」と。

ほんとにその通りで、自分はどうなろうと、まず子供や
孫の幸せの方を願うのが普通だ。

人々は何とも思わず、信じているが、サタンの大嘘だ。
確かにちょっと考えてみれば、その通りで、おかしい。

Cさんが、郷里で、張り子のだるまが神棚に並んでいて、
毎朝、皆がそれを拝んでいる。
ある時、張り子のだるまが壊れて、それを修理して、また
神棚に置いて、拝んでいる。
修理しても、いよいよ使いものにならなくなると、ごみ箱
に捨てられた。

ものすごく変なんだけど、変だと思わないところが、
サタンなんだ。人の思いって、くらまされてしまうんだ。

「この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちで
あるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないよう
にしているのです」Uコリント4:4

2008年01月14日(月)
  「思い煩い」

「思い煩いが来る」「来る、来る」「すごい思い煩う」
と、皆で交わる。

「思い煩い」は、サタンの放つ火矢だ。サタンが吹き込ん
で来る。
「・・悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます」
エペソ6:16

心に心配の種がある時、そこを目がけて、1日中、サタンの
矢が飛んで来る。次から次へと、堂々巡りで、同じ思いに
取り込まれる。
不安に心が暗くなる。心が沈み、落ち込む。
サタンからだと言うのは、その反応でわかる。

主からの思いは平安で、心が満ちて、希望があり、喜びが
あり、心が前向き、信仰的になる。

サタンからの思いは、どんよりと重苦しく、心が暗くなり、
しんどくなり、心がふさがれるような感じ。明るさがなく、
希望が全く無い。失望、落胆、不安。

「思い煩い」は、サタンが神様から離そうと、持って来る
攻撃だ。何か問題が起こると、その事を標的に、四六時中、
襲って来る。

結局、サタンに乗って、ずうっと思い煩いに乗っていたなら、
どんどん、思い煩いが強固になって、どんどん大きく固いもの
になり、これだと要塞のようになって行く。

思い煩いの確信を、どんどん強くして行く事になる。自分が
して行っている。自分で思い煩いを確かなものにしている。

ずうっと思い煩っているのだから、それが強固に強固になって
当たり前だ。

心の底の底を見ると、思い煩いを自分が選んでいる。選択して
いる。思い煩っていたいのだ。思い煩いをしっかり握って放さ
ない。

思い煩いが好きなんだ。「こんなに嫌で苦しいのに?」やっぱり
好きだから、思い煩ってる。

AさんもBさんも言った。「うん!わかる。心の底の底を見て
行くと、自分は思い煩いが、好きなんですよ」
思い煩いを選び取ってて、握って放さない。

「何も」思い煩うな、と神様は言われる。
「何も」だ。その事も、あの事も、この事も・・、いっさいがっ
さい。

これって、すごい事だ!!!
「思い煩うな」という御言葉を握って、肉とサタンを拒否して
行く。確かに思いが守られる!!

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささ
げる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知って
いただきなさい」ピリピ4:6

2008年01月12日(土)
  「へりくだり」

以前に友人宅を訪れた時、そのまた友人が
証ししてくれた。

夫がギャンブル狂で、もう夫婦喧嘩が絶えず、
家の中ガタガタ。
その内に、給料丸ごと持ち出すようになり、
もう生活不可能になり、離婚を考えるように
なった。
悶々状態の中、何かの指針や支えが欲しくて、
教会へ行った。
イエス様を信じて救われ、教会で学びを始め
ていた。

すると、その中で、自分の罪がどんどん示された。
どう見ても、夫が悪いとしか見えない。確かに
夫は悪い。

しかし、自分の内側はもっとひどい。
夫を見下し、軽蔑し、裁き、自分が神になって
いる高慢。
その姿を光のように示され、余りの恐ろしさに
おののいた。

神の御前に悔い改めた。そして、夫にも自分の高慢
を心から詫びた。
そして、あれほど阻止しようと、いきり立っていた、
ギャンブルも、もういいと思えた。夫がしたいのなら、
いいと思えた。

すると、夫が変わった。ギャンブルが止んだ。
今は趣味程度で、それに支配される事が全く無く
なった。

自分の夫に対する高慢な態度が、ますます夫をギャ
ンブルへ駆り立てていたと気づかされた。
すべてが神様によるものであり、神様の祝福だったと。


形は違うが、同じような事がAさんに起こった。
相手がはっきり罪を犯し、明らかに悪い。
相手を責めて、裁きまくって、怒っていた。

ところが、相手は確かに悪いが、自分も内側に高慢
な思いに恐ろしい罪を犯していると気づかされた。

相手は関係なく、自分と神様との間の問題だった。
自分は罪を犯している。その罪を悔い改め、相手に
も謝った。

普通、「相手が悪いじゃんか、何で謝らんなん」と
思うが、御霊の導きに従うと、自分の心が癒された。
平安と喜びが来た!神様すごい!!

謝るのは、へりくだることだ。誰もしたくない。
でも、そこで御霊に従う時、大きな祝福にあずかる。

神様の原則の通りに、「へりくだると、高められる」




2008年01月10日(木)
  「罪」

カンボジアへ2度目の訪問。

町が3年前より、綺麗になっている。
3年前は、空港を出て、タクシーに乗ると、道の
両サイドがずうっとゴミの山。びっくりする。
最近、清掃業者が町を掃除しているそう。

前回、行けなかったツールスレン刑務所へ行く。
何度も本を読み、何度も写真を見ていたが、自分の
目で見ると、全く、全然違う。
何が違うのか。身体全部で、体感するんだろう。

ベトナム軍がプノンペンに侵攻し、首都占拠して、
翌日、その虐殺刑務所を発見する。遺体がまだそ
のままで、政府軍の高官達も拷問の上虐殺された。

初めて足を踏み入れた、ベトナム兵が撮った虐殺
された遺体の写真が展示してある。
余りにもひどくて正視できない。

容疑者の拷問には、考えられる限りの残虐な手段
が使われたそうだ。特に、子供を洗脳し手先にし
たので、子供の残虐性は際立っていた。
裏切り者を明らかにして行くのが組織の目標の一つ
だった。
密告に証拠など必要なく、裁判もなく、即処刑だった。

そこは元高校で、教室を利用して、独房が作って
ある。汚いレンガを荒々しく積んだだけのもの、
木のもの。家畜用みたいな場所だ。
狭い仕切っただけの独房。見ただけでもおかしく
なりそう。

原爆と同じで、余りにもひどすぎて、決して見たく
ないけれど、見ないといけない、そんなたぐいの
ものだ。

神から離れた、人間の罪の底知れぬ不気味さ、
どこまでも残虐になれる、「罪」の恐ろしさを思った。
「罪」とはそういうことであり、それが「罪」なんだと。

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪と
されました。それは、私たちが、この方にあって、
神の義となるためです」

十字架で罪とされた、イエス様はどんな恐ろしい
底知れぬ闇を通られたのだろう。

光と愛と正義と真理が、あることが感謝で感謝で
たまらない。神がおられることに、喜びが溢れる。

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち
勝たなかった」ヨハネ1:3

2008年01月08日(火)
  「時と機会」

「すべての人が時と機会に出会うからだ」
伝道9:11

今回、時と機会について、とても教えられた。

普段から、ストレートに「神様、カンボジアへ
行きたい、ヾ」と心の願いは祈れと言われるので、
素直に率直に祈っていた。

そして、何の前ぶれもなく、年末に突然、次男
から「年末の休みに、カンボジアへ行って来る
から」との電話があった。

カンボジアはいつかは行く予定で、国内旅行でも
と思っていたようだが、丁度直前に海外宣教師の
先生から宣教報告を聞いた事もあって、思い立っ
て決めたようだ。

その突然の知らせが来た時に、「一緒に行く!」
と即、言えたことに、神様を感じた。
普通なら言えない。前後のスケジュール調整や、
様々な事柄がついて来る。

神からの「時と機会」が突然来ること。なぜ、
確信もって即答できたのかと思うと、祈っていた
からだということ。
祈りがあったから、平安と確信もって決断できた。

普段の祈りが、大切だということ。
神から来る「時と機会」があり、それをキャッチ
して逃さないことが大切で、ぐずぐずしていたら、
優柔不断になっていたら、その神の「時と機会」
を逃してしまうことを教えられた。

神からの「時と機会」に乗ると、御霊が何もかも
備え、御霊が運んで下さることも経験した。
ただ、キャッチして、乗るだけだと。

「イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何
をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。
彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った」
T歴代12:32

という御言葉があって、「時を悟り」「何をなすべ
きを知って」とあるが、

神からの「時を悟り」「何をなすべきかを知る」
「時と機会」をキャッチするためには、どうすれば
良いのか?

それは、普段からの神様との親しい交わりだそうな。

そりゃそうだ、と納得。親しい、濃密な交わりの中で、
主の御声と導きを、間違わずにキャッチできるのだなと。

この新しい1年も、主からの「時と機会」を逃す
ことなく、「時を悟れるよう」キャッチできるよう、
祈って行こう。




2008年01月05日(土)
  「御言葉に力がある」

神の国、御言葉の価値観と、この世の価値観が
相反し、天と地ほどに違う。

クリスチャンは、新しい性質と古い性質を宿して
いて、新しい性質は、御言葉の価値観に従おうと
し、古い性質は、この世の価値観に引かれて行っ
てしまう。
どちらもの大きな影響を受けてしまう。

Aさん:この世界は、自我の欲望が渦巻いている。
自分、自分で、損は絶対にしたくない。より多く
得たい。欲望があるので、損得勘定で動く。

その欲望が互いに対立すると、もうドロドロの
争いになる。どちらもが自己を主張するから、
争いしかない。泥沼だ。
それも、どちらもが自分は正しいと思っている
ので、ぶつかり合うばかりだ。

ほんとに神様を知っていて、良かった、感謝しか
ないとつくづくと心底思った。

損得でなくて、神様の御心を思い、御心を求める
ことができた。そうできた自分が奇跡だと思った。
損得で動いて、自分は全然幸せじゃない。
虚しいばかりだ。

自分は祈ることができて、神様の御心のままで
いいですと、心から言うことができて、神様に
自分を委ねることができた。
心は平安だった。

祈って、祈って、皆の意見とは異なる、御言葉に
立った自分の気持ちを、皆に伝えた。

皆とは違う意見に、疎外されるかも知れないと思っ
たが、祈って言った時に、そうではなく、
「あなたはそういう気持ちなんじゃね」と逆に受け
入れられた。神様を感じた。

そして、周囲が「あなただけは違う」と言った。
「あなただけは、人の気持ちを考えてる」と言っ
てくれた。

自分にも欲はあるし、損得勘定に影響されそうに
なる。
でも、そこに御言葉が臨むと、そうじゃないと我
に返れて、御言葉によって、御心の方へ変えられる。
御言葉の力を経験した。

御言葉の価値観にとどまり、御言葉に従う時、
周囲に証しになって行くことを教えられた。

心にある価値観が、この世の影響を受けて、揺れ動く時、
我に返らせてくれるのが御言葉だ。
御言葉が心にある時、信仰が湧いて来る。神様に従おう
と思える。
やっぱり、日々、御言葉に接していること、御言葉から
離れないこと、御言葉に聞いて行くことが、どんなに大
切かを思い知らされた。

2008年01月03日(木)
  「主が戦われる」

昨年の年頭から、祈っていた課題があった。

年末の教会債の大口返済3○○万円。
新会堂建設時に、ご好意と親切で、対外から今は
使わないのでと貸して下さったものだ。
感謝をもって返済したい。その返済期日が、
昨年末だった。

私たちの教会にしては、大きな返済だった。
年頭に祈っていた時、御言葉が臨んで来た。

「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは
黙っていなければならない」出エジプト14:14

はっきりと、主から語られた言葉だった。
御言葉の力を教えられた。そのため、心配から
守られた。御言葉によって、まず心が守られる。

そして、返済期限が近づき、皆で祈った。ひとつに
なって、この事にあずかろうと。

5つのパンと2匹の魚が、主のもとに献げられた時、
奇跡が起こり、皆が満腹した。
5つのパンと2匹の魚は、幼稚園児のお弁当ぐらい
の小さな小さなものだった。しかし、何の問題もない。

それを主のもとに持って行くなら、それを用いて大き
なみわざをされる。
皆で、自分にできるものを持ち寄った。

返済期日最終の聖日に持ち寄られ、まだ計算ができて
いなかった週明けに。
ある方から微々たるものですがと、献金が寄せられ、
別の方は、自分にとって偶像となっていた事が示され、
その事のために貯めていたお金、もう自分には不必要
なので返済のために献げたいと。

そして、それらをすべて計算すると、50万が不足で、
あと50万のために祈ろうと、祈りの連絡をする。

すると、Aさんが、日曜にバタバタして、提出を忘れて
いたとの連絡、何とその額、50万!!

1円も違わず、ピッタリ!満たされた!!
こんな事ってある??
すべての人々の献げものが用いられ、祝福された!!

Bさん「神様、すご過ぎる!次回、もっともっとよく
祈って、献げる事にあずかりたい!すごい恵みだと
わかった」

皆で主の御名を崇め、皆で喜べた。
神様すごい!

「主が戦われた」
今年も、語られた御言葉を、信じて歩めるように!

2008年01月01日(火)
  「完全な賜物は上から」

明けましておめでとうございます。

年末に、突然のカンボジア旅行が天から与えられ、
素晴らしい恵みの時が与えられた。

皆に、「神様からのクリスマスプレゼントですね!」
と言われる。
日頃から、ストレートに「神様!カンボジアへ行き
たい!行きたい!」と祈っていたので、祈りに答え
て下さった。

次男が年末休みに、カンボジアへ行って来るとの
連絡を受け、即、「一緒に行く!」と言えた事が
神様だと感じた。

普通なら、様々な事情を考慮して、迷ったり、
考えたりするが、瞬間的に言えた事に、御霊
様の導きを感じた。

「すべてのことが、神から発し」ロマ11:36
このカンボジア行きが、神から発している事の
実感、御霊から出ている事を体感。

で、次男が予約した時点で、5席しか空いて
いなかったから、もう席が無いかも知れないと。
聞いてみるからと。

その晩、御心のままに開き閉じをと、祈った。
御心のままで良いですと。

翌日、電話があり「1席だけ空席があったよ」
皆が「神様予約席だ!」と言ってくれた。

教えられた事は、祈りの大切さ。
普段から「行きたい」と祈っていたから、瞬間的に
これは神からだとわかり、即答、決断できたんだなと。
祈りがあったから、チャンスを捕らえる事ができるん
だなと。

祈っていなかったら、多分、前後の様々な事を
考えて、まず即断できず、チャンスを逃してしまっ
ていたと。

普段の祈りで、タイミング、チャンスをキャッチでき
ることを学ばされた。

そして、御心の中にあるなら、すべてが素晴らしく、
まさに神わざで、整えられ、備えられること。

経済的必要、天から降って与えられ、年末で長女が
帰省していて、教会学校や奏楽を代わってもらえ、
奉仕の必要備えられたこと、
次男同行で英語が非常に助かったこと、

丁度、カンボジアも年末休みで、一家も自由に動き
回れ、双方リフレッシュの恵みの時にされたこと。

「愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。
すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は
上から来るのであって、光を造られた父から下るの
です」ヤコブ1:16

「人は、天から与えられるのでなければ、何も受け
ることはできません」ヨハネ3:27

良い贈り物は、御父から下ることを見せられた。
自分で何とかしようとするのでなく、天から降って
来ることに、新しい年も、主に自分をお任せして歩
みたい。