2008年02月27日(水)
  「自分が変わる」

Cさん「どこの職場にも、変な人っていますね。
私、職場5回変わった」(笑)

「ほんとに、どこ行っても変な人がいるんですよ。
その度に辞めてたんです。5回目ぐらいになって、
やっと気づいたんです。
ほんと、どこ行ってもおるんじゃ、変な人。

周囲の友達に、どこに行っても変な人はおるから、
どこ行ってもおんなじよ、と言われてたんです。

でも、それって、どうせどこ行っても苦労はある
からという意味だと思ってたんです。

でも、ほんまに変な人がおって、でも、そういう
問題でないんじゃと、イエス様を知ってわかりま
した。
相手じゃなくて、自分が変わらないといけないん
だと。相手は関係無いんだと。

神様が目の前に置いておられて、自分を変えよう
としておられる。
それで、自分が変わると、相手も変わるからびっ
くりです。
私をいじめてた相手がいて、ずっと祈って神様が
言われる通りに、従って行った。

確かに自分にも足らないことがあるから謝ったり、
こちらから親切を表して行ったり、神様に言われ
る通りに、ただ従って行ったら、私にものすごく
優しくなって、一番親切にしてくれるようになっ
たんです。

だいたいから、イエス様を信じて以来、一つの所
にとどまり続けているなんて、奇跡です」

要するに、鍵は、御霊の導きに従うことで、一つ
一つ従って行くなら、神様の大きなみわざを見る。

2008年02月26日(火)
  「働かれる主」

Aさんが職場で凄まじいいじめに会った。

また、標的が他の人になるのも見た。
その時に、その標的になっている人の
そばにそっと行って手伝ったり、又、
後でさりげなくフォローして来た。
できる限りの事をした。

それは出来た。でも、いじめる人に向かっ
て、「それは間違っている」と面と向か
って言えなかった。
勇気がなくて、できない自分が情けなかった。

自分もいじめに会い、又、いじめに会って
いる人を見るのが、苦しくてたまらず、
身体に震えが来て、もう心身限界を感じた
ので、辞める決心をした。

送別会の時、色々な人がもっといて欲しい
辞めて欲しくないと泣いてくれたのに驚いた。
いろんな人の気持ちに初めて触れて、最後
に神様の大きな祝福を頂いた。神様の祝福
に十分だった。報われた。

面と向かってかばう事のできなかった相手
に謝り、抱き合って気持ちを分かち合えた。

最後の最後に、いじめていた相手に、面と
向かって、これからはその人のことをよろ
しくお願いしますと、頭を下げた。

そして、自分が去って、しばらくしてその
中の人に会う機会があった。
職場の空気が全く変わって、今は良い雰囲
気になっていると。
ずっと祈って来た事の、祈りの答えに心か
ら神様に感謝しましたと。

まことに祈りに答えて、人の心に働き、人
の心を変えられる神様、感謝。

2008年02月21日(木)
  「言い表す」

Aさん「対人関係でね、もうずうっと苦しめ
られていた人がいたんですよ。
もう攻撃されて、攻撃されて、精神的におか
しくなってしまいそうな。

相手もちょっと普通じゃないし、忍耐しようと
祈りながら、何とか忍耐していた。

神様、これは一体何なのでしょうね。何でこ
んなに苦しい目に会うのですかね。もう心が
何とかなりそうで、でも、祈って忍んでいた。

ここのところ、なぜかしばし姿が見えなくて、
そうすると、苦しみから解かれて、ほう〜〜と
気が抜けた状態で、苦しくてたまらなかった心
が解き放たれたようになった。

そうするとね、まあ人間調子が良くて『神様、
感謝します。これは私への取り扱いだったの
ですね。
敵を愛すること、迫害する者のために祈ること
を、教えようとして下さったのですね。

この苦しみがあったからこそ、学べて本当に
感謝します』とつらつら言ってたんですよぉ」

皆が「きれい事、きれい事」。「そう!ほんと
にきれい事だったんですよ!」(大笑)

「それが不在だった相手が、再び現れた途端、
もう憎しみと恨みと、憤り、敵対心が、グアー
と湧き上がって来て、まあ物凄いんです。

本当は凄まじいものが根にあったのに、そう
思ってはいけない、又、思う自分を認めるのが
嫌で、ただ抑えつけて、我慢してただけなんで
すよねえ。
ほんとこれが私の本性で、罪人なんだと、わか
りました。これが私です、と神様に言いました。
ほんとに感謝だったです」

「神様のところへ持って行けるって、ただただ
有難いですよねえ。もう有難いばかりで、恵み」

「我慢して抑えている感情や思いって、ずうっと
そこにあって、どんどん固くなって、強固にな
って行く。
自分で認めたくないから、無いことにして抑え
込む。
でも、認めて、神様のところへ持って行くなら、
自由になされて、平安にされる」

「もし、自分の罪を言い表すなら・・その罪を
赦し」Tヨハネ1:9

2008年02月19日(火)
  「助け過ぎること」

重荷を負い合うこと、しかし、過度に助け無いことが
学びの中であった。

Aさん「過度に助けてはいけないという事、すごくため
になりわかりました。
自分の事を自分でしようとしない人から助けを求められ
て、それも最初はわからず、段々わかって来て、それを
助けると、余計相手を損なって行く事を経験しました。

必要以上の、過度の助けをしていると、相手も、段々し
てもらって当たり前になって来て、してくれないと冷た
く感じる。

こちらもかなりの犠牲を払ってるので、段々しんどくな
ってくる。
それで、その反応なら、何か双方の関係がギクシャクし
て来て、しんどくなって来て、何かが違うと思ってたん
です。

自分も心の中を探ってみると、純粋に相手のためという
より、自分が良い人に見られたいという不純な動機だと
気づく。
良い人に見られないから、ノーが言えない。
自分を自分が良い人に見たい。愛の無い人間だと思いた
くない。つまり、人にも思われたくないし、自分も自分
をそう思いたくない。

だから、犠牲を払って、助けているのに、結ぶ実がおか
しいんですよね。愛のわざをしているのに、双方でギク
シャクして行き、自分もしんどくなって、恨みと責める
心が出て来る。何してるかわからない。

皆が「それすごくわかる。すごくある。良い人に見られ
たい。ノーが言えない。嫌われたくない。動機が全然相
手への愛などでなく、自分のためですよねえ」

「子供に対して、過度の助けをしてしまう。本当に子供
を損なっているのがわかる。先に手を出して、転ばない
ように転ばないように、過保護そのものですよねえ。
ほんとに子供をダメにして行きますねえ」

「見ていられなくて、つい手を出してしまいますねえ。
自分が、子供が転ぶのを見たくないんですよねえ。
自分が痛いから」

友人が言っていた「貧しい国に行って、ものすごく日本
じゃとても考えられないくらい貧しくて、お金を上げる
のは簡単だけど、それで自分も愛を施したいい気持ちに
なるけれど、

でも、身を越えたお金を貰って、豪勢な生活をしばらく
して、お金が無くなった時、前の生活に戻るともっと
もっと辛くなる。
一瞬の大きな喜びだけで、前の生活に戻った時がしんど
いものになる。ほんとに何が良いのか、何が本当の助け
になるのか、相手の身になって考えるのって難しい」


2008年02月17日(日)
  「意志で」

サタンはいろんな方面に働くと語り合う。

「休みだと嬉しくて、今日は1日時間がたっぷり
あって、神様のことも色々できると思うんですよぉ。

でも、切羽詰まっていないから、時間がある、ある
と思い、ダラダラするんです。
その内、何か勢いがあったのが、気力が失せてて、
何かやる気がしなくなって、やる気が出ないから又、
ダラダラする。ずうっと寝っ転がってたり。

ほんとに眠ってしまって。起きて少し外出し、戻る
と身体が疲れたから、ちゃんと休まなくちゃと又、
寝るんですよぉ。何か、やる気がなくて。
結局、1日何にも、全く何もしてないまま時間が
過ぎて。

で、サタンだと初めて気づいたんです。何か気力が
もがれて、ダラダラさせられて、時間を無駄にさせ
られとると。自分の肉が乗って行ってて。
時間がほんとに勿体無いですよねえ。サタンにやら
れてしまってるんですよねえ。

「あるある。何かやろうとすると、最初やる気満々だ
たのに、気がつくと、何か知らないけどしんど〜くて、
全然やる気が出なくなっている事がしばしばある。

何か愛のわざをしようとする時、集会に来る時、
身体もしんどくなって来て、心身共に何かどよ〜ん
どんより重くなって、それも理由が別に何も無いのに。
重〜いんよね。動きたくない、したくない。

そんな時は、感情は無視して、意志で動く。
意志で御心を行って行く。すると、サタンはもうダメ
だと思うのか、離れて行き、軽くなる。
ほんとに不思議だけど、よく起こるよね。」

「そうなんですよね。感情を無視して、従おう。
感情に振り回されていたら、それこそ1日無駄に
なって何もできない。」

「私もすごい気力に来ます!サタンなんですねえ。
何か、やる気が起こらなくて。無気力になって、
ズルズル、時間を無駄に使ってしまう。
最初やる気満々で、さあ、やるぞ!と思ってるのに
不思議ですよねえ。サタンが来るんじゃ。
よく心しときます!」

感情を無視して、意志で御心を行ない始めると、
もう、ダメだと、サタンは諦めて逃げて行く。

2008年02月15日(金)
  「愛を知れる」

「又、又、祝福にあずかったんです」とAさん。

「ある事のために祈っていたら、献げるよう示
されて額も示されて、ものすごく嬉しかったん
ですよぉ。御霊の導きにあずかれたのが嬉しか
った。

だのに、少し日を置くと段々献げたくなくなって、
やっぱりこればあれば、普段から欲しかった、これ
が買える、あれが買える・・とどんどん思いが出て
来る。

そんな時、丁度御言葉の学びで、それがサタンの
誘惑、攻撃だとわかった。
御心を行おうとすると、必ずサタンの妨害が来る。
行わせまいとする凄まじい勢力が襲って来る。
大きな祝福を、神様を知る機会を奪おうとしている
事を知り、日を待たずに、すぐにきっぱり献げたん
です。

すごい心が平安になって、喜びが戻って来て感謝
だったんです。
すると、すぐ後に、知り合いから行けなくなった
からと、演劇のものすごく高いチケットを貰ったん
です。
そういうの、好きなんですが、高額なので自分で
は絶対に買わない。絶対に買わないから、絶対
に見れない。

それを譲り受けたという事に、その与えられた手段
にものすごい神様の愛を感じたんです。
それも、もし自分で払ったら金額に見合うか見合わ
ないかというシビアな鑑賞の仕方をしてしまう。

それが一方的なプレゼントだから、ただただ嬉しい
ばかりで、あったかい気持ちで見れる。それも嬉し
くて、神様の配慮の愛をすごく感じて、愛されてる
んだなあと。

結局、献げる事によって、神様のご愛を知れて
感謝で、神様すごいなあと又、恵まれました!」

御心に従うと、何よりも神様の「愛」を知れる。
これが一番大きな祝福で、喜びだ。嬉しい。

御霊の導きに一つ一つ従えるように。そして、必ず
妨害して来るサタンをよく見張れるように。



2008年02月13日(水)
  「有難み」

宣教師の先生方がデプテーションやファロー
で教会に来て下さる。
新しい風を、教会の中に吹き込まれるように、
恵まれる。
宣教地の様子、国内外の対外の魂への思い、
宣教師の先生方の、熱い救霊のスピリット
にとても教えられ、新たにされる。

ある所では、今も、迫害があり、捕まれば刑務
所行きで、名誉、地位は剥奪、財産没収、
自身も何年投獄されるかわからない。

これが最後の集会行きになるかも知れない。
捕まればそれで終わりだ。今日は行かないで、
家で礼拝を守ろうかと、凄まじい誘惑が来る
そうだ。

しかし、主は何をして下さったのか。自分の
ために命まで捨てて下さったお方ではないか。
では、自分も命を献げて従おうと。

信仰が命がけだ。この瞬間にも命が生きるか
死ぬかの命がかかっている。白か黒になり、
中途半端が無くなるのでしょうね。中途半端
でおれないから、クリアになる。

物質的に豊かでない、人権も認められていな
い、何も無い所では、信仰も神様もクリアに
なる。
あなたは高価で尊いと、存在そのものを認め
て下さるお方、身代わりに死んで下さるほど
愛して下さったお方、御子のいのちがかかって
いるほどに、それほどに尊いと言って下さるお方。

豊かな日本では、何も困ることが無くて、
別に神様が必要無くて、神無しでも物質で目
がくらまされて生きて行けると思ってしまう。
何もかもが当然で、何の有り難みもわからない。

求める必要がない。物質って、単に物質だけ
ど、霊の目をくらませる。
鈍くするというか、見えなくさせる。

神様に人が立ち返るって、厳しい痛い試練、困窮
しか無いのかも知れない。

困窮があって初めて、必要が与えられた時に
しみじみと、心の底からの感謝が湧き上がる。

2008年02月11日(月)
  「急いで、ためらわずに」

先日の話で、

Aさんが神様に献げるように、示された。
神様から示された事自体、ものすごく嬉し
かったのに、時間が経つ内に、欲が出て来
て、献げる事が惜しくなって来た。

これがあれば、あれも買える、これも買え
る、献げたくなくなって来て、献げるのが
嫌になって来た。

半面、頭のこっち側で、サタンだとわかる。
祝福を奪うために、献げることを妨害して
来ている。すごい誘惑だ。

もう戦うのに、疲れる〜〜。

あれ!あったじゃないですか?あれ!あれ!
献げるのを急げっていう!

これよ、これ!聖書を開く
「“私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せ
を守りました”詩篇119:60よ」

「急いで、ためらわずに、もう日曜まで戦う
のしんどいから、疲れ果てるから、今日今
から取りに帰って、すぐ献げます。
そしたら、もうサタンも来れないですよね。
そうします!」
そして、取りに帰って献げる事ができた。
無事御心を行うことができた。

こんな祝福があったと話すと、他の人々が、

あー、いっぱいあります!!
御霊に促されていること、できずに置いて
いること、ないがしろにしていること。
一つ一つ、すぐにします!

Aさん「あの事、この事、できました!
感謝!!まだまだいっぱいあります。
従って行きます」

Bさん「御霊から思いが与えられている
こと思い出しました。すぐにします」

皆で励まし合って、従えることが感謝!!



2008年02月09日(土)
  「変えられた」

職場でいじめに会ったAさん。
「子供も大人もおんなじじゃ。子供のいじめを
無くすじゃゆうて、大人が率先してやってる」

誰かを標的にしていじめる。
でも、いじめられた人も、今度はいじめる側
の傘下に入り、一緒になって次の標的をいじ
める。

いじめられて、人の弱さがわかってなどと、
人間甘いものじゃない。
「いじめられた者が、いじめると言います
ものねえ」

祈りながら忍耐して、また、自分以外にも
標的になっている人を助け続けた。いじめる
側は面白くない。しかし、自分一人になって
も助け続けた。

陰湿さに身体にまで影響が来た。心身もう
オーバーで退き時と、辞める事に決めた。

送別会があった時、皆が泣いてくれて、驚い
た。辞めないで欲しいと泣かれ、そういう風
に思ってくれてたのかと知り驚いた。

不思議な事が起こり、皆の心が神様に支配
されるように、攻撃して来ていた人が謝って
くれ、ハンディを持っている人を助けてくれ
るようにお願いすると、助けることを約束し
てくれた。

奇跡が起こり、今までいじめに耐えたこと、
じっと忍耐した事が報いられた。

そのまま別れてしまったら、自分もあるいは、
辛さや、いろんな誤解の悔しさをひきずった
かも知れないが、神様がものの見事に、和解
を与え、解決して去らせて下さった。

本当に神様を感じて、忍耐も報いられること
を教えられた。

Bさん「私もずっといじめに会いましたよ。
でも、神様知ってから、祈って、神様の言う
通りに行動して行ったら、自分が変えられて、
今では、私をいじめてた人が、私に一番
優しいんですよぉ。何か信頼してくれるように
なって、神様すごいなあと。

神様知る前は、こんな事絶対無かったから、
ほんとに神様生きて働いておられる。

自分の悪口を言われてるのを、聞いてしま
ったんですよぉ。
すごい傷ついて、へこんで、落ち込んだ。
でも、神様に祈っていたら、不思議だけど、
へりくだって、自分の欠点は直しながら、
仕えて行けたんです。

ほんとに自分も足らないし、足らない所を
謝れて。今では本当に良い関係にされて、
何のわだかまりもなくて。
謝れたのも奇跡で、絶対神様知る以前は
自分の辞書に謝りは無かったです。へりく
だりなど、絶対にあり得ん(笑)」

神様を知って本当に本当に良かった。知ら
なかったら今頃どうなってたか。感謝しか
ないです。

2008年02月07日(木)
  「貪欲」

サタンと欲とお金の話しになる。

「神様に祈っていたら、献げるよう示されたんで
すよぉ。私にとったらすごい額で、いやそんな大
した額じゃないんですよ、他の人にしたら、示さ
れたのも嬉しくて、献げようと思っていたら、

献げる日が近づいて来ると、どんどん献げたく
なくなるんですよぉ。嫌になる。
これがあればあれも買える、これも買えると、
貪欲な思いがどんどん湧いて来る。
サタンですよねえ。サタンがしつこく来る。
ほら、あれ、あるじゃないですか。示された事
はすぐにしろって」

「“私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せ
を守りました”詩篇119:60よ」

「すぐに従います!サタンがひっきり無しにや
って来て、祝福を奪おうとするから」

「種を自分が取り込んだら、実が無いですよねえ」

“種とパンを備えて下さる方は、あなたがたに
も蒔く種を備え、それをふやし、義の実を増し
加えてくださいます”Uコリント9:10

蒔くべき種を与えていて下さるから、その種は
蒔かないと実がなることはない。

「まさに、示されたものを、惜しんで自分のため
に使うならそれですよねえ。人間て、欲が出て来て、
通帳に預金が増えて来ると嬉しくなって、今度は
出すのが嫌になって来るんですよねえ。欲で何かが
狂って来る。

でも別にお金を貯め込んでも、何の喜びも無いし、
お金を貯めるために、生きてるわけで無し、平安
も無い。
神様を知るために生きてるから、御霊の導きのまま
にお金も使う時、神様を知って行けますよねえ」

「人間て、どこまでも欲があるから、ほんと貪欲で、
御霊に従わないと、方向間違ってしまいますねえ。
貪欲って、底無しで、絶対に満たされることがない。
幾ら持っても、もっと、もっとと更に渇く。悲惨だ」

“自分の宝は、天にたくわえなさい。あなたの宝
のあるところに、あなたの心もあるからです“マタイ
6:20

「金、金と思っていると、ほんと地上のものに心が
向いて、神様から離れてますよねえ。肉の欲望満た
して満足かというと、全然平安ないですもんねえ」

宝のあるところに心があるから、天に献げて行った
ら、そこに心を置いておけるということで感謝!!




2008年02月05日(火)
  「不可能は一つもない」

友人から嬉しい知らせが入った。

Aさんが救われて以来、もう数十年も祈り続
けて来たお母様の救い。
もう御高齢になられて、認知症も少し入って
来てと。

実家の母の葬儀にも来てくれた友、母も38
年祈り続けて来て、救われたのが、ほんとに
今際の際。
結果的に、天に召される3週間ほど前だった。
それまで、福音はわかるが、自分はまだまだ。
時間が要ると言っていた・・。

でも、ある日突然信じると。それまでずっと
福音を聞いていたから、信じるか、信じない
かの選択だけになっていた。病院のベッドの
上で、きっと色々考えていたんだろうな。
父が天国へ行ったことを信じていたから。

それで、友のAさんのお母様の救いも、祈って
来ていた。

Aさんも「母は、宗教はなかなか受け付けず、まだ
全く聞こうとしなくて」と。神様の時があるよねえ
と、二人で話していた。

仕事リタイアした後は、家で、母の介護をしながら、
証しして行きたいと、Aさんが話していたところ
だった。

Aさんが会社で勤務中に、知り合いの宣教師さんが
訪問して下さって、何と、お母様心開かれて、
耳を傾けられ、救いに導かれた!!

それまで全く聞こうとされなかったから、本当に神様
のみわざしかない。
突然の、神様の奇跡を見て、心励まされ恵まれた。

「神にとって不可能なことは一つもありません!」の
メッセージを聞いたようだった。

御霊が働かれる時、奇跡が起こる。

今、祈っているあの事・・この事・・、神様から
ドカーン!!と「一つも不可能は無い!!」と、
雷鳴のように、天から鳴り響いた気がした。

Aさん良かったね!!(^^)/
うちの親族、兄弟姉妹達の親族のために、ものすごく
励まされた!!


2008年02月03日(日)
  「妨害」

サタンが信仰生活を、巧みに妨害する事を見
せられる。

Aさん「対人関係で、ちょとしたもめ事があり、
自制できずに感情的になってしまい、喧嘩して
しまったんですよぉ。

冷静になると、『神様ごめんなさい』で、罪だ
し、悪かったと思うですよぉ。

それで和解しようと、相手の喜ぶ、贈り物まで
買えて、いざという時に、何と、突然昔の事が
思い出されて、あの時も、この時もと思うと、
怒りが込み上げて来て・
傷つけられた過去の恨みつらみが出て来て、
もうダメ。和解が吹っ飛んでしまった。

まさに、てき面、サタンが祝福を奪うんです
ねえ。思いを吹き込まれて、その思いに自分
の肉がどんどん同調して行く。

思いがどんどん増幅して行って、もう身動き取
れなくなる。神様は飛んでるし。
サタンに、してやられてしまいました。
今までの証しも台無しですよねえ。」

しかし、神様ごめんなさいと、悔い改めた時に、
新たにして下さって、平安が戻った。

相手にも謝罪できて、更に更に平安と喜びが増し
加えられた。

「何だか、おんなじ事ばかりして、悔い改めてるん
ですが、でも、本当に平安が戻って、赦されたと、
はっきりわかるんですよぉ。すごい感謝です。」

本当に、神はすべての事を働かせて、益として下
さる。

同じような失敗ばかりして、悔い改めては赦される
中で、自分がどんなに失敗しても、どんな状態であ
っても、神様の愛が変わらないという事を知れたと。

でも、サタンに要注意だ。
どんな思いを吹き込めば、心を混乱させ、動揺させ
証しをめちゃくちゃにできるかを、これまた的確に
知っている。何を送れば、すぐに思い煩うかも。

Bさん「私は思い煩い!もう、ぼや〜としてると、
思い煩いが吹き込まれる。それについて行ってしまう。
でも、御言葉が心にあると、そっちを見ていると、
信仰が来ます。やっぱり御言葉ですねえ」

心を見張っていよう。




2008年02月01日(金)
  「御言葉にとどまる」

「家族と大喧嘩してえー」とAさん。

「最近、いい感じで行ってたんですよぉ。
サタンにしてやられてしまった。
集会にばっちり出て、御言葉いっぱい
聞いて、安心してしまって、神様との
交わりを省略してしまって。してなかった
んです。

やっぱり神様との交わりがほんとに大事
なんだと教えられました。
日々交わってると、すごい守られます。

途中まで良かったんですよぉ。心で祈ってて、
御言葉もあって、でも、御言葉にとどまらなか
ったなあと教えられます。

相手の言葉に反応して、怒りがどっと湧いて、
感情的になってしまって、感情で言葉を発して
どんどん泥沼になって。

御霊が回復するように、導いて下さっているのに、
サタンが、昔、傷ついた事を思い起こさせて来て、
それに乗ってしまって、すぐなら回復できたのに、
以前の事を思い出して、ますます腹を立て、心頑
なになって、神様からどんどん離れて。

周囲に害毒をまき散らして、散々でした。
途中で御霊が和解策を示して下さって、従って
行動も起こしたのに、いざという時になって心を
固くしてしまって。従えなかったんです。

平安無くなってしまって、今日、教会に来れて
良かったです。

謝らないといけない事わかってるんです。
おんなじ事ばっかりしていて、でも、砕かれて
るんですよねえ。

心に御言葉もあったのに、自分の都合のよいよう
に曲げていて、結局、エバと一緒ですよね。
神の言葉に立たないで、自分の思いと都合に
立った。だから、サタンに負けてしまうんですね。

でも、私は惑わされてより、意志で自分の都合
を選び取った。自分の自我で、確信犯です。

あの時、御言葉に立ち続けて、従っていたら、
正反対の方向へ行って、すごい神様の栄光が
現れていたんだなあと。

帰って謝ります!」

しばらくして、「謝れました!心が平安で一杯に
なりました。ほんとに神様を知っていること、神様
に知られていることが感謝でならないです」

この世的に見ると、相手にミスがあって、こちら
が正しいんだけど、神様の世界と秩序では、
それを攻撃すると、間違ってしまう。

この世的な正しさじゃなくて、神様の世界では、
十字架を負う事が正しいから、ほんとに間違って
しまって、平安が無くなってしまう。

常に御霊の導きに従えるように。
そして、与えられた御言葉にとどまれるように。