2008年03月26日(水)
  「心すっきり」

Aさん「最近やる気が全然起こらない。気力が
無いー。
何か力が入らないから、ぐずぐずグズグズ時間
を無駄にしてしまって、やる気ないから、すぐ
ゴロンと横になってしまって(笑)
ゴロゴロ寝てて、これってすごい怠惰じゃー。
心がすっきりしなくて、もやっ〜状態で。

「それって、パイプが詰まってるんじゃ?」
「そう。詰まってる」

丁度「土地」の学びをする。
心は土地で、土地の状態によっては、種が入ら
ない。
「うわっ、これじゃわ」
「いばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさ
いでしまった」

「いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、
この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふ
さぐため・・」

「思い当たる。目の前の事を拒否してたり、した
くなかったり、それで憂鬱になってる。喜びがな
くて、平安がない。

ちょっと、帰ってすぐに、神様の前によく静まって、
祈って、心の中を探ってもらって、棚卸しをしまーす」

数時間後、「原因がわかりました!思い煩いと・・
神様に明け渡して、委ねて従いますと祈ったんです。
すると、心がすっきりして、もやもやが無くなって
平安になったんです!
そして、目の前の事、なすべき事ができて、すると、
結果が与えられて、御心に進む事ができました!」

Bさんも「何か心がしんどくて、重くて、暗〜く
なるんですよぉ。何かなと祈って、心探ってたら、
思い当たって来て、したくない事柄があって、思
い煩ってるんですねえ。
その事を神様に渡して、御心のままに従おうと祈っ
たら、平安になりました!」

Cさん「ショックな事があって、心ガーン。心が重〜
くなってたんですが、ありのままの気持ちを全部、
ことごとく神様に打ち明けて、祈ったら、心がすーっ
と落ち着いて、何だかすっきりして、平安になりま
した」

本当に不思議だけど、神様に心をさらけ出して、打
ち明けて祈ると、すっきりして平安になる。
生けるまことの神様がおられる!!

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝を
もってささげる祈りと願いによって、あなたがたの
願い事を神に知っていただきなさい」

「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安
が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあ
って守ってくれます」ピリピ4:6

神の平安に心が守られる。


2008年03月22日(土)
  「夕暮れ時に光」

遠方の友、ご高齢のお母様が突如の手術となった。
突然、お身体の不具合が発覚、入院、手術。

少し以前に、何10年と積まれた祈りが答えられ、
魂の救いを与えて下さった!!大喜び!
いつどうなったとしても、行く先は幸いな、平安な
永遠の場所、何という安堵だろう。
ご高齢のお母様の救いに心から主を崇めた。
残された日々、どうかお母様と心通い合う幸いな
時とされますように。

Bさんは、認知症のお母様を定期的に施設に訪問、
行く度に、神様の事を伝えた。
最初は全くの拒否反応。聞く耳持たずで、全然心に
入らない。
しかし、この数年、訪ねる度に、忍耐もって少しづつ
少しづつ話した。認知症は進むに関わらず、最近肯定
的反応に変わって来た。

福音も、何度も何度も話し、最近は拒否が全く失せ、
「キリストさんじゃろ」「天国に一緒に行こうね」に
「うん」の返答が返るようになった。感謝!!
神様のあわれみと祝福がひしひしと。

遠方に92才の叔母がいる。丁度知り合いのクリスチ
ャンがフォローして下さっていて、「ずっと教会に来
て下さってますよ。学びをよく聞いておられますよ」
感謝で、感謝でならない。

遠方の友、Cさん「実家の父が、『イースター礼拝の
招待状をもらったから喜んで行ってくるよ』という電
話がありました。
『喜んで』という言葉は今回初めて聞きました。
御言葉の満たしを受け、大喜びで帰ってきますよう祈っ
ています」

時折り、教会へ行って下さるそうで、徐々に神様が導い
ておられる事、本当に恵まれる。嬉しくなる。

以前Dさんが「母が今際の際に、はっきり信じてくれて
本当に嬉しくて、嬉しくて。病院のベッドで、もう余命
僅かになった時、神様の事を話し、賛美歌を歌うと、
若い頃覚えた賛美歌を覚えていて、もう声にもならない
んですが、口でたどって一緒に歌ったんです。

もう感謝で、感謝で、嬉しくて、嬉しくて。その後、息
を引き取ったんですが、もう救いが感謝で、感謝でならず
嬉しかったです」

Eさんも、交わりの中で、お母様が召された事時の事に話
が及ぶと、「悲しかったでしょう」に「いや、嬉しかった
です。
もうずっと入退院を繰り返していたから、心も備えられ、
覚悟もできていた事もあるんでしょうが、救われた事が
もう嬉しくて、嬉しくて。嬉しかったですよ。
天国で身体も楽にして下さったんだと、もう苦しみもなく、
平安で喜んでいるんだと、むしろ感謝だったんです」

特に、自分の両親が今際の際で救われた事を思い、ご高齢
の方々が導かれている事を聞く時、本当に嬉しく感謝でい
っぱいになる。
ほんとに神様は救って下さる。

「夕暮れ時に、光がある」

「同船している人々をみな、あなたにお与えになった
のです」

2008年03月18日(火)
  「気づき」

Aさん「私、全然正直じゃなかった。Bさんが、ある
事柄について、ああで、こうでと思い煩い、心配して
いるのを聞いて、まあ、思い煩ってから、神様信じな
いと!私は神様信じてるから大丈夫!と内心思ってて、

でも、気づいた。自分も心の底は同じように不安で
不安でたまらないのに、それにふたをして、押し込
めて、信じてる「つもり」になってて。

信じようと、信じようと頑張ってて、信じてる、委ね
てる「つもり」だけど、実はそうじゃない。
あくまでも「つもり」であって、実は不安でたまらない。
自分が不安をしっかり握ってる。放していない。委ねて
いない。Bさんの方が正直。正直に神様に祈ります!」

「すごい!気づけて感謝!!」

Cさん「家事、子供の世話、仕事と毎日が目まぐるし
く過ぎて、忙しくて、忙しくて、時間が無くて、デボ
ーションが出来ないと思っていた。
時間が無いからだと、時間さえあればと思っていた。

ある日、急に休みが取れて、時間がたっぷりあったの
にダラダラ、ダラダラ、ずるずると時間を過ごし、デボ
ーションしなかった。

時間の問題でない事に、初めて気づいた。デボーション
を選ばない、しようとしない自分の頑なな心が問題だと
わかった。
「マリヤはその良い方を選んだのです」ルカ11:42
選ばない自分に気づいて、悔い改めた。デボーションが
新しくされた。

Dさん「教会の学びに行く時、午後一番に仕事があって、
12時前に、いつも自分一人抜けて帰る。
仕事先が、ものすごくプレッシャーと多大なストレスの
ある職場だったので、仕事の時間前になると、もう心が
騒ぎ、心が立っていて落ち着かない。

前半は御言葉をまだ聞けるが、後半が仕事の事が気に
なって気になって、御言葉を落ち着いて聞けないから、
そのせいで、自分は御言葉がなかなか根付かないと思
っていた。
いつも心が立った状態で、バタバタ聞いているせいだと。

仕事を辞めた時にわかった。
そういう問題じゃなくて、自分の心の土地が問題なの
だと。固くて、頑なで、自我の岩がしっかりあって、
御言葉を根づかせない、自分の心の土地だったと。」

信仰人生、御霊の「気づき」が何よりも感謝!!!


2008年03月16日(日)
  「必要ということ」

Aさんが「高齢で、身体が不自由になって来ている
義母に色々して上げたい事があって、ああしたら
便利なのに、こうしたらもっと楽になるのにと思
うが、思いが色々あるが、
人の思いは自分の思いと違って、違う方向を向いて
いて、義母は今は、こちらの思う助けを必要として
いない。

必要としていないのに、幾ら便利と言っても押しつ
けになるので、義母が自分で必要とした時に、助け
の手を延べる事が神様の御心とわかったんです」

Bさん「自分に必要がないと、幾らこれが良い、あれ
が良いと言われてもわからないですよねえ。余計な
お世話で、おせっかいになるばかりで」

Cさん「自分も、ものすごく困った時に、必要が生じ
た時に助けてもらった時、ものすごく有難くて、本当
に身にしみて、神様への感謝でもう一杯になった。
必要がないと、有難みもわからないし、感謝も見え
ない」

「折りにかなった助け」が大切で、助けは、折りに
かなっていないといけないんだなあ。

Dさんの子供が学校を中退したいと言った。Dさん
は人生の先輩として、自分の意見、アドバイスをす
べて告げて、人生は甘くない事、どれだけ厳しいか
も話し、しかし、子供の選択に任せた。

子供は退学を選択した。親として、出来る事だけは
してやりたいと、もし将来復学を希望する時は、そ
うできるよう、すべての書類を整えて、そのように
セッティングしてやった。

そして、学校をやめ、自分で働き出した。
1年2年経る内に、労働の厳しさを味わった。
生活するのに、収入が1つの仕事では足らず、
2つを掛け持った。昼も夜も働いた。

そして、社会に身を置いてみて、初めて自分で勉強
する事の必要性を感じた。
数年後、自分で復学し、自分の意志で勉強を始めた。
成績優秀で奨学金も得て、新たなる進路を歩んでいる。

自分で欠けを感じ、必要を感じて、初めて身につく。

必要感じる前に与えられ過ぎると、感謝も有難みも何
もわからない。過保護、過干渉の害を思わせられる。


2008年03月14日(金)
  「キリングフィールド」

主にある友人が「キリング・フィールド」をレンタル
で見たというので、久し振りに、私も見た。

実話だ。実在のニューヨークタイムス記者、シドニー・
シャンバーグが、内戦下のカンボジアに特派員となって
入った。
ポルポト軍が首都占拠し、目の前で信じられない、言語
を絶する光景が繰り広げられる。同国民をどんどん殺害
して行く。彼は外国人なので、タイへ逃れる。
その時の実際の記事が、当時の朝日新聞に掲載されて
いる。

映画の通りで、映画が記事の通りか、実際を再現している。
解放軍クメール・ルージュが、政府軍を攻略、首都プノン
ペンに凱旋入城。
解放軍の勝利に、「平和だ!平和!」と、民衆は、大歓
声で迎えた。が、すぐに牙を出して来た。

外国人記者達も銃口をつきつけられ、もう終わりだと思
った。目の前で、人々が無差別に、銃で撃たれて死んで
行く。殺害基準が何かもわからない。滅茶苦茶だ。

現地のカンボジア人通訳兼助手ディスプランが、2時間
半説得し助けてくれた。「彼らは敵ではなく、あなた方
の勝利を取材しに来てるのだ」と言って。

知識層はどんどん殺害され、人々は首都から即刻農村
へ移動。銃を突き付けられ、問答無用、文句など言えば
すぐ殺害。病人は点滴のまま、松葉杖をつき、おんぶさ
れ悲惨な光景、事実そのままだ。

シドニー達は外国人なので国外退去で済む。しかし、
現地人ディスプランはポルポトの虐殺地獄を通る事に
なる。シドニー達が何とか助けようと画策するが失敗
する。

シドニーはカンボジア報道で、最高の栄誉ピューリッ
ツア賞に輝いた。ディスプランの助けがあったから
取れたようなものだ。
ディスプランを犠牲にして、取った賞だと仲間から
非難される。自分は安全な場所にいて、カンボジアへ
捜しに行ったのかと。

取材のために彼が必要で、残らせてしまった、自分を
責める。本国からあらゆる手段で捜すが、何の情報も
得られない。
しかし、地獄を生き延びたディスプランと、タイで感
動の再会を果たす。

映画を観ていて、このディスプランという人物に心
がひかれる。目がずっと始めから終わりまで、何かを
語っていて、迫真なのだ。あの目が訴えてる。心に深
く残る。

この人、お医者さんで、実際にポルポト地獄を通った
人だそうだ。だから、演技でなく、実際見たことをそ
のまま表している。それで、すぶの素人なのに、この
演技でアカデミー助演男優賞を取得。演技というか実
際なのだ。

ポルポトの凄惨悲惨を、知ってもらいたいために、引
き受けたそうだ。映画ではほんの2割ほどしか当時の
悲惨さは表されていないと。こんなものではないと。

しかし、ジュニア達も見れるように、R指定がかからな
いように、わざと凄惨な場面を薄めたそうだ。

先日、カンボジアへ行き、狂気のツールスレン刑務所
に行った。そこでは2万人が拷問虐殺。トラックで死
体がキリングフィールドに運ばれては、捨てられた。
葬られたのでなく、ごみのように捨てられた。余りに
も、むごたらしくて見れない。

アダムからの罪、神を捨てて、自分が神になることを
選んだ事の結果だ。罪の怖ろしさ、人間の、自分達の
高ぶりの恐さを見る。

今、各国の宣教師がどんどん入ってて、神様の愛が伝
えられている。若いクリスチャンが生まれている。
宗教省が脅威に感じるほどに。
神様がひときわ目を留め、カンボジアの人々に愛が注
がれている

2008年03月12日(水)
  「神のまなざし」

Aさんが経済的に厳しい状況にいた。

Bさんが、田舎で取れた沢山のはっさくを教会に
持って来てくれた。

それで、Aさん宅に、近所のCさんがそのはっさく
を届けてくれた。

Aさんが仕事から戻ると、外の玄関ドアノブにどっ
さりのはっさくの袋がかけてあった。

Aさんから、はっさく有難うのメールが届いた。
はっさく良かったなと思った(^^)

実は・・と続いたメールに大いに恵まれた。

テレビを見ていたら、はっさくが出て来て、子供
と美味しそうだね、食べたいねと話していた。
でも、今、緊迫状況で、果物を買うのはもったいな
いと。

そのすぐ後に、どっさりのはっさくが届いた。
はっさくより、現状況をしっかり見守って下さって
いる目をもろに感じた。
そして、本当に恵まれ、感謝で一杯になったと。

「愛してるよ」「目に留めてるよ」「大丈夫だよ」
との神様からの愛のメッセージだ!!

ハンナは非常なる痛みと苦しみの中で、男の子が
欲しいと主に祈った。
周囲も気にせず、心の底をぶちまけ、痛み、悲しみ
怒り、苦しみを全部さらけ出した。
その後、ハンナは祈りは聞かれたと平安になってし
まった。
「神が」ハンナのこの事態に関与していて下さる、
その確信を得たから、きれいに平安になった。

時々、信仰生活で経験する。何も解決しておらず、
問題のさ中にあっても、祈っていて、「神様が」この
事に目を留めていて下さる、関与しておられるとの
手応えがあれば、心が全き平安になってしまう。
何の解決も見ていないのに、平安になる。
「神が」すでに目を留めておられる、それだけで
いい。解決したも同然。

神様のまなざしの中にあるAさんの家庭、祝福だ!!

2008年03月10日(月)
  「弱さの中に」

Bさん「私、人に証とか、とてもじゃないができ
ないと思っていたんですよぉ。
証しするには、立派なクリスチャンで、品行方正
で、親切で、寛容で、愛深くて、いつも穏やかで
ないといけないと。

家で、何かあると『それでもクリスチャンか』と
言われてて(笑)
そんなの、とてもじゃないがなれない。

でも、これだと一生証しできないし、クリスチャ
ンだと言えない。

それで、自分は立派じゃないし、弱いし、罪ばかり
犯すし、失敗だらけで、弱いから、だからこそ神様
が必要で、弱いから神様を頼って、助けて頂いて生
きているでいいんだと。本当にその通りだし、それ
なら言えると思ったんです。

それで、丁度、子供が色々な事が重なって、プレッ
シャーと大きなストレスで、ものすごく弱って、落ち
込んでいた時に、お母さんも、弱くて、落ち込むし、
失敗するから、だから神様に頼って、神様を信じて
生きていると、言えたんです。
それで、どんなに神様が助けて下さったか話せた。

今まで聞かなかった子供が、じっと耳を傾けて、聞い
てくれたんです。
心に入って行ってるのがわかった。心で受け止めてく
れたのがわかった。
証しができて本当に嬉しかった、神様に心から感謝
した」と。

Cさん「私もおんなじ。とてもじゃないが、立派じゃ
ないし、愛深くもなくて、だから、いつも神様に頼っ
て、神様に助けられているんだよ、と子供に言ってる!
あるがままおれて、喜べて、感謝ですよね!!」

“というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に
現れるからである”Uコリント12:9

2008年03月08日(土)
  「とても幸せ」

Aさんの証しにとても恵まれた。

「機能不全家庭に育ち、安心する事、人を信じる
事、自分を肯定する事を知らずに育った。特に
笑い声がだめで、自分への嘲笑としか聞こえな
い。人が集まって話していると、自分への悪口
に聞こえてしまう。
小さい頃から、とにかく死にたくて、自分はい
てはいけない、存在してはいけない、早く死な
なくちゃと思っていた。
後に境界性人格障害とわかった。

思春期の頃、自殺も図ったが未遂に終わった。
その時に、クリスチャンの友達が来て、「神様
が愛してくれているのに、どうして」と泣いて
くれた。
いつもその信仰をバカにし、茶化していた私だ
と知っていて、その反応に、もしかして神はい
るかも知れないとかすかに感じた。自分も悲し
くて泣いた。

あるいはと思い、その頃教会の門をくぐったが、
話もしないまま帰った。
聖書を読んでみようと思うが、愛どころか、意味
すらわからなかった。

その後も辛い苦しい時、死のうと思ったがいつし
か、死ぬのは神の愛が本当かどうか確かめてから
というのが、自分の内で決まりになっていた。

声をかけられ、後でわかったが、カルトの教会に
誘われた。
そこで聞いたザアカイのお話が、ピッタリ自分に
重なった。皆から嫌われ孤独な彼と、孤独で惨め
な自分も重なった。
しかし、そこは恵みがなくて、しんどいばかりで、
ここに逃げて来た。

最新の科学でもどうにもならない、この病気を一
生・・と思った時、「わたしにとどまりなさい・・
実を結びます」必ず実を結ぶ人生にして下さる、
神様なら大丈夫と思えた。

そして、神様は自分の罪を見せて教えて下さった。
今まで親が悪い、親のせいにして、自分の罪を全く
見る事をしなかった。
しかし、自分には沢山の罪があった。
それを一つ一つ悔い改めに導かれ、示される通りに
従って行った。すると、人格障害が直った。

自分は価値がないから愛されず、生きる意味がない
と思い、自分に価値をつけたら幸せになれると、今
まで頑張って来た。

今、自分に何の価値も無いけれど、今、自分は幸せ
だ。神様が愛してくれているから。その愛を感じる
から。

こんな私でも、神様は今、家族や周囲のために用いて
下さっていることが嬉しい。」

皆で涙ながらに聞き、本当に恵まれた。神様の栄光
のために用いられているAさん、神様感謝!!

2008年03月06日(木)
  「なぜ?こんな事が?が実は」

遠方の友から祈りの要請。
高齢のお母様が、お身体の変調で、突如の入院。
バタバタと事が運び、一人戻った家で、様々な思い
に気持ちの整理がつかず・・と。

でもご計画があり、御手の内の事であり、最善が
なるよねと、信仰に立ってメールし合う。

すると、極度の貧血状態で、命に関わっていたかも
知れないとわかり、入院が最善であった事に感謝した。

振り返る時、自分の経験もそうだった。
高齢の父が、階段でつまづいて転んだ事で、頭を打
ったようで、突発性の記憶喪失になった。

時間がたてば戻るからと言われたが、「ああ、あの時、
階段で転びさえしなければ」との思いが来る。

でも、そうじゃない、信仰に立つ時、それは違う。
この事が必ず益になると、信じようと思えた。
そして、頭の検査をした時に、癌が脳に転移して
いる事が発覚した。

脳に転移と聞き、周囲も死を覚悟して、真剣な
必死な、救いのために祈りが献げられた。
家族で祈り、皆にも祈ってもらった。
祈りが積まれた。結果的にこの事で、父は明確な
救いを受けた。

さかのぼると、階段で転んだ事が良かったのだ。
だから、脳の検査をする事になり、癌がわかって、
父も死を見据えて、神様に頼った。

転んだ事が感謝だった!!

母も、父の死後、身体も弱っていたところへ、台風
が来て、外回りの片づけをした。それが、過労にな
ったのか、体調崩し、足が腫れてむくんだ。疲れと
思い、身体を休めるようにしていた。
ところが、一向に足の腫れが引かなかった。
そのため、とうとう家族で病院に連れて行った。

そこで心不全と判明。入院治療を終え、帰宅のため
の検査で胃癌が発覚。余命数ヶ月と言われた。
痛みが全く無く、入院していなkれば絶対にわから
なかった。
救いのための祈りが積みに積まれ、必死で祈りに祈り、
母も今際の際に、信じてくれて、天に召された。

結果的に、「台風さえ無ければ、体調崩すことなく、
足が腫れることもなかったのに」との思い、それこそ
が癌発覚につながり、救いにつながった。

「どうしてこんな事が?」まさに、その事が大きな恵
みのみわざへと、栄光へとつながって行く。

様々の「なぜ、こんな事が」の時に、信仰に立ちたい、
これが栄光につながって行くと、神様を信じていたい!!


2008年03月03日(月)
  「祈りで生き生き」

海の向こうのAさんから国際電話。

「これ携帯からですよ。安くなって1分9円!
これだと1時間離しても、安いでしょう!!
頼み事があって、メールをしようと思ったん
だけど、安いから、お話しできるし、電話の方
が楽しいから!!」と。

78才のAさんは、恵み溢れて本当に溌剌と
お元気。
60才の時、お孫さんとメールがしたくてパソ
コンを始められた。信仰によるチャレンジ!!
それを見て、励まされてパソコンを始めた若い
婦人方も。
そのパソコンを介して知り合えたので、Aさん
がパソコンしておられなかったら、この素晴ら
しい恵みも無かった。

「この年でしょう。同世代のお友達でパソコン
してる人いないのよー。(笑)携帯のメール
なら、年行っても割合してるんですけどね。」

それで、78才のAさんがパソコン使って、全土
から集まって来る祈りのリクエストの受信、管理
をされていると。
でもねー。これが恵まれて感謝なんですよ。
沢山の祈りの課題、リクエストの表を毎朝祈って
おられる。

春には聖書セミナーがあって、西海岸への予定と。
ほんとにお元気だ。いつも恵みと祝福をまき散ら
して下さっている。どんな時も信仰的で、前向き
で、肯定的で、信仰によって受け止めて行かれる。
いつもいつも交わる度に元気を貰う。
Aさんのように、年を取りたいといつも思う。

ある時、証しして下さったことが印象深い。
腕をけがされて、非常なる激痛で、とにかくもう
歯を食いしばって、じいっと我慢しておられた。

その時に御霊様から示されたと。
我慢の「我」は「自我」の我、「慢」は「自慢」
の慢と。自分で、自分の力で、ひたすら我慢して
いる。

そうじゃなくて、主を呼んで、「主よ」「主よ」と
「痛いです」と、主に告げること、自分で何とかす
るのでなく、主を呼ぶこと、主に頼ること、それを
喜んで下さる。

以前失敗談も話して下さった。
信じたばかりの頃、交わり会を家を持ち回りでやっ
ていた。
丁度、クリスマスの時節で、クリスマス会をAさん
宅でどう?との問い合わせが来た。
その日は仕事!仕事!と言ってしまった。実は仕事
もしていて、家を準備するのが、面倒で大変だった
からだ。

そして、そんな事はすっかり忘れて、日がたち、クリ
スマスになった。
婦人方が皆で集まって楽しいクリスマス祝会をしる時、
Aさんは仕事が入った。
皆が楽しく恵まれている時に、一人で仕事なんて冴え
ない、面白くないなあと、思ったその時に、はっと思
い出した。

婦人のクリスマスを家でと言われた時に、とっさに
その日は仕事!と言ってしまった事を。
主は、私が嘘をつかなくて良いように、嘘にならない
ように、その通りに、その日仕事にして下さったのだ
と!!神様の憐れみと愛をものすごく感じた。一人仕事
場だったが、そこは神様の祝福溢れた時間とされた。

2008年03月01日(土)
  「ネガティブな言葉」

サタンの学びをしていた。
神様が言葉で語りかけるように、サタンも同じ事
をする。言葉で語りかけて来る。

サタンに気づかなければ、自分が思っているとしか
思えない。自分の思いの中に吹き込まれているから。

Aさん「サタンの声って、もうはっきり、鮮明に聞
こえますね!」「説得されてしまう」(笑)

子供が風邪気味で、病院に行った時、白血球が少な
いと言われた。普通なら、熱と戦うから白血球が増
えるはず。
増えていないといけないのに、少ないなら、普通な
らどうなるんだ??

突然、すごい不安に襲われる。そう言えば、あんな事、
こんな事一つ一つが次々と浮かび、思い当たる。白血
病じゃないかと不安のどつぼに落ち込んだ。

いや、これはどう考えてもそうに違いない。どうしよう。
恐れと不安と思い煩いで、悶々。
「白血病かも知れないから、祈って下さい!」とメー
ルが来る。

検査に行くと、結果は、「白血病はありません。何の
心配もありません」だった。

Aさん「でも、ほんとにサタンの声はすごです。もう
自分でシナリオ書いて、白血病になってて。
もうサタンの声に惑わされて、御霊様の声など飛んで
しまってたんですねえ。サタンてあんなに大きく、は
っきり鮮明に断定するんですね。惑わされてしまう」(笑)

Bさん「献げた献金の合計をしてたら、自分にしたら
考えられないすごい額の献金を献げてたんですよぉ。

その時、突然ドオッーと不安に襲われて。
これからも将来、こんだけ献げるなんて、出来ん。
そんな事してたら、自分のものなど何も買えん。
どうしようと、すごい恐れと思い煩い。
あれがサタンなんだって、今、わかりました。
とにかく不安にし、恐れさせ、思い煩わせるんですね。

こんなに献げる事ができて、これは自分の力でなく
神様のすごい恵み!感謝!!
今後、もし自分が困る事があったら、その時は、神様
が全責任をもってすべての必要を与えて下さる。
信じて、お委ねしておればよい、何と感謝。

これが神様のお心なんだとわかります。
サタンは、ほんとに否定的な方へ、方へと持って行く。
心が暗くなった時、不安になった時、恐れ、思い煩い、
何か重苦しくなった時、サタンの言葉を受け入れている。

「肉の思いは死であり、御霊による思いはいのちと
平安です」ローマ8:6

御霊からの思いは平安、落ち着き、喜び、安堵だ。
いつも妨害し、神様から離そうとするサタンを
見分けることができますように。