2008年04月22日(火)
  「主を認める」

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」
箴言3:6

Aさん「クジで学校の役員になって、それも長に
なって、もう悶々のプレッシャーで、夜も眠れん
かった。神様!「長」だけは回避させて下さいと
必死に祈っとったのに、「何で?何で?」とショ
ック!」

Bさん「そりゃ、何か、神様のご計画があるんよ。
楽しみじゃねー」(笑)

Cさん「祈って、そうなったから、御心なんじゃあ。
何か、素晴らしい祝福が備えられてるんじゃ」

Aさん「ほんと祈れて感謝で。もう助けて下さい!
と必死に祈ってる。窮地になると必死に祈るんです
よねえ(笑)苦しい時の神頼みで」

「苦しい時の神頼み。楽しい時の神離れ、で神様
に頼れて感謝!!」

「早速、神様のみわざを見た!
すぐ目の前に、仕事が待っていて、イベントの段取り。

書類を最後、教頭に目通してもらうのに、丁度退
席中で、そこに校長が来て、とにかく見て貰うと、
話し合って決めて来た中に、ミスが見つかって、
急遽の対応ができた。

それが校長だから判断できた事で、そのまま書類が
通過していたら、当日大変な事になってたところで、
間一髪、神様の助けをもろに感じたんです!」

「これからも、一つ一つの仕事の中で、主を認めて
行く時、神様の助けや知恵や導きを経験して行ける
よね」

Bさん「私も仕事の中で、今振り返れば、神様の
配慮が詰まっていた。対人関係、大嵐の中だった
けれど、祈りの中で一つ一つの事が導かれて行って、
自分の罪も示されて、神様の素晴らしさ知れた。

自分の罪深さも知れて感謝だった。ほんとに、主を
認めて行く時、道をまっすぐにして導いて下さった。
感謝でならない」

ラジオは、周波数を合わせると、番組が聞こえて来る。
周波数が合ってないと、ザーザーの雑音だけで、何も
聞こえない。

一日一日、神様の愛や配慮や導きや示しが詰まって
いる。でも、周波数が合わないと、雑音しか聞こえ
ないように、祈りによって、神様に焦点を合わせて
いないと、神様の愛や配慮が見えない。

焦点が合ってますように。
すべての道で、主を認めて行けますように。


2008年04月20日(日)
  「あとで、わかる」

「わたしがしていることは、今はあなたには
わからないが、あとでわかるようになります」

「今はわからないが、あとでわかる」ことって、
信仰人生でしばしばあるよねと、語り合う。

夫であるAさんの仕事の都合で、他県に住まい
を定めたBさん
「去年の今頃だったよね」「満開の桜が咲いていて、
思い出すよね」

「そうです。去年の今頃、祈りに祈っていた仕事先
が、教会の無い地になって。でも、祈りに祈って、
神様の御心でこうなったから、必ず導いて下さるは
ずだと。
でも、見えるところは、教会無いし、信仰生活やって
行けるのかなあと、不安になったり、思い煩ったり」

「そんな時、神様の虹が出たんだよね」(笑)「そう
です!家庭集会に来て貰った翌日、綺麗な虹が出て、
神様をすごく感じて、神様の慰めと励ましを感じた」

「1年たって、ほんとに夫も私も守られていて、ただ
ただ感謝で一杯です。
パソコンのスカイプで、毎週母教会の礼拝を一緒にあ
ずかれて、メッセージが聞けて、月1回牧師先生に学
びをしに来てもらって、少し距離はあるが、知り合い
の先生の教会へ行けたりもして、本当に神様が守って
下さっているのが、ひしひしとわかり、感謝で感謝で
ならないです。

神様は母教会の近くに、職場を与える事もできたし、
夫の郷里で重荷を持って下さる宣教師さんがおられ、
そこだと、その宣教師さんの教会へ行けて、神様は
そこを与える事も出来たのに、御心は、なぜか教会
の無い地だった。

なぜかはわからないが、御心であることだけはわかっ
た。御心がなるようにと祈り続けたから。御心なので、
見える所を見ると不安になるが、心の底に平安があった。

「“今はわからないが、あとでわかる”本当に、1年
過ぎて、わかります。
神様を頼るようにされていること、霊の糧がちゃんと
与えられていること、夫にも私にも、最善の御心の地
であったこと、わかります。感謝です」

「Bさんの就職の時も、そうだったよね」

「祈って祈って与えられた、御心の就職先と、確信も
てるのに、仕事内容が、自分に合わなくて、どんどん
消耗して行った。
御心によって与えられたのに、何で?
御心じゃなかったのか??いいや、確かに御心で与え
られた。あれだけ祈ったのだから、それは確信できる」

「何で?何で??段々辛さは募るばかり、ストレスと
プレッシャーは増し加わり、とうとう一歩も進めなく
なってしまった。

結局は、その事が感謝で、限界ギリギリに達した事に
より、自分でどうにもならず、自分の何もかもを委ね
ること、明け渡すことができた。
明け渡した瞬間、不思議だが全く変えられて、心が平
安に満たされた。

結果的に、行き詰まったことが、何よりの祝福で感謝
で、あれが無かったら、今の祝福は無かった。」


ほんとに「今はわからないが、あとでわかる」!

今、わからないことも、後で、これがあったからこそ、
素晴らしい祝福とされたと結果する。

それを心から信じて、今を歩みたい。

2008年04月16日(水)
  「気づき」

「夜中にトイレに行きたくなって。
うち、寝る時は、家族もその方が寝やすいだろ
うと、真っ暗にしてるんですよぉ。
だから、夜、トイレに立つ時、もう真っ暗闇で(笑)

コンセントのスイッチのところに、ほんの印のちっ
ちゃい灯がついてるじゃないですか。

あれだけを頼りに、真っ暗闇の中を必死に、次、次
と頼ってトイレにまで行ったんですよぉ。
あの灯が無ければ、真っ暗で動きも取れないです。

その時、ふっと「あなたのみことばは、私の足のと
もしび、私の道の光」詩篇119:105 という
御言葉が来て、

ああ、こういう事なんだ。真っ暗闇で歩けないとこ
ろ、ちっちゃな灯を頼って歩けた。
私の人生の、日々の生活の御言葉が光で、御言葉
に導かれて、照らされて歩いて行くんだと。

で、私、真剣に御言葉を読んでるかと、省みた時、
ぼお〜っとしか読んでなくて。求めて、デボーショ
ンしているかと思った時に、求めてなくて、ほんと
にぼんやり読んでるのではと思わされて。

翌日、真剣に神様に向き合って、自分の心を探った
んです。すると、問題点や、今の不安や、求めて行
くべき事、望みやら見えて来たんです。

すると、その次の礼拝メッセージで、見えた事を具
体的に求めて行けばいいと教えられ、示されたんです。

そして、具体的に求めて行くと、知りたい事を、信
仰書の助けも得て、聖書を読んで行ってみようと思
えたんです。

振り返ると、トイレに立った時の気づき、礼拝での
指し示し、具体的行動へと、一歩一歩、手を取って
導いて下さっている事がわかって、嬉しくて喜びで
いっぱいです」

日常に、神様は働いておられる。毎日の平凡な日常が
実は、神様の愛と配慮と数々のみわざで満ち満ちている。

祈りがなければそれをキャッチできない。祈りがあ
る時、周波数が合って、神様のお心に触れ、わかる。

すると、日々が生き生きとしたものになり、喜びが心
に溢れて来る。

2008年04月14日(月)
  「感謝が見えた」

「ものすごく傷つく、ショックな、悲しい事が
あったんです。
もう信じられん事態で、悲しみやら、怒りやら、
不信感で心もぼろぼろで。

そんな状態で、心で泣きながら、電車に乗って、
たまたま座れて、外の景色に目が行ったんです
よぉ。
心、ぼろぼろなのに、景色が、なんて綺麗なん
だろうと思えて。神様が造られた自然はすごい
なあと。

すると、そこで以前にCさんが「感謝の生活祈っ
てるんです。すべての事について感謝できるよう、
祈って下さい」と言っていた言葉を思い出して、

「感謝」が心に来て、こんなに綺麗な景色を与え
て下さった神様、感謝だなあと。
すごく心が慰められて。その時、神様信じる前と、
全然違う、変えられている自分に驚いたんです。

以前の自分だったら、荒れ狂って、どん底まで
行って、本当にどうなってたかわからない。

ほんとに奇跡で、神様に心から感謝だと思えて。
すごい状況なんだけど、状況に関係なく、心が守
られて、ほんとに感謝でした」

“その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしな
い。主がその手をささえておられるからだ”
詩篇37:24

“永遠の腕が下に”申命33:27

“あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそ
れを、良いことのための計らいとなさいました”
創世50:20

「人の邪悪さ、悪意すら、良きことの計らいとされ
るから、すべてが必ず益とされるから、今は理解で
きなくても、神の御手の中にあること、神の支配の
中で起きていることと、信じて行こうね」

「何か感謝できて、心落ち着いて、平安になりま
した。
この事が益となり、素晴らしい事とされて行く事
を信じます」

感謝の力はすごい!!そこに神の力が働き、霊の
力が働く。心が引き上げられて行く。

どんな状況でも、今は理解できないが、神のもとで
起きた事であり、神様に焦点を当てて、感謝すると、
自分の心が守られ、平安が来る。

2008年04月13日(日)
  「すべてが祝福」

Aさん「職場の人と色々話していて、家の中で
次々と悪い事が起きると、いわゆる一見マイナ
スの事で、家族が次々に病気になるとか、けが
をするとか、それをその人はバチだと思ってる
んですよぉ。

先祖のたたりみたいな。先祖を供養して、なだ
めないといけない。おはらいをするとか。
それと、自分が何か悪い事をしたバチじゃない
かと、不安がっているんですよ。
年のいった親族とかも皆そうだから、根付いた
価値観があるんですねえ。

まずマイナスの事、不都合な事=悪 という価
値観が普通なんですねえ。

それなら、私も、そういう目で見られてるんだと、
思ったんです(笑)
私の家に次々とマイナス要因が起きると、先祖
のたたりで、私自身にも何かがあるんじゃないか
と、思われてるんだなあと(笑)

本当の神様を知れて、こんなに感謝な事はなく、
自分も、イエス様を知らなかったなら、この世
の価値観にがんじがらめだったろうなと。

うちは引っ越しを仏滅にしたんですが、親には
内緒でやったんです。
縁起が悪いと信じてて、知れたらとんでもないです。
まあ、引っ越し屋さんが安いの、安いの、大助
かりでした(笑)」

クリスチャンは仏滅に結婚式してるわ(笑)全然
関係無く。でも幸せな家庭を皆築いてる。

うちの父の葬儀の時、友引で焼き場がお休みだ
から、葬儀ができない。1日順延にして。
初めて友引は焼き場が休みだと知った。

教会の土地、鬼門とかで、誰も買う人などいない
と思っていたと近所の人が。

イエス様の十字架のゆえに、すべての「人間の戒
めと教え」から解放されて、365日すべての日
が祝福で、360度すべての方向が祝福だ。何が
起ころうと、「すべての事について感謝」せよ
と言う事ができるとは!!

世の価値観で言うところの良い事も、悪い事も、
プラスの事もマイナスの事も、好都合な事も、不
都合な事も、最善も最悪も、

「すべての事」について感謝できる世界、生き方
に召されているとは何という幸いであり、解放で
あり、感謝だろう。

“もし、あなたがたが、キリストとともに死んで、
この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、
まだこの世の生き方をしているかのように、
「すがるな。味わうな。さわるな。」という戒め
に縛られるのですか”コロサイ2:21

“キリストは、私たちのためにのろわれたものと
なって、私たちを律法ののろいから贖い出して
くださいました。

なぜなら、「木にかけられた者はすべてのろわれ
たものである。」と書いてあるからです”
ガラテヤ3:13


2008年04月10日(木)
  「恵みの伝染」

難病の持病を持つAさん。

今回もその加減かも知れないと、身体に変調
をきたし、入院された。
お見舞いすると、とてもお元気で、病院で笑い
声を上げながら楽しく交わった。
体調不調は、難病が原因ではないようで、別の
対処、治療に進展して行き感謝だった。

そうこうしていると、味覚に変調が出て来て、
味を全く感じないと。
しばらくは、薬の副作用から来ているのか??
と様子見状態だったが、とうとう病院へ。

すると、免疫を低下させる治療をしていて、その
ため普段なら全くどうもない口の中のカビ菌が、
舌に出て来たためと、原因判明。

普通は、口の中も菌がいて、でも免疫がある
ので別状無いが、それを低下させているため、
出て来たとの事。
原因がわかり治療できて、味覚が戻りました!
と(^^)/

何を食べても全然美味しくなくて、泣きたくなり
ましたよ!(>_<)
食べ物が美味しくいただけるって、有難いことなん
だなあとしみじみと恵みを思いました、と。

味覚の恵みなど考えたことも無かった。
本当に、食事を美味しく感じ、美味しく食べられ
るって、改めて、すごい恵みだなあと。

考えも及ばない、神様の大きな愛と恵みの中に
生かされているんだなあと、しみじみと思い至
った。

難病と共にあるAさん、でも、この難病が無ければ、
絶対に神様に出会っていなかったし、神様のもとに
来ていなかったし、救われていなかったと。

この難病のお陰で、神様に出会えて、心から感謝
していると。

苦しい過去を通ったBさんも「今、振り返ると、
パズルのように様々つながって行く。あの事があっ
たから、ああなって、こうなって、結果、神様に
出会えた。
あの苦しみが無ければ、神様のところへは決して
来ていなかった。絶対に求めることなど無かった。

死ぬほど苦しかったけれど、今は心底神様に感謝
できる。神様に出会えて本当に良かった。感謝で
いっぱいです」

以前、教会を訪ねて下さった他県のクリスチャン
Cさん。
非行に走り、やくざの世話にもなった事がある。
自殺未遂も何度もして、どろどろの中を通られた。

「でも、感謝です!本当に感謝!で、感謝しか
ない」と言われ、さわやかで、鮮烈インパクト
だった。

心の底から、十字架の救いを感謝しておられる、
へりくだった姿に、とても感動した。

恵みが現れて行く時、その恵みが伝染して、
心引き上げられる。

2008年04月09日(水)
  「一年後」

満開の桜が見事で、風に吹かれて、桜吹雪が
何とも風情豊か。

4月は、新しい事が始まる予感と、温かさの
中に、まだひんやりした膚寒さが残り、心引
き締まる季節だ。

丁度1年前、桜咲き誇る季節に、Aは宣教師と
して、カンボジアへ単身赴任した。

第2子出産と重なり、無事生まれた子供の顔を
見るや、急ぎ、空港へと向かい、翌朝の飛行機
で宣教地へ立って行った。

孫のBは、とうちゃんがいなくなってしまうは、
下が生まれるは、でパニック。
どちらか一つでも大変な試練のところ、はた
また重なってしまい、大試練だ。

「とうちゃんは?」「カンボジア」と答える、寂
しそうな、うつむき加減の、沈む表情に心痛む
ばかり。
周囲からの一杯の愛情に囲まれているのだけれど、
心寂しいんだろうな。

去年、切ない、心痛む思いで見た、思い溢れる
満開の桜だった。

1年後、
今年も見事に桜が咲いた。

今、カンボジアで、孫Bは、とうちゃんとママと
今日1才になる弟と、とても元気に、楽しんで、
暮らしている。

前回の訪問で、「カンボジア好き」との言葉も
聞いた。「やった〜!万歳!神様有難う!」と
心で叫んだ。

あの1年前、この1年後は、見えなかった。
しかし、こんなにも良くして下さった。素晴ら
しい祝福でおおって下さった。

思い溢れる、満開の桜を見つつ、いつも、これから
も信じていたい。

どんなに先が見えなかろうと、神様は必ず良く
して下さる。思いを越えて良くして下さる。
神は愛していて下さると。



2008年04月05日(土)
  「求めよう」

Aさん「傷つけられた人がいて、その人を赦せます
ように、愛せますようにと、祈れないんですよぉ。

何で祈れないかというと、仕返しできなくなるか
ら(笑)本音は仕返ししたくて、やっつけたくて、
報復したいんですねえ。」

「罪の性質、古い性質、肉はその通りだ。
ちょっと傷つけられても、何倍にもして報復した
いし、やり返したいんだよねえ」

「自分は赦したくなくて、愛したくない。赦せな
い。できないことはわかって、できないまま状態。

そんな時、“求めなさい。そうすれば、与えられ
ます”の御言葉が来て、できないまま、でも、
全然神様に求めてない自分に気づかされた。

赦せるよう、愛せるよう、神様に“求めよう”との
思いが与えられて感謝でした。そうできるように、
神様に、自分を明け渡しました。」

「ほんと、良かったね。感謝。神様がして下さ
る」と、何やかんや話していて、

丁度、その後の集会での御言葉が、長老、祭司
長、律法学者たちが、イエス様をピラトのもとに
連れて行き訴える箇所だった。

「そして、イエスについて訴え始めた」
「しかし、彼らはあくまで言い張って」
へロデのもとへ送られた後も、
「立って、イエスを激しく訴えていた」
「彼らは声をそろえて叫んだ。この人を除け」
「彼らは叫び続けて、十字架だ、十字架につけろ」
と叫んだ
「ところがあくまでも主張し続け、十字架につける
よう大声で要求した」
「そしてついにその声が勝った」

彼らは最初からキリストを憎んで、殺そうとして
いた。妬みからの憎しみゆえに。

肉に従って行くと、本当に抹殺して行くんだな。
ほんとに罪は怖い。

新生して、新しい性質が与えられていて、御霊の
助けがあって、神様に従って行くことを選べるよう、
助けがある事が本当に感謝。

「その当時、今ではあなたがたが恥じているその
ようなものから、何か良い実を得たでしょうか。
それらのものの行き着く所は死です。

しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、
聖潔に至る実を得たのです。
その行き着く所は永遠のいのちです」
ローマ6:23

行き着く所は永遠のいのちだ。


2008年04月03日(木)
  「楽しみに」

恵まれたことU

友人のお母様が、ご高齢で癌の摘出手術。
無事成功して、ご高齢に関わらず、お元
気に退院。
驚くばかりの祈りの答えに、心から感謝
した。

まず自宅に帰れたことが、神様の大いなる
あわれみであり、ただただ神様に感謝で
一杯と。

認知症も入っておられ、これから認知症の
勉強も必要と。
今後の自宅介護のこと、自らの仕事のこと、
これから先のこと、どのように良くして下
さるのか、神様を楽しみにしなくちゃね、
と友人。

本当に神様を知っていることの幸いを、圧倒
的に、またしみじみと実感。

“あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ
・・「何の喜びもない」と言う年月が近づく
前に”創造12:1

年老いて、身体もどんどん下り坂、人生の先が
見えて来る年月、創造者を知っていることの、
何という感謝!!天と地ほどに違って来る。

何も見えないこれから先だけど、神様の愛の御
手の内にあること、素晴らしい最善のご計画が
あること、
すべてを備え、良きにして下さること、それが
信じられることが何という幸い。

人生の先も、同時に、日常で様々起こる小さな事、
大きな事、悩みや問題、「神様がどうして下さる
か、楽しみにしなくちゃね」が答えだ。

どんなに良くして下さるのだろう。どんなご計画
を持っていて下さるのだろう。どんな素晴らしい
備えがあるのだろう。

「楽しみにしなくちゃね」!!

2008年04月01日(火)
  「主を喜び感謝すること」

恵まれたこと。他教会のキャンプに参加。

盲人の目が開かれる箇所からのメッセージがあり、
喜びも、希望もない人生を送っていた。

イエス様が目を開けて下さって、「彼はたちどころ
に目が見えるようになり、神をあがめながらイエス
について行った」

そして「これを見て民はみな神を賛美した」

目が開かれた盲人は@「神をあがめた」
A「イエスについて行った」
B「これを見て、民は神を賛美した」

@私たちの人生は、神を崇める目的で生きて行く。
神を喜ぶために生きる。
A神のみこころを実現するために生きて行く。
Bそのように生きて行くことが、証しとなって人々
は神を見る。

見えるようになったのは、神のただ一方的なあわ
れみであり、あわれみ以外の何ものでもない。

神のあわれみを受けた。「神のあわれみ」これが
すべてにおける生き方の動機であること。

このメッセージを聞いて、その教会の一人の婦人
Aさんが「私は子供が生まれてから、子供に手が
かかり、今はあちこち動き回り、目も離せない。

教会で皆が一生懸命奉仕して下さっているのに、
自分は子供を抱えて、思うようにできない。
奉仕して下さっている皆に申し訳なくて、いつも
心が痛くて、苦しくかった。

でも、今日、そうじゃなくて、神様の救いを喜ん
でいる事、神様のご愛に感謝して、神様を賛美して
いることを、神様は喜んで下さるとわかった。

自分は何もできないけれど、神様を喜んで、心から
感謝して、御名を崇めて生きて行きたいと、本当に
心が軽くなりました。平安と喜び与えられました」
と泣きながら証しされた。

本当に信仰の原点、神様のあわれみによって救われ、
あわれみによって、今ここにあり、心から神様に
感謝し、神様を喜んでいたいと、それが御名を崇める
ことであり、それが一番の証しになるのだと、とても
心恵まれた。

Bさん「ほんとに立ち返らせられます。自分が忙しく
バタバタバタバタしていると、自分だけ忙しいと、何
だかイライラしてきて、家族に対しても、もっとやっ
てよと、周囲をさばいてしまう。

本末転倒で、何をしているのかわからなくなる。あわ
れみによって救われたこと、救いに感謝して、神様を
喜ぶこと悔い改めて、そこにいたいです」

あわれまれている事、神様に感謝する事、賛美する事、
神様を喜ぶ事、いつもそこに立ち返りたい。