2008年05月28日(水)
  「肉」

ロトの話をしていて、

ロトの選んだ地ソドムとゴモラの罪が余りに
も甚大で、主は滅ぼそうとされた。
アブラハムの熱心な執り成しにより、ロトと
家族は救おうとされた。

ソドムとゴモラを滅ぼすために、二人の御使
いが遣わされた。御使いは、すぐにこの場を
去るよう、家族を連れて逃げるようにロトに
告げた。

ロトは娘婿たちに、すぐに出るよう、主がこの
町を滅ぼされると、一刻の猶予もないことを
告げるが、娘婿たちは、それを「冗談」だと
思った。

この世にどっぷり浸かり、世を楽しみ、世から
快楽を受け、世の名誉、地位、世の賞賛を楽し
み、世の美味しいところを食べ、それで、世が
罪ゆえ滅びるから逃げろと、言っても「はあ?」

バプテスマのヨハネが言うなら、真実味がある
が。

「あ、私、ロトじゃわ。世に流されて生活し
てるし、聖書開かんし、世とおんなじ事をし
てる。世と何も変わらんし、世を楽しんだり
してて、私が同じこと言ったら、身内は
『はあ?何言いよるん?』になると思う。」

「自分自身が、神様を求めて、神様に真剣に
従って、行くことが証しなんですよねえ。」

「私も、肉でやってしまう。肉で、自分の思い
で、目の前の事をやって行くのと、祈って祈っ
て、神様に頼って、やるのと結果が全然違う。

自分の力ですると、必ず自分を誇って、自分の
栄光にする。口ではどんなに、いえいえと言っ
ても、自分がそれをしたと、自分を誇る。

でも、祈って祈って、神様に頼って、導かれて
すると、自分を誇らない。むしろへりくだる事
ができて、神様のお陰で、神様がして下さった
事が本当にわかる。」

「私、ロトそのものじゃわ。クリスチャン隠し
てバイトに入ったら、もうさんざんで、大変
な目に会って。
これはほんと刈り取りと、悔い改めて、旗幟鮮明、
クリスチャンだと言ったんですよお。

すると、不思議なことに、道が開かれて、対人
関係が良くなったんです。自分もありのまま
おれて、平安に仕事も対人関係も持てて行けて。

自分で画策して、自分の力で何とかしようと
思うと、どんどん泥沼に入り撃沈、自分を明け
渡して、神様に委ねると、途端に導かれて行った。

自分で何とかするんじゃなくて、自分を明け渡す
ことが大事なんだと、ものすごく教えられました。」

「肉は何の益もなく虚しい。肉でなく御霊に従って、
神様の喜ばれるように歩んで行きたいよね。」

「神様に従いたいですよね!!」






2008年05月24日(土)
  「愛がないなら」

何やかやと話し、祝福を感謝。

批判からは、いっさい良いものが生まれない。

Aさん「あんたはダメだ。ここがダメ、あれもダメ、
ここが悪い、あそこが悪いと言われ続けると、
くさってきて、気力が無くなって来て、やる気が
全く無くなる。落ち込んで、暗〜くなって。

こっちの心に余裕が無い時に批判されると、
こちらも心の中で批判をし返す。
「お前が言える立場か!」「あんたには言われ
たないわ!」「自分はどうなんじゃ!」

反応してしまって、攻撃的になり、心がトゲトゲ
して、荒んで来る。こっちも罪を犯してしまって、
悔い改めました」

Bさん「ほんま祈って祈ってでないと、人には言えれ
んわ。肉で言うと、反発しか起きんですよねえ。
自分が言われても、反発しますよね(笑)

批判て、何も生み出さない。批判されて良くなりたい
などとと、絶対に思わないですもんね」

「愛がないと、何も心に届かんわ。肉は、やかましい
どら、うるさいシンバル。愛が無いなら言っても無駄、
害するだけ。御霊の実は愛ですものねえ。
御霊に導かれた言葉は、絶対に建て上げて、実を
結びますよね」

自分自身が、御霊の導きに日々従って、通り良き
管とされて、御霊の言葉を口から発する者であり
ますように。

Cさん「“境界線”が今の自分の祈りの課題なんで
すよぉ。自分には境界線が無い。境がわからず、
人の中にどんどん入り込んで行ってしまう。

又、ものすごく人が気になって、人の目が気になって、
嫌われたくなくて、「ノー」が言えない。

この間も、自分の事をああじゃ、こうじゃ言われて、
ものすごくひどい事言われて、滅茶苦茶言われて、
ものすごくへこんで、落ち込んでたんですよ。

人格傷付けるようなひどい言葉なんですよ。でも
言われるがままで、辛くて、痛くて、神様に祈って
たら、自分の問題が境界線であることに気づかさ
れて。

それで、相手に、自分はそう言われる事が嫌だ、
不愉快だ、ノーだという事を、はっきり態度で表し
たんです。
すると、ピタッと止んだんです。そして、自分の思い
や気持ちをはっきり言い表したら、関係が良くなっ
て、何だか和やかで、笑いまで出る間になって。
相手に、大した悪気は無かったんかも知れないです。

神様が「ノー」をきちんと言え、境界線をしっかり
敷くように教えて下さってるんだなあと、感謝でした。

“だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『い
いえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上
のことは悪いことです”マタイ5:37


2008年05月21日(水)
  「求め」

神様は、「求め」に答えて下さることを学んでいた。

取税人のかしらに上りつめたザアカイ。しかし、私腹を
肥やして、財を築いたその心に平安はなく、人々から
も軽蔑され、白い眼で見られ、嫌われていた。

富が幸福をもたらしてくれると、信じていたが、決して
幸せにはなれず、孤独で、寂しく、暗い、虚しい日々
だった。
そんなところへ、イエス様というお方のことを聞き、
虚しい、孤独な寂しい心を、何とかして貰えるのでは、
満たして貰えるのではとの、求めでやって来た。

「イエスがどんな方か見ようとした」が人垣で、どう
にもならず・・しかし、決して諦めなかった。

「イエスを見るために、前方に走り出て、木に登った」

会えないなら、会えないで仕方ない、どっちでもいいや〜
そうではなく、どうしても会いたかった。

すると、イエス様の方から「ザアカイ・・あなたの家
に泊まる」と。

中途半端でなく、真剣に求める心を、イエス様はご
存じで、決して放っておかれない。

Aさん「救われた時の事を振り返ると、心が渇いて
渇いて、本当に心が神様を求めてました。
この世のもので満足できず、心が虚しくて、心を真
に満たすものを求めていた。

イエス様がザアカイの求めをご存じで、受け止めら
れたように、時ピッタリに、環境や人が備えられて
救いに入れられた。
心の「求め」をご存じで、イエス様が来て下さったこと
に改めて感謝で一杯です」

Bさん「神様を信じて、救われて、一時期離れたん
ですよぉ。
神様に対する求めが無い時は、全く神様がわから
なかったです。

でも、神様に立ち返って、神様を求めると、ほんとに
どんどん神様がわかって、目が開かれるようにわか
ったんです。
求めに応えて下さるんだなあと、求めが大切なんだ
なあと、実感します」

Cさん「順境で何も無い時って、求めもなくて、ポワ
〜ンとしてるんですが、今、次から次へと問題が
来て、難題が来ると、心がずうっと神様を求めて
います。

一つ一つの問題に対して、どう捕らえたらよいのか、
御心は何なのか、どう対応すれば良いのか、一つ
一つ神様に求めることができて感謝です。

環境に働いて下さったり、御言葉示されたり、心
になすべき志を下さったり、本当に「求め」に答え
て下さるお方であることを、生活の中で経験させ
られています。」



2008年05月18日(日)
  「刈り取り」

「思い違いをしてはいけません。神は侮られる
ような方ではありません。
人は種を蒔けば、その刈り取りもすることにな
ります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り
取り・・」ガラテヤ6:8

Aさん「蒔いたものを刈り取るって、ほんと真理
じゃあ〜。今、苦しい苦しい刈り取りしてます。

バイトの高額時給に目がくらんで、御心求めない
で、誘惑に乗って行ってしまった。神様飛んで、
フラフラと、目の前の美味しい草だけを求めて、
御心でない方向に行ってしまった。

そして、その上に、今まで、クリスチャンだと言
うと、いつも何やかや言われたり、ごちゃごちゃ
ややこしいから、もう隠れキリシタンで、黙って
いようと、クリスチャンである事を隠して入った。

すると、もう大変で!!すぐに刈り取りがわかった。

偶像がまかり通っていて、店長は偶像大好きで、
こちらがクリスチャンって言ってないものだから、
どんどん偶像の話ざんまい。
拝みはしないが、偶像の世話まで降りかかって来て。

御心それたら、ろくな事がないです。しんどい
ばっかりで。自分で自分の首を絞めて行く。

もう懲りた、懲りた、旗幟鮮明にするのが、一番
楽で、祝福の道と思い知らされた。

ものすごく勉強になって感謝です。しっかり刈り取
ってます。同じ間違いしないように。これに懲りて
今は、しっかり自分の立場を表明しています。

Bさんも、以前、非常に高額の報酬と地位を約束
する仕事の勧誘が来て、御心でないとの思いがあ
ったが、自らの能力が生かせる事にも魅力を感じ、
好条件に目がくらんでしまった。

しかし、そこは御心ではなかった。高額の分、仕事
は非常にハードで、心身共に消耗し、段々時間的に
も教会へ行けなくなり、神様から離れてしまう結果
となった。

神の大きなあわれみにより立ち返ることができた。
その間、この世的には、恵まれていたが、心に平安
が全く無かったと。

自分は大丈夫と思っていても、決して大丈夫でない。
道をそれて、遠回りし、苦しみや悲しみに自分から
入って行くことになる。

刈り取りをも益として、訓練として下さり、祝福し、
成長へと導いて下さる。

しかし、神の愛の御声を聞いて、素直にその御声に
従って行けたどんなに良いだろう。

「御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを
刈り取るのです」



2008年05月15日(木)
  「神のわざが現れるため」

朝、遠方の主に在る友から
Trusting God turns problems into opportunities
ヨハネ9:3 が届いた。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありま
せん。神のわざがこの人に現れるためです」

問題は神様のチャンス、神様の栄光現れる機会!

Aさんが、子供の学校の役員になって、ショックで、
それが身体に来て、体調崩した(^_^;)

パソコン全然できないし、人前に立てないし、人を
まとめてなんて、とてもじゃないができない、ひど
く落ち込み、パニック。

でも、祈った結果こうなったから、これは御心だと。

すると、ほんとに「神のわざがこの人に現れるため」
であった。
パソコンが全くできないゆえ、書類をご主人に頼ん
だら、ご主人も仕事で多忙な中、色よい反応なく、
ガッカリやら、して「くれない」思いで、心屈折に
なりそうなところ、

いいや、そうじゃないと、神様を見上げて、前向きに
信仰的に、心を向けようと祈っていた。

すると、悪いと思われたのか、ご主人が、してやろう
と引き受けて下さって、さすが!仕事上ゆえに、ノウ
ハウ知り尽くし、丁寧に、きっちり仕上げて下さった。

もう感動で、ただただ感謝、感謝で、嬉しくて、嬉し
くて、心から湧き上がる「有難う!」が出て来る。

「これから、何でも持って来いと、言ってくれ、もう
感謝で、感謝で!!」と。

初めてものすごく素直に「嬉しい」「有難う」「頼れ
る〜!」と気持ちを表現できたのだと。

初めてのことで、ご主人に対して、そういう事が今まで
全く無く、素直に気持ちを表現して行くと、夫婦仲が
一変してしまい、和やかに、麗しくなって、ほんとに
夫婦間に、神様のわざを見たと。

問題・悩みは、神様の素晴らしいわざの現れる機会!!

「神のわざが、この人に現れるためです」
信じて歩みたい。





2008年05月13日(火)
  「わたしはあなたに答え」

Aさんが「祈れん、祈れん、祈れないんですよぉ」

「心の中で祈ってるんでは?」

「そう、何でわかるん?心の中で祈ってる」

「声を出して祈るといいよ。心の中で祈ってると、
サタンが来て、思いに働いてぐちゃぐちゃにして
祈りを取って行く」

「声に出して祈ったことない。周囲に知れるとまずい
と思って。声に出せなくて」

「小さい声でいいから、声に出して祈るといいよ。
思いが戦場で、サタンが来れるから、祈りがすぐ
思考になって、祈り始めた途端考え始める。サタン
が来る。祈ってたのが、いつの間にか考え事に
なってる(笑)

Bさんがね、面白いんよ。「祈ってたら、もう腹が
立って、腹が立って、途中で祈りが消滅!!
祈る前は平安だったのに、祈り始めた途端
もう怒り心頭で!!何じゃこれは」

「サタンが来たんよ」「あー、やられた!!」

「声に出すと、客観になって、自分の心と分離する
から、祈ってる事と自分の気持ちが違う事が
わかる。落差があったり、正直じゃなかったり、
きれい事だったり、それがわかる」

数日後、
Aさん「声に出して祈ったら、ほんとに祈れたー!!」

「すごい、嬉しくて、嬉しくて、ずうっと祈れてたん
ですよぉ。それで、行ける行けると、チョロいと高ぶ
った途端、沈没(笑)

祈れんくなって、朝からダレてて、祈る気がせんで、
でも、『神様、祈れんから、祈る言葉下さい』と
祈ったんですよぉ。

祈った途端、緊急祈りのお願いが来て、赤ちゃん
のB君が、突如の耳切開手術との事、

うわあ!かわいそう!痛いだろうなあーと、思わず
祈った!!
それから、祈りが与えられてます!!」

<すごい事があった!!>

Aさん「そのB君の誕生日お祝いに、祈って、パンダ
のケーキが導かれて、ネットで注文。
それが、なかなか届かなくて、もうどうなってるん
かいのうと、イライラしてたんですよぉ

すると、大泣きで切開手術して、B君帰宅したその
日に、パンダのケーキが届いた!!

B君のママにも凄い慰めと励ましになった。
こんな事ある?ジャストタイミング!!
神様だー!!

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
伝道3:11

ピッタリの神様の時があり、焦る事も、イラ立つ
事もないんだと。
すべての事が、主の主権通りに進んでいるんだと
信仰生活全般について、すごく教えられて、
感謝でした!!!!」

良かった!!(^^)/

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに
答え・・」エレミヤ33:3

2008年05月11日(日)
  「視点」

感謝の語り合いになった。

Aさん「引っ越し荷物の片づけ、夫や子供は仕事に
学校に出るじゃないですか。山のような片づけに、
うわあと、押しつぶされそうになるんですが、

片づけても、片づけても、なかなか片づかず、
へこみそうになるんですが、

でも、ああ、身体が元気で、健康守られて、こう
やって片づけられるって、感謝だなあと思ったん
ですよぉ
そうすると、ますますほんとに感謝だと実感して、
だって、寝込んだりしたら、できませんものねえ。

すると、一瞬にして視点が変わるんですよね。
山のような状況を見ていると、しんどさに、
つぶやきや不満が出て来そうになるんですが、

神様見て、感謝を献げると、恵みが見えて来る。
不思議ですよねえ。全く状況同じなのに、心に
喜びが出て来て、平安が広がって、片づける力が
与えられる。

あれも感謝、これも感謝、こんなに感謝って
思えて来るんですよねえ。

全く同じ状況で、視点が違うだけで、天と地ほど
違って来ますねえ。

母がね、上ばかり見る人で、向上心はいいの
ですが、やはり見方が、あれが無い、これが無い
こんなのではだめだ、もっとこうでないとと、
無いものばかり数え上げて、いつも悲観してる
んですよ(笑)

それで、私はいつも、あれもある、これもある、
お母さん感謝だよ、こんだけあって、こんなにある
これもできるし、あれもできる、こんなにできて、
これって、すごい事だよと(笑)」

「視点一つで、逆の恵みが見えて来るから不思議
ですね。うちは家が狭いんですが、狭いからこそ
皆で仲良く、コミュニケーション豊かに来れたん
だなあと。すごい恵みだなあと。」

「神様すごい。恵み数えるとほんとに感謝です。
税金を払ったんですけどね。普通、税金に不平
タラタラじゃないですか。でも、うち経済的に大変
で、ああ、税金を払えたんだ!良かった!
税金を払う事ができて感謝!と、心から感謝で
一杯になったんですよ。」

感謝できる事が、感謝!!神様知っている事が
感謝!!感謝!感謝!で、喜びが満ちた。



2008年05月09日(金)
  「祈りによって」

Aさん「お母さんが病気で、お母さんサポート
することやら、家事をする事、良い証しになる
ようにずっと祈ってたんですよぉ。

でも、台所はひっくり返ってるし、他の家族は
何もしないし、もう、イラッときたりして、でも
祈りながら、神様に助けを求めながら、そうする
と、何か不思議にできるんですよ。

ある日もバイト終わって疲れて帰宅すると、台所
は散らかり放題で、悲惨な状態で、でも、お父さ
んはゴロッと横になってるし。

でも、その時、神様に祈ったら、不思議に疲れた
身体で片づけをする力を与えて下さったんです。
何か神様と一緒に片づけができて、すごく感謝で、
平安だったんです。

すると、お父さんが起きて来て「洗ってくれたん
か」と言ったんです。
それでもって、お父さんがどんどん家事をし出す
んですよぉ。そんな事をするお父さんじゃなくて。

アイロン当ててたり、もうびっくりで、家事を一生
懸命するお父さんを見て、すごく心が潤って、励ま
しや慰めやら、神様感じてものすごく恵まれたん
です。

ああ、神様だ。私、神様に出会って本当に変えられ
ました。以前だと、どこででもなんですが、自分一
人で動いていて、周囲が何もしないと、周囲にいら
立ち、腹を立て、責め、さばいてました。

それが、神様を知って、祈ることができて、祈って
いると本当に自分の心が変えられるんです。

周囲に関係なく、自分は神様の喜ばれる事をしよう
と思える。それで、祈ってそうしていると、心が平
安で一杯になってきて、喜びが来るんですよぉ。

自分に全然責める気持ちもなくて、素直な気持ちで
できて、すると、何だか周囲も変わるんですよぉ。
そんな神様のわざを、何回も何回も見せられて
来ました。

自分が変えられたことが、何より感謝で、ほんとに
神様に感謝でいっぱいです」

自分に死んで、御霊の導きに従って行く時、神様の
栄光が現される。
祈りによって、できない自分が従えるようにされる。
神様からの助けが臨む。


2008年05月07日(水)
  「わたしの思いは・・異なり」

神様の思いと人の思いって、しばしば違うし、かなり
違うってことを話し合っていた。

神様は、はっきりと「わたしの思いは、あなたがたの
思いとは異なり」イザヤ55:8 と言っておられる。

Aさんが「年度始めで、子供の学校でPTA役員を決める。
クジで決めるが、自分は絶対に向いていないし、人前
でできないし、パソコンもできないし、神様無理です、
どうかなりませんようにと、ずっと必死で祈り続けて
いた。

すると、役員になり、それも長になってしまった。
その夜、もうショックで「神様あれだけ祈ったのに何
で?何で?何で?」状態だった。
本当にドッーと、ストレスに襲われ身体に来て、体調
崩してしまった。

でも、少し落ち着いて、今、神様の思いと自分の思い
は本当に違うんだと教えられる。
自分では絶対に選ばないが、神様が何かのご計画を
もって、目的をもって与えられたとわかる。
仕事の一つ一つに、本当に知恵が与えられ、助けが来
て、神様を感じさせられている。
この事を通して、神様の栄光を見せて下さり、神様の
素晴らしさを教えて下さるんだと、今は思える。

丁度遠方の友、Bさんからお証しが届く。

「まだ救われて間もなくのこと。
夕方の電車の中、幼児ふたりを連れた母親が座って
いました。
ひとりは負ぶわれて、ひとりはその横にちょこんと
腰掛けて。疲れた表情で母親が眠り出しました。

それを見て祈った私。「神様、この婦人がゆっくり
眠れますように」
祈ったとたんに負ぶわれた子とそのお姉ちゃんが楽
しそうに遊びだしました。

がらんとした車両に幼児ふたりの笑い声が響きわたっ
て・・・
え〜〜っ!目が覚めちゃうじゃん、と思った私が見た
のは・・・
母親が目をつむったまま嬉しそうに微笑みました。
ほんの数秒前までお顔に漂っていた疲れがすっかり
消え失せて・・・
あ〜、神様のお答えってこういうことなんだって、
ボンヤリと感じました。
私が良いと思っていることなんて全然違うんだわ、と。
あのお母さんが一番喜ぶことを神様が与えてくださっ
た、と」

皆で感動し、教えられた。

自分の思いと神様の思いって、違う。
自分の思いに固執していると、神様からの答えを
受け取り損ねてしまう。
違う答えを下さっているのに、受け取れない。

視点を変えて、祈りの答えをたどってみよう。
素晴らしい答えを発見する。

2008年05月05日(月)
  「無いものでなく、有るものを」

丁度、もう一人ご高齢のB婦人と電話でお話した。

足を痛められて、集会に来れず、養生しておられる。
「もう高齢の大台も、大大台に突入です」と笑われ、

「まあ、感謝じゃなあと思いましてね。箱車押して、
ほんの近くまででないと歩けないんですが、何とか
階段を一段一段上がれる事が、感謝でならないです。

一段一段祈りながら、上るんですよ。上れることが
感謝でならないです。
近くのお店に行けますし、生活ができていることが
神様の守りで、感謝で、感謝で。」

お独り暮らしで、足も痛められて、先を見るなら不安
と恐れと思い煩いしかないところを、

不平不満、愚痴が全く無く、口から出るのは感謝の
言葉のみ。
視点の置き方一つで、天と地ほどに違って来る。

神様に視点を置くなら、どんな状況でも、平安と感謝
しかない。
状況と自分に視点を置くなら、不平不満、愚痴、煩い
しかない。

状況は全く関係なく、どこを見ているかだけだ。
感謝を献げ続ける人を通して、周囲も引き上げられる。
恵みがまき散らされ、恵みが伝染して来る。
喜びと平安が流れ来る。

あれも感謝、これも感謝と、溢れるばかりに感謝
しなさいの通り、喜びが流れ込んで、恵まれて恵
まれて受話器を置いた。

Bさんの面白い証しがある。

「かなり郊外の教会で、年末の大掃除で、二階の
窓拭きをしていた。すると、網戸がポロッと取れ
て、真っ逆さまに落下。

一瞬の事に、驚き慌てるが、又、その瞬間「神様
感謝します!」と叫び祈った。
そして、下を見ると、何とそこは隣の葬儀場の駐
車場!

おそるおそる、網戸の行く先を見ると、何と!そ
こだけ空いていて、車が無かった!!隣はベンツ!

神様、感謝します!! ほんとに神様でした」と。

無いものを数えて、不平不満、愚痴の人生でなく、
与えられているものを、有るものを数えて、感謝、
感謝、感謝の日々でありたい。





2008年05月03日(土)
  「遠方からの良い消息」

遠方のAさんからお便りが届いた。
いつも幸いなお交わりをさせて頂いていたが、
途中で引っ越された。
もうご高齢だが、ずっと忠実に主に従っておられる。

私は年寄りなので、祈りのご奉仕をさせて頂きたい
と、いつも祈って下さっていた。
私たちの教会だけでなく、ファローで宣教報告に
来られる先生方、お一人お一人のためにも続けて
祈って下さっていた。

「年寄りですからね。まあ、朝は早く目覚めるんです
よ。一人で早天祈祷会をするんです。主との交わり
に、それはそれは恵まれて、朝から感謝が溢れる
んですよ。

独り身ですでしょ。だから、もう時間も自由で、主に
自由にお仕えできて、感謝でならないんですよ」と
ニッコリと微笑んで話される。

いつも交わるAさんから、一度も不平不満、愚痴を
聞いた事がない。
世に疲れて愚痴で一杯で集会にやって来る方には、
いつも柔和に神様を指し示し、見上げるように
助けておられた。

「彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には
恵みの教えがある」箴言31:26 の通りだ。

以前に証しをして下さった。
「砕きに砕かれました。若い頃は、もう高慢な高慢な
鼻持ちならない人間だったんですよ。
様々な事を通して、主は砕いて下さいました。
へりくだらされました。感謝です。

この歳になって、パズルがつながるように、今までの
人生の様々な事が繋がるんですよ。
その時には、何でこんな事が!と、わけのわからなか
った事が、今はわかります。
あの事、この事の意味が明らかにされて、すべての
事が益とされて、ご計画の内だったと感謝ばかりです。」

わきまえがあられ、柔和で、物静かだが、語るべき時
には語られ、イエス様の香を漂わせておられた。

御高齢の方々の集いに、とても心が安らぎ癒されますと、
若い婦人が来て下さっていた。

歳をとった時、こういう信仰者でありたいな、との
目標だ。

「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水の
ようだ」箴言25:25

遠方からの主を喜ぶお便りに、心潤される。

2008年05月01日(木)
  「どこにおいても主を認める」

元気溌剌Aさんから、元気をもらう。

「神様を信じて本当に感謝で一杯で、私、変えら
れました。
“待つこと”が大切なんだなあと、教えられます。
以前は、全く、待てなかった。
自分の力で生きているから、又、自分が強いから、
自分で、自分で、となるから、いつもイライラして
いて、それが人に向かって、人にも当たってしまう
んですよねえ。

待つようになりました(笑)私としては、ものすごい
変化です。
ずっと祈って、神様をずうっと、時間をかけて待ち望
んでいると、それが、状況が動いて来るんですよね。

自分は全く動かないのに、状況が勝手にそういうふう
になっ
てきて、押し出されるように、自分のすべき事がわか
るんですよね。
祈っていると、ほんとに神様によって、導かれるんだ
なあと、教えられます。

今回の引っ越しも、一つ、一つに神様の御手と導きが
見えてすごく嬉しかったです。

主人と運動のため、ウォーキングをしているんですよ。
夜の時間は、テレビを見てしまって、過ごしてしまっ
ていたんですが、神様がウォーキングを与えて下さって。

健康に良いですし、夫婦の語らいの時間とされてるん
です。神様の祝福を感じ、嬉しいです。

ずうっと語り合ったり、黙って一緒に歩いたり、夫婦の
貴重な時間が、ああ、神様からだなあと、嬉しいです。

その時、主人と二人で、丁度、不動産屋の物件表示を
見つけて。二人で見つけられた事に、神様を感じ嬉し
いでした。

今より少し広くなるぐらいなんですが、家族それぞれ
に神様の配慮がわかって、家族が更に暖かく暮らせる
ように、神様が与えて下さったんだなあと、本当に感
謝でした。

家族の事を真に考えていて下さる、神様の愛を感じ、
また心暖められたんです。

色々な起こる出来事に、目の前の一つ一つに、神様を
しっかり見て、神様の愛や配慮に、喜びを与えられて
いるAさんに、とても心恵まれ、こちらも喜びが伝染し
て来た。

とても、幸福そうなのだ。幸福感をもって生きている
Aさん。

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ」
箴言3:6

どこにおいても、主を認める・・これが秘訣だ。
目の前の一つ一つに、主を認めて、喜んで感謝したい。