2008年06月27日(金)
  「感謝する」

「すべての事について感謝しなさい」
Tテサロニケ5:18

印象深い思い出がある。
10数年前、岩国で平日に学び会をしていた時に、
婦人達主催でクリスマス特伝をしようという事
になった。
チラシを作り、新聞折り込みをし、近辺に配布し、
婦人方は声をかけて回り、知り合いを誘った。
皆で、クリスマスの豪勢な手作り料理を作り、準備
万端整えた。
そして、集会が祝福されるように、新来者があるよう
にと、皆で祈りに祈った。

いよいよ当日になった。いつも平日は混んでいて、
広島から岩国まで最低1時間半はかかる。渋滞も見越
して、かなり早い目に家を出た。

家を出ると、家の前の幹線道路に車の列が延々列並ぶ。
え?!何??その最後尾につくが、動かない。何と
その日、電車のスト。知らなかった。

ガーン!とっさに、以前の夜の集会の事を思い出す。
途中で大がかりな花火大会のイベントがあり、渋滞
に巻き込まれ、停止のまま動かない。
3時間遅れで、集会が終わる時間に着いた。

そうなる!頭が、こんがらがりそうになるが、待てよ、
しかし!神様はクリスマス特伝の日をご存じで、また、
ストになるのもご存じだった。両方とも神から来ている。

これは神のみわざが現れる!「すべての事について
感謝しなさい」だ。神様感謝します!感謝します!と
唱えながら運転する。
ほんの500m進むのに30分もかかり、45キロ
ある。とてもじゃないが見えるところ、着くはずが
ない、不可能だー。

しかし、感謝します、感謝しますと祈りながら進む。
すると、高速と一般道の別れ目に来た。
どちらに行くべきか??神様どうしましょう!
以前、渋滞時に高速に入って延々の渋滞で、バックも
できず、出る事も出来ず、どうにもならなかった事が
頭をよぎり、一般道を選んだ。

感謝します、感謝しますと祈りながら、進む。
その内、段々スムーズに走れ、何と全然渋滞しておらず、
どうなったのか、スイスイと進む。
どこがどうなったのか、わからないが、何と、時間内に
到着!絶対に奇跡だ。着くはずがないのに。
神様、感謝します!!とほんとにびっくり!

集会には、婦人方が色々お友達を連れ来ていたが、
チラシを見て来た初めての婦人が、一人おられた。

新聞に折り込まれたチラシを見て、とても行きたいと
思ったが、平日は仕事をしているので、無理でがっかり
していた。
ところが、今日、ストのため、仕事が突然休みになった
んです。それで来ることができました、と。

その婦人がその日、イエス様を信じて、その後、次々と
お友達を連れて来てくれた。

「すべての事について感謝しなさい」に、主のみわざを
見せられた。

2008年06月27日(金)
  「委ねる」

Cさん「あれも、これもと、思い煩いが、どおーっ
と押し寄せて、どれも出来ないし、イライライラ
イラして、先へ進めようとするが、全然進まない。
心はもやもやで、全然平安ないし、祈りは形だけで、
祈れない〜」

ひとしきり、ドバ〜っと喋っりまくった。
お金がないから、すぐにバイトを探さないといけない、
でも、目の前に済ませないといけない用事のタイム
リミットも迫ってる。

「する事が差し迫ってて、時間が無いのに、要領悪
くどうでも良い事に時間をかけてて、やる事ちぐはぐ
で、何もできない〜。

自分に活を入れて、自分の力でやって、結局何も
うまく行かないで、疲れて消耗するばかり」

Dさん「肉は、自分でやりたいもんね。自分が認め
られたいし、評価受けたいし。委ねたら?」

「もうしんどくてどうにもならないから、委ねられる
よう祈って下さい。帰って神様とよく交わります」
祈って帰った。

「する事山積ですが、全部横において、神様と交わ
って委ねました!!
すると、以前のバイト先から突然電話がかかって、
人手がどうしても無いから、高額出すから、何とか
少しの間だけでも来てくれないかと。

目の前のとにかく経済的必要をご存じで、そのために、
神様が与えて下さったと感謝でした!
委ねた途端、来たのでびっくり。

それで、不思議なんですが、イライラと思い煩いが
無くなって、目の前の事がスムーズに出来て、どうし
ても出来なかった事に、アイデアがひらめいて、
出来上がったんです。神様の助けに本当に感謝
でした。
何より、やる気が出て来て、もやもやが無くなったー」

Fさん「自分は、何か心が重苦しくて、しんどくて、
心暗く、よどんでる。何かうっとうしく過ごしてて、
しばらくして、やっと、心に何かあるから、探って
もらおうと、視点が神様に向いた。
時間がかかるんですよ。

それで、心を照らして下さいと、祈っていたら、
色々思い煩いが出て来て、あの事、この事、
特にあの事〜だとわかった。

その事を、神様に委ねたら、本当に心が
すっきりして、うっとうしさや、重苦しさが
消えた。平安になって、嬉しかった。

平安失せると、心に何か、神様に頼って
いないものがあるんですよね。
できるだけ、早く気づきたいですねえ」



2008年06月25日(水)
  「すべてのことが神から発し」

様々な事態が起こる時、その事態の収拾に
必死になる。
が、大切な事は、その事態によって、神が何
を教えようとして下さっているのか、だよね、
と語り合う。

Aさん「対人関係で、自分が受け入れてもらえ
ないという辛い、苦しい、悲しいところを通り、
その歳月が続いたが、
今思えば、まさにそれがあったからこそ、神様
のもとへ来れたとわかる。
その苦しみが自分を神様へと導いてくれた。

夫は未信者で、小さな子供連れて、大変な
環境で、それでも垣間くぐるようにしてでも、
教会へ行けたのは、悲しみ、苦しみがあった
から。今思えば、渇きがあったから行けたの
だと思う。

丁度そこに友人がいて、誘ってくれた。その
友人がいなければ、教会へ足を運ぶなど思い
も寄らない事で、決して行ってはいない。

どうにも出来ない悩み苦しみがあって、そこ
に友人がいたこと、神様の自分へのご計画、
備え、愛と慈しみに感謝でならない。

逆に、悩みが無ければ絶対に、教会になど行
っていなかった。
友人の誘いも、義理もあるし、きっとうとま
しく思ったに違いない。

これさえ無ければ、自分の人生どんなに楽で
楽しく快適だったろうにと思う、まさにそれが、
神様のもとへ自分を導いてくれた。
時がたつと、本当にパズルがつながるように
見えて来るんですねえ。

その悩みは神様に取り扱われて、状況は変わ
らないが、自分が変えられて、受け止められる
ようにされて、本当に感謝でならない。
まさに自分の益と成長のための悩みであった
ことが今、よくわかる。

今は次から次へと別の試練が来るが、一つ一つ
無ければならない試練であり、自分のためであり、
ここから神の御声を聞き、学ぶ事が大切なんだと
教えられ感謝です」

人が介入しているかも知れないし、サタンも関与
しているかも知れない。
でも、目の前に来る一つ一つの事柄は、神が
自分に与えられたものであり、神から来ている。
そこが見えると、何もかもが変わる。
見方が変わり、視点が変わり、恵みと祝福になる。
神にまみえる。状況に関係無く、心がすっきりする。

そこが見えないと、心に平安はなく、すっきりもせず、
状況に飲み込まれ、ほんろうされ、人を責め、喜びな
く、どこまでも自分を正当化して行く。
方向違い、的はずれに向かってしまう。




2008年06月24日(火)
  「すべての事を感謝」

「すべての事について感謝しなさい」
Tテサロニケ5:18

生活のすべての面において、神の主権を認める
こと。
サタンからの攻撃もあるが、それすら、神の主
権の中で許容範囲でのこと。
神はサタンすら利用されて、私たちの益とされる。
真の主権者は神であり、順境も逆境も、神から
来る。すべての第一原因は神である。これを信
じることが信仰。

順境も逆境も感謝することは、その神を認める
ことであり、受け入れることだ。

今週の教会学校のお話で、ラッキーな事、ハピー
な事に感謝するのは当然で、誰でもするが、逆境
で感謝する事の恵みを、いろんな実際にあった
事柄で証しをした。

すると、逆境の中で、感謝すると、いつも必ず
心が変えられて、不思議に「平安」になるが、それ
だけでなく、ほんとに「みわざ」が、現れてくる
事に改めて気づかされた。神はみわざをされる。

盲目に生まれついたのは、誰のせい?何が悪
かったからか?と弟子たちは聞いた。

しかし、イエス様は「神のわざがこの人に現われる
ため」と言われた。
誰のせい?なんで?なんで?でなく、神のわざが
現れるため。

マイナスな事態が生じると、何で?誰のせい?
じゃなくて、神のわざが現れるため。
だから、すべてのことについて感謝できる。

そんな事を思っていると、今日メールが届いて、
Aさん「指をけがして、大丈夫と思っていたが、
熱を持って腫れて来て、大事に至らない内にと
皮膚科へ。

その間、「すべての事について感謝」と、心の
中で「感謝、感謝」と覚えつつ、この事で何を
教えて下さろうとしているのか?考えた。

すると、カンボジアが思われた。こうやってすぐ
病院へ行け、医師の適切な診察と処置、治療
が備えらえている。
病気で苦しむ子供のそばで、病院にも行けず、
どんなだろうと。祈りが与えられた。

念のため、ウィルス感染の検査もと、言われ
別の医院へ行くと、無料で診てもらえ大丈夫と。

手が使えず、子供たちが役割分担して食事
作りをしてくれ、優しさと愛に触れ、本当に
すべてのことが感謝でした」と。

神を第一原因とし、そこに神の全主権を認め、
すべてのことを感謝して行けますように。



2008年06月18日(水)
  「楽しかった(^^)/」

夫婦の学びをして爆笑、爆笑の楽しい集いであった。

男性は情報収集のため、用件のために会話をする。
女性は、気持ちをわかって欲しくて、気持ちを受け
止めて欲しくて、共有したくて、会話をする。

別に答えを求めているのではなく、話す事によって、
気持ちを整理したり、気持ちをおさめたり、静めたり
する。
Aさん「自分でも、もう胸の中がもやもやで、自分の
気持ちがわからない。何だか悲しいんだが、何が
どう悲しいのかもわからない(笑)
もやもやしてて、自分でもわからない。

それを主人に話すと、主人はワケワカメな顔をして
いて、何が言いたいんだか、何を言ってるんだか
まるでわからないと。

こっちは、もう〜わかってくれないと、いらいらして、
二人の間が、ぎくしゃく険悪になって(笑)

でも、わけのわからん事を、言ってる間に、
自分の気持ちが何だか整理できてくるん
ですよね。
やっぱりわからんまま表現する事で、自分で
自分の気持ちがわかってくる(笑)
主人はいい迷惑ですよねえ。」

Bさん「主人が疲れて夜遅く帰って来て、こっち
は一人でずっと待ってるじゃないですか。
それで、疲れてるし、余り話したら悪いかなと
思っていたら、主人が話したらいいよと言うので、
私も、また話し出すと長いんですよぉ。

一人でどば〜っと喋って、すると、主人の応答
が『あ、そう』だけ。それだけなんですよぉ!(笑)
えー!で、何か反応無いん?全然すっきりしない
んですけど(笑)」

Cさん「うちもです。帰って来て、いろんな事、私が
一人で喋るんですけど、報告やら、色々感じた
事やら、何やらかんやら、主人の応答は『うん』
一言だけ(笑)」

Dさん「心の悶々や、もやもや、自分でも何がどう
なってるのか、わからない自分の心、それは、
まず神様に持って行くと、ほんとに心が静まって、
落ち着いて来て、自分の気持ちが整理できて、
こうこうこうで、こうだったんだと、理解できて来る。
まず祈るのが一番良いですね。

自分でもわからないのに、夫に向けて行くと、
支離滅裂で、夫も、理解不能で、『何が言いたいん
だか、全然わからない』状態。
まず人にぶつけないで、神様にぶつけるのが
一番ですね(^^)」

Kさん「神様に気持ちを全部祈ると、すっーと
落ち着いて来る」

学びの中で「夫の犯しやすい失敗」で、
「話を聞いた後、何も言わずに、他へ行ったりする。
妻はすっきりしないまま」
リアクションいっさい無し。(大笑)

「妻が感情的に物事を言うと、筋が通らないと非難する。
女性の話に筋などない」(大笑)

面白い学び会であった(^^)/


2008年06月16日(月)
  「思い込み」

Aさん
「私、もうずうっと長年、見方が間違ってました。
培われて来たものが根深く、根強く、もう頑強で、
やっと少しづつ少しづつ、自由にされてるんです。

思いこみで、人や状況を見て、自分の思いで
決めつけてしまう。完全な思い込みだったんです」

「えっ、それがわかるって、すごい!!
普通、思い込んでてわからない。自分の思いが
すべてで、自分の目がすべての世界だもんね」

「慣習やしがらみの、格別強い中で育ったから、
これはこう、あれはああでなければならない、
それしか選択肢がなくて、絶対的なんですよ。

だから、これはこうでなければ、あれはああで
なければと、思い込む。それ以外は無い。

クリスチャン生活も、ずっとその培われたもので
していた。」

「しんどく無かった?」「すごくしんどいんだろ
うけど、それしかわからないから、それがすべて
だから、しんどくて普通、当り前で、そんなもん
だと(笑)思ってた。それが信仰生活だと。」

「段々気づいてきて、これは自分の見方であって、
本当はそうじゃないのではと。
人を見るにも、ずっと決めつけで見ていた。この人
はこう、と。あくまでも、どこまでも自分の見方で。

でも、全然違って、もっともっと無限の可能性があ
って、人は違うんだと。人を解放して、自分も解放
されて、すごく心が自由になったんです。

今まで、こうであらねば!で、自分も人も縛って、
窮屈にして、それが段々解き放たれて、自分が楽に、
楽にされて行ってる。

気持ちを人に言えなかったんです。こんな事言って
はダメあんな事、絶対に言えない。こうでなければ
だめとの思い込みがあるから。
気持ちを押し込め、抑え込むから、段々自分がわから
なくなる。自分の気持ちがわからなくなって。

神様が、自分を取り戻させて下さってる。気持ちを
正直に表現することを、練習中なんです。
自分が気持ちを言うから、人にも気持ちがあること
がわかって、それを受け入れることが、できるように
なるんですね。

いろんな気持ちがあるし、あっていいんだと、もの
すごく楽になって、自分がそのままおれる感じが、
少しづつ少しづつ与えられていて、すごく嬉しいんです。

毎朝、少しの時間でも、デボーションする時、神様が
ものすごく嬉しい。嬉しくて、毎朝が違って、嬉しくて、
今日もどんな1日を下さるのだろうと、わくわく喜びの
期待感でいっぱいで。感謝です」

Aさんと交わった後、心がものすごく爽やかになり、
爽やかなな風が吹き抜け、恵みと喜びでいっぱになった。
神様からの恵みが伝染して来て、こちらも満たされた。




2008年06月14日(土)
  「御言葉の力」

Aさん「どうしても証しする時、恐れるんですよぉ。
この間も、友達に証ししようと思って、祈って証し
したら、すごい退かれたんですよぉ。
ズズズっと後ずさりみたいな。

その後、祈ったんだけどなあ、言わない方が良
かったのかなあと、何か落ち込んで、すごく思い
煩ってたんですよぉ。

すると、その友達からメールが来て「話せて良か
った」と。いい感触で、やっぱり良かったみたいで、
ああ良かったんだと。あの落ち込みと思い煩いは
何だったんだと。
自分はほんとに恐れて、思い煩う者なんだと、
そこが弱さだと教えられて感謝でした」


Bさんが、淡々と御言葉だけ話して、義父様が
救われた。まさに御言葉だけだった。
罪の御言葉を話して、「罪わかりますか?」「わかる」
十字架の御言葉話して、「信じられますか」「信じる」
それも義父様に初めて福音を語り、初めて聞かれた。

で、「神の時」もあって、福音語って、一緒に祈り
終わった途端に、看護師さんから電話が入り、
準備でバタバタし始めた。絶妙のタイミングだった。

人の救いのみわざが起こる時は、時が備えられ
相手の心も開かれていて、ほんとに御霊の働きだ。

Cさん「Bさんの証し聞いて、目からうろこでした!
ほんとに御言葉自体に力があるんじゃ。
御霊が働かれ、神の力が働き、人が救われる。

いつも説得しないといけないとの思いがあって、
できないし、すごいプレッシャーで重荷になって
しまって、親族になかなか福音を語る事ができ
なかった。
そうじゃなくて、神様と御言葉の力を信じて、
福音を語って行きたい」

Dさん「私もすごい教えられた。福音は、実にシンプル
なのですよね。誰にでも、誰でも、伝えることができる
ものなのですね。感動でした!」

Fさん「だいたい、信じれるって奇跡ですよね。自分
が信じれたのが不思議で、救われたのが不思議で。」

「奇跡、奇跡。自分が何で信じれたか不思議。
2000年も前に、キリストが身代わりに死んだと
聞いて、見たこともないのに、それが信じれる
のが奇跡。
御言葉が伝えられた時、そこに神様が奇跡のわざを
されるから救われるんよね」

Kさん「ほんとに救われて良かった!!神様知れて
良かった!!神様知らなかったら、いったいどうな
ってたんだろうと。もう感謝!!感謝!!」

「それに尽きる」



2008年06月10日(火)
  「心の望み」

Aさんが救われてから、20数年間、祈り続けて
来たお母様が救われた。皆で大喜びした。

「あなたがたに言いますが、それと同じように、
ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたち
に喜びがわき起こるのです」
天で御使いたちが、喜びの大歓声を上げている。

遠路を会いに行き、合流して落ち合い、良き交
わりが与えられ、福音を語ると、はっきりと
「信じる」と言われたと。
お母様もご高齢で、お身体も弱って来られ、本当
に最後のチャンスかも知れなかったと。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある」伝道3:1

救われるに「時」があって、長年の積み重ねら
れた祈りが聞かれて行く。    

すると、続けてBさんの義父様が救われた!!の
報告が入った。すごい!!良かった!!
やはり20数年の祈りの答えだ。

まず義母様に、病にある義父様に神様のお話を
していいですかと聞くと、いいよと気持ちよく、
言って下さり、門が開かれた。

義父様も、耳を傾けてよく聞いて下さり、
「罪がわかりますか」と聞くと、「わかる」と
言われ、十字架の救いをお話し、「信じられま
すか」と聞くと、はっきりと「信じる」と言われた。

「長い間、祈って答えられた、ってものすごく
嬉しいよね。格別嬉しいよね」

福音を語る時、不思議に御霊の導かれる「時」が
あって、御霊が働いておられるのがわかる。
状況が導かれて、その場に御霊の支配を感じて、
相手の心が開かれている。

“ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心
を開いて、パウロの語る事を心に留めるようにさ
れた”使徒16:14

状況も心も開かれている。

するとAさんが「全部神様だと、ほんとにわかり
ます。うちの認知症の母に、施設に訪問しては
母と二人で、庭を散歩しながら、神様のことを
語り続けていたら、

私のことはわからなくても、キリスト様といつも
はっきり言うのでびっくりです。一緒に天国に
行こうねと言うと、うなずいてくれるし。
ほんとに、もろに、神様を感じます。」

Bさん「励まされる!!私も、続けて家族と
親族のために祈って、証しを続けたい」

“私が心の望みとし、また彼らのために神に
願い求めているのは、彼らの救われること
です”ローマ10:1

2008年06月07日(土)
  「くびき」

「あなたがたもくびきを負って、わたしから
学びなさい」を話し合ってた。

くびきって、一つの板に、穴が二つ開いていて、
耕す時に、家畜の首をそこに入れると、二頭が
同じ方向へ進むので、うまく耕すことができる。

穴に、首をきちんと入れると、決して痛くない。
ところが、嫌がって、穴から逃れようとすると、
首を締め付けるから、痛くて、苦しいばかりだ。

くびきをはちゃんと負うことが、結局、自分に
とって、楽になる。

「そうすれば、たましいに安らぎが来ます」
マタイ11:29

ちゃんと負うと、安らぎがきて、そのくびきは
負いやすくて、軽くて、心地良いと、主が言われる。
逃れようとすると、苦しくてたまらない。

Aさん「くびき、わかります!何か、どのくびき
でも、どうしても、最初は、もがきます(笑)
嫌だ、嫌だと逃れたいばっかりで。

この4月に役員の長になった時は、もうもがいて、
もがいて、神様何で?何で?と、必死で悪あがき
をして(笑)

もう肉の思い、サタンの思い煩いがどおーっと来て、
もう重荷と思い煩いで、引っ越そうと思ったんですよ。

引っ越したら、しなくて済む(笑)真剣に考えて。
もう笑うでしょ。でもね、同じ役員さんに、そんな
事思ったと話すと、おんなじ!!と言ってた。

子供に学校辞めさえようとまで、思ったと(笑)
すごいストレスとプレッシャーなんですよぉ。
もう、自分が病気になったらしなくて済むとか。

失敗が許されない、完璧にしないといけない思い
から来るんでしょうねえ。

絶対、自分からくびきを負う気になれんで、もう
もがき続けて、首のあたり、血だらけになって(大笑)
もうひこずられて、前に進んでる。

でも、少しづつ、少しづつ自分が変えられて、
ほんとに負うと、自分が楽になるんですよね。
祈りながら、神様に楽に、楽にしてもらって
行ってます」

Bさん「受け入れるって、いうことですよね。
環境や、状況が、自分の意にそわず、自分的には、
えー!って思うようなことも、神様から来ているから、

受け止めよう、受け入れようと心定めて、対応して行く
と、自分の心が変えられて、何だか平安になるんです
よね。
日常生活の、大きなこと、些細なことで経験します。
視点が変えられるんですね。そして自分の心が変えら
れるんですね」


2008年06月05日(木)
  「変えられる」

Aさん「私、慣れないと動作が遅いんですよぉ。
それで、仕事先で、忙しくて、機敏な行動が必要
な時に、遅いものだから、上の人がイライライライラ
してて。『ドンくさい!』と言われて。

ムッと来るんだけど、どんどん忙しくなるし、上の人
のイライラがこっちにも伝わって、こちらも焦るし、
イライラしそうになって、こりゃダメじゃと、
『神様!』と心の中で叫んだんです。

祈ると、心が何だか穏やかになって、自分はほんとに
遅いし、うまく出来ないし、『忙しいのに、遅くてご
めんなさい』と言ったんです。

すると、上の人の態度が変わって、『いいんよ』と穏
やかになって、それが何やかや手伝ってくれて、自ら
も懸命に動いてくれて、スムーズに行ったんです。

祈りの力はすごいなあと、神様をもろに感じました!」

Aさんが、へりくだったから、御霊が働かれたんだ。
でも、祈ったから、へりくだることができたんだ。
神様にいつも助けを求めることが大切。
ほんとに助けて下さる!!


Bさん「私、気づきが与えられたんです。
人を裁くんですよ。もう裁きまくってる。世の人が
愚かな事を言うと、心の中で軽蔑して見下してて。

それが、いつも、あんたって、生意気な目をしてる
って言われてたんだけど、ほんとにそうだと、その
意味がわかった。

こっちが先に裁いてるから、相手からも裁かれる
んだと。御霊様に示されたんです。
悔い改めます」

パリサイ人と取税人が、祈るために宮に上った箇所で、
パリサイ人は、「この取税人のようではないことを、
感謝します。私は断食し、十分の一を献げています」
と祈った。

「私は罪人のようでない事を感謝します。私は世的で
ないし、くだらない話はしないし、私はあなた方と違
って高尚で、聖いです・・と心で言ってるんだ」

「そう、全くその通り」

悔い改めて、次に会った時、
「自分が変えられました!心に何のわだかまりもなく、
和気あいあいと、笑い声を立てながら、すごく楽しく
過ごせて、感謝でした!!」

神様が働かれた!!感謝!

2008年06月03日(火)
  「心潤された」

日々のことばの配信係をしていて、
その関係で、全く面識無く、名前も存じ上げない方
からメールを頂いた。

お身体を悪くされて、その加減で、今は教会へ行けず、
家で信仰を守っておられる。痛みもあられるご様子、
どんなにか大変で、お辛い状況と思うが、

そのメールに、愚痴と不満を全く見受けられなかった。

痛みのため、仕事もできなくなり、どうしてこのよう
になったかわかりませんが、神の御言葉を信じ、神の
ご計画を信じて行こうと思いますと。

試練を受け止めて、神様を仰いでおられ、信じて
おられるお姿に、心が洗われるようで、引き上げ
られた。
イエス様はどんなにか、喜んでおられるんだろうな。

不平と不満と愚痴、批判、非難、自己主張でいっ
ぱいのこの世界にあって、心にしみ通るような
潤いを与えられた。

しばらくして、
「今日は痛みはありましたが、何とか
教会へ行けましたと、メールを下さった。
御言葉に大変恵まれ、兄弟姉妹の優しさに触れ、
本当に感謝でした。

そして、感謝な事に、教会へなかなか行けない
自分のために牧師先生が個人的に聖書の
学びをして下さることになりました。
感謝でなりません」との報告を下さった。

すごい!神様が祈りを聞いて下さった!
一番の願いをご存じで叶えて下さった。

そんな事をメールで送ると、「はい、いつも
何でも神様に相談しているんですよ」と。

お名前も存じ上げない方に、とても励まされ、
何でもかんでも、一つ一つ神様に相談して
行こうと思った(^^)/

2008年06月01日(日)
  「眠っておられた」

このところ次から次へと、目まぐるしく、心痛む事が起きた。

孫Aが、40度の熱で、下がったと思うと、耳の鼓膜切開
手術で、膿を出す。まだ1歳の赤ん坊。
膿を出したと思うと、すぐ中耳炎。耳が生まれつき弱いのだ。

主よ、弱さの中に恵みは十分、弱さの中に働いて下さい
と祈る。

すると、孫Bが高熱を出す。こちらは海外宣教地で病院
がない。というか、行けない。
高熱で、嘔吐を繰り返す。病院が無いので、ひたすら祈り
病院に行けないからには、神様が何とかして下さるはず、
神癒を祈り続ける。

そうしていると、次はBの弟、孫Cが高熱。ひたすら祈る。
病院へ行けないのだ。
誰だっけ?リビングストンだっけ?アフリカ宣教をして
いて、神は病院がある所では、医師を用いて病気を治さ
れる。
しかし、病院の無い地では、神ご自身がみわざをし、奇跡
をされる。

ひたすら祈っていると、そんな事が思い出され、神はどう
にでもして、何とかして下さると平安になる。

すると、又、高熱が下がった、孫Bが今度は激しい腹痛で
下痢。次から次へと、祈りまくりの日々。

教会の皆が、他教会の方々が祈って下さることが本当
に感謝。皆の祈りが立ち上り、神様に聞かれて、元気を
回復して来ているよう。

教会の若いDさん「祈りをサボりかけると(>_<)、次々
緊急祈りのリクエストが飛び込んで来て、祈れて感謝
です!!神様が祈りを上から助けて下さってます!」

次から次へと、目まぐるしく事が起こる時、小舟の
イエス様が、ドーンと目の前に現れられた。

“すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、
水でいっぱいになった”

“ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠って
おられた”マルコ4:38

イエス様は大嵐のまっただ中で、熟睡しておられた。

「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われたからには、何が
あろうと、完璧に向こう岸へ渡れるのだ。
主の言葉は完全に成就する。

弟子たちは波と風にほんろうされた。
何が問題だったのか。「信仰」だと言われた。
“どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは
どうしたことです”マルコ4:40

大嵐の中で、熟睡されていたイエス様だけをじっと
見つめていると、大丈夫だ!と思えた(^^)/