2008年08月17日(日)
  「目に留められている」

祝福その1

教会で、みことばの配信ミスをしてと、
Aさんに話していると、

「ミスしたのはわかったけど、私、個人的に、
神様から語られたんですよ。
2回同じ御言葉が来て、はっきり自分に、その
事が語られてるのがわかったんです。
状況が丁度、その御言葉ピッタリだったんです。
それで語られた事に従えたんですよ。
感謝でした」

「へえ〜。良かったんだ!益とされて感謝」

祝福その2

Bさん: 私、親と喧嘩したんです。
私は全然そんなつもりじゃなく、悪気も全然
無かったんですが、言い方が悪かったようで、
親が怒った。

自分はそんなつもりじゃないから、何で怒るの
かもわからない。あ〜あ、という感じで、いいや
と思った。

心さえなくて、御言葉を読んでいたら、「光を
輝かせ人々があなたがたの良い行ないを見て、
あなたがたの父をあがめるようにしなさい」と
あって。

だいたい、親を手伝っていたんですよぉ。それで、
何で怒られないといけないのか、の思いがあった、
それに対して、

「一ミリオン行けと強いるような者とは、いっ
しょに二ミリオン行きなさい」の御言葉で、答
えが来て、謝りなさいと、神様が言っているの
がわかった。

謝ろうと決心して、行動を起こしたが、状況が
うまく整わなくて、チャンスが無かった。

すると、聖日になってしまって、その朝、

「祭壇の前に供え物をささげようとしている
とき、もし兄弟に恨まれていることをそこで
思い出したなら、
供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、
出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしな
さい。」

の御言葉にズキッ!と来て、礼拝に行く前に、
「すみませんでした」と親に謝ったと。

でも、何よりも神様が自分に目を留め、一部
始終を見ていて下さること、導きを与えて下
さることが、嬉しかったと。




2008年08月14日(木)
  「失敗の祝福」

このところ目まぐるしく忙しい日々が続き、
次々と片づけなければならない用が、山積み。

時間に追われ、慌ただしく過ごしていて、今日
のみことばの配信重複ミス。
送付分をよく確認しておらず、元帳というか、
元の原稿を見て送り、余計ミスった。

ミスにミスが重なり、ちゃんと確認しなかった
事に落ち込んでいると・・
もう丁度の、ジャストタイミングで、一人の方
からメールが届いた。

丁度家を空けていたので、配信ミスでも恵みを
受けましたとの内容だった。
暑い中、会った事もない者のために、毎日送っ
て下さって有難うと、ねぎらって下さった。

ほんとにピッタリのタイミングで、まさに神様!
を、もろに感じ、心にしみた。

ミスによって暖かい神様のご愛に触れて、心恵ま
れてしまった。

何がどうであれ、一番の喜びと祝福は、霊が神に
触れることであり、心が喜びに満ちる。

そんな事を、メル友にお話していると、
「私も感謝でした。本当に大切なことだから、
神様が何度でも読みなさいと仰有って送って
くださったと感じました。

どんなことも神様の介入があって起こること
ですよね。全てを益としてくださる!アーメン
です」と、またまた慰められ感謝!!
心にしみる。

心に、さわやかな喜びが来た。

「すべての事について感謝しなさい」

自分にとって、マイナスの出来事の裏に、「神様の
素晴らしいご計画と祝福がある」ことを、いつも
信じて歩みたい。


2008年08月12日(火)
  「神様にギブアップ」

Aさん「何かうまくかみ合わず、心がしんどくなる
相手がいるんだけど、何か神様のご計画がある
んですよね。」

皆が「うん、うん、いるいる。大嫌いな人って
おるよね」

Bさんが、Cさんが現れるまでは、その場の
いっさいを自分が取り仕切っていた。
周囲の人も自分に頼り、当てにしてくれて、生き
がいもって役割をこなしていた。
ところが、突然Cさんがその場に来て、自分も、
別の仕事をしなければならず、Cさんに委ねる
形となる。

すると、心にCさんへの妬みが湧き上がった。
「自分が」「自分が」の自我がふつふつと湧き
上がり、自分の心地よい居場所を取られた
ように感じた。

Cさんに何の罪もないこと、頭では充分わかっ
ているのに、Cさんに嫉妬して憎んでしまう。
自我であり、自分の醜い罪だ。

冷ややかで、トゲのある、突っけんどんな、嫌な
態度をしてしまう。
そんな自分が情けなくて、嫌で、自己嫌悪になる。

もう苦しくて苦しくてたまらない。
ここを逃げても同じだとわかる。逃げたとしても、
次の環境で必ず、嫌な「あいつ」がいる。
逃げずに、神様の取り扱いにあずかりたい。
自我が砕かれないといけない。

自分の悪い態度は間違っている。
悔い改めて、祈っていると、悪い態度を謝る
よう御霊に示された。

自我は絶対にそれだけは、何としても阻止したい。
プライドが許さない。親切になら幾らでもする、が、
高ぶっていて、自我はへりくだれない。

でも、自分が苦しくて、苦しくて、もう限界で、
神様にギブアップ!

妬みを認め、悪い態度を相手に謝罪した。
すると、何で、自分に対して突っけんどんなの
かな?と思っていたとのこと。

気持ちよく心通え合え、和やかな良い関係と
変えられ、何より、自分自身が暗闇から光の
中へ入れられ、妬みや憎しみのがんじがらめ
から解放された。
心すがすがしく、晴れ晴れで、自由にされた。

とにかく御霊の導きに従う時、心は平安で
いっぱいになり、喜びが戻る。

神様にギブアップが、実は幸せの秘訣だ。

2008年08月10日(日)
  「選択は自分」

「日常生活で経験します。
ネガティブな方を見ていると、全然祝福が見え
ないですね。全く見えない。
自分がそっちを選んでいるわけで、祝福を自分
でシャットアウトしている事に気づく。

人を見る目でも、悪い面しか見えない。欠点や
足らない所や、ああでない、こうでないと。
必ず良い面があるのに、全く見えない。

自分の目がおかしいんですよね。
ネガティブな中にいる時、自分自身が辛く、
しんどく、心が苦しいですよね。

つい最近も、何やかやと不平や不満も多かった
このサークルが良い形で終わればいいなあと
の思いが来たんです。
それまでは、ネガティブにしか見えなかったん
ですよ。

その思いに同意した途端、想定外の展開が
あって、神様だ!と思ったんですが、環境や
状況のセッティングがあって、良さが見えた
んです!

初めて見えて(^^) 何で今まで見えなかった
んだろうと。悪い所しか見えなかった。

感謝の心が起きてきて、心すっきりして
晴れ晴れと、気持ちよく、喜びの中で集まり
を終了できたんです。

本当に神様を感じました!!
喜び一杯で、感謝で感謝でならないです」

結局、自分自身の問題で、相手は全然関係
なく、悪く思えば、自分の心に平安が失せ、
暗い、苦しい、しんどい領域に陥る。
牢獄の中だ。

感謝を選択すると、ほんとにそこに神が
働かれ、状況をもセッティングされ、どん
どん導かれる。
そして、ますます感謝が見えて来る。
心は喜びと平安が満ちて、晴れ晴れと
幸せになる。

どちらを選択するのも、自分だ。


2008年08月08日(金)
  「肉に対して責任なし」

何やかや交わっていると、

Aさん「周囲の人々と話していると、価値観
が全然違って、正反対で、例えば、ギクシャク
する相手に、自分から謝ったと言うと、

「何で謝らんなん!そんなの無視すべきだ!
相手が悪い!謝るなんて!!」と、自分が
非難の的になる。

神様が「何も思い煩うな」と言われるので、
神様に祈って委ねて、ほんとに平安与えられ
て幸せで感謝でいると、

ノウテンキとバカにされる。(笑)
自分もしっかりしてないから、周囲に影響
受けて、ちょっとは思い煩わないといけん
のんじゃ、自分はおかしいのでは、と世に
流されてしまう。(笑)

自分の自我だと示され、相手に謝った時も
すごい平安に満たされたのに、相手が悪い!
謝る必要などない!と世の人に言われて、
そうなのかな?と引っ張られてしまう。(笑)

Bさん「わかる!何も思い煩わないで、求め
を神に告げよと言われるので、その通りに
すると、神様が必要は備えて下さると
平安になる。
すると、思い煩わないと、バカな人みたいに
言われて、思い煩わないといけないんだと
いう気になる。
思い煩わないのは、おかしいんだと。
周囲の影響を受けて、引きずられる(笑)」

「でも、教会に来たら、ああ、いいんだー。
皆が喜んでくれて、ほっとして、嬉しい」

“ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って
歩む責任を、肉に対して負ってはいません”
ローマ8:12

あたかも。肉に対して責任があるかのように
感じてしまう。ちょっとは思い煩わないといけ
ないとか、思い煩わないと無責任な気がして。

しかし、無い!と言われる。

“だれが、心配したからといって、自分の
いのちを少しでも延ばすことができますか”
マタイ6:27

心配していのちを延ばすことが出来るのなら、
心配すればよいが、絶対にできない。
心配に何の意味もない。




2008年08月06日(水)
  「不思議な平安」

Aさん「私も、まさに“この世が与えるのとは違う、
全き主の平安”を経験したことがある。

母に癌が発覚、もう余命幾ばくという時、病院にずっ
と付き添ったんだけど、とにかくもうただただ母の救
いを求めて、必死で、心から拠りすがって、神様に叫
んだ。

その時、別世界に自分が入れられたようだった。
平安で、平安で、すっぽりと、神様の領域に入れら
れた感じだった。不安は何もなく、完全な平安に包
み込まれていた。そして、母は救われ、天国に召
された。心は幸せだった。

この世にはない、全き平安、主の平安というものを
経験した。あれさえあれば、どんな状況の中でも生
きて行けますね」

Bさんが、離婚になった時に、もう辛さと苦しみと
悲しみで、何もかもが混乱状態で、心はちぢに乱れ、
気が狂いそうだったと。
涙は溢れ、不安と思い煩い、先は全く見えず真っ
暗で、心は傷ついていて、もうどん底状態だった。

でも、神様にどん底から叫んで、拠り頼んだ時、
不思議な平安の領域に、すっぽり入れて下さった。

そこは、御翼の陰で、外は波風逆巻く大嵐だが、
その中は、全くのなぎで、穏やかで、温かくて、
何の不安もなく、平安そのもので、神様に抱か
れていたと。悩みの時の隠れ家だったと。

苦しい状況が無くなったから、変化したから
平安が来たのでなく、悲惨な苦しみのまっただ
中で、大嵐、暴風雨のまっただ中に、その平安
はあったと。

私も、母が倒れた時、不安と思い煩いで心が
真っ暗になり、深い淵に沈みそうな時、

主に心の底から呼ばわると「恐れないで、ただ
信じていなさい」の御言葉が臨み、
完全な平安が心を支配し、状況は変わらない
まっただ中で、心は変わり、何の恐れも不安も
無くなったことを思い出す。

父の癌で、もう余命が無いと知らされた時も、
「夕暮れ時に光がある」との御言葉通りに
明確な救いに、光に入れて下さった。
その時も、主の平安で心を守って下さった。

不安と恐れと思い煩いのどん底で、主に叫ぶ
時、不思議な全き平安、主の平安を経験する。


2008年08月03日(日)
  「わたしの平安を与えます」

遠方の友Aさんから電話が入った。

「主人がイエス様のもとに召されました。
もう末期の末期で、前日は高熱でずっと眠った
ままで、今夕、主人のベッドで子供と共に、
賛美をし始めました。

すると、眠っていた主人が意識もはっきりして、
アメイジンググレイスを口を動かして、一緒に
賛美しました。
1節から4節まで、家族一緒に賛美して、4節目の
“御国につく朝 いよよ高く”と賛美し、
“恵みのみわざをたたえまつらん”

最後の“たたえまつらん”と賛美し終わったと
同時に静かに息を引き取りました。
劇的な最期でした」と。

その数日前に「いよいよ天に召される日が近
づいたの。最後まで家族で十分目一杯の時
を過ごせるように祈っててね!
心は平安で平安で一杯なの。感謝で感謝で!」と。

召されるその時まで、ご家族で、最高の時が過
ごせるようにと祈り続けていた。

ご主人が天に帰られた時も、今まで守られて、
感謝で、感謝で、感謝しかないと。
葬儀式に、ただただ神様の栄光が現される事を
祈ってねと。

教会での葬儀式、一生に一度の福音を聞く機会
かも知れないから、もう今までの親交のあった
方々に、厚かましいけれど、来て頂けるように
お願いしたの、と。

世が誰も決して持つことのない、「わたしが与
える、わたしの平安」と言われた、“主の平安”
に心が守られているAさんに、神様の栄光を見た。

“わたしは、あなたがたに平安を残します。
わたしは、あなたがたにわたしの平安を与
えます”ヨハネ14:27

クリスチャンだけが持つ“主の平安”、どんな
状況の中でも、関係なく臨む“平安”、これを
与えるために主が十字架上で命を捨てて下さった。

“彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた”
イザヤ53:6


2008年08月01日(金)
  「見えない敵」

Aさんが「お先真っ暗です」
「は?何が、真っ暗なん?」

「このところ心身、生活ガタガタで、サタンの誘惑に
乗ってしまい、この世が素晴らしく魅力的、魅惑的
に見えてしまい、神様に従うことが、味気なく、つま
らないことに見えてしまってたと。

サタンに聞いて行ってしまうと、心の目がそうなって
しまい、礼拝に来ても、御言葉が全然入らず、
全く喜びなく、砂をかむように味気なかったと。

生活も秩序が崩れ、体調は不調で、気力は失せ、
やる気が起こらず、半病人みたいになって、皆
から顔色悪い、どうしたんかと言われる。」

この酷暑に防寒具を着てる。「へ?どしたん!
防寒具着て、何!」?!?
「そうなんですよ。身体が変で」
「そりゃ、おかしいわ」(>_<)

「昼夜、逆転するし、体調崩すし、ガタガタで。
すぐ世に乗って行く自分にもガックリで、こんな事
でこれから先やって行けるのだろうかと」

「でも、神様の前に出て、真剣に神様と向き合って
心の内を何もかも、ありのまま話して、本気で祈った
時、平安が来て、神様がそばにいて下さることをひし
ひしと感じた。
放蕩息子が自分で、こんな自分を変わらず愛して
くれていて、ごめんなさいだった」

Bさん「わかる。自分には誘惑が来るところが違う
けど、一番弱い所に、サタンはいつも来る。
でも、サタンだとわからん。かなりたってから、
サタンじゃったと(笑)
延々思い煩ってどつぼになって、煩いに煩った後、
気づいたり、腹を立てて、怒り爆発して、落ち着いた
後、気づく。要するに、事が終わってから(笑)」

Cさん「腹立ち、怒りが、落ち着いたら、はっきり
サタンじゃったとわかるが、その間が、わからない。
だから、サタンの思うままに、やられてますよねえ。
周囲に毒をまき散らす(笑)
もっと、早くわかるといいですよねえ」

Dさん「人から攻撃的な事を言われたら、悶々に
なって、怒り沸騰、もうどうやってうまく仕返ししよう
かと、でも、時間が経過して、一段落すると、
それではいけま、自分はクリスチャンなんじゃしと
視点が変わる。
肉に来たサタンに振り回されてたと来づく。」

Dさん「入社試験の面接で、よく見られたいから、
合格したいから、嘘ばっかり並べ上げて、え?
これって大嘘じゃん、やべえ〜と思って、平安
無くなり、案の定落ちた(笑)
自分で何とかしようとするから、サタンの誘惑に
ひっかかった。
次回は神様に委ねて正直に話した。結果はどうで
あれ、心が平安で、この平安はもう何にも絶対に
代えられない。」

“あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししの
ように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き
回っています。
堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい”
Tペテロ5:8

敵が食い尽くそうと狙っていることを、絶えず
意識しておれますように。
力強い御手に守られていることが感謝。