2008年09月28日(日) 「明け渡す」
「求めなさい。そうすれば与えられます」 Aさんの強い願いの祈りのリクエストを、 Bさんも一緒に3人で祈った。 Aさんの気持ちに願いと志があり、どうして もしたい事があった。 だが、環境が開かれない。その願い自体 は良い願いだが、周囲にそれほどの思い がなく、それを押し通すと、周囲に迷惑を かける事になる。 だがAさんの思いは募る。御心なら、神様が 道を開いて下さるようにと、3人で祈った。 祈りつつ、状況を見るが、環境は開かれない。 周囲の心を動かされるのも神様。神様はしよ うと思えばされる。自分が押し進めると、自己 主張になり、一致を壊して行ってしまう。 状況も、事態も、自分の心も、神様に明け渡し てすべてをお委ねした。 どのようになっても、神様が最善をして下さる 事が信じれた。 そして、目の前の日常のなすべき事を行なっ ていた。 すると、その目の前の事で、神様の大きな 祝福の取り扱いがあり、みわざを見た。 まずその事で、主の御名を誉め称えた。 そんな中、突然、祈っていた事の、願いの、 道が開かれた! 自分は委ねただけで、何もしていないのに、 神様は周囲の人の心に働き、門が開かれた。 願いが見事に叶えられた。 自分は何もしていない。まさに、神様が開か れた事、神様のわざである事を、皆で目の当 たりにした。 求めに答えられた。状況に働かれた神様を見 て、皆で恵まれた。 門は神が開かれる。御心なら必ず環境がひとり でに開いて行く。自分で打ち破って行くのでは ない。 神様に祈り求める事の大切さ、そして、その 祈りの答えを自分でもぎ取ろう、自分で何とか しようとするのでなく、明け渡す事の大切さを 今一度教えられた。 以前にCさんが、どうしても欲しい強烈な 願いがあった。祈って祈って祈り倒す勢いで、 祈り願った。 神様は、願いを聞いて下さるのではないか。 どうしても欲しくて、必死で願った。 しかし、その願いは叶わず、全く道が開かれな かった。微動だにせず、閉ざされたままだった。 どうしても欲しい、段々心が固くなって、気づ かぬ内に、神様より欲望の方が大きくなっていた。 ある日突然、御霊の気づきが与えられ、願いが 偶像になってしまっている事、このまま行けば、 それさえ手に入れば、神でも、何でも良くなっ てしまうこと、自分が恐ろしい状態である事を 照らし出された。 神様に従うのでなく、へりくだるのでなく、神様 の上に立ち、恵みをもぎ取ろうとしている、恐ろ しい高慢な自分の姿を示された。 恐ろしくて、恐ろしくて、恐れおののいて、心 から悔い改めた。 「もういいです、本当にいいです、もう要りま せん」と、その心から欲しかったものも明け 渡せた。 本当にもういいと思えた。心に平安が広がった。 何にも代えられない、穏やかな満ち足りた平安 だった。 不思議が起こり、その後、その喉から手が出る ほど欲しかったものが、天から与えられた!
2008年09月25日(木) 「悔い改められる」
Aさん「友達が精神的に弱っていて、病気に なってるんですよぉ。すごく苦しんでて。 でも、親が世間体を気にするんですよぉ。 それで、その事に、またものすごく傷ついてる んですよぉ。でも親はわからない」 婦人たちで「うわ!!ズキッ!!ズキズキッ! グサッ!と刺されるわ。気をつけにゃあいけん。」 Bさん「でも、親も自分で気づかんのんよぉ。 自分では良かれと思ってて、子供のためと 思ってるから、傷つけたり、的はずれだって ことがわからん。 自分もずっとやってて。神様知って初めて、 過保護だったり、自分を子供に押しつけて いたり、転ばせないように道をつけてたり、 そんなんに、気づく。 全然わからんかったよ。子供のためだと 思い込んでた。でも、実はすごい子供を 損なってて。わからんかったよねえ」 「でもBさん、それがはっきりわかった時に、 180度変わった。子供をあるがまま受け 入れ始めて、どんな状況になっても、受け入 れ続けて行った。 ご主人にも理解をお願いして。 子供が変わって行った。自分らしく生きる 事を始め、幸せを見つけて行った。 Bさんすごい!!」 Cさんが思春期の頃、親に隠れて、道をそれて、 そんな仲間と遊び、群れて、いろんな事をした。 それが発覚してしまった。その時、親はパニック になり、自分でなく、世間体を取った。 それが深い傷となり、家を出て、更に非行へと 走った。 クリスチャンのD婦人も「子供が不登校になった 時、最初はなだめたり、すかしたり、何やかんや 懸命にする。 自分もちゃんとすべき事はしなければと、学校 に何度も足を運び、担任とも話し合いの時を持ち、 お母さん方とも、コミュニケーションが必要と、 努力し、語らいの時を持った。 一生懸命すべき事をして、何ヶ月も過ぎるが、 何も全く変わらない。 子供は変わらない。担任も変わらない。周囲も 変わらない。自分も変わらない。 その事に気づいて、挫折感におおわれ、疲れた人、 重荷を負っている人は来なさいとの招きに、主の 御前に行き、祈った時に初めて、自分のプライドに 気づいた。 人からどう見られているか、育児失敗、どういう 親として見られているか、それが自分の根底にある 事だと示された。 悔い改めて、主にすべてを明け渡して委ねた。 その時、もういいと思え、自由にされ、全く人の目が 気にならなくなった。 すると、もういいと思えたのに、不思議になぜか 子供が学校に行き出した。」 主に在ることの幸い、特権、祝福を思う。 自分でも気づかない心の奥深くを、御霊によって 示されて、真の問題点を教えられ、 悔い改めることができる。 赦されて、新たにされ、平安を頂ける。 そして、主にお任せし、委ねることができる。 何という平安と、喜び、感謝だろう。
2008年09月23日(火) 「癒し主」
Aさんの話にとても恵まれた。 「自分が大嫌いで、いつも劣等感のかたまり、 何かあると、すぐに落ち込んで、自分はダメ 人間と、ネガティブモードに入る。 それが、自分の根底にある、人との比較から 来ていると、神様が教えて下さった。 常に、底に、人との比較があるから、いつも 劣等感に陥る。劣等感があるから、優越感 を持ちたい。 それで、頑張るが、いつも疲れ果てる。 劣等感と優越感の間を上がったり下がったり の、何の実もない、虚しい生き方になる。 神様は「あなたは高価で、尊い」と言われるが、 頭をすり抜ける。 神様はそう言われるが、信じられない自分 がいる。どうしても信じられない。 劣等感がそこにからみついている事に気づく。 その思考パタンが根にあるから、真逆の事が 信じられない。 人との比較の誘惑が来た時に、拒否して行った。 そっちを選ばない。そっちへ行かない。 それを続けていると、自分が変えられている 事に気づいた。 人が気にならなくなって来た。不思議で、自分 の力ではない。 そして、ふと気づくと、素直に神様の御言葉が 心に入って来ていた。 神様が、「愛している」と言われる言葉を受け 取れている。 冷静に自分を見れるようになって来た。 今まで、バイト先で失敗して叱られた時、 自分を、丸ごと否定され、拒否されたとしか 受け取れず、どん底まで落ち込んでいた。 それが、今は、自分を否定されたのではなく、 やり方の間違いを指摘されたのであり、やり 方を直せば良いのだと、受け取れるようになった。 何より嬉しいのは、心が癒されるように、救わ れてからずっと祈っていた、祈りに答えて下 さった事だった。」 「わたしは主、あなたをいやす者である」 出エジプト15:26
2008年09月21日(日) 「デボーション」
「デボーションが出来ない日が続くと、何か、 イライラ、イライラして来るんですよぉ。 目の前の何でもない事に、イラついて、腹が 立って。 家族のやる事にイライラして、これはいよいよ 自分はおかしいと、部屋に入って、聖書を読 んだら、「人から出るもの、これが人を汚す、 内側から〜」とあって、ほんと「罪」だと示 されて。 罪が湧き上がって来る。悔い改めて祈った んですよぉ。すると、心が変えられてしまって、 さっきまで、イラついていた家族なのに、ルン ルンで手伝ってるんですよ。 ほんとに、霊で生きてるんですねえ。」 「いろんな必要があって、生活が仕方なく不規 則になってたんです。 不規則になると、デボーションが持てなくなって しまって。持てないまま生活していたら、心が 荒んで来て、イライラ、イライラするんです(笑) もう周囲に当たり散らしてて。 ちょっと生活が落ち着いて来て、デボーションが 持てるようになったんです。 もう全然違いますねえ。祈って生活するのと、 祈らないで生活するのは。まるで違う。 祈り始めると、心に潤いと余裕が出て来て、 平安と喜びがあって、やっぱり神様との交わ りってすごいなあと。」 「いやあ、もう感謝で感謝でならないです。 神様知る前は、もう何かあると、イライラする し、落ち込むし、心は暗く、重苦しく、ずっと 悶々状態で。 自分を正当化して、相手を責めるばっかり で、それが又、自分を苦しくするんですよね。 暗闇の中で、解決が全然無いんですよ。 ほんとに信じた時に、霊が再び生かされた んですねえ。わかります。神様と交わりが できて、心がすごく安らかで、喜びがあって 何でも言って行けて、ほんとに答えて下さる から、もう感謝ばかりです」
2008年09月18日(木) 「相手でなく、神」
Aさんが、理不尽に見える苦しみに会っていた。 対人関係の中で、嫌がらせと攻撃を受ける。 こちらに非があるなら、改めたいし、何とかしたい。 しかし、幾ら考えても、いじめとしか見えない。 色々な攻撃に、気が滅入って、おかしくなって来る。 そして、相手に対する憎しみと恨み、敵対心で心が いっぱいになってしまっている自分に気づく。 その心は苦しい。辛い。 相手を憎むと、自分が苦しい。本当に牢獄の中だ。 暗闇だ。相手が苦しいのでなく、自分が苦しいので あり、自分で自分の首を絞めている。 苦しくて、しんどくて悶々状態だ。鬱っぽくなってると いう。 集会の時間だけでは無理なので、集会後、婦人達 とランチに出かけた。 祈って、Aさんの状況と、気持ちを皆で聞いた。 夕刻になったので、晩ご飯作らなきゃ、そろそろ帰 ろうかと、解散する。3時間半交われた。 Aさんは「有難う!!皆に全部聞いてもらって、 気持ちが落ち着きました!!」 皆で祈って、次の集会で。 Aさん「あの後、どうなったのか嫌がらせが止んで る。祈りで止めて下さってるんですよね。 パニックで、わけわからなかったのが、止んで るお陰で、冷静に考えれて。 相手の攻撃に、もう心混乱してしまって、パニック になって、相手しか見えていなかった事に気づいた。 神様が全然見えていなかった。 相手しか見えていないから、相手への憎悪と恨みで、 自分が苦しくてたまらない、辛いばかりで。 やっと神様が見えました! 相手でなく、神がこの事を許しておられ、与え ておられるからには、私への目的と意図と ご計画があるんだと。 私も、砕かれなければならないんだと。 真っ暗闇だったのが、光が来ました! 神様を見て行きます!」 相手しか見えないと、相手が悪いとしか見えず、 相手を責めるばかりで、心は憎しみと恨みが 渦を巻く。 苦しいのは自分で、楽しい時も楽しくなく、 結局、相手に歩みをコントロールされている 事になる。良い事は何もない。 神様視点になった途端、がんじがらめから 抜け出て、光が見える。
2008年09月16日(火) 「良いお方」
朝忙しい中、朝食の準備をしようとすると、 テーブルに、ティッシュが1枚広げて置いてある。 一瞬、何でだろう??と、不審に思ったが、 急いでいた事もあり、その意味のないティッシュ を捨てて、朝食を並べた。 すると、しばらくして子供が起きて来て、昨夜、 コンタクトをそのティッシュに置いたと言う。 えー!げえー!何でこんなところに! 「コンタクト」と書いておかないとと、もう一人の 子供が言う。「うん、またやってしまったー」 しょげている。 「捨てちゃったよ」 テーブルの下や周囲を這って、皆で捜す。しばらく 捜すが無い。 「この事を導いて下さい」と祈り、とにかく食事を 済ませる。 捜しながら、「神様は今、どこにあるか知っておら れるますよね」と祈る。ああ、神様はご存じなんだ。 捜す中「すべての事について感謝しなさい」が来て、 「今、この出来事も感謝します」と祈る。 ティッシュを捨てたゴミ箱をあさり、取り出して見 ると、1ヶ!出て来た!!! 「あったー!」 もう1ヶが無くて、「見つけ出させて下さい」と 祈りつつ、ゴミ箱を全部ひっくり返す。無い。 そんな時に、ある証しを思い出した。 ・・コンタクトの片方を無くした人が、祈って、 何時間捜しても、幾ら捜しても見つからないので、 これはもう捜す事は御心でない、次の行動に移る 事が御心と、きっぱり捜す事をやめて、 眼鏡店に行った。 すると、片方のコンタクトを見た係員が、驚いて、 「これは使い過ぎて、傷んでますよ。このまま使って いたら目を傷めてましたよ。良かったですねえ」 と言われた。・・ それで、もし見つからないなら、その方が最善で、 良い事であり、何かのご計画と信じれた。 見つからなくても感謝だと、思えた。 見つかっても、見つからなくても、良くして下さる 神様だと。神様は良いお方。 その時ふっと思いが来て、ティッシュを取り出して、 開いた場所の下を見てみた。 すると、あった!!! そこにもう一つが落ちていた! やったあー!!神様有難う!!嬉しくて飛び上がった。 見つかったのが、もし無くても、それが最善と思 えた時だった事に、またまた神様を感じた。
2008年09月14日(日) 「カンボジア訪問D実は惨めで裸」
カンボジア3日目は聖日だった。 カンボジアからパソコンのスカイプで、牧師 がメッセージを語り、映像を流し、カンボジ ア、広島の合同礼拝をした。 声も充分よく聞こえたそうだ。 何とも便利な時代になったものだ・・。 そこでのメッセージが、黙示録3:17 「あなたは、自分は富んでいる、豊かにな った、乏しいものは何もないと言って、実は 自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目 で、裸の者であることを知らない」 Aさんが話してくれた。「自分の根底は人と の比較で成り立っていて、それが自分の今ま での生き方、価値観であり、そこから劣等感 にさいなまれていた。 幾ら、神様が『あなたは高価で尊い』と言わ れても信じられない。そんな自分が嫌いで、 劣等感のかたまりだった。 カンボジアの国は貧しくて、人々は生きるの に精一杯なのに、一生懸命生きてて、貧しく てもキラキラしている。 小さな事は気にせずに、大らかに生きている ふうに見える。 子供は汚れた泥だらけの身体で、物乞いをし ているのに、たくましく生きている。 日本の現状は、経済的には豊かだが、子供が 自殺をし、競争社会で、優越感と劣等感にさい なまれ、不法がはびこり、愛が冷えている。 病んでいるのは、実は日本だと気づく。 そして、よく考えると自分自身も病んでいる。 豊かだと思っている自分が、実はみじめで、 哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者だとわか った。 神様の愛をそのまま信じられなくて、ごめんな さいと悔い改めた。その言葉を信じて、生きて 行きたいです、もう比較の辛さに生きるのは嫌 です、助けて下さいと祈った。 自分の根底の弱さを認めて、祈ることができた。 その後、変えられて、初めて自分は本当にこの ままで愛されてると信じれた。そう思えるよう にされている、自分を発見した。」 自己満足の盲目の中にいると、何も見えない。 万事問題なく、OKであり、真の自分が何も 見えていない。 だから、変わることもない。成長もない。 みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸だと 認めることは、それこそ惨めで、誰もしたくない。 でもそこからしか始まらない。そして、そこか ら始まる。 しかし、御霊によらなければ、実は惨めである 事すら決してわからない。
2008年09月12日(金) 「喜びが満ちる」
Aさん「靴もらったんです!」「え?」 Bさんの靴を指さす。ビビッドなグリーン色だ。 Aさん「靴祈ってたんですよぉ。すると、今日、 Bさんがこの靴買ったけど、小さくて足が痛くて、 だめだと。 それで、私がはいてみると、サイズがピッタリ! Bさんが『使ってくれる?』と。 うわっ!神様からだと、すごい嬉しかった! 靴のかかとがすり減って来て、みすぼらしくなっ て来て、でも、お金がなくて。与えられるように、 祈ってたら、Dさんが「靴、可愛いね」と言った んですよぉ。 しばらくすると、Fさんにも『その靴可愛いね』と 言われて、みすぼらしく無いんだと、そのままはいてた。 いよいよすり減って、つるつるで、雨の日に滑って 転びそうで、もう危なくて、『神様、靴与えて下さ い!』と祈ったんです。 その祈りに答えられて、与えられて、それも素敵な 靴で、すごい嬉しい〜! Bさんに、祈ってた事を言ったら、Bさんも『いや〜 ほんと!私も用いられてすごい嬉しいわ!』と喜んで くれた。 もう一つね、あるプレゼントをするのに、お金が無か ったんですよぉ。プレゼントするお金を与えて下さい! と祈ってたら、無くしたと思っていた商品券が、突然 出て来たんです!すごいタイミングで、神様だー!と もう嬉しくて。 必要が与えられて、プレゼントできました!」 「その前にもね、訪ねる先の子供さんにプレゼント 買って上げたいと思って。でも、それに使ったら、 手元に全然お金が無くなってしまう状態だったん ですよぉ。 でも、いいやと思って、神様喜んでくれるから、献げ ようと思って、プレゼントを買ったんです。 そしたら、家に帰ると、お母さんが突然お小遣いを くれたんです。それも少なくない額でびっくり! 神様だー!と、ほんとに感謝でした」 「億万長者なら、絶対に経験できない恵みだね(笑) 無いからこそ、祈りの驚くべき答えや、まことに生き て働いておられる神様を知れるよね! すごく幸せだよね。恵み!!」 「求めなさい。そうすれば受けるのです。 それはあなたがたの喜びが、満ち満ちたものとなる ためです」ヨハネ16:24
2008年09月10日(水) 「カンボジア訪問Cキリングフィールド」
「自分たちは愚かだが、愚かである事を 自覚すれば、幾らかは愚かでなくなる 可能性があるに違いない。 何が起きたかを正しく知り、それを忘れず、 後世に伝えて行く事が、ポルポト時代に象徴 される狂気の時代を再現させない第一歩だ」 と、カンボジア旅行途上で読んだ本にあった。 何でこうなったのか、何が起きたのか、真実 に向き合い、正しく知ることが、二度と同じ事 を起こさないために、どうしても必要だ。 でなければ、また同じ事を繰り返す。 今日の新聞に出ていた。 プノンペンに「資料センター」を創設すると。 ポルポト時代の事が、カンボジア国内の学校で いっさい教えられていない。 だから子供たちは知らない。風化させないために 虐殺の事実を、資料を残し、こうなった原因の 調査研究を行なうと。 ツールスレンの後に、キリングフィールドに行った。 8千に及ぶ頭蓋骨が慰霊塔に展示してあった。 銃で撃たれた跡であり、頭蓋骨に穴が貫通している。 「ここに犠牲者の何100遺体」と、くぼんだ穴に立て 看板で説明がついている。 大きな木があり、「赤ん坊は、ここで両足を持ち、 振り投げて、この木にぶつけて殺害した」と。 まだ30年前なので、服の切れ端が、あちこちに 地面に散らばっている。骨や歯も地面から地表に 出ている。その歩く道の下に沢山の犠牲者が 埋まっていると。 拷問と殺りくを繰り返したポルポト側の加害者、 虐殺地獄をかろうじて生き延びた被害者、 双方が、今も生きていて、何の精神的ケアも 治療も、サポートもなされず、放置されたままだ。 人々は心を封印して、ふたをして、押し殺して 生きているのだろうか。 食べて行くのに必死で、ちょっと地方に行くと 病院すら無い状況で、人々は肉体的治療すら なされないまま、これが寿命だからと亡くなって 行くという。 カウンセラーなどという次元ではない。 キリングフィールドは、一見、まるで普通の野原だ。 晴れ渡った、南国の明るい太陽の下で、のどかな 何の変哲もない、緑の木々の茂る野原・・ そこがおぞましい虐殺現場であり、自分が歩くその 下に、数知れない拷問虐殺された人々の遺体が今 もそこに埋まっている、 静かで、平穏な、何事も無かったかのような、明るい 現場に、余計に怖さが増す。 人間の罪の底知れないおぞましさ、背後に働くサタン、 自分も同じ人間・・他人事でない。主の十字架が無け れば、まさしく絶望だ。 あの残虐、残酷な十字架上で、まさにこの罪の贖いが なされたことが、現実感持って迫り来た。 何があって、何でこうなったのか、真実を明らかに して、失敗から学ぶ事が、二度と同じ過ちを犯さない 事につながる。 クリスチャンとしての、自分の霊的生活も同じだ。 何でこうなったのかよく考えて、失敗から学ぶこと、 同じ失敗を繰り返さないために。
2008年09月07日(日) 「カンボジア訪問Bツールスレン」
カンボジア2日目、ツールスレン刑務所へ行った。 4歳の孫も一緒に行き、見せられない。私は以前 見学したので、外で孫と遊んでいた。 前回初めて見て、余りの衝撃で、夜眠れなかった。 ポルポト時代に、元高校を刑務所にして、反逆分子 を捕らえ、残虐な虐殺に、虐殺を重ねた収容所だ。 家族に憎悪や復讐反逆分子を残さないため、家族皆 殺しにしたとか。 2万人収容され、生還したのはたったの6人。 その内の一人が画家で、当時の再現絵図を描いて いる。 当時の規則がそのまま掲げられていた。 1. 尋問者の質問には、従うよう答えなくてはならない。 また、質問に対して背を向けてはならない。 2. あれやこれや弁解を取り繕うことによって事実を隠 そうとしてはならない。 また、尋問者に異議を唱えることは禁止されている。 3. 収容者は、あえて革命を妨げようとする奴である から、ばかな真似はするな。ばかを装うな。 4. 考えることなく尋問者の尋問に即座に答えなくては ならない。 5. あなたの不埒な行為あるいは革命についてわたし に言うな。 6. むち打ちの間、感電ショック中は、泣き叫ぶな。 7. 何もするな。じっとすわって尋問者の命令を待って いろ。命令がなければ、黙っていろ。 何かするようこちらで求めた時、異議を唱える事 なく、ただちに言われた通りにしなければならない。 8. 裏切り者のお喋りをして、自分の考えをを隠すため に、Kampuchea Krom について弁解するな。 9. 以上の規則すべて従わなかった場合、電気棒での むち打ちを何度も受ける事になる。 10. 規則のいかなる点に反抗した場合、10回のむち 打ちまたは5回の感電ショックを受けることになる。 収容者は、すべての規則に従わなければならなかった。 どんな事をする場合でも、寝ようとする間に体の位置を 変えようとする事でさえ、収容者は看守からの許可を まず最初に取らなければならなかった。 規則を破ったい人は皆、殴打された。 1979年ベトナム軍侵攻によりプノンペンが占拠 された。 ポルポト軍はすでに逃亡。占拠の翌日、異臭に より発見された。 一番最初の教室には、敗走直前に殺され、放置され たままの残忍な遺体の写真が展示してあった。 正視できない残忍さだ。 残虐の限りを尽くして、拷問、処刑して行った。 当のポルポト兵たちも、手抜かり、落ち度があれば、 自分が粛正される。処刑される。 自分たちも命がかかっている。落ち度なく、拷問、 処刑を仕事として、こなして行った。 外観は古い校舎。ごく普通の校庭は木々と緑の草に おおわれ、明るい南国の陽がさんさんと射している。 静かで、のどかな日常風景だ。 ここで普通に、勉強し、運動し、遊び、笑い、将来に 夢を抱いていたであろうに。 それが一歩校舎に入ると、非日常、異様で異常な 空間、その凄まじいギャップも恐い。 それが、何100年も前でなく、たったの30年前 の出来事。ショックだ。 ある旅行者が記していた「このツールスレンで、 人間の心に何が起きていたのだろう。どす黒い 得体の知れない、底知れない、人間の闇の深さ を垣間見たようで、戦慄した。だが、同じ人間 である自分も、どこかでその闇とつながっている と考えると、他人事に思えなかった」 これが人間の罪なのだ。神は創造の時に人間 を良きものとして造られた。 「神はお造りになったすべてのものをご覧にな った。見よ。それは非常に良かった」創世記1:31 その良きものとして造られた人間が、自ら 選択して、罪を取った。アダムとエバがエデン の園で神を捨てて、罪を選んだ。 その結果、罪が人間に入った。 罪とはかくも恐ろしい。ポルポトは、既成の価値 観を持つ大人をどんどん抹殺し、既成概念の まだ無い少年を兵士にした。 子供が大人を銃で見張り、殺害して行った。 「疲れた」と言えば殺され、「腹が減った」と 言えば殺され、人々は黙ったまま、黙々と 働くしかなかった。ろくな食事もなく、飢えと 過重労働でも死んで行った。だいたい 何が起こっているのかもわからなかった。 ごく普通の少年だった者が、殺りくを繰り返す 中で、どんどん残虐になって行った。 普通の人生で、このような特異な経験をする事 はまずない。 そういう状況に遭遇する事がないから、底にある ものが出て来ないだけで、状況次第でどうなるか わからない。 聖書によると、罪を犯したから罪人なのではなく、 人間は、罪を持って生まれた罪人だから罪を 犯す。 神から離れた人間の、悲惨、恐ろしさを見る。 十字架の贖いが無ければ、どうなっていた のだろう。 自ら血まみれになって、何もかも受け取って 十字架で死なれたキリストと、ポルポトの 拷問、虐殺が重なる。 そんなツールスレン訪問であった。
2008年09月05日(金) 「カンボジア旅行A」
活気と熱気に満ちた街、プノンペン。 だいたい太陽光線も強烈で暑いし、熱い! 目に見えるところだけを見ていると、人々は元気で、 生命力に溢れている。なりふり構わず、生きて行く 事に必死だ。「言っとれん」状況だ。 バイクに4人乗ろうと、5人乗ろうと、とにかく 移動しなくちゃならんのだから、言っとれん。 車もバイクも、重量も長さもびっくり仰天するほど の積載量オーバーの積荷、運ばんにゃあならんの じぇけえ、言っとれん。 見るからに貧富の差が激しくて、片やベンツで、 片や裸で、ほこりまみれで、物乞いだ。 わいろ社会で、警察は機能しておらず、月給3千円 では生活不可能なので、わいろが横行する。 普通の人は、正規の仕事だけでは生活できず、尚も その上に、バイトをするそうだ。 警察も、交通違反の理由が無くなると、昼間に点灯 してたからと、罰金を取り、果ては、車が汚れている からと罰金を取るそうな。 A宣教師も、バイクで警察に呼び止められ、免許証 が無いと罰金を要求された。そもそもバイクに免許 など無いのだが。 最初行った時、ナンバープレートの無い車にびっくり したが、政府関係者は要らないそうだ。 ナンバープレートに4種類あり、@本当のプレート A本当のプレートだが、違反を理由に没収して、 それを別の車が付けている。B全く偽物のプレート C自分で作ってつけている。 自分で作って付けるというのには、笑ってしまったが。 選挙になると、銃撃戦だ。国連が入って、民主選挙 をと表向きはなっているが、表向きだけで、実際は 民主主義は全く機能しておらず、以前の選挙の時も 撃ち合いで、至近距離から撃たれたと。 相手を撃って、自分が政権を握るなど、ストレート 過ぎて・・。「何だか、昔の戦国時代みたいですね!」 でも、人々は、こんな中をたくましく生きている。 生きるのに必死だから、むしろ生き生きしている。 南国で、降り注ぐ太陽、適度の降水、自然が素晴 らしい。市場や露天商には、様々な種類の果物が、 山のように並んでいる。 見た事もないような南国のフルーツだ。溢れるばか りに所狭しと並ぶ果物に、自然の豊かさを見る。 宣教経験豊かな先生が「ここの人々は、人と比較する という事がないですよ。人と比べて、どうのこうのと いう発想がない。」 「へえ〜!!それはすごい!だって、日本人なんて、 結局その人との比較が、悩みの大きな原因で、自分 で自分を苦しめて、がんじがらめになってる。 それが無いなんて、何と幸せな!!」 同行のBさんが、カンボジアに来て、それに気づいた。 「人と比較しなくていいんだ。そのまんまの自分で いいんだ」内側の自分を縛る鎖が断ち切れた。 自分がはっきり変わった。心が満たされていて 喜びがある。帰国後、視点と行動が変化している 自分に気づいた。
2008年09月03日(水) 「創立27周年」
この日曜、教会で創立27周年、教会バースデイをした。 毎年、食事持ち寄りで、交わり会をする。 教会の宴会という噂も。ちなみに、いつもイースターは 当初から、桜の下で、野外礼拝や食事会をしていたので、 イースターは「教会のお花見」ということになっている。 私たちの教会は創立27周年になる。教会は27歳だ。 来年が会堂建設10周年で、丁度10年前の今頃、 ニュージーランドのボランティアの方々が来日され、 会堂建築、真っ最中だった。 10年前の夏も、異常に暑い夏だった。 もう、外に出るだけで、もわっ〜と、熱気で参りそうな。 そんな暑さの中で、楽しいジョークを言いながら、踊り ながら(笑)建築をして下さっていた。 ご夫妻でボランティアに来て下さった方。 奥様は食事作りを担当して下さった。 そのご夫婦は、リタイヤ後、家も土地も家財も売り払 って、その財で、全世界を回って、人々を助けて、福音 を伝え、証しをしておられた。 今まで32ヶ国回ったと言っておられた。人々を助けると、 相手の方から、「どうして、こんなによくしてくれるの? 何で?」と聞いてくる。その時に福音を伝えるのだと。 すると人々はジーザスを信じてくれると。 父ブッシュの湾岸戦争の時、丁度イラクでクルド族を 助けていたと。戦争が始まって、爆撃や銃撃や、あんな に恐ろしかった事はないと。 戦争でも母国に帰らないで、そこにとどまるんだから、 まさに本物だと恐れ入った。 家を献げた時に、神ご自身が自分の「ホーム」になって 下さったと、深いことを言われた。 この会堂建設が終わったら、どこに帰るのか?と聞くと、 一旦はニュージーランドの息子の家に泊めてもらうと。 そしてすぐに、インドネシアの、ある島の貧しい子供 たちを助けに行くと。 こんな方々、初めて見て、もうびっくり仰天!! その信仰に驚かされた。 又、別の方は、悲しい、苦しい試練を通して、ジーザス に出会ったと話して下さった。 その深い悲しみと苦難の時に、ジーザスは自分のいのち だったと。その慰めは言葉にできないほど、心に染みた と。その方の口からは、いつも賛美が流れ出る。 彼らは口を開けば「ジーザス」。それ以外の話をされ ない。彼らの祈りによって建てられた、会堂だ。 ボランティア方との出会いは、会堂建設の大きな恵みの 一つだった。
2008年09月02日(火) 「期間限定で特別に」
アメリカの主に在る友から便りが届いた。 「今、アメリカは不況で、物価高は今までになく ひどく、どんどん解雇になり、今までは考え られなかった、私の職場でもかなり解雇になり ました。」 彼女は異国の地で、女手一つで二人の子供を育て ている。 いつも経済的にかなり厳しく、二つの職を持ち、 朝も晩も働いている。いつ寝るのかというほど、 働き詰めだ。 どんどん物価高で、経済的に大変だろうな。 先行きを考えると、いかに大変かがわかる。 「私は来年50歳です。そんなこんなで、深く 考える所があり、1週間、とにかく一人になれる 時は、すべて祈りに当てて、他の事はひとまず 脇に置いて、主の御前に、ひたすら祈り続けま した。 その中で、色々な事が示され、はっきり示され ました。 今までの歩みを振り返り、一体今まで主のために 何をして来たんだろう。 自分の弱さや、欲や、肉の部分を示されました。 罪を悔い改め、示された事は明け渡しました。 そして、主の前に決心しました。 今、まだ気力と体力も何とか働ける。 これから先、老後になれば、気力も身体も衰えて 来る。 この10年を特別に聖別して、主にお献げしたいと。 この10年を、はっきり主にお献げしました。 サタンは様々な弱さや、欲に働いて来ますが、 そのつどきっぱり拒否し、主を選び続けたいです。 自分が変えられたのがわかります。心に平安と喜 びがあります。 その後、人前で自然に証しをしている自分に驚いて います。この私が、です。自分の力では絶対にでき ない事です。 福音をお伝えする事ができ、救われる人が起こされ ました。感謝でなりません。 10年と定めて、お献げした結果、気持ちが楽に なり、色々な事が容易になりました。不思議です。 驚くばかりです。 ほんとに不思議ですが、自分が新しくされました。 今、とても喜びがあります。 続けて握っているものを示され、明け渡して行き たいので祈って下さい。」 カンボジアでもあるそうだ。 リタイアした方々が、3年、5年と限定して、その 期間を聖別して、主にお献げして、海外から宣教 活動に来ておられたりと。 ずっと居つくわけではないので、助っ人の働きを されるそうだ。 丁度届いた手紙に、とても考えさせられて、恵まれた。 主のために何ができるのか、カンボジア帰国後、 ずっと祈りの課題だ。
2008年09月01日(月) 「カンボジア旅行@」
先日、教会から宣教師を遣わしているカンボジア を訪ねた。 皆からの贈り物や、日本食や、まだ日本に置いて いる引っ越し荷物やら、段ボール5箱を運ぶ。 カンボジアへは直通便が無い。バンコク経由で 行く。その新空港が何ともばかデカい。 余りの大きさに「これは宇宙船か!」と言った 方がいたが、帰りはほんとに迷子になった。 教会の方が国際携帯を貸して下さったが、無けれ ばえらい事だった。 その近代的最新大空港から、一転、カンボジアへ。 ギャップの大きさに戸惑う。日本の小さな地方の 空港だ。 カンボジアの空港に着くや、突然5,6人の男性 がドヤドヤと現われ、車に段ボールを入れてくれ る。「何者なり?!」と驚くが、チップ目当ての よう。助かると言えば、助かった! 空港の駐車場を出る時、A宣教師が係員に料金を 渡す。同行のBさんが「あー!!喋ったあー!」 何を? カンボジア語!(笑) 飛行機が遅れに遅れて、着いたのは夜の10時。 私は三度目の懐かしいカンボジア。好きで心惹か れるカンボジア。 夜遅いので、さすが車は少なくスイスイと、ホテ ルに到着。 A宣教師「これが総理大臣級が泊まるカンボジア でも一流級ホテルで」皆で「ほう〜」と見上げる。 「Cさんが泊まるのは、その前のホテル」(笑) 超一流ホテルの、前のホテルであったが、なんの なんの、とても立派なホテルであった。 立派で安全で、朝食付きで1泊4千円は、日本 では格安。しかし、カンボジアの公務員の給料が 1ヶ月3千円。「・・・」。 翌日は、大活気と熱気のカンボジアだ。朝からビー ビー、ビービークラクションが鳴りまくり、車と、 バイクと自転車と、人とリヤカーが車道に混在。 人が突然車道にいて、それも悠然と歩いているから びっくり。車ビュンビュンの中に、リヤカーもおる し。「ちょっと!危ないし!」ようまあ(>_<) 左ハンドルの右側通行。右側通行で、中央線寄りを 走っていると、その左側に同じ方向に走る車がおる! 一瞬「え?!」真ん中に中央線挟んで「何でこの車、 同じ向きなわけ!!」 頭こんがらがるが、つまり、普通に、逆走してるって わけ。 つまり、こっち側がひどい渋滞で、対向車線はガラ ガラだったので、1車線拝借したよう。 赤信号無視は、しょっ中で、慣れて来て、信号守っ てたら、「えー、守ってるんだー!!」 私達一行は、5人乗りの車に、大人6人子供2人が 乗っていつも移動(^^)何と便利なカンボジア! 10人乗りワゴンに20人以上、屋根にまで 乗ってたりする。バイクに4人乗り、5人乗り普通。 慣れて来ると、一人乗りのバイクなど勿体ないじゃろ と思えてくる・・。 すべて、自己責任でといったところ。 機能不全交通ルール。まずパトカー自らが赤信号 無視。面白い社会だ。 暗黙のルールがしっかりあって、高級車優先。 低級車が道を譲ることになってる。 女性陣「だいたい車て、値段がわからんのじゃけど・・。 どっちが高いか、わからんし」(笑) ベンツとレクサスが多い。お金持ちはすごい 金持ちで、日本の金持ちの比ではないそうな。 片や、裸で、裸足の子供達が物乞いに来る。 貧富の差が極めて激しい。 ベンツの前におろうものなら、ほんとにパッシン グが来る。「邪魔、しもじもはそこのけ、そこ のけベンツが通る」ベンツが泥だらけでユニークだ。 とにかく、皆が生きるのに必死で、もう熱気むん むんのプノンペンだ!生きてる!って感じだ。