2008年11月26日(水)
  「顧みられている」

Aさん「最近の祝福、全財産が¥200だったんよぉ。
丁度、2レプタ全部献げたやもめの話を聞いて、その
女の人は、余りの感謝が溢れて、神様に持てるもの
を全部献げた。

自分も、今まで神様がどんなに良くして下さったか、
突然思い起こされて、救われていなかったら、どう
なってたかと思うと、感謝で、感謝で一杯になって
有り金¥200献げたんよぉ。」

Bさん「そうなんや、献げたんや。すごいなあ」

Aさん「それが今まで、ずっと神様のみわざを見た。
プレゼントするお金が無くて、祈ってたら、
机の引き出しから商品券が突然出て来たんよ。

次も、登校する交通費も無くなって、ほんとに困っ
て祈りに祈ってたら、ずっと昔の貯金箱が出て来て、
お金が入ったまま忘れてて、もうそれがすごい
助かって、神様有難う!!だったんよ。

いつもいつも必要与えられて、自分の心も変えて
下さって、家族も変わって来てて、もうすごい感謝で。

それで、献げた後、教会から帰る時に、先生が『又、
絶対に何かが起きて、与えられるよ!(^^)/』と言った。

その言葉で、通帳は全部¥0と思ってたんだけど、
一応念のため、10数ヶある通帳全部調べてみたら、
¥8000あった!!びっくり!!神様だー!
嬉しくて、嬉しくて、又、又、感謝が溢れた」

Cさん「Aさん良かったねえ!すごい励まされるわ」

Dさん「経験するよね。教会で必要経費が出て来て
祈って、神様に献げたんよ。その後、同じ額が、主人
の収入にプラスされて入って来て、もうびっくり!!
神様じゃ〜!と、すごい恵まれた」

Eさん「次の給料日まで、手元にすっかり無くなっ
てしまって、献げたいけれど、ちょっと待って下さ
いと祈ってた。
そんな中、付き合いで、どうしてもの必要が生じて
必死で祈った。すると、ある事の返還金が返って
来て、ほんとに必要満たされて、神様が愛していて
下さること、目を留めていて下さることを実感した」

ほんとに、いつもいつも必要満たして下さる。
目を留めていて下さることに、喜びで一杯になる。



2008年11月24日(月)
  「心がどこに」

聖書箇所:ルカ12:13〜21
題:「貪欲に警戒」

大勢の群集の中で「貪欲に気をつけなさい」と主は教えられた。
注意しなさいという意味は・・心を向けていなさいとのこと。
しかし、ここで言われているのは警戒しなさいとの言葉だ。
警戒しなさい・・とは、その対応策を備えていなさいということだ。
それ程に、貪欲とは私達の祝福をうばう大きな霊的な力である。

そのため一つのたとえ話を話された。

ある金持ちの畑が豊作であった・・12:16
豊作の与えられた人は、金持ちだった。普通より贅沢な生活をしていた。

その金持ちの畑は更に豊作になった。有り余っている家が豊作に
なったにも関わらずどうした事か、彼は、どうしようかと思い煩
った。
作物を蓄えておく場所がない。盗人が盗んでいかないような場所が
ないと思い煩ったのだ。

貪欲には限りがない。
彼は自分の将来の生活、安心して暮らせるためのプランを考えた。
12:19
そして、今持っている蔵を壊し、大きな頑丈な倉庫を建設する事業
計画を立てた。

この世のもので自分の命を支えて行こうと思うなら、莫大な富があ
ってもまだ足りないと思う。
神様を知らないこの世界は、貪欲に対して限りがない。安心がない。
この世界の持ち物が、自分の命を支えていると考えているからだ。

ある金持ちが、心臓の病気になった。
この世界で一番権威のあるドクターを呼んで彼に言った。
「私の心臓を治してくれるなら、あなたの欲しいだけのお金をあげ
ましょう」と。
しかし、この後この金持ちは亡くなってしまう。

自分の命は富によって支えられているのではない。
何年分もの物が貯まったなら、これで食べて飲むことができる!
楽しむことが出来る!と自分の魂に言う。
さあ喜んで、これで平安に生きれると。

生きる、楽しむという事の土台が物だからだと主は教えてくださる。
しかし神は、その金持ちに「愚か者」と宣言された。12:20

自分の命は神が支えて下さっている。
私達は、なぜ生きているのか、それは神が「生きよ」とおっしゃる
ので生かされている。
私達が死ぬのは、神が命を取られるからだ。

自分の富や、名誉、力、知恵が支えているのではない。
主が私たちのすべての必要を与えてくださっているのだから、
思い煩う必要はない、神の国と、神の義を第一としなさいと主は
言われる。

神様は、私達人間に虚しい生活ではない、神の国を与えて下さって
いる。だから自分の命また自分自身を神様に委ね、神と共に生きる
天の御国を求める生き方をしなさい、それを実践するなら、心の
平安が来る。

私達の大切なものを天に蓄えなさい。
私達の宝のあるところにあなたの心もあるからです。と主は言われる。

この世界の事を追い求めこの世界と同じように生きて行くなら、
この世界の事だけで生きて行くだけだ。
しかし、私達は、イエス様の救いによって、天に宝を積むことが出来
るようになり、神の御心を行うことのできる生活が実現しているのだ。

だから、天に目を向けよとイエス様は言われる。そうする事によって
貪欲から守られる。

イエス・キリストは、もうすぐ私達を迎えるためにこの世界に来られる。12:35・36
イエス様がこの世に来る時、私達には報いがある。主人が帰る時を
いつも明かりを灯して待っている僕を主人は、「善かつ忠なる僕」
・・と喜んでくださる。だから、神の国と神の義を求める人になって
欲しい。

この世の貪欲に勝利するために、あなたの人生の喜びを得る大きな
プロジェクトとして天に宝を蓄える事に目を向けて欲しい。
いつ主が帰って来られても御前に立つ事の出来る自分であるように、
いつも歩んでいなければならない。
それによって貪欲に対して勝利ができる。

愚かな者になる可能性が、私達にもある。しかし勝利を得る者で
ある。天の国、天に宝、主の再臨を見つめて歩む者でありたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

遠方の方や、礼拝に来れない方々のために、Aさんが礼拝メッ
セージをまとめてくれている。

Aさん「神様知っていながらも、この世で、時も、労も、財
も(ちょっとしかないけど)無駄に使っています。悔い改めん
といけんわ・・。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目に見える世界と、目に見えないもう一つの現実の世界が
あって、それは、神の国。今、現実に、神の支配の中にいて、
その目に見えない確かなもう一つの現実を、しっかり見て
生きて行けるように。


2008年11月22日(土)
  「静かに、落ち着いて」

ある日の朝、暗〜い、重〜いすっぽり灰色におお
われた曇天。雨かと思いきや、午前に一条の光が
射す。

太陽光線だ。雲の切れ間から、明るい暖かい陽が
輝き射し込む。

その内、又、灰色のすっぽり曇天に。雲が動いて
いて、雲次第で、暗雲が流れる去ると、暖かい太陽
が顔を見せる。

午後になると、晩秋の、澄んだ青い空がいっぱいに
広がり、白い雲が膚寒い空気に、くっきりと浮かぶ。

ずっと太陽は変わらずそこにあって、輝いていて、
雲がそれをさえぎるだけだ。太陽が無くなるのでは
なく、雲で隠れるだけ。

神様の事を思った。神様はずっとそこにおられる。
問題、悩みが雲となり、目の前がおおわれる。

問題を見ると、曇天だが、しかし、その間も、
バックは真っ青な晴れ渡った晴天、神が輝いて
おられる。

飛行機に乗り、雲を突き抜けると、限りない
真っ青の空が広がる。

曇天の背後は、真っ青な晴天。問題の背後には
神様が輝いておられる。
曇天でなく、バックの晴天を見つめておれる
ように。問題の背後の神様を見ておれるように。

「神はすべての事を働かせて益として下さる」

Aさん「今、どんどん就職が厳しい状況になって、
就活大変なんですが、目の前の状況でなく、
背後の神様を見て、神様が備えていて下さると
信じて行きます!」

Bさん「今までいつもいつも神様は必ず良くして
下さった。子供達の進路も、必ず一つふさわしい
先を備えて下さった。

目の前の曇天だけを見ていたら、どうしても思い
煩って、不安、どおっ〜と落ち込み、真っ暗に
なるが、いつも必ず良くして下さった神様が、
今回の子供の就活も一つ備えていて下さることを
信じて行きたい」

「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、
落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」
イザヤ30:15

「いつも、これですよねえ。すぐに自分で何とか
しようとして動き回り、心立ち騒ぐ。そして落ち
込む。
自分が動くところが、違うんですよねえ。
思い煩わないで、心騒がせないで、静かに、信頼
していれば、神様は本当に良くして下さる!!」

2008年11月20日(木)
  「快適に見せる」

学びの中で、サタンに関することが出て来て、
サタンは妄想をかき立て、偽りの幸せ、快適
さ、喜びを見せて来る。
見せて来るから、簡単にだまされてしまう。

〜すると、〜を持つと、さも快適で、幸福で、
夢が叶う。喜びが満ちる。妄想を描かせる。
〜さえあれば、幸せになれる。

実は!実際は、それは墓場であり、空虚であり、
失望、灰色、虚無、薄ら寒さ、不幸せだ。

サタンは偽りの父であり、偽り者であり、
だまして、神から離れたところへと誘う。

Aさん「サタンて、すごい妄想を起こして来ま
すよね。
例えば、お金一つでも、何かお金で欲しい
物が買えるから、幸せになれる。
夢が実現できる、快適な人生が送れるという
錯覚に陥らせる。すごい気持ちいいよと
妄想させる。

でも、全然幸せじゃない。肉の欲望が膨らん
で来ると、神様の御言葉が耳に痛いから、
聞きたくない。耳をふさいでしまう。

ついこの間、経験したんです。
給料が入って、御霊が献げるように示して
おられるとわかる。でも、欲しい物が目の
前にぶら下がる。

サタンが必ず祝福を妨げ、御心を行う事を
妨害してくると学ぶ。
その日帰宅すると、通販のカタロクが来て
いて、まさにサタン!とわかった。
ほんとに来るんだなと。

サタンとの戦いなんだと実感した。
神様に従います。献げますと決心した。
すると、心が平安になって喜びが来た。

すると、何で?その物がそんなに欲し
かったのかがわからない。
別にどうって事なく、ほんとに誘惑というか、
御心を行なう事からそらせるために、何
でもしてくるんだと、教えられた。

それで、すごく平安と喜びのある今日は、
御言葉聞いても、もうアーメン!アーメン!
ですごく嬉しくて、心に御言葉が響いて来て、
心が同調している。

天に宝を積みたいし、この残された人生
をただ神様に喜ばれるように用いられ
たいし、任されたものを御心通りに
使いたい、もう、ウン!ウン!アーメン!
なんですよぉ。

肉に働いて来るサタン、自分の肉の欲望、
よく見張れるように。

任された時間、労力、金銭、賜物、よく御霊
に導かれて使って行けるように、人生台無
しにする事のないように。

「ですから、神に従いなさい。そして、
悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、
悪魔はあなたがたから逃げ去ります」
ヤコブ4:7

2008年11月18日(火)
  「血肉でなく」

「私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や子狐を
捕まえておくれ」雅歌2:15

対人関係で、何でもない、小さな、些細な問題が、
サタンの企みにより、膨らませられ、大問題とさ
れて行く。分裂が生じ、もうやって行けないとなる。
そこにサタンの狡猾な策略がある。

荒らす子狐を捕まえること。サタンだと見破る
こと。

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、
滅ぼしたりするため」ヨハネ10:10

サタンは真剣に、本気で、関係を壊したい、滅
ぼしたいと思っている。夫婦の間を破壊し、
対人関係を滅茶苦茶にし、台無しにしてしまい
たい。

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また、天にいるもろもろの悪霊に対するもの
です」エペソ6:12

血肉とはいっさい戦っていない。戦う相手は、
その背後のサタン。

Aさん「嫌いな相手がいて、どうしても憎しみ
が出てくる。敵対心や憎しみを、かき立てて来る。
でも、血肉とはいっさい戦っていない。
憎しみをもたらして来るサタンとの戦いであり
サタンを見据えておくこと、今一度思い出さ
せられた」

盗み、殺し、滅ぼすために来るサタン、そのため
にありとあらゆる計略をもって来る。

Bさん「夫婦間で、全くどうでもいい、些細な事
で、後で考えたら、ほんとにバカみたいな事で、
自分たち夫婦はもうダメ、やっぱり結婚自体が
間違ってた、もうやって行けないみたいな、
ほんとに争いを引き起こし、混乱させるサタン
がわかる。
どうでもいい些細なことを、大きな重大な問題に
見せかけて行く」

Cさん「夫婦間で、些細な問題が起きた時、全部
の原因を、夫が未信者だからに思ってしまう。
すべてそこに行ってしまう。これがサタンですよね。

何でもかんでも、夫が未信者だからに摩り替わっ
て、落ち込むし、失望するし、暗くなる。
別にクリスチャン夫婦でも、起こる問題なのに、
そこが付け狙われることに気づく」

Dさん「あ、同じ!ほんと、未信者というところ
に全部持って行かれる。ほんとサタンなんです
ねえ。今後、識別して立ち向かえるように」

一生涯、いっさい血肉相手の戦いではないことを
今一度、確認できて、敵をしっかりわきまえる
ことを肝に銘じた。

2008年11月16日(日)
  「今日も天に宝を」

今、婦人方と再臨の学びをしている。
いつの日か、もう近いんだろうけど、イエス様と顔と顔を
合わせて会うことが、強烈にインパクトとなる。
心身引き締められる。

「再臨の事をまだよく知らないから、知りたい」の一人の
婦人のリクエストで始まった、再臨の学びは、皆で大きく
恵まれている。
再臨の学びは、独特の祝福がある。

生き方が問われる。今生きているのは、天に宝を積む
ため。一日一日が、この一日が天に宝を積むためにある。

「今」に、飲み込まれるのでなく、天を見据えて、今日
一日を生きること、常に天を意識し、心が天にあるように。

でなれば、かの日に、いっさい何の報いもなく、火の中を
くぐるようにして助かることになる。

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」
マタイ6:21

宝のあるところに、必然的に心があるので、天に心がある
ようにするには、天に宝を送ればよい。

宝は人によって違う。富、地位、名誉、人からの賞賛、
人の目、愛する人・・様々だ。

その宝を、主に献げ、天に送るなら、心が自然に天にある
ようになる。
定期的に富を献げていれば、まず富への執着から、心が
守られる。
様々な事で、地に執着する心が、天に献げることで、心が
地上から天に移される。

メッセージにもあったが、最悪な事が、宝に心があり、宝
に執着すると、神が見えなくなるということ。

神を知りたい、もっと神に近づきたいなら、致命傷だ。

「からだのあかりは目です・・もし、目が暗ければ、あなた
の全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたの目が暗け
れば、その暗さはどんなでしょう」マタイ6:22

一つの窓だけがある、部屋があったとして、日中にその
窓にシャッターを下ろしてしまったら、外は陽がさんさん
と降り注いでいるのに、部屋の中は真っ暗闇だ。

目が、地の宝に執着していると、同じ状態になる。
全身が暗くなり、光が無いので、神が見えない。

Aさんと話していると、「ほんとだー!」。
「生活の中で、神様見上げて、親しい交わりの中で、
導きに従って生活している時は、心にすごく喜びが
あって、平安で、心が生き生きしてる。

でも、神様からそれて、この世のものに執着し出
すと、途端道に迷って行く(笑)

最近、ある物が欲しくて欲しくて、頭は朝から晩まで
そればかり。でも、これ神様からじゃなくて、サタンの
誘惑なんですよ。
ほんとに地のものにへばりつくと、シャッターが下りた
状態で、神様が見えなくなってた。

ああ、神様が語ってくれてる。ほんまじゃわ。感謝です!
何かちょっと地のものに心がへばりつくと、神様が飛
んでしまうんですよねえ。危ない、危ない!!
執着ってこわい。自分でわからなくなるんですよねえ。」

癌で、余命数ヶ月のCさんがおられる。
神様見上げて、余命を備えておられる。

前に近所に住んでおられた方とバッタリ出会い、その方
に、癌で長く無いことを告げられたそうだ。
相手は、余りにもCさんが普通にしておられるのに驚か
れたと。

身体は無くなっても魂は永遠で、新しいからだも
与えられる、聖書はすごいですねと。

Cさん通して、生きることについて、厳粛に身を正され、
時宜にかなった学びを通して、再臨への備えを教えられる。

2008年11月13日(木)
  「妨害」

ご高齢のAさんが「今はもう、独り身で、何の
拘束もなく、自由な自由な時間が与えられていて、
感謝で感謝で、ならないんですよ。

朝から執り成してると、すぐに2,3時間たって
しまって。祈りが多すぎて、曜日ごとに分けて祈
ろうかと思うけれど、でも毎日祈りたいですしねえ」

それをBさんに話したら、目を丸くして、
「どひや〜!恵まれる!!」

この間も、「Aさんの事を聞いて以来、超インパ
クトで、祈りにすごい励まされてます!

不思議なんですよ。バタバタして祈れなかったり、
落ち込んで祈れなかったりすると、教会や兄弟
姉妹から緊急の祈りのリクエストが飛んで来る。
すると、そこから祈りモードに入れるんですよ。

でも、Aさんの祈りにはすごい励まされます。
もっともっともっと祈りたい!」

Cさんが、祈ろうとすると、思いが次から次へと
来るんですよぉ。
「あ、洗濯機回しとかなきゃ」「あ、あの主人に
頼まれた事、し忘れないように」「あの手紙は
今日中に書かないと」「あの買い物、しとか
なくては」もう、思いが駆け回る。

サタン!サタン!ああ、サタンですよねえ。
肉がついて行ってるんですねえ。

Dさん「聖書読む時も、何かぼお〜っとして、
字だけ追ってて、頭は他のこと考えてて、
今、何読んだかな?となる。

内容もようわからんし。雑念ばかりが次から
次へと湧き上がる。
聖書を開いてるんだけど、何に感じず、
ぼお〜っとしてる」

「サタンがものすごく襲って来る。祈りや
聖書を読もうとすると、攻撃してくる。
妨害したくて、取ってしまいたくて。

そんな時は、とにかく5分だけ祈ろうと、
5分集中したらいいよ。
すると、不思議に5分祈っている間に
助けられて、続けて祈れる。

サタンも、もうダメと引き下がるよう。
デボーションて、すごい、サタンとの戦
いだよね」



2008年11月11日(火)
  「あわれみで胸が熱く」

「わたしがあなたの傷を直し、あなたの打ち傷を
いやすからだ」エレミヤ30:17

Aさんが、心の病を持つ友人のために、ずっと祈り
続けていた。リストカットもあり、痛ましい状況だ
った。
Aさん自らも心の病を通っただけに、重荷を持ち、
心配し、自分に何ができるのかを祈っていた。

先日の特伝のテーマが「痛む心への愛」。何とか
来て欲しいと、誘い、一緒にずっと祈り続けていた。

祈りを積む中で、自分に出来ることは、相手の反応
はわからず、あるいは拒まれるかもわからないが、
どうしても、この素晴らしい神様を伝えたい。滅び
から天に移されて欲しい。
自分に出来ることはそれしかない、と。

更に祈りを積む中で、語った御言葉に耳を傾けて
くれた。罪はよくわかるようで、でもだから自分は
ダメだと思ってしまうようと。神様のご愛、慈しみ
が伝わるように祈るねと。


そんな時、主に在る友が、最近のメッセージ通して
の恵みと送ってくれた内容が、今一度心にしみた。

・・「メッセージの中で、新聞記事が紹介されました。
それは、『1967年式のトヨタ車が部品メーカーの
エンジニアグループの手で38年ぶりに復活した』
というものです。

38年前に作られた、スクラップ同然の車を買い取
って運び、90人の技術者が通常業務を終えた後に、
修復作業を続けた。
設計図を頼りに全て手作業。2年半かけて完成した。
オリジナルパーツは90%。

先生は神様の愛をこの作業に携わった技術者に
重ね合わせて説明。『神様の一方的な愛』『スクラ
ップ同然の人間を買い取り、修復して永遠の命を与え
てくださる愛』

『スクラップ工場の片隅にぽつんと置き去りにされ
た車』私はその車だった。真の神様を認めず、自己
中心の生活を続けた結果、何の役にも立たない、只
の鉄塊になり果てていた。
でも、車自身は自分の状況にまったく気付いていない。

『何で誰も乗ってくれないの?私、ちゃんと動きますよ。
あ、ガソリンが切れてる・・・オイル交換もずいぶんし
てない・・ホコリと鳥の糞にまみれてる・・洗ってくだ
さいよ〜・・・

ずーーっと同じ景色しか見てない・・ガラスが曇って、
いつの間にか景色もぼやけてしまった・・・
あれ?タイヤがパンクしてる。どなたか空気入れて
くださいよ〜』

エンジンが錆び付き、ハンドルも壊れ、タイヤなんて
空気を入れたって穴ぼこだらけで膨らまない。

実際、教会へ導かれた頃の私は、自分自身に
問題があるのにそのことに気付かず、全て他人の
せいにしていた。

あのままスクラップ工場にいたら、ぺしゃんこにされ、
粉々にされ、炉に投げ入れられるだけだった。
そんなクズの私を見つけ、ご自分の御子を犠牲に
して買い取ってくださった神様。

何の価値もない、というより邪魔者だった私を・・・
動けるように修理し、しかもオリジナルパーツ100%!
性質はそのままで良いと仰ってくださる。」・・

同じく、まさに自分のことだと、心に染み入った。


「ところが、神の恵みによって、私は今の私に
なりました・・
それは私ではなく、私にある神の恵みです」
Tコリント15:10

「昔の私」はどうであったのか。もし、神様の恵みが
無ければ、どうなっていたのか。

今の私・・罪を赦して下さり、虚しかった心に、満ち
溢れる喜びを、揺るがない平安、安堵を与えて下さっ
た。何を持ってしても、埋められず、空虚だった心を、
満たして下さった。
神様がおられなければ、神様のあわれみが無ければ、
どうなっていたかわからない。


「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、
わたしはあわれみで胸が熱くなっている」ホセア11:8





2008年11月09日(日)
  「心配無用」

身近な、色々なところから、今回の金融危機の
影響を聞く。
「職場で今からリストラになって行きます。今の
部署の派遣の人々はすでに解雇になりました」

「来年はリストラを一応心の内で覚悟しておいて
くれ、と主人に言われたんです」

「数ヶ月前まで、めっちゃ忙しくて土、日も出勤
だったのが、もう仕事が無くて、土日も家にい
るし、ずっと残業だったのが、定時退社になった
んです。

いろんな返済があるので、それが主人が、もの
すごく落ち込んで、暗いんですが、私は神様が
おられるから、大丈夫、どうにでもして下さると、
心がまるっきり平安なんです」

「ずっとものすごく忙しくて、残業の無い日は無か
ったのが、仕事が無くなって、定時退社なんです。
でも、家族の時間が与えられて、身体も過労から
守られるし、感謝です」

この日曜のメッセージが「思い煩い」に関して
だった。

思い煩いの原因が、地上に宝を蓄えようとする
事から来る。無くなる事の不安、恐れに襲われる。
そして、地上に宝を蓄えようとする時、心の目が
塞がれる。

目が地上に向き、地上の事しか考えないので、
心の目が曇り、真の光が見えない。キリストが
見えない。

空の鳥を見よ、野の百合を見よ。
空の鳥を養い、野の花を美しく装わせ、神が
すべての必要を与えて下さる。
罪の問題にも、解答を与え、物質的にも、
霊的にも、すべてが備えられている。

思い煩わずに生きるためには、まず神を第一
にして行くこと、神のお心に従って生き、
神との正しい関係を保つこと。

そして、明日の心配はいっさいしないこと。
今日の、この一日を大切に精一杯生きること。
その時、「思い煩い」から守られる。

ご高齢で、お独り身のAさん。経済的にも大変
で、お身体も弱さを持っておられるのに、思い
煩いから、解き放たれて生きておられる。

いつも、明日の事をいっさい心配されない。
今日、すべての必要が与えられている
ことを感謝しておられる。

とにかく今日は飢えていない、今日身体は
守られている、今日仕事があって、働くこと
ができる。こんな感謝は無いと。
明日をいっさい思い煩われない。

しかし、人生とは「今日」の連続だ。
明日は誰にもわからない。明日を思い煩って
今日をダメにしてしまうか、
明日を主の御手に委ねて、今日を精一杯
感謝して喜んで生きるかだ。

天と地ほど違うような気がする。

「あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します」

「あなたがたのうちだれが、心配したからと
いって、自分のいのちを少しでも延ばすこと
ができますか」マタイ6:27



2008年11月07日(金)
  「宝のあるところに心もある」

素晴らしい秋晴れ、真っ青な空に、日差しはやや
強いが、風が少しひんやりと、さわやかで、何とも
心地良い。

隣県で仕事をしている次男を、久し振りに訪ねる。
眼下に、水平線まで広がる海が眺望できる山の
上のレストランに案内してくれる。

見渡す限りの海の水面に、陽が反射して、白くキラ
キラとまぶしい。緑の田や家々の遠景、綺麗な景色
に、穏やかな、気持ちの良い気候。
長閑さの中で、何やかやと談笑し、休息の時が
与えられる。

神様の御手の中に、すっぽりと、包まれている大きな
平安と安堵感。

眼前の大海原と、青い空を見上げ、心地良い風を
膚に感じつつ、あれやこれやと考える。

今、婦人会で「再臨」の学びをしている。
いつか、イエス様と、顔と顔を合わせてまみえる。

その時のために、今を生きること。天を見据えて
天に繋げて、この一日を生きることを学ばされている。

目の前に流されるのでなく、地ではなく、天に焦点を
当てて、天に宝を積む生活。

学びの中で、Aさんが、天を思い、再臨を思い、
今から、余計なものを捨てて行きたい、握りしめて
いるものも手放して行きたい、焦点定めて歩んで
行きたい。
「シンプルライフだ!」「そうシンプルライフ!」(^^)/


「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。
しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。
それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

それゆえ、私たちに自分の日を正しく生きることを
教えてください。
そうして私たちに知恵の心を得させてください」
詩編90:12

ダビデが祈ったこの祈りが、心にピッタリ!と来る。

「それゆえ、私たちに自分の日を正しく生きること
を教えてください」

天国までの、再臨までの、後どれだけかわから
ないが、残された日々を、この一日を無駄にせず、
主に喜ばれるように、天に宝を積む日として、
有意義に生きることができるように。

そのために「知恵の心を得させてください」との
祈りが、今日も必要であることを教えられる。

ある証しがあった。
長年牧師をしていた父親が、今際の際で、
まさに息を引き取ろうとしていた。
家族は全員集まり、悲しくて泣いていた。

すると、その父親が言った。
「私はイエス様に出会ってから、今まで、ただ
この一事のために生きて来た。天に備えをする
ためだ。
私の生涯すべてをかけて、天に宝を積むため
に生きて来た。今その報いを頂くために、天に
まさにその喜びの所へ行こうとしている。
私の生涯最高の日だ。何を泣くことがあろうか」と。


「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある
からです」マタイ6:21

天に宝を送ると、心が天にあるようにされる。


2008年11月05日(水)
  「心に深い安堵」

病院に求道中のAさんをお見舞いした。
丁度、クリスチャンのBさんもお見舞いに
来られ、一緒にずっと神様の話をした。

Aさんが「死」が恐いですと、話して下さった。
抑え切れない不安に襲われると。

夫が人間には肉体と霊があり、肉体は皆
いつしか朽ちる。ちりに帰る。
だが霊の部分があるから、永遠を意識する。
霊の部分が痛んでいるから、永遠や死に対
する恐れや不安がある。

神を認めないことが、人間の罪であり、そこから
心の痛み、不安、恐れ、孤独が生じる。
神に向き合い、自らの罪を認め、悔い改めること
が必要で、その時、罪が赦されるので、心に平安
安堵が満ちる。

自らの罪を悔い改めて、身代わりに十字架で
死んで下さったイエス様を信じることが大切と。
Aさんは、じいっと耳を傾けて、真剣に聞いて
下さった。

その時、イエス様を信じた時に、死が全然恐く
なくなった事をお話した。それまで、死は恐怖
だった。
死というと、誰一人、人のいない宇宙の真っ暗闇
の中に、ただ一人、自分だけが存在するという
連想になって行く・・。
身体は死んで、焼かれて無くなるが、自分を意識
する意識は永遠に無くならず(無くなれば問題
ないが)永遠に暗黒の中にただ一人・・、

答えはなく、考えない事にするしか無かった。

そんな時、福音を聞き、自分の罪がわかり、
悔い改め、イエス様を救い主として信じた。

死の恐怖のために、イエス様を信じたのでは
なかったが、主を受け入れて、しばらくして
気づくと、その死の恐怖が完全に失せていた。
消えていた。

え?何で?どうなった?何が起きたんだろう?
こんな事ってある?と驚いたが。まさに、福音
であり、救いであった。

「これは、その死によって、悪魔という、死の
力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖に
つながれて奴隷となっていた人々を解放
してくださるためでした」ヘブル2:14

「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは
いやされたのです。
あなたがたは、羊のようにさまよっていました
が、今は、自分のたましいの牧者であり監督
者である方のもとへ帰ったのです」
Tペテロ2:25

本当に死の恐怖から解放され、自分のたましい
の牧者である方のふところへ帰ったのだと
実感した。

目には全然見えないが、すごい事が起きて
いて、すごい救いだと思った。自分で何一つ
したわけでない。

Bさんに「死、恐くないですよね」と言うと、
「はい、全然恐くないです。天国へ行きたい
です。こんな者が罪赦されて、天国へ
行けるなど、本当に感謝でいっぱいです」

Bさんと一緒に、死の恐怖から解放されて
天国は楽しみでならない、と語り合うと、
Aさんは、じっと聞いて下さった。

目には見えないが、自分の身に聖書の
言葉が成就して行く。聖書が本当に真実
で、まさにその通りになって行くことに
畏れを感じる。

まことに神がおられる。







2008年11月03日(月)
  「御霊の気づき」

Aさん「主人と、けんかしたんです。
もう腹が立って、悶々だったんだけど、
朝になって、それじゃあいけまあと、
一応「ごめん」と謝ったんです。

すると、主人が「怒ってるやろ」と言う
ので、「怒ってない!」と(笑)

口では、「ごめん」だけど、怒ってるオーラ
が出てるんですよねえ(笑)

昨夜からの、そんなこんなを引きずりながら、
学び会に来たんです。

すると、今日の学びが「神様の無条件の愛」
ほんとに、自分が神様から無条件に愛されて
るんだなあと、しみじみとわかりました。

このままで受け入れられて、いつも赦されて、
自分が神様から愛されていることを、ひしひし
と感じて何か、旦那へのこだわりが消えて
無くなりました。
今日、帰ったら、愛情もって接します。」

御言葉によって変えられて行くことが
素晴らしいなあ。

Bさん「最初の頃は、信仰の戦いとばかりに、
未信者の夫に、世に流されると勘違いして
必死で、自分の信仰を守ろうとしていた。

そうじゃないと、神様が教えて下さって(笑)
夫を愛して、従い、夫を大切にして寄り添って
行くことが証しだと。

日曜朝も、『悪いけど、行って来ますね。行か
せて貰って本当に有難う』の心と態度に変えら
れた。
すると主人も柔らかくなって、この間など、
礼拝から戻ると、主人が昼食作って待って
くれてたんです。」
「わあ!!すごい!!そんな感謝なこと
無いわ!!」「神様が、夫婦を祝福して
くれとってんじゃ、すごいね」

Cさん「最近すごい神様から示された事が
あるんです。
今までが不思議に守られていて、周囲に
悪口や噂話が無かったんですよぉ。
ところが、今度の職場は、悪口がもう
横行していて、陰で、悪口ざんまい。

それが、自分の内に悪口を好むものが
あって、悪口が心地良いんだと気づかさ
れたんです。自分て、悪口言いたいんだと。

肉はそうなんですよねえ。自分の内の肉
の性質は、悪口を好む。今までそういう
環境にいなかったから、考える事もなく、
気づかなかっただけで。

言葉で失敗してしまって、悔い改めました。
御霊様に従って、御霊の方を選択して
行かないと、肉はどこへ行くかわからない。
自分を知れて感謝でした。」

Dさん「わかる、わかる。肉ってどこまでも
罪深いですよね。クリスチャンだから決して
悪口は言わないんだけど、嫌いな人とかの
悪口が聞こえて来ると、表向きは、自分は
同調もしないし、決して乗らないが、心では
しっかり同調して、溜飲を下げている。
御霊様から気づかせられる事が感謝です」

日々御霊様の気づきを与えられ、気づかせ
られ、気づかせられ、導かれる事が何より
感謝です!!






2008年11月02日(日)
  「圧倒的喜び」

前回のAさんの証しを、Bさんにしていた。

ご主人を、天に送られて、今、お独り身で、
でも「今、私はほんとに幸せ」と言われ、
周囲の人々の救いのために労しておられる。
79才で、生き生きして、喜んでおられ、
周囲に恵みをまき散らしておられる。

Bさん「わあ、Aさんにお会いしたいです!
御霊によって歩んでおられるんですね。

うちのじいちゃんばあちゃんなんか、今問題
の年金がどうのと、もうものすごく暗いですよ。

お先真っ暗で、不安で、希望がなくて、思い
煩ってる。夫婦仲がすごく悪くて、けんかばっ
かり。遊びに行っても、トゲトゲ冷え冷えして
いて、居心地悪くて、その場におれない。
すぐに帰りたくなる。

神様知ってると、知らないで、もう天と地
ほどに違いますよねえ。
神様の愛を知ったから、自分が変えられた。
自己中心や、自我が出て来る時、御霊様が
気づかせてくれる。

私、若い時に、神様の愛を知れて、もうもの
すごく感謝ですよね。すごく恵まれてますよね」

「若い時に知れるって、ものすごい恵みよ。
年とって、神様に出会った人々が一様に言う
もの。『もっと若い時に知りたかった!』って。」

離婚寸前で来た婦人も、こんな愛知らなかった。
無条件で、犠牲愛で、一方的愛で、与える愛、
もっと早く知っていたら、結婚生活違っていた
のにと。でも、寸前で知れて良かったと。
結婚生活が建て直された。

離婚して、教会に来た婦人も、こんな愛、神
の愛知らなかった。自己主張するばかりで、
自我を通すばかりで、相手の事が考えられない。
もっと早く知っていたら、離婚しなかったと。
離婚した相手に謝ったと。

Cさんも「子育てする前に、神様に出会いたか
った。自分の思いばかりを子供に押しつけて、
子供を損なってしまった。

子供のためと思うのだが、実際は自分のためと
いう自我が潜んでいた事に気づかされた。
でも、失敗をも益として下さって、感謝でなら
ない。」

Bさん「私、神様に出会ってから、死が全然恐
くない。全く恐くない。それで、学校で“死に
ついて”話し合いがあったんですよ。

順番に話すんですけど、私の番になった時、
『全然死は恐くない。今、死んでも喜びだ』と
明るい顔で言ったら、もう周囲どん引きで(笑)
びっくりして、呆気に取られた顔していて、でも、
関心持った子が話に来ました」

「すっごい恵まれて、神様に心満たされる時って
あるじゃないですか。喜びと平安に、心が満ち
満ちる。嬉しくて、嬉しくて。
天国って、それがもっともっと、桁違いに凄い
所で、それが永遠だなんて、すごいですよね!
もうすごくて、すごくて、すご過ぎて、
すぐにでも、そこに行きたいですよね」

御霊の喜びを経験する時、ほんとに心が満たさ
れて、喜びで満ち満ちる。これすらほんの僅かで、
これがもっともっと深く高く大きくて、永遠に
続くなど、わあ壮大過ぎて、圧倒される。

神様知れて、驚くばかりの圧倒的恵みに、今一度
感謝が溢れた。

サタンがおらず、罪がなく、苦しみも悲しみも
無く、イエス様がおられて、この圧倒的、壮大なる
満ち満ちた喜びと楽しみが永遠なんて!考えた
だけでもすごい!!!




2008年11月01日(土)
  「今、幸せです」

79才のAさんとスカイプで話した。
いつ交わってもとても恵まれて、もう溌剌と生き
生きされていて、霊的元気と恵みをもらう(^^)

60代で、お孫さんとメールをしたくて、PCを
始められた。
当時、それを聞いた若い婦人方が励まされて、PC
にチャレンジして行った(^^)
その頃、チャットでお話したり、とても進んでおら
れてびっくり!

ご主人をすでに天に送られている。今は子供ご家族
と住まわれ、ずっと主のために労されて、今もまさに
現役バリバリで、飛行機であちこち飛び回っておら
れる。

モーセは八十才で出エジプトの指導者に召し出され
パロの前に立った。百二十才になっても、気力が衰え
なかったとある。
Aさんの気力は、神様からの気力だ。
人々の救いのために、祈り、労し続けておられる。

「種まきですね」「今、必要がないので、信じないと
しても、いつか将来、悩みの時に、聞いた御言葉を
思い出し、芽が出ることを信じつつ・・。

でも、目に見える結果を求めてしまうのは、これは
御霊様の思いでなく、自分の思いだなあと思います。
示されたことを、ただ忠実に行なって行くこと、
これを神様は喜んで下さるんですよね」

「昔は、神様を信じていても、思い煩いや不安やらで
心が暗〜くなってたんですが、この歳になって、ほんと
に“真理はあなたがたを自由にします”ヨハネ8:32

で、御霊様が心を解き放って下さって、いろんな事が
あっても、必ず良くして下さる、益となる、主が共に
おられるから大丈夫!と前向きに受け取れるんですよ。

ほんとに真理によって自由にされました。だから、
自分自身はいつも幸せなんですよ。ほんとに思い
煩わなくなりました。気持ちが楽で。もう天が近いん
ですかねえ」(笑)

いつも「信仰」を選択しておられるんだな。
だから信仰的、前向き、肯定的に取れる。
心がいつも平安と喜びに守られる。

「もう大変な恵みで、一人でずっと自由な自由な
時間を与えられているんですよ」
それをひたすら祈りに用いておられる。
すごい!!何時間も、もう延々執り成しをして
おられる。

Aさんと同じように、半世紀を主に従って生きて
来られたBさんも、全く同じようなことを言われて
いた。

「何かとても不思議なんですよ。以前わからなか
った御言葉が、よくわかるようになって来たんで
すよ。御言葉がびんびん心に響いて来るんです。

歳をとって、神様をすごく近く感じるんで
すよ。天国に近づいているんですかねえ。(笑)

Bさんはお若い時に、ご主人を亡くされた。
あの時は、人生二度と笑うことなど無いと思った
んですが、主人の死を通して、イエス様に出会い、

もう良くして下さって、恵まれて恵まれて、今、
まあ、笑えますもの、と御霊の喜びに溢れたお顔。
感謝で感謝でならないと。

主人がいないから、丸ごと全部私の自由な時間
なんですよ。感謝です。
朝早く目が覚めますでしょ。一人早天祈祷会を
するんですよ。毎朝毎朝、主との交わりに本当に
恵まれて、恵まれて、もう感謝しかないです。

AさんもBさんも、御霊の喜びで輝いておられる。
このように歳をとりたいとの、私の目標であり
模範だ。

この恵みのティータイムを夜に書いていたら、
PC画面に、Bさんからスカイプメッセージが
飛び込んで来た!!
「え!」向こうはアメリカで朝!

「おはようございます。朝のお祈りが終わり
ました。今日も与えられたこの日を感謝と喜び
で過ごしたいです」

ものすごく励まされる(^^)/心に喜びが溢れる。

「地球の表と裏で、一緒に神様を崇めて、喜べ
て本当に嬉しいです!」

でも、便利な時代になったものだ、文明の
利器はすごい!