2009年01月28日(水)
  「天で再会を」

先日、敬愛するAさんが、天に帰られた。
ご高齢で、お身体も少しづつ衰弱されていた
ご様子だった。

主に在る、幸いな親しいお交わりを与えられて
いた途上で、引っ越され、折々の、お手紙のやり
取りが続いていた。

素晴らしいクリスチャンであられた。
Aさんの口から、悪口を一度も聞いた事がない。
愚痴や不平不満も、全く聞いた事がない。

ご老人方の集まりの中にあって、いつも信仰的、
建設的な言葉をかけ続けておられた。

「主が良くして下さいますよ。祈りましょうよ!」

「主がおられるから、大丈夫ですよ!」

「〜〜こういう事がありましてね。まあ、感謝で、
感謝で、ならないです」

「祈りに答えて下さいますよ。祈りましょう!!」

賢く、わきまえがあられ、決して出しゃばられない。
いつも、人の話を聞いて上げておられた。

神様を見上げるように、見上げるように、慰め、
励まし、アドバイスをしておられた。

「彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には
恵みのおしえがある」箴言31:26

いつもAさんの口から、恵みしか出なかった。

個人的に交わる機会があった時には、色々ご
自分の事を話して下さった。

戦争でご主人を亡くされたこと、3人の小さな子供
をどうやって育てて行けるのか、途方に暮れたこと、
しかし、それがきっかけで、神様に出会えたこと。

神様が言い尽くせないほど、良くして下さったと。

「夫を亡くした時は、人生で二度と笑うことは無いと
思いました。でも、まあ、今、心から笑えますもの。
神様は良くして下さって、今、本当に幸せなんですよ」
と喜びに満ちて、微笑まれた。

「独り身ですでしょ。だから、もう時間も自由に使
えて、もう感謝で、一人早天祈り会をするんですよ。

朝早くから、主と交われて、時間も気にする事なく
自由に交われて、本当に喜びに満たされるんです。
まあ、感謝で、感謝で」と嬉しそうな笑顔で。

「不思議なんですよ。年がいって、霊的なことをすごく
わからせて下さるんです。若い頃と全然違うんですよ。
もう天国が近いんじゃないかと思うんですよ」と、
笑みを浮かべておられた。

祈りの人で、いつも祈って下さっていた。
デプテーションで、ファローで来られる宣教師方、
お一人お一人を覚えて、それもずっと続けて祈って
下さっていた。

私たちの教会の宣教地、三原とカンボジアのため
にも、いつも祈り献げて下さっていた。

引っ越された先に、是非遊びに来て下さいと
言って下さっていた。一度行きたかった。

天に召されたとの、知らせを受けた時、もう地上
では会えないことの寂しさに、胸が詰まったが、
天がいっそう近くなった。

Aさんが残された、イエス様の芳しい香りと、イエ
ス様の余韻はいつまでも消えない。

素晴らしい先輩クリスチャンであり、模範だ。
出会えたことが、神様からの恵みのプレゼント
だった。

天でまた会える事が、楽しみでならない。

2009年01月13日(火)
  「人によるのではないことを」

Aさん「また、与えられたんですよー!!」

お金が無くて、困ってて、神様いつも頼れと言われる
から、祈ってたんですよ。

すると、小さい頃のお年玉を、お母さんが貯金にして
くれたのが、そのまま置き去られていて、それを下ろ
して来てくれたんです。

小さい頃で、ほんの少しだろうと思ってたんですが、
万単位であって、びっくり!
当座の必要のために満たされました!!神様感謝!!

「ねえ、いつもいつも、絶対に天から降って来るよね。
すごいよね。

いつも手元に全く無くなった時、一度は机からお金
が出て来て、一度は商品券が机の奥から出て来て、
一度は昔の貯金箱が突然出て来て、
一度は通帳全部調べてみたら、まだ入ってるのが
出て来て(笑)すごいよねえー。

御心を行なうために、経済的必要が生じた時、
祈っていると、以前止めた職場から、どうしても人手
不足で、高給を出すから、しばらく来て欲しいとの依頼。
必要額が備えられた!!

いつも祈ると、時ピッタリに与えらて来たよねえ。
何度も何度も繰り返しって事は、経済的な事は、
いっさい心配するな、と言っておられるんだ。」

でも、無いから、いつも神様の恵みや、ご愛や、
祝福が知れて、感謝だよね(^^)/

何億も貯えがあったなら、祈る必要無いし、頼る
必要もないものねえ。


ところで、「必要」が無いと、人間って、神様を知れ
ないんだなあと。神様が必要無い。

神様無しで、何も困らずやって行けて、十分生きて
行ける。求めようが無いんだろうな。
「必要ない」
渇きがあるから神を求めるが、渇きがない限り、
どうしようもない。

「主よ。私は知っています。
人間の道は、その人によるのでなく、
歩くことも、その歩みを確かにすることも、
人によるのではないことを」エレミヤ10:23

ほんとに、人間はどうにも出来ない。
渇こうとして、渇けるものでない。
渇かねばならないと思っても、できない。

人間にはどうすることもできない。

「主よ。御怒りによらず。ただ公義によって、
私を懲らしてください。
そうでないと、私は無に帰してしまうでしょう」24’

主が懲らして下さらない限り、どうにもならない。
主を決して求めない。

試練を与えて、主を求めるようにして下さる。
試みは感謝なんだ。

そうでないと、私は無に帰してしまう。


2009年01月12日(月)
  「どんな時も」

Aさん「どうしても受け入れられない人がいて、祈って欲
しい。嫌でたまらず、自分が苦しい。

これは逃げるのでなく、主によって、乗り越えなければ
ならないことだとわかる。

こういうのって、逃げても、次にまた、別の「あいつ」が
現れるんだよね。
自分が変わっていないから、その場は逃げても、結局
同じ事を繰り返すことがよくわかる。

相手の問題でなく、自分の問題だとよくわかる。
自我の強い、頑なな自分が砕かれないといけないと
よくわかる。主の取り扱いだと、わかる。
自分を変えようとしておられる。」

以前にも、Aさん、受け入れられない相手がいて、悩んで
祈って祈って、主に導きを求めた。
相手はどうであれ、自分自身の愛の無い、悪い態度を
示されて、謝った時に、自分自身が解放された。
平安が戻った。

相手がどうであれ、相手でなく、自分の問題だと教え
られる。
相手が何か問題があり、相手が悪い態度なら、それは
相手と神様との問題であって、自分の問題ではない。

自分の心の有様は、自分の問題であり、自分の責任だ。
結局は、神様と自分の関係がすべてだ。

神と自分の関係が正しければ、人がどうであれ平安だし、
正しくなければ、自分は平安が無い。
悔い改めて、悔い改めて行く時、平安が戻り、新たに
される。

・・・・・・・・・・

Bさん「自分の罪が目の前にある時、もうはなから
神様のもとへ行けない。
罪があったら祈りが聞かれないから、どうせ聞かれ
ない、ダメと、神様を避けてしまう。」

「だからイエス様がおられる。イエス様によって、
御父のもとへ行ける。私が道だと。そのために十字架
があるから、どんな時でも行ける」

「そうなんだよね。何でなのか、イエス様が飛んで、
どうしても、罪があるから神に受け入れられない、
というのが目の前にバーンと来る」

ほんとに、「わたしが道だ」と言われるイエス様が
おられる事が感謝。御父への道がある。

光の中におられ、聖であられ、栄光と尊厳に満ち満ち
ておられる御父のもとへ、とてもじゃないが行けない。

人にさげすまれ、のけ者にされ、誰からも尊ばれず、
悲しみの人で、果ては十字架で、血まみれで、身体も
心も裂かれて、ぼろぼろになられた。

そんなイエス様だから、近づくことができる。

十字架で、息を引き取られた時、

「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」
マルコ15:38

「イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいること
ができるのです。

イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たち
のためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです」

「心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ・・
たのですから、真心から神に近づこうではありませんか」
ヘブル10:2

どんな時も、どんなに罪深い状態であれ、この
イエス様によって、近づくことができる。
何と有難い。

2009年01月09日(金)
  「バッタンバンへの旅」

カンボジアで、今後の開拓宣教地バッタンバン
を視察に。
プノンペンから300キロ、バスで途中、昼食休憩
等入れると、6時間半の旅だった。

まず予約に合わせ、早めに行き、待つ。時刻に
なり、乗車する。が、一向に出発する様子がない。
その内に、バスが邪魔にならない所に移動。

ガラガラなので、一杯になるまで待つというのだ。
えー?びっくり!結局1時間待って、人がようやく
詰まったので、出発。何だかどこかの世界の話
みたいだが、カンボジアだ。

広島から関西へ帰省するのに、高速バスをよく
使うが、ある時など、2人の乗車で、時刻通り出発。
元が取れるのだろうかと心配したが。

「いやあ!私1人の時がありましたよ!」と教会
の婦人(笑)「運転手さんと1対1」

定時出発が当然の日本にいると、発想の違いが
とてもユニークで面白い。
時刻表なんて合って無いようなもの。まあ、その日
に着きゃあいいさ、のよう。

かなりの古さの老朽化バス。シートなど壊れて
背が傾斜のまま動かない。
なのに、スピードはすごい!
バンバン飛ばして、ガタゴト道で100キロは出てる。
ずっと、ビービービービー警笛を鳴らし続ける。
そんなに鳴さあでもと、頭にガンガン響く。

これがまた、突然、牛が出て来たりする。
人が出て来ても、絶対に止まれないよ。

首都から出て、どんどん北上すると、車窓は
大平原が続く。稲が実っていて、刈り入れをしている。
農業国だ。

前回来た雨期の空は、雨にきれいに洗われ、真っ
青で空気は澄み、光線はクリア、だが、今は乾期。

全体がどんより茶色っぽい。雨が降らないため、
ほこりまみれだそうな。
木の葉などまさに茶色で、葉っぱが、土ほこりで
灰色になっている。

しかし、地平線に広がる大平原は、広大だ。
大好きなカンボジアの風景だ。

山が全く無いから、視界いっぱいの大平原は
見事で、感動する。自然はほんとに素晴らしい。

途中二度の休憩。昼食休憩は、ゆっくりだ。
食堂がある。ドライブインなわけだが、昭和の
子供の頃見たような光景だ。
土の上に、幾つかのテーブル、その回りに椅子。

女性が、大きなザルから、ゆがいた細い麺を手
でわしつかみにして、バンとお椀に入れて、
何やらスープを注ぐ。ハエを絶えず手で追いながら。
ハエぶんぶんで、ハエだらけ。
そこはそれしか無く、現地の人々はそれを食べる。
外国からの旅行者は、誰も食べていない・・。

夕方、日が落ちる前に、バッタンバンに到着。

着いた!
カンボジア渡航前に、体調崩し、風邪を引いて
咳が止まらない。
行けるように祈って、病院にも行き、整える。

出発日には咳も取れ、体調守られた。
飛行機で、プノンペンに着く前に気分悪くなり、
もどしてしまう。ヨレヨレ状態で、着陸。
バッタンバンなど遙か遠くに思える。とても無理。

しかし、再度体調守られ、来れた!!

神の御心、御手、支配を覚えさせられる。
旅行前に、風邪を引くまいとしていたのに、
引いてしまう。
自分でどうにもならず、自分の力を越えている。

しかし、身体がどんな状態でも、バッタンバンに
行けた。
自分の力や自分を越えたところにある、神のお働
き、神の主権、御手をひしひしと感じさせられた旅
だった。


2009年01月07日(水)
  「神は真実」

アメリカからAさんがお正月帰国の際、寄ってくれた。

思い出話に花が咲く。
8年前に、Aさんがアメリカに私達夫婦を招待してくれた。
銀婚式と、新会堂建設後の休息にと。

同じくアメリカで、女手一つで二人の子供を育てている
主に在るBさんと、落ち合えるよう計らってくれた。

ニューヨークで、待ち合わせた。
何年振りかで、AさんとBさんと私達と、皆で会える事に
嬉しさに、わくわくして、カフェで待った。

バスで南下して来たBさん、喜びと感激の再会!!
と思いきや、Bさんは私達の顔を見た途端、ワーワー
泣き出した。もう大泣き。

びっくりしてわけを聞くと、前日に、家主の都合で、今の
家を出るよう、家主に言い渡されたと。

一人で子供達抱えて、行く当てなど全く無く、途方に
暮れて、不安と恐れで、もう恐怖で、どうしていいか
わからないと。

異国の地で、女性一人で、懸命に働いて子供を育てて
いてすごいなあ。どんなにか不安だろうなあ。

思いきり泣きじゃくり、一息つき、皆で食事をする。
日本食店に行き、お寿司や天ぷらや、皆で日本食を
食べる。少し落ち着いて、何やかやと思いきり語り合う。

そして、マックへ行き、コーヒーを注文し、テーブルを
囲み、4人で聖書を開き、さながら集会になった(^^)

夫が聖書から御言葉を語り、真剣に熱心に耳を傾け
ていたBさんの顔が段々と柔らかくなり、笑顔が見えた。

神様は必ず良くして下さるから、神様を信じて行くと、
言い、来た時とは一転、変えられて平安と喜びもって
別れることができた。

あれから8年、主はまさに真実で、素晴らしく見事に導
いて下さった。

その後Bさんは、導きを祈ってると、同じ教会のCさん
夫妻が、子供達もすでに独立した広い家に一緒に
住むように、招いて下さって、それは教会のすぐ近く
だった。

今まで、教会まで高速で片道1時間かかるので、
近くに住めるように、祈っていた、その祈りも重ねて
答えられた。

Cさん夫妻が、Bさんの子供達を実の子供以上では
ないかと思うほど、愛してくれて、子供達はすくすくと
育った。上の子供はもう家を出て、神学校に入学。

あの涙に暮れた日を振り返る時、主はどんなに良く
して下さったか、どんなに思い煩いが不必要であったか、

Aさん「ねえ、神様すごいよねえ。あの時、Bさんたら、わあ
わあ泣いてねえ。全部何もかも、備えられていたよね」

Aさんも、あのマクドナルドでの、メッセージをしっかり
覚えていたからすごい。

神様は本当に真実だ。

Aさん「それで、あの年に、テロがあったんだよね!」
「そうそう、ニューヨークに行った時、あの貿易センタービル
の最上階に行ってみようと、言ってたんだよね」

Aさんの職場はワシントンDC。ホワイトハウスのすぐ
近く。ペンタゴンも近い。
Aさんの夫はペンタゴン勤務。飛行機が突っ込んだ
時は、仕事で外に出ていたと。

「すごかったよー。もうワシントンDCも大混乱。こんな
経験初めて。何が何だかわからない。どうなって
しまうんだろうと、ものすごい不安と恐怖だった。
職場は、とにかくもうすぐに帰れと、休業。

もう様々な情報が行き交った。地下鉄やどこそこ爆弾が
仕掛けられてるとか、議事堂が爆破されるとか、恐くて、どこに
どう動いていいのかが全くわからない。

帰る手段も無くて、同僚が車で帰るというから、とにかく
乗せてもらった。もう大渋滞で、車が全く動かない。
3時間動かず、メリーランドの彼女の家に何とか辿り
着けて、私はそこからタクシーで帰った」

「それでね、私は、これは再臨が起きたんだ!!と真剣
に思ったんよ。
えー!私、置いて行かれた!って。もうすごいパニックで。
それで夫の携帯に電話したら、「ハロー」って、夫が出たから
もうその時の安堵!!良かったー!!」(笑)

「それであの後、再臨が近いと、アメリカでは教会が
人で一杯になったんだよ」

横にいたDさん「いいなあ。再臨が普通に話せる
なんて。新聞にも、再臨の話題がよく載ったんでしょ。

私、この間、ノンクリスチャンと信仰の話になって、
話し出してしまって、つい再臨の事に及んだんですよぉ。
すると、何、この人、おかしな人、みたいに見られて(笑)」



2009年01月03日(土)
  カンボジアでの年始

明けましておめでとうございます!!

年末から年始にかけて、年末休みの次男と
共に、カンボジア宣教地へ(^^)

防寒具を車に置いて、空港付近で車を預けて、
搭乗。
中継地で乗り継ぎ、カンボジアに降り立つと真夏。

0時だというのに、空港の外には、人が多い。くつ
ろいだ様子で群れている。出迎えなのか??

一歩、空港を出ると、真っ暗で、さすが人影は無い。
夜は酔っ払い運転が多くり、危険だそうな。
幾らこちらが気をつけて運転していても、向こうから
ぶつかって来るから、避けようがない。
夜は、出ないそう。

翌日は、ずっと祈って来たクリスマス会だ。
カンボジアは25日を過ぎても、当分クリスマスで、
街はツリーも、イルミネーションも、クリスマスグッズ
もそのままだ。
店にはクリスマスプレゼントが山積みに置かれている。

26日に日本を発ったが、日本では、店に入って驚き!
前日までの大々的クリスマス色がきれいに消えて
、「もう幾つ寝るとお正月♪」に早変わり。変わり身の
早さ!

そんなわけで、現地で知り合った人々にクリスマス
の好機に、証しをしたいと、自宅に招いたものだ。
5人のカンボジア人と、4人の日本人、私たちと
子供達も合わせると17名が集まった。

カンボジアでは、皆、「聖しこの夜」を知らないそう
だ。カンボジア語、英語、日本語で、順番に賛美
する。皆も、初めての賛美歌を一緒に歌詞をたどり
ながら歌って下さった。

オカリナとピアノの聖歌演奏が、きれいで聖らか
で染み入り、ほとんどがノンクリスチャンの中、
神様を感じた。そこに神の恵みがあって、神が
働かれた。
何より、背後の祈りを感じた。祈りが伝わって来る。
この事のために、祈って下さった方々有難う!!

ストレートに福音が語られ、楽しいゲームやティー
タイムのとても和やかな語らい、一つ一つに神の
祝福が感じられた。
良き証しとされて感謝だった。

カンボジア宣教に出て、2回目のクリスマス。
知り合いになったノンクリスチャンをお招き出来て、
このような時が与えられたことに、神のお働きを
感じた。

それも不思議なお導きばかり。
語学学校で、隣の席で知り合った方、スーパー
で買い物中に、出会い、声をかけて知り合いに
なった方。

そして、少し前に、カンボジア訪問した女性が、タイ
経由チケットだったため、例のタイ空港占拠で、
帰国出来なくなってしまった。

一旦、日時を振替えて貰ったが、それでも事態は
動かず、それもダメになった。
それより、プノンペンからバンコクへの便が全面
欠航で、まずタイへすら行けない。

何とか話をつけるために、事務所へ。
ところが、250人が殺到。1日かけて、55人しか
処理できない。女性は70番台、閉店になってしまい
翌日は、店が開く前の早朝から、並ぶ事に。

帰国できるのか、どうなるのか・・しかし、神はすべて
の事を益に、神の御言葉に間違いはない。

これがどう益となるのか??
事務所で待っていた時に、隣のカンボジア人が日本語
の本を読んでいた。驚いて、何でカンボジアが日本語を??

それで話しかけてみると、日本語が上手。実は日本で
勉強したとの事、それがきっかけで、そのご夫妻ととても
仲良くなった。
そして、そのご夫妻も今回のクリスマス会に来て下さった。

今後も、交流して行きたいと。神様はいつも素晴らしい
事をされる。タイ空港占拠に会わなければ、その夫妻
との出会いは無かった。

起こる一つ一つの出来事が、将来のための布石かも
知れない。
つぶやかず、思い煩わず、不満でなく感謝を献げて
行けたらいいなあ。

とにかく、神様のみわざを見たクリスマス会であった。
滞在初日の素晴らしい祝福に感謝!