2009年02月20日(金)
  「立ち向かえ」

Aさん「サタンの誘惑が来るー。
欲しい物があって、願望がどんどん強くなる。
どうしても欲しくなる。御心でないとわかって
るのに。

「御心でない物、持っても虚しいし」

「そう!それもわかってるんですよ。
今まで、経験してて。欲望で色々買ってしまって、
すごい後で虚しかった。何の実もなくて。喜びも
無いし。わかってるのに、猛烈に欲しくなる。
サタンの誘惑なんですよねえ。

そうやってると、どんどん生活につけ込まれて、
弱さに来る。人との比較の弱さがあって、
比較しては落ち込んで、惨めになって、
ネガティブになって、最悪のシナリオを自分
で描いて、ますます落ち込んで(笑)
神様が飛んでしまってる。

すごい、サタンにやられてるんですよねー。
生活全般がガタガタで、ギクシャクギクシャク、
祈れないし、家族への証しどこじゃないし。」

“悪魔は、この世のすべての国々とその栄華
を見せて、言った。
「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部
あなたに差し上げましょう」”マタイ4:8

サタンは「欲しい物、何でも上げるよ。持てば
いいよ。」と言っている。ただし「私を礼拝して」と。

有形、無形、欲しいものを、欲望のままに
持つことは、サタンを源にして持つことになる。

うわあ、何してるんじゃろ。頭ではわかるんですが、
どんどんサタンに振り回されてる。
教会に来たら、ちゃんと霊的にわかる。
立ち返れて感謝です」

サタンは自分の弱い所を、自分より的確に
知っていて、そこに来るから、やられてしまう。
自分の欲望と合致して来るから、気づかない。」

「でも、今までずっと、サタンが強烈に妨害して
来た時って、すごい特別な祝福があったよね」(笑)

Aさん「そうです。きっと大きな祝福があるんですよ。
それを妨害してるんですよね」

“ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に
立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔は
あなたがたから逃げ去ります”ヤコブ4:7


2009年02月17日(火)
  「変えられた」

Bさん「対人関係で、なかなか受け入れにくい
人がいた。好きでなくて、対応がしんどくて、
いつも嫌だなあとの、気持ちが来る。

でも、ずっと、そのつど、神様を選んで、神様が
するように言っておられる事に、従って来た。

最初は嫌々で、我慢して、従っていた。できない
けれど、とにかく、肉ではなくて、神様の方を
選ぼうと、そのつど、そのつど選び続けた。

とにかく、肉の思いでなく、神様に従い続け
ていたら、それが、今回、ふと気づくと、
自分が変えられていた。

嫌な思いが全く無くなっていた。全然嫌
でなく、むしろ喜んで対応できていた。
受け入れることができていた。

本当に不思議だが、思いが全く変えられ
た。神様を感じて、感謝で一杯になった。

自分の場合は、すぐに変わったのでは
なく、少しづつ、少しづつ時間がかかっ
たが、確実に、着実に神様がみわざを
して下さった。本当に感謝。

自分が頑張ったのではなくて、神様の
言われることに従った結果だった。
ただ、神様の方を選んで、従って来た」

行きつ戻りつみたいに、見えるけれど、
神様に従う事を選び取って行くなら、
少しづつ、少しづつ、前に進んでいること
に感謝。

時が満ちた時に、実がなる。

肉と御霊が、いつも目の前にあり、
御霊に従う方を、選び取って行けるように!

「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って
歩む私たちの中に、律法の要求が全うされ
るためなのです」ローマ8:4



2009年02月15日(日)
  「気づき」

Aさん「最近、身体に変調をきたしてるんです。
身体のあちこちに、症状が色々出て来て」

Bさん「ストレスでは?」

Aさん「何でかなあと思ってて。そんな時、丁度
知り合いの婦人にバッタリ出会って、その方が
いろんな思い煩い、心配、不安を、どどっーと
話されて。

自分も同じような状況にあって、『すべての事が
益になる』ことを言いたかったが、口から出て
来ないんです。

それで、二人で一緒に、どお〜っと落ち込んで
帰った(笑)

それで、帰ってよく考えると、自分は、心配事を
神様に委ねているつもりだけど、実は委ねて
いないと、わかったんです。
本当に思っていたら、言葉となって出て来る
はず。

あくまでも『つもり』で。実際は、しっかり
自分が握っていて、思い煩ってるし、不安で
たまらない。
神様を信じていない、だから心配で暗くなって
ると、わかった。気づきが感謝でした。

『神様、ごめんなさい』と悔い改めて、お委ね
しました。平安が心に来て感謝でした」

Bさん「神様からの約束が与えられていて、
必ずそうなると、信じれるはずなのに、
御言葉が与えられているのに、心に不安が
来る。

なぜ不安なのか、よく考えると、目に見える
ところが正反対で、真逆を行っていて、どう
見ても、そうなるように見えない。

目で見えるところが、強烈な影響力をもって
迫って来る。
結局、その目で見えるところを信じていて
御言葉が去ってしまう。御言葉を信じて
いない自分、選んでいない自分に気づか
される」

気づかされることが感謝!!
気づきが与えられて、前に進める。

「確かに、私たちは見えるところによって
ではなく、信仰によって歩んでいます」
Uコリント5:7





2009年02月13日(金)
  「時が来れば」

「時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは
芽を出し、花を咲かせ、世界の面に実を満たす。」

「最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国と
なる。時が来れば、わたし、主が、すみやかに
それをする。」

「時が来れば・・実を満たす」
「時が来れば・・すみやかにそれをする」

「神の時」があることを、見せられる。
三原の教会に、子供たちのための教会学校を
与えられるようにと、3,4年前、祈りに祈り続けた。

祈りに祈ったが、門が開かれなかった。
「時」があるのだろうと思っていたが、
突然、門が開かれ、教会学校が天から与えられた。

本当に、時があり、祈りは聞かれていて、「時が来れば」
目に見える形で答えられることを、見せられた。

丁度、Aさんも、知り合いの子供さんが、長い間
不登校、ひきこもりで、祈り続けていた。
そのお子さんが、専門職の学校へ入学が決まり、
喜んでいると。

ずうっと祈り続けて、なかなか、前に進まず、事態
が動くこともなかったが、本当に「時が来れば」
神様が「すみやかにそれを」して下さるんですねえと。

Bさん「子供が進路が思うように行かず、数年の
紆余曲折を経て、一つの道に進んだ。
そして、今、最終的に、職が与えられて、感謝で
ならない。

『時』があるんですねえ。『時が来たら』動きが
あって、トントンと導かれて行くんですねえ。」

今の祈りも「時」がある。
「時が来れば」必ず答えられる。

「神の時」があることを覚えて、祈り続けよう。




2009年02月11日(水)
  「結ぶ実」

カンボジアの番組を見た。

地方へ行くと、まだまだ地雷だらけで、子供たちが
遊んでいて、地雷で足を無くしている。

地雷という兵器は、殺さないで、足を吹き飛ばして
苦しめようというのが目的だそうだ。

一人の子供は自分は片足を、そして父親を地雷で
亡くしてしまった。
子供を地雷で亡くした親もいた。
病院へ行ってもお金が無いから、診てもらえない。
ずっと後回しにされて、数日後やっと診て貰ったと。

まだ地雷がそこかしこに、埋まっているそんな
土地で生活を余儀なくされている人々。
信じられない。

以前も地雷のまっただ中で、生活している人々
のルポがあった。通る道が定められていて、
絶対にそこ以外は歩いてはいけないと。
そこかしこに、地雷があるからと。

リポーターが、そこで生活する子供に「怖くないの?」
と言うと「怖い」。「なら、どうして?」
「ここしか他に行く所がどこにもない。仕方がない」と。

「何も出来なくてごめんね」とリポーターが涙ぐんだ。

地雷が埋まっている土地は、安いそうだ。
それで、簡単な探知機で地雷を探し、土地を耕す
そう。

命がけで、一つ間違えば命を落とすかも知れない
ことを覚悟の上で、懸命に、その地雷撤去に当たっ
ている外国の支援団体、人々が印象的だった。


小学校で授業をしていたが、その学校も屋根だけ
で、机は地面の上に置かれ、壁もない。
科目は国語と算数だけだそうだ。でも、家を助け
なければならず、学校へ行けない子供達も多い。

非常に貧しい、この貧困は、ポルポトがすべての
産業を破壊したためだと。

本人が死んでも、埋め尽くした地雷や不発弾が
今も尚、人々を苦しめる。
肉親を亡くし、身体に障害を負い、又、200万とも
300万とも言われる虐殺で、人々の心に深い深い
傷を今もって癒えぬまま残している。

「霊と肉」の学びをしているが、「肉」に従って行く事の
実を見せられるようだった。
自分だけに終わらず、その害毒は延々と及んで行く。

霊にしろ、肉にしろ、必ずそれは結実させる事になる。
自分が選択したものを。

肉に従うと、恐ろしい実を結んでしまう。

「思い違いをしてはいけません。神は侮られる
ような方ではありません。
人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、
御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを
刈り取るのです」ガラテヤ6:7




2009年02月09日(月)
  「不都合も感謝」

今年の目標は「賛美」と「感謝」のAさん。

「すべての事について感謝」して行くことが
目標だ。

以前から誘っていたBさんが、教会へ来て
くれた。しかし、丁度、自分は体調悪くて
その日、寝込んでいて、会えなかった。

せっかく来てくれたのに、心配している
だろうな。お手紙をポストに入れておいた。

出かける用があり、バスを待っていた。
どうしたわけか、バスが全然来なくて、
時間的に間に合わない。

どうなってるのか?ハラハラがイライラになる。
しかし、「すべての事について感謝しなさい」だ。

「神様。バスが来ない事を感謝します」と感謝した。

もう、これじゃあ間に合わない。
一度帰宅して、バイクで行った方が良いようだ。
家に引き返し、バイクで、出先へ向かう。

すると、その途中で、何とBさんにバッタリ!!
出会った。びっくり!!して感謝した。
Bさんもとても喜んでくれた。

そして、目的地には、ちゃんと時間内に到着した。

「すべての事について感謝しなさい」の
祝福を経験、感謝だった。

すべての事に感謝すること、どんなにマイナス要因
であっても、目の前の状況に感謝することは、
神様を認めること、神様の主権、支配を認めること
になる。

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐに
される」箴言3:6

「どこにおいても、主を認めよ」起こる出来事
すべてのことに、主を認めて感謝を献げて
行けるように!!

2009年02月07日(土)
  「神の思いは異なる」

神様のみこころが最善であること、頭でよくわかる。
しかし、自分の思いが強いと、神様のみこころを
間違うことを教えられる。

Aさん「子供の同級生が、学校に行けなくなって、
不登校になったんですよぉ。

とても良いお子さんで、何とか登校できるといい
なあと思って、学校に行けるようにと、ずっと
ずっと祈ってたんです。

ところが、学校を辞めるかもしれないと、なって
来て、残念で、残念で、どうしても一緒に卒業
して欲しいと。
何とかとどまれて、卒業まで導かれるよう、
祈りに祈り続けていたんです。

でも、途中で辞める事になり、残念で仕方なか
ったんですけど、祈ったことだしと思ってたんです。

すると、この間、そのお子さん転校されていて、
その学校で、喜んで登校できて、大学も決まった
と聞いて、良かったと、もう感謝で、感謝で。

そこの学校は合ったんでしょうねえ。
自分の思いでは、卒業まで何とか一緒にと、
その思いしか無かったんですが、転校して
そこがとてもフィットして、生き生きと通学
できた。

自分の思いと、神様の思いは違うんだなあと。
どうであれ、神様はいつも一番ふさわしい、
最善の道を用意していて下さると教えられます。

自分の思いと違っても、委ねていればいいん
だなあと。」

Bさん「子供の進路も、思いと全然違った。
途中で挫折して、なかなか本人も進路がつかめず、
自分自身も、思い煩いと不安のどつぼ。

でも、自分でも、もうどうにもならず、せっぱ
詰まって、どん底で神様に委ねる事ができた。

委ねた時に、全く思いと違う進路へ導かれた。
本当に自分の思いと神様の思いは違うと
教えられる。
これからも、どのようになっても、神様の
み思いとご計画があることを信じて歩み
たいと思わされた」

人間的には、「これが絶対良い!!最善!」との
思いがいつもあるが、そればしばしば神様の思い
と異なる。

自分の思いは、〜だけれど、もっと違う神様の
思いがあるかも知れないとの、スタンスに
いつも立っていたい。


2009年02月05日(木)
  「変えられる」

引き続き・・

Bさん「ある事の経済的必要があったんですが、
不足していて、とにかくお金がない。
でも、神様は、それは、わたしが与えると言われ
たんですよぉ。

今までも、ずっと与えられて、与えて下さるのは
わかるんだけど、その待つ間が、悶々状態に
なって、しんどくて、しんどくてたまらない。

そのしんどいのが嫌で、辛くて、自分で稼いで
しまおうと思うんですよぉ。
バイトしたら、得られますものねえ。

どうしてもその待つ間が、苦しいので、自分で
やります!」

しかし、「神様、嫌です」「待つ間がしんどい」
「自分でやりたい」「待ちたくない」・・
と祈っていると、心が変えられて来る。

そして、「やっぱり神様に従います!」
委ねて、自分の方法でなく、神様の方法に従う
ことにしたと(^^)/

「嫌だ、したくない、従いたくないと、神様
に言って行くと、それが、従うようになって
行くんですよねえ」(笑)

従いたくない気持ちを、自分で、何とか
しようとするのでなく、自分の気持ちを正直に、
そのまま神様に告げて行くと、不思議だけれど、
変えられて、従って行けるようになる。

自分で、何とかしようとすると、律法の泥沼
にどんどんはまって行き、ますます苦しく
なり、身動きがとれなくなる。

「できません」「したくありません」と祈って
いると、心が180度変えられるのが不思議だ。

そのままの気持ちを、ずうっと神様の御前に
打ち明け、打ち広げて行くと、変えられて
行く。

あるがままを愛し、受け止めていて下さる

2009年02月03日(火)
  「・・ありません」

霊と肉の学びをしていた。

肉は、自分のために生きる。自分の好きなよう
にしたい。自分の時間を奪われなくない、自分
のために時間を使いたい。労力も持ち物も、
自分の好きに使いたい。

しかし、新しい性質は、それでは虚しい。
喜びがない。神に従いたい、神に喜ばれる
ように時間を用い、自分自身を用い、持ち物
を使いたい。神の御心に歩みたい。

この二つが葛藤する。葛藤は正常だ。
それによって成長して行く、と。

Aさん「こうしたらいいな、神様に喜ばれるだ
ろうなと思うことがあって、でも、肉はしたく
ないんですよ。
助けて上げたらいいだろうな、という状況が
あって。

でも、肉は強情で、頑なで、嫌なんです。したく
ない。自分は本当に愛がない。自分には愛の
かけらもありませんと認めた。
そして、助けて下さいと祈った。

その時、別の事情が生じて、その事をしなくても
良くなった。心の葛藤が無くなった。

でもその時、この事をしなければ、自分は後悔
すると思え、自分の自由意志で、しようと思った。

強制されて、強いられて、嫌々でなく、自由意志
で選び取って、したいと思い、その事ができた。

そして、その事をして行くと、思いもかけない、
素晴らしい祝福が備えられていた。その中で、
渦中にある問題の指針が与えられたのだ。

お手伝いにも、主が働いておられるのがわかった。
どんどん環境が開かれて、助けられて、スムーズ
に導かれて、時間的にもピッタリにやり終える事
ができた。
すべてが備えられていて驚くばかりであった。

そして、すべてが終了した時、心に湧き上がる喜び
が来た。御霊の喜びだった。
御心を行わせて下さり、平安と素晴らしい喜びを
経験した。

「自分には、〜ありません」「自分には〜できま
せん」と言う時、神様が働かれ、真に主を経験する。

2009年02月01日(日)
  「雲の柱」

天に召されたAさんの思い出を辿っていた。
色々な交わりの思い出に、感謝が溢れる。

Aさんの引っ越しが決まった時、家を売りに
出された。
すぐに売れるだろうと思っていた、その家が
どういうわけか、1ヶ月たち、2ヶ月たち、
3ヶ月たっても売れず、家が処分できない限
りは、引っ越しもできず、身動き取れない状
態でおられた。

半年以上もたち、まだ売れずに、Aさんと
お話した時に「信仰が試されます、感謝です」
と言われた。

「すぐに売れるだろうと思っていたんですよ。
家に見に来られる方も色々あって、契約に
なりかけたりもするんですよ。

でも、何度も、途中まで行くのですが、
いざとなるとキャンセルになって、いやもう、
神様を感じ、神様を畏れます。

ほんとに神様のご計画と、御心があることを
教えられます。

祈りに祈らされて、神様の主権があり、雲の柱、
火の柱、神様の雲が動かない限り、事は成ら
ないんだと、神様を待ち望むことを、学ばされ
ました。」

やがて、かなり経た後に、神様の時に、見事に
解決を見た。

笑顔で、「いやもう、忍耐を学ばされました。
信仰とは待つことなんですねえ。

神様が動かれない限り、幾ら焦っても、心配
しても、事は動かないんだと、まあ教えられて
感謝でした。

神様のなさる事は、ほんとに素晴らしくて、
良い方に買って頂いたんですよ。
まあ、良い方で、家を手放すんですが、こんな
良い方に使って頂けるので、ほんとに嬉しいと
思えたんですよ。感謝でならないです」と。

Aさんの一言一言が、とても印象的だった。
懐かしく思い出す。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
伝道3:11

「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が
幕屋から上ったときに旅立った。

雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。
・・旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、
夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていた
からである」出エジプト40:36

止まるべき時、進むべき時、いつも雲に導かれて、
信仰人生を歩みたい。