2009年04月22日(水)
  「感謝〜平安」

Aさんが、最近忙しく、時間が無くて余裕が無い。
すると、心にも余裕が無くなり、イライラして、
あれが出来ていない、これも出来ていない・・
出来ていない事ばかりが思われ、更にイライラ
する。

その内、自分はダメだと、落ち込んで、自己嫌悪
に陥る。
心に平安も喜びもない。

そんな時、ふっといつもBさんが、感謝の生活を
祈っていた事が思われた。
感謝を数えることができるよう、祈って欲しいと。

その事が思われ、そうだ、「すべての事について
感謝しなさい」だと、「あれも、これも出来ていない
事を感謝します」と祈り始めた。

すると不思議な事が起きて、あれが出来た、これ
も出来たと、それまで出来ていない事ばかり思っ
てイライラしていたのに、出来ている事を数えて
感謝している自分を発見。

心が平安になり、喜びが来て、自分が変えられ
たのがわかった。
「すべての事について感謝しなさい」すべての事を
感謝することの恵みを経験させられた。

良いこと、ハピーな事を感謝するのでなく、悪い事
負の事も、すべて感謝して行く時、自分の内側が
変えられる。

状況は全く同じなのに、心が変えられて、平安と
喜びが来る。

いろんな人が同じ事を証しする。

リストラになった方が、貯えもなく、仕事を探すが
全く無い。探せど、探せど、無い。
不安と、思い煩いと恐れで、一杯になるが、
「すべての事を」感謝せよと、神が言われるので、

「仕事が無い事を感謝します」と感謝して行くと、
仕事は無く、状況は変わらないのに、心が変わり、
平安になったと。
恐れと不安と思い煩いが、何も無くなった。
全く消えたと。

何も無い中、感謝し続けていると、あちこちから
食料が来て、支えられ、その内、仕事が与えられた。

全く同じ状況なのに、感謝して行くと、心に平安
が来る。

まるで神様は、私たちをどんな状況の中でも、
全き平安に守って下さりたいがために、感謝せよ、
と言っておられるように思えてしまう。(^^)










2009年04月18日(土)
  「御言葉によって生きる」

日々大変な中で勤務しているAさん。

仕事の内容や、また、対人関係で、時に
失敗し、ミスをしてしまう。

上司から厳しく叱られる。叱られた時は心
が痛く、ひどく落ち込んでしまう。

が・・、しかし、

帰宅すると、いつも御言葉に向かう。
祈りながら、御言葉を聞こうと、心を静めて
神様に向かうと、御声が聞こえて来る。

御言葉が語られる。慰めや励ましや、
反省や、矯正や、悔い改めを導かれる。

御霊の導きのままに、失敗を悔い改め、
祈っていると、心がすう〜と平安になる。

痛くて、辛くて、悶々の心が、その痛みが
消えてしまって、安堵と平安に満たされる。
御言葉の力を日毎に経験させられている。

御言葉は、霊であり、力であり、いのちだ。
御言葉によって、生きることができる。

同僚は、上司に一度叱られると、ひどく落ち込
んで、言葉が痛く突き刺さり、1週間は痛いと言う。

しかし、自分は、御言葉により痛みが消えてしまう。
先日も、非常に厳しくきつく叱られ、心が痛かったが、
帰って祈っていると、神が、これは訓練だと言われた。

自分の足らない所を神が足し、出っ張っている所を
砕いて下さる。神が練りきよめて下さっている。

自分の不足分を気づかせるために、厳しい上司を
置かれたと教えられたと。
その時、神に感謝できて、相手にも感謝できて、
悪く思うことから、守られると。

そして、しばらくして、上司が言い過ぎた、と言って
来てくれた時、一瞬、どの事か全く思い出せなかった。

自分の内で、神様から語られ、解決着いていたゆえに。

御言葉に日々向き合う時、その日の出来事の
意味や、神様が意図されている事がわかり、
教えられ、心が平安にされてしまう。

ほんとに、すべての道で、主を認めて行く時、
主が道をまっすぐにして導いて下さることを
経験する。

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐに
される」箴言3:6

「わたしがあなたがたに話したことがは、
霊であり、またいのちです」ヨハネ6:63

2009年04月14日(火)
  「心癒される」

この日曜も、余命幾日がとっくに過ぎた
Aさんが礼拝に来て下さった。

先週の診察では、何と腫瘍の大きさの数値
が下がってるんですよと、大笑いされた。

転移は全く見られず、痛み止めの量も増え、大変
な劇薬なのに、ご飯が美味しいと。

神様のもとに帰る以前は、劇薬飲んでいた時、
全然食事が美味しくなく、もうただ栄養補給の
ために押し込んでいましたと。
奇跡ですと。

神様に帰って以来、まず食事が美味しくて、
食べられるようになり、力がついて来てと。

「いつまで生きるんでしょうねえ?」と聞くと、
医者もわからず「その日、その日を」と言ったと、
「DAY BY DAY」で、うわっ聖書的だと!(^^)/

ご主人が「少しは動く方が良いのか、全く安静に
してる方が良いのか」と質問すると、
「マラソンはできませんが」と。(笑)

「心が安らかで嬉しくて、こうやって教会に来れ
るのが嬉しいです、皆にお会いできるのが
嬉しいです」と優しい、柔和な笑顔で。

集会後、お茶の時間を持ち、語らう。
もう笑い声で、楽しそうにされ「今日明日死ぬ
人に見えないでしょ」と笑われる。

余命の期限がとっくに過ぎ、今生かされている
のは神様の御手であり、神様のプレゼントだと。
不安も恐れも煩いも何もなく、ただ平安でと。

Aさんから癒しが流れ出て、その場が癒される。
安らかで、暖かくて、安堵感、楽しさ、喜び・・、
でその場に神様を感じる。

心癒され、恵まれ、ほんとに神様に触れる。

人生の最期に、こんなに神様の栄光を現して
おられて、ただただすごい。

夫Bさんが「many pray many time」 と、毎日
毎日、祈って、祈って、祈り続けて来たし、今も
祈っていると。

多くの人々が祈ってくれている祈りの答えだと。

ほんとにすごいみわざ、奇跡!!

2009年04月12日(日)
  「大きな喜びが与えられた」

長男夫妻が、出産を控えていた。
早朝にメールが届き、「昨夜から陣痛が来ている
ので、病院へ行く。今日、出産になると思う」と。

丁度、その日、婦人の学び会。最中に電話が
入り、「生まれたか!」と思いきや、病院に着くと、
陣痛が止まってしまい、今から一旦帰宅すると。

皆も、すわ誕生か!に、「ああ、そうなんだ」と、
一瞬、緊張緩み〜、ほっと笑顔。

「え?片道40キロ、1時間、今から帰って大丈夫
なん?」?? 皆も、同じことを考える。

一番近い産院が40キロ先。カンボジアじゃ、と
思うが、いやいや病院があるだけで有難い!!
感謝、感謝!!

又、学びの途中で、電話が入る。
帰らず、その辺で買い物し、様子見てたら、陣痛
が来た。病院に戻ると、今から出産になると。

丁度、皆で祈り始める時で、ジャストタイミング。
無事出産を祈る。

学び会終了後、電話が入り、無事生まれた!
母子共に守られているとのこと。
皆にも、一緒に喜んでもらえ、学び会同時進行の、
祝福の誕生であった。

カンボジア宣教支援して下さっている、日本中あち
こちの方々に祈られ、本当に祈りに、感謝で一杯だ。

新しい命の誕生は、もろに神様のみわざ、
ひときわ感動を覚え、心恵まれる。

祝福の余韻に、何か、今までの多くの婦人方の
一人一人の喜びの出産が思い出された。

あの時、この時・・誕生した可愛い赤ちゃん・・、
心がほっこり、あったかくなる。

特別な出産が、幾つかあった。
教会に来始めた時に、おめでたがわかったAさん。
未婚の妊娠だった。

思い悩みに、悩んだ中、皆に話してくれ、皆は「命は
神様からのもの。皆でサポートするから、皆で産もう」
と、愛をもって受け止め、祈りに祈り、サポートして
くれた。
出産時も、近くの婦人が上の子供を預かってくれ、
無事出産まで導かれた。神の奇跡を見せられた。

Bさんは、経済的に極度に大変な中、妊娠がわかった。
出産費用など不可能、養育も無理と、泣いた。
大きな喜びと幸せの妊娠が、不安と煩いで、心が真
っ暗だった。
新しい命を、喜べない事も辛くて、大泣きに泣いた。
皆で、祈りに祈っていると、神様の奇跡が来た!

全く面識のない遠方のクリスチャンの方が、Bさん
のために、出産費用全額を献げたいと。Bさんは、
大泣きに泣いた。今度は恵みの涙で。


先日、カンボジア報告させて頂いた、アメリカ人教会。

この日曜「ベイビーは?」に、無事生まれた事を
伝えると、「おおー!!」「おめでとう!!」と、
宣教師ご夫妻をはじめ、そこにいた人々が大喜びして、
祝福して下さった(^^)/

神様の祝福、主に在る兄弟姉妹の祝福、に心が温め
られ、恵まれた。

「喜ぶ者といっしょに喜び・・」ローマ12:15

祈って下さった方々、感謝しますm(_ _)m


2009年04月11日(土)
  「二つの声」

サタンの学びをしていた。

Aさん「サタンて、すごいですね。祈りと
御言葉を取って行くんですね。

私、ゆったりと時間は毎日十分あるのに、聖書
読めなくて。夜になって、1日終わる。

朝、声がはっきり聞こえる。
デボーションをと思う、反対側から声が聞こ
えて来て、
「とにかく、洗濯機回しておこう」「朝食のテーブル
片づけよう」「ついでに掃除機かけてしまえば
すっきりする」次々と明確な指図が来る(笑)

「あ、洗濯機止まった。干さなくちゃ」
「わあ、気持ちの良い天気、先に買い物
に出かけよう」・・
「で、その声を次々聞いて行くと、時間が
いっぱいあるのに、聖書が全然読めない。」

Bさん「わかる!一緒。声がはっきりと
聞こえて来るんよね。何かすごい的確に次々と
指示が来るんよね(笑)」

「今朝、集会に来る前に、あら、庭が・・
手入れしないと、と声が聞こえて。

庭の手入れを始めたんですよぉ。
え!今日、集会に行くのに、今、
何で、庭の手入れをせにゃあならん(笑)

何で、こんな事しとるんじゃろと、止めた。
帰ってからすればよいことじゃ。」

「サタンですよねえ!」

Cさん「ほんと!そう!はっきりと声が聞こえて
来て、その言う通りにしていると、次、次、次と、
きっちりするべき事を言って来て、その通りに
してると、デボーションが全然持てない」

A、Bさん「やっぱり聖書読むと、示され、
語られ、感謝です。
サタンは、よほど祈りと御言葉を取って
しまいたいんですねえ」

「沢山しないといけない事が控えてて、
祈ってる場合じゃない、早くしなくちゃとの、
声が聞こえて来る」

「デボーション、やっぱり朝がいいですね。
朝しなかったら、1日がダアッ〜と流れて
ほんとに流されてしまう。

昨日も、やっと夜に聖書読めて、すると全然
違う。読むと語られて、すごく恵まれる。
心に喜びが来る」

神様に心を向けると、神様からの御声が
さやかに聞こえて来る。






2009年04月09日(木)
  「一番大切なもの」

皆が、前述した癌で余命幾ばくのAさんの
ために祈って下さっていて感謝。

先日、会いに行った娘が、「何て優しいお顔されて、
平安の中におられるんだろう。そのものがすごい
証しをされてるね。こちらでも皆で祈ってるよ」と。

本当に優しい、柔和な、安らかなお顔をされている。

「ずっと余命○日〃だったので、余命とっくに過ぎて
しまって、医師が、『何で死なないんだろう』と、
キョトン?!としていて、可笑しいんですよぉ」

と言って笑われ、大笑いしたが、ここで、大笑い
できるという事が、すごい!ミラクル!
天国での再会の希望と喜びを知っているから。

「何の恐れも無くて、まあ不思議で、不思議で」と。

「食事がまあ美味しくて、量は少ないですが、食欲
あって、食べられるんですよ」に、

遠方のBさん「劇薬の痛み止めを飲んでおられる
のに、ご飯が美味しく感じられるなんて!奇跡です」

「この病気は・・神の栄光のためのものです。
神の子がそれによって栄光を受けるためです」
ですね、と。

余命を通り越して、いつどうなっても、おかしく
ないAさん。

「もう死ぬので、持ち物も整理しましてねえ」
と、所有物もすべて手放したと。

今から、天に帰ろうとしておられるAさん。
死に向き合っておられる。

死を前にしておられる、Aさんを前に、Aさんと
お話していて、
何か厳粛に、「生きる」ということを考えさせられる。
何が一番大切なのか。

所有物を、「物」をすべて手放して、身体の命
も終えようとしておられる。

そんなまっただ中で、

恐れを取り去り、全き平安を与え、気力を与え、
天国への希望を与えて下さる・・神様。

一番大切なものは、神様だけと、目の前に
見せられる。



2009年04月07日(火)
  「桜の季節」

桜が素晴らしく満開だ。

新学期で、教会も進学、就職と新しい歩みが
始まる方々がおられる。
お一人お一人に豊かな祝福がありますように。

子供の幼稚園〜大学と、どの入学式にも、
桜が満開で、素晴らしく綺麗で見とれるようだった。

満開の桜と共に、あの時の、この事の、入学式
が脳裏によみがえる。心にくっきりと、見事な桜が
刻まれている。

次男が隣県へ就職で旅立った朝、桜が綺麗だった。
まだ早い朝は、少し膚寒く、ベランダから車を見送った。

神様が、難関の門を開いて下さり、本人の大好きな道、
一番したかった念願の仕事であり、夢が叶って、飛び
立とうとしていた。
大きな喜びの、祝福の朝であった。しかし、朝のひんやり
した空気の中で、寂しさに、心で涙が出た。

からっぽになった息子の部屋、その窓から外を見ると、
土手に、見事な桜が見えた。しんしんとした心に、その
綺麗な桜は、神様からの慰めと癒しであった。

今年も桜が咲いた。
息子が行って、4回目の桜が見事に花開いている。

集う教会も備えられ、大忙しの中で、好きな仕事に邁進
できていて、神様の豊かな守りと祝福に、ただただ感謝。


★長男がカンボジア宣教に単身出発したのも、やはり
桜の季節。2年前の丁度今頃、福岡空港に見送った。

生まれたばかりの孫に会いに、そのまま南へ。
途上は満開の桜、桜、桜・・。

長男は、第2子誕生を見るや、その足で、即、福岡へ
向かい、渡航となった。

上の子は、3才になるところ。まだよくは理解できず、
お父さんは突然いなくなるは、赤ちゃんは生まれて来
るは、でパニックだった。

情緒不安定で、表情暗く、不憫だった。
辛く、心痛むが、どうにもできず、神様に委ねるばかり。
周囲から溢れる愛情が注がれ、感謝で、ただただ祈る
ばかりだった。

痛む心に、しみ入るように、桜が綺麗だった・・。

孫にとって大きな試練だった、あれから2年・・。
神様は素晴らしく、思いを越えて良くして下さった。

2年前の9月に、母子もカンボジアへ渡り、家族での
生活が始まった。

孫はカンボジアで、生き生きしていた。カンボジア語の
勉強を楽しみ、電気水道トイレの無い、地方の集会に、
毎週、お父さんについて行き、外に出るのが楽しそう。
とても逞しく育って行った。

未知の地、カンボジアに立った、2年前を思い出す。

丁度、時ピッタリに、帰国する宣教師さんが、住居、家財
いっさいを、安く譲って下さった。
そのまま、そこに住まわせて頂いている。何という恵み!
一歩、御心に歩み出すと、すべてがすでに備えられていた。

住まいとすべての家具の必要備えられ、真実に「主の山の
上に備えあり」であった。

昨年クリスマスには、現地で知り合った11名の未信者
の方々が自宅クリスマス会に来て下さり、福音を聞いて
下さった。

毎週の戸別訪問、地方の集会へと、働きの門が開かれ、
カンボジア語で、子供集会でお話をするようにされている。

そして、将来への働きの方向性も示されている。
この2年・・
神様は、何と多くの事をして下さり、豊かに祝福して
下さったことだろう。

この桜の季節、長男も一時帰国し、第3子の誕生を
迎えようとしている。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

あなたの一生を良いもので満たされる。」
詩編103:1

「・・私たちの願うところ、思うところのすべてを
越えて豊かに施すことのできる方」
エペソ3:20

2009年04月05日(日)
  「祈りの力」

癌で、延命治療の期間も過ぎ、いつどうなっても
おかしくない Aさん、寝て体力温存して、教会へ
来て下さっている。

ミラクル!奇跡!!だ。

医師に「私、いつまで生きるんでしょうねえ?」と
聞くと「どうなんでしょうねえ??」と医師の答え。

「こっちが『どうなんでしょうねえ?』ですよねえ」と。
大笑い。
今日か明日かの命なのに、大笑いができる。
ミラクル!だ。

「全然不安も恐れも無いんです」とAさん。
「まあ、不思議の中にどっぽり入れられている
感じで、神様なんですねえ。もう安らかで、安らかで。
心配も全く何も無いんですよ。

食事も美味しいんですよ。今日か明日かというのに
食べられて、元気になって来てしまって。
上半身半分癌があるんですよ。何とも不思議です。」
とニコニコ笑顔。

何かもう、Aさんを通して、神様の栄光が輝いてる!!

何だかほんとにお元気で、集会後も長時間話して
下さる。夫Bさんが、そろそろ帰ろうかと促されるほど。

「突然、余命1ヶ月の宣告を受けて、その時はもう
青天のへきれきで、もう、涙が出て涙が出て、涙が溢
れ出るばかりでした。

事態は極めて深刻で、死の恐怖、癌の恐怖、痛みへ
の恐怖と、もう精神的に追い詰められました。

本当に絶体絶命、断崖絶壁でした。それより、何より
明日、生きて目が覚めるのかが、それが実際問題で、
現実で、寝る前に、夫に言い残した事は、何かないか
といつもそれでした。

もう恐くて、恐くて、このまま寝て、翌朝は死んでいる
のではと。

『明日、目が開きますように』が、これが切実な思い
でした。
生まれて初めて、クリスチャンである夫の神様に祈
ろうと思ったんです。そして、毎晩、「神様」と祈り
ました。そして、翌朝、ちゃんと目覚めて「神様、
有難うございます。目が開きましたと、そんな毎日
が始まったんです」

Aさんは、40年来の熱心な熱心な○教信者さん。
ずっと信心し、拝んで来られた。

「その時、何で、その○教でなくて、夫さんの神様
だったんですか?」

Aさん「○教は全然頭に無かったです。人間ギリギリの
限界に来た時、頼りにならないとわかってるんですね。

それで、夫のあちこちの知り合いのクリスチャン方が
祈って下さってたんです。
あっちでも、こっちでも、遠方のあちこちでも、数え
きれないほどの方々が。

夫はベース勤務なので、転勤でアメリカへ帰った
多くの方々が、行った先の、それぞれの教会で
祈ってるからと。

日本人の教会でもあちこち祈って下さってて。
だから、だったと思います」

ああ、クリスチャンの真実と愛に、Aさんは心動かされ
られたんだ。

夫と私が病院に、Aさんを訪問した時、はっきりと
イエス様を受け入れられた。

結果的に見たら、その後、どんどん食欲が出て、
癌はそのままだが、点滴でなく、食物が入るので
身体に力が出て来られた。
「まあ、あれから、食事が美味しいんですよ」
神様のみわざ。ミラクル。

「それでね、毎回診察の度に、検査結果と余命○○
日との書類を貰うんですよ」

「それをしばらく貰ってる内に、何だか死なないから、
医師もキョトンで、あれ?! で、もうその余命○○
の紙をくれなくなりました」(笑)

余命1ヶ月で入院した時、すぐに夫の教会のアメリカ人
宣教師が来てくれて、『人の寿命を決めるのは医師では
なく、神です』と言われた。

その時は、全く意味がわからなかったが、本当にそうだ
と実感します。その内、もう退院を言い渡されて、
医師も、??ハテナ、ハテナ?なんですよ(笑)

医学を越えた、理屈を越えた中に、今、現にいます。
人の命は神に握られていると、真に実感します。」

「もういつどうなっても、天国へ行けること、夫とまた
会えること、皆さんともお会いできること、本当に
感謝でなりません。有難く、嬉しいです」

本当に、今日か明日かの命というAさんが、
生き生きとしておられ、満面の笑みで、輝いておられる。
ミラクル。

神様はすごいとしか言いようがない。

夫Bさんが、もう祈って祈って祈って祈られた。
あちこちの大勢のクリスチャンが祈って下さってる。

その「祈りの力」を見せられた。

2009年04月03日(金)
  「イエス様を着る」

Aさんの仕事は、人のお世話をする仕事だ。
日々大変な体力が要り、神経すり減らし、
その場、その場を、知恵と的確な判断力を
持って対応しなければならない。

繰り返しが要求され、非常な忍耐の要る
仕事だ。
心身共に、ハードで、聞いているだけで、
うわあ〜、何と大変な〜〜、言葉無いほど。

聞いていて皆で「うわあ、私には出来んわ。
絶対できん。Aさんすごいわ」

しかし、そのAさん、生き生きと仕事ができる。
神様だ!と。神様がさせて下さっていると。
確かにAさんの賜物で、その賜物が豊かに
用いられている。

ものすごく大変でストレスやプレッシャーに
押し潰されそうになるけれど、次の朝、「さあ
行こう!!」と気力新たに出れるんですよぉ、と。
一度も、行きたくないと思ったことはない。
自分でも不思議で、本当に神様を感じると。

そのAさん、職場まで自転車通勤。
自転車で数十分の間、自転車をこぎながら、
ひたすら祈りに祈り続けて、職場に到着と。

その祈っている時に、イエス様を自分が着て
行くのがわかると。
イエス様をしっかり身につけて、職場到着と。

そして、職場では、いっさい自分に頼れない
から、自分には出来ないから、一瞬一瞬、主に
拠りすがり、すがりきってると。
だから、出来るんですよねえと。ほんとにイエス様
で、イエス様がして下さっていると。
とにかく頼りきって、すがりきっていると。

これなんだよねえ。信仰とは、拠りすがること。

Aさん「そうなんですよ!ところがね!
仕事終わって、帰宅すると、もうほお〜〜、何も
考えられず、何もできず、消耗しきって、もう魂
抜けた状態。

家に帰ったと同時に、もう終わったと、イエス様も
脱いでるんですよね(大笑)
だから、一番肝心な家族への証しができてない
んですよぉ(笑)
家族に甘えてしまって、手抜きだし、もう証しどころ
ではない」

Gさん「すごいわかる!一緒だ!私も仕事はすごい
神様に頼るから、すがるから、すごく助けられて導
かれて。
でも、さあ、仕事済んだ〜!!と安堵で、ほうっと
して、帰宅途上で全部イエス様脱いで、帰宅するや
もう甘えとわがままが出て、結局家族が被害を被る」(笑)

「イエス様を着たまま、帰って、着たまま、後の時間も
家事や家族と接することをすりゃあええんですよねえ」

「家族への証しが一番大事ですよねえ」

でも、人は自分に出来ないところで、イエス様に
真剣に、本気で、必死に、拠りすがる。
だから、神様が働くことができて、神様の栄光が
現れる。

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるから
である」Uコリント12:9

Aさんが祈りに祈り、拠りすがりながら自転車をこぎ、
イエス様を着て行くさまが、とても印象的で恵まれた。


2009年04月01日(水)
  「天国人」

2年振りに、長男A、カンボジアから一時帰国。

広島に着くや、駅の横に、カープ新球場が突然ドカンと
出来上がっている。
行く時には、姿、形も無かった高速道路が出来上がり
つつある。
近辺、再開発で、家はすべて消えていて、道無き所に
道ができ、立派な道路が通っている。

不在の間に、着々と変化を遂げ、2年で、もう浦島さんだ。

近辺にいても、少し間があくと、ある日突然、立派な
道路が姿を現わし、「え!」なので、2年は大きいかも。

自分がいない間に、日本もどんどん変わり、すっぽり取り
残されて、時間が経過している。

カンボジアでは、外国人。帰国して「ほお〜」と気が抜け
るようとの事、現地では、常に無意識に緊張がある
んだろうな。

帰国すると、取り残されており、現地ではずっと外国人。
自分はいったい何人??「天国人」!!

先日Fさんも、もうアメリカ住まいの方が長く、子供も
現地で結婚しているし、色々考え抜いた結果、現地の国籍
を取った。だから、日本へ帰る時、今まではスルーだった
のが、指紋と顔写真を撮られると。

習慣、考え方は全く、全然違う。自分の根に培われたものは
紛れもなく日本人。でも、こちらでの生活の方が長くなった
分、影響を確かに受けている。どちらでも無い自分は、誰
なんだろうと思う・・。

★末娘と教会のBさんが、つい先月一緒にカンボジアへ
行ったので、電気、水道、トイレの無いタケオ集会の
話題で盛り上がる。

もう50数年アメリカ在住のCさん、スカイプで時々
交わる。カンボジアの地方は、電気も水道もなくて
病院などとんでもなくて、住まいは藁やトタンの屋根で、
高床式住居で、と話していると、

もうびっくり仰天されて、スカイプの向こうから
「えー!ええっー!!」「アメリカの、こんなに何もかも
揃って、豊かなで、便利で、快適な所にいると、
何だか創造もつかないですねえ。ええーっ!!」と。

Cさんからメールが。
「昔歌で テレビもねえ、 車もねえ、 俺、こんな田舎  
イーヤだ つて、あつたけど、ほんとに、今でも
水もねえ、 電気もねえ、 学校もねえ、医者もいねえ、 
つて所に人が住んでいる。

その人々に祝福のみことばを、主の愛を伝えるための
お働き、感謝です。祈つてます。」

続Cさんメール。
「電気のない所には、神の光をたずさえて、水の無い所
には、永遠の命の水を届ける。
教育の無い場には、神の智恵が与えられ、医者のいない
所でも、私たちを造られた主がおられる。 

この素晴らしい主の恵みを伝えるために、選ばれた器
なる、A宣教師、主の守りと祝福が豊かにあります
ようにお祈りしてます。」

皆のお祈りが本当に感謝で、祈りが支えであり力だ。

★教会の人々が「送って貰って一番嬉しかったものは?」
に、「日本食」。やっばり!!

現地でも幾つかは売っているが、バカ高くて、手が出ない。

教会や対外の方々から、送られて来る日本食が、大きな
慰めだったと。

現地で日本人の働き人の方々に「日本食があるから、
食べに来ませんか」と声をかけると、「いいねえ」と。

皆の心のこもった日本食の贈り物を本当に感謝。
お祈りを心から感謝m(_ _)m