2009年09月20日(日) 「叫んだ」
Aさんに厳しい試練が臨んだ。 苦しくて、しんどくて、パニックで、「神様、何で!何で! どうして?」がしばらく続いた。 どうしても、試練のしんどさに、飲み込まれてしまう。 「神様の愛がわからない」「神様に従ってるのに、何で?」 「自分だけ苦しくて、他の人は幸せそう」 「何で、自分にばかり苦しみが来るのか」 状況に反応してしまい、ますます暗闇に入ってしまう。 神様視点か、状況視点で、明暗が分かれてしまう。 「じゃあ、神様の愛がわかるように祈ろう」 神様の愛がわかりますようにと、心底からの願いを 叫び祈った。 その日から、何かが変わった。 状況に、奇跡的な動きがあり、人間わざではない 変化が起きた。真に神わざを、神様の働きを見た。 少しづつ、心も落ち着いて、見方が変わって来た。 Aさんの口から「神様の計画があるのかなと、思える」 不思議な事に、この試練を通して、別の困難、問題の 糸口が開かれて行った。 「この試練でなければ、別の問題の解決が無かった のかなと思える」 匙加減ピッタリに、これでなければ、他のどんな事柄 でもダメだっていうことがわかる。 一番大きく変わったのは、自分の見方。 何を見ても、「何で!何で!私だけ」とネガティブにしか 捕らえられなかったのが、 「計画がある」「良くして下さる」「信じて行こう」と 思える。心に希望がある。 これは奇跡。 心から叫び祈った祈りを、やっぱり神様は受け止めて 下さった!!いつも心からの叫びを受け止めて下さる お方だ。祈りが聞かれたことが、嬉しい。 「見方」「視点」で、何もかもが、天地ほど変わる。
2009年09月17日(木) 「万事益」
神様は必ず良くして下さること、「ご計画」があり 「万事益」にして下さることを励まされた。 Aさん、学校時代、部活で上下、又、横の 対人関係が非常に厳しかった。 上も、横も、難しく、ドロドロで悩みに悩んだ。 苦しい中、神様にずっと祈っていた。 しかし、関係は悪化するばかりで、それぞれが 陰口を言い合い、巻き込まれて、悪口を言って しまう自分が悲しくてたまらなかった。 丁度そんな中、バイブルキャンプに参加して、 神様のご愛をもう一度確認できた。そして、 御言葉から語られ、こんな自分が周囲の人々 のために用いられるならと、自分自身をお献げ した。 すると、心が変えられて、重く、苦しいばかり だった心に、感謝が生まれて、「すべての事に ついて感謝しなさい」の通り、不思議に今の苦しい 環境を感謝できた。聖霊様のみわざだった。 そして、神様は本当に祈りに答えて、素晴 らしい結末を与えて下さった。 部活引退の時、部員達と関係回復させ、和解 させ、良い関係にして下さった。 神様のみわざに驚き、すべての事が「ご計画」で あったことを知った。 更に次なる試練が臨み、クラスの友達との関係 が難しくなった。学校へ行っても、一人で過ごし、 悲しくて、辛くて、神様に叫び続けた。 暗い長いトンネルで、全然出口が見えなかった。 そんな時、ローマ8:28の御言葉が心に迫り来て、 響いた。「万事益」目に見えるところを見ると、 これがどうやって??そんな事あるはずがない。 しかし、前回の事があったので、なぜか信じられた。 そして、感謝を数え始めた。命が与えられていること、 手足が動き、元気でいること、一つ一つを感謝して 行くと、今までいかに当然にしか思っていなかった かに気づかされた。 そんな中、神様が道を開き、逃れの道を与えて 下さった。別の友人が与えられ、神様だ!!と 心から感謝した。 そして、最後の最後に、難しかった対人関係の 回復、和解をまた、実現させて下さった。 これらが神様が与えられた試練であったこと、 自分の改善すべき点も示され、また、環境や状況 でなく、神様に目を向けること、御言葉を信じて 生きること、様々なことが教えられた。 どんな時も共にいて下さること、最善しかされないこと、 信じていたいと。神様への感謝でいっぱいだと。 その渦中では、「これがいったいどうなる??」 糸が絡み合った、ただただ混乱状態、刺繍の裏状態だが、 必ず感謝な結末へと導かれる。最善をされる。 時間はかかることをふまえて、信じていたいなあと思う。
2009年09月15日(火) 「耐えられない試練はない」
Aさんに、突如の試練が臨んだ。 自分の力で、どうにも出来ない事だけに パニックだ。 自分の容量オーバーだけに、なすすべが無い。 もうどうしていいかわからず、先を考えると 真っ暗で、何も、どうにも出来ない。 電話で、泣きながら、状況を話してくれた。 一応話すと、少し落ち着いて、 「私、感情が無くなってた。もう呆然で、 言われるがまま、聞き、動き、何の感情も 無かった。 今、感情が戻って来て感謝。こうやって泣ける。 ずっと試練続きで、少し良い方に向かい、 ああ、忍耐して良かった、落ち着かせて 下ったと思っていた矢先に、また大きな試練で」 と涙が。 「人も皆、大なり小なり悩みがあるのはわかる のに、つい、他の人は皆幸せに見えてしまう。 みんな幸せでいいなあ。 私だけ、何で、と思ってしまう。でも、それは 違うこともわかるんです」 「あなたがたの会った試練はみな人の 知らないようなものではありません。 神は真実な方ですから、あなたがたを 耐えることのできないような試練に会わせる ようなことはなさいません。 むしろ、耐えることのできるように、試練と ともに、脱出の道も備えてくださいます」 Tコリント10:13 皆が言う。試練の時は、他の人が幸せそうに 見えて、一人私だけ不幸という誘惑が強く来ると。 でも「人の知らないようなものではありません」と、 主が言われる。 耐えられない試練は無く、逃れの道も備えられている。 御言葉は大きな力がある。 Aさん「不安が張り裂けそうでしたが、思い直しました。 たとえノックダウンされてもノックアウトはないんだ。 伴走は神様だと」「神様見上げて、信じて行きます!!」 「ご計画がある」「私のために最善をされている」 「益となる」「独り子をたもうほどに愛されている」 この事をどんな時にも信じていたい。
2009年09月11日(金) 「最善をして下さる」
ずっと以前に婦人会に来て下さったAさん。 初対面だったが、悩みと苦しみが余りにも 大きく、心を打ち広げて、涙しながら話して 下さった。 皆も真剣にお聞きした。 丁度育児の学びの時で、無条件で子供を 受け入れて行くこと、して行きたいですと 涙を拭きながら語られた。 女手一つで、二人のお子さんを育てておら れる。複数の仕事を掛け持ちで、寝る時間 もなく、深夜や未明に次の仕事に向かわれ る。 丁度、思春期の子供たち、どこでも親に 反抗的になるものだ。子供は、そうやって 模索し、あがきながら自立して行く。 一人でそれを受け止められながら、身を粉 にして働かれながら、子供を愛して行かれた。 お身体も限界オーバーではないのか。 皆も心配する。 Bさんが重荷を持ち、時々訪問しては励まし Bさんを通して、様子を知り、皆も祈り続ける ことができた。 お忙しい時間を何とか見つけては、Bさん宅での 家庭集会に来て、御言葉に真剣に耳を傾けて 下さっていた。 少し好展開になったかと思うと、又、壁に突き 当たり、それが又、良い状況になったかと思うと、 又、悩みと問題が起きる。 紆余曲折の中、初来会から長い日々が経過し、 この度、喜びの結末を迎えた。 子供たちも自ら模索しつつ、将来の進路が定まり、 嵐や暑さや寒さや困難の、長い航海が終わり、 船が港に着いた。 ♪「いと静けき港に着き、我は今 安ろう♪」 Aさんは喜びの中におられる。 そして、私たちも喜び、何より主の素晴らしさ に心から感謝した。 神様のみわざを見せられた。 これらの紆余曲折の「時」が必要であった。 そして、すでに、その渦中も、神様はこの麗しい 結末を用意して下さっていた。 そうであれば、今、全く先が見えない困難な 事態、真っ暗闇の嵐の中であっても、 すでに、先には素晴らしい結末が、解決が備えられて いるのだから、信仰によって、信じて歩みたい。 思い煩い、不安、恐れが来る時、この事に、 最善の結末がある!すでに備えられている! 神様は良くして下さる。最善以下はされない。 信じていたい。 Aさんに、大きく励まされた。
2009年09月08日(火) 「続・変えられた」
Dさん「自分は生まれつきの性質が、ネガティブに ネガティブに考えてしまうタイプだ。 悪い方に、悲観的な方に、どんどん膨らませ、 最悪のシナリオが出来上がる。 そんな最悪な結果、起きたためしが一度も無いのに。 でも、いつもシナリオを最後の結果まで描く(笑) そして、落ち込む。まだ、何一つ起きていないのに(笑) その価値観が自分のネックであり、弱さだと 神様から教えられ、祈っていると、ネガティブに行く 時、気づけるようになった。 以前は全く気づくこともなかった。最後まで行って 落ち込みに落ち込む。 立ち止まることができて、これが肉!と、もう一人の 自分が見れるようになった。気づける事が何よりも 本当に感謝だ。」 Fさん「ものすごく自分の力が強かった。以前は、 物事が自分の思い通りにならないと、何とか自分 の力で、思い通りの方向へねじ曲げてでも、しよ うとしていた。 何とかしようとするから、そこに怒り、腹立ち、イライラ、 焦り、煩いが出て来る。自分の肩にかかるから、 自分が何とかしなければならない。すべてが自分 の力になる。 だいたい思い通りにならないから、いつもイライラ している事になる。これが自我だと示される。 「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ」箴言3:6 すべての事に、日常生活に起きる何もかもに、主の主権 を認める事を教えられ、目の前の阻止や妨げ、思うよう にならない事態、すべてに主の主権を認める事をし出す と、イライラしなくなった。 平安におれるようになった。自分でどうにかしようとも 思わなくなった。主がそのようにしておられるのであり、 ご計画と御心があることを認められるようになった。 以前と全然違って、心が委ねることができて平安だ。 主がされようと思われれば、どうにでもされると思うと、 自分の力で進むのでなく、主を信頼していればよい ので、いつも心安らかだ。そしてどうであれ、最善を して下さることが信じれる。 神の主権を認めた時、自分が根底から変えられた。 平安で本当に感謝だ。」
2009年09月06日(日) 「変えられている」
交わりで、変えられた事を語り合った。 Aさん「イエス様を信じる以前、凄い心配症だった。」 「そうそう!子供さんの進路に思い煩って、心配に 心配して、教会に飛び込んで来た事があったよね!(笑)」 「ええ!!もうすごい思い煩い症だった。どおっと不安 が襲って来る感じで、飲み込まれてしまう感じ。 それが今、本当に変えられた!以前の恐怖のような 不安が無くなって、日常生活で様々な出来事がやって 来るんですが、祈ることができるし、イエス様が絶対に 良くして下さるから、大丈夫と思える。 不安は来るが、底の部分が全く違う。神様が何とか して下さると思える。心に平安下さってるし、すごい 変化です。こんな事、自分でどうしようも無かったん ですものね」 Bさん「罪というのが、わからなかった。妬みや 人を悪く思う思いが、心の底に潜んでいたが、 それを全く罪と思わない。 潜んでいる事すら気づかない。ある事もわか らない。聖書を学んで、御言葉を学んでいると、 御言葉が鏡のように、自分の心を照らし、「え? え!」という感じで、自分の心が映し出される。 妬み、そねみ、裁き、偏見、見下し、高ぶり・・ 毎日生活して、そういうものを全く意識しなか った。心に留めていない。 自分の本当の姿がわからされて、それが 赦されていることを知れて、物凄い変化です」 Cさん「神様の言われている事がわかって、 御心示される時に、『そんなの出来っこない』 と思う。『はなから無理』と思って、スルーして いる事に気づく。 無意識に、自分でスルーさせている。それは肉 の思いであり、御心を捨てて行くことになるので、 そこで、『出来ません』『無理だと思っています』 と祈ることが大切なんだと、教えられた。 その祈りが無いから、御言葉をどんどん捨てて しまっていたと気づかされた。そこで、『出来ません。 助けて下さい』と祈って行こうと思う。 そういう思いに変えられた。」 毎日の信仰生活の中で、確かに、自分が変えられ て行っていることが感謝だ。御霊が助けて下さって いる。
2009年09月03(木) 「生きておられる」
教会創立28周年記念礼拝をした。 開拓宣教始め、母教会から独立して、教会創設され 28年が経った。 最初は、公会堂の会議室を借りて、オープニング集会。 しばらくして、公会堂が全面改装のため、使用出来なく なった。 どこで集会すればよいか。当時集っていた若い数名 の人々と、祈りつつ、集会所探しを始めた。 あちこち物件を見たりする中、一軒の住居付き店舗が 改装して、貸しに出すとの情報。 以前からの知り合いの不動産。今の自分たちに丁度 手頃で、皆で祈り求める中で、御心を確信。 今、手元にあるお金、戻って来た敷金等、すべてかき 集めて、残りを献金する事にした。 当時にしては、大金、仕事をしていない学生の集まり、 しかし、必要額少し多い目に満たされた!! まことに神様が生きておられる事を、目の当たりに 見せられ、喜んだ。 小さな場所だったので、5年ほどで、いっぱいになり、 次の場所が必要になった。 近くに、倍の大きさの空家があり、皆で祈り、そこに 移転に導かれた。 その時も、前回より1桁多い金額が必要であったが、 敷金等、すべての必要が満たされた。 やがて、そこも狭くなって来た時に、次の集会所を 借りるのでなく、会堂建設に導かれた。 億という数字の、奇跡の会堂建設だった。 「一致」と「信仰」と「祈り」によって見事に建り上がった。 私たちの教会の歩みの中で、大きなインパクトだった。 ♪主の導きの中を、私たちは進む。 主の臨在を仰いで、進み続ける。 昼は雲の柱で、夜は火の柱で、主は私たちを導く♪ まことに教会の中に生きておられた。 一歩一歩を手を取られ、導かれて、今まで来た。 これからも手を取って導いて下さる主と 共に歩める喜び!!