2010年01月21日(木)
  「わざわいではなく、平安と将来と希望」

若いAちゃんが、この不況で、リストラになった。
この不景気で、会社自体が業績不振で、回らないよう。

やはり不況の波を受け、大変な家を助けていた健気な
Aちゃん。Aちゃん自身も非常なショックで、母親のBさんに
泣いて電話して来たと。

「え?あのAちゃんが何で!何で!!」皆も、ショックで、
祈りが始まった。

「この天地に満ち満てるものはすべて主のもの。その中から
一つ、Aちゃんに最もふさわしい職場を与えて下さい。
そして、この事でAちゃんが神様の素晴らしさを知れるように、
私たちが神様の栄光を拝する事が出来るように」

Bさんから連絡。「自分のことなら、何だか信じて立てるのに、
子供のことはついつい動揺してしまって、でも、信じて行き
ます!!」

「子供が休みだったので、ハローワークに行ったがなかなか
現状は厳しく大変なようです。でも、祈って行こうと二人で
励まし合いました。
親族も突如病で倒れ、介護する親族も大変で、自分の仕事
先も大変で・・、次々と不幸のデパートです。

でも、それは世の価値観。神様のご計画の中にあり、計り
知れない恵みがあるとそれを見つめています。感謝です」

折り返し、「恐れないで、ただ信じていなさい」「あなたがたは
心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じな
さい」絶対に一つ備えていて下さるから、大丈夫!
祈ろうね!!とメールを入れると、

即、返信有り、「有難うございます。今A子とメールを声を
出して読みました」

「Cさんから暖かいメールを貰い、Dさんが訪ねてくれ、
Eさんはそばでいつも励ましてくれ、皆が祈って下さって
私だけこんなに良くして貰っていいのかしらと思う感謝
で一杯です。

親族は続けて大変で、周囲が疲れて来ています。
でも、神様が最善の処置を与えて下さいました。

私は本当にイエス様で良かったです(^^)こんなに次から
次に不幸が起こり、他ならお祓い騒ぎですよね(笑)」

Cさん「Bさんがどんな苦しい状況の中でも、ずっと神様を
信じて、信仰に立って、守られていることに、いつも凄いなあ
と、ものすごく恵まれています」

Bさん通して、教会に導かれたEさん「私、普段なかなか
祈れないのに、今回のこのAちゃんの事は、もう毎日毎日
真剣に、もう必死で祈れるんです。絶対にAちゃんに
仕事与えて下さい!!神様に迫ってます」

Eさんの、強い深いBさん母子への愛情、神様の愛が
ビンビンヒシヒシ迫り、神様を感じた。

Bさんに近い人々が、我が事のように真剣に必死に
祈ってくれた。ここに神様の栄光を見た。

そして、Aちゃんに内定が与えられた!!
神様、本当に本当に有難う!(^^)/


この世の一見不幸は、神様にあっては、不幸ではない。
「あなたのために立てている計画」であり「わざわいではなく、
平安と将来と希望のためのもの」であり、「益」のための
ものだ。

不平不満、愚痴でなく、それを信じて行こうとするBさんに、
皆で、ものすごく励まされ、恵まれている。


2010年01月18日(月)
  「続・SEE YOU LATER]

そして、余命3ヶ月が、丁度1年命を延ばされて
天に帰られた。

夫Bさんの教会の宣教師さんが「余命を決めるのは
医者ではありません!余命を決めるのは神様です」
と言われた言葉が深く、本当にその通りだった。

召される少し前に、病院にお見舞いし、最後にお会い
できた。もう消耗しておられたが、何度も何度も
「有難う、有難う」と、とても喜んで下さった。

夫のBさんに、以前、お別れが寂しいですねと言うと、
「See you later だ」と、「すぐに天で会えるから
いいんだ。OKだ」と言われた。

その信仰に、もう驚きに、驚かされ、こんなに恵まれ
たことはない。

奥さんが、はっきりと死に向き合われた時、ご主人
と同じ所へ行きたいと願われた。すごい証しだなあと。
Bさんは、主の愛をもって、一生をかけて証しされ、
奥さんを天に導かれた。
天で再会できる。天を見つめて、今の時を生きて
行ける。

事務処理、残務整理を終えられて、先日故国の
アメリカへ帰られた。

日本人のC兄弟が、最後、アメリカ人教会でバッタリ
Bさんにお会いできて
「『今までのお祈りを有難う。励ましてくれて有難う。
次は天国で会おう。楽しみにしてる』と、ハグして下
さった。嬉しかったです」と。


「See you later」が、強烈インパクトだった。

最愛の奥さんを天に送られて、不満も、愚痴も、
いっさい無く、真っ直ぐに信仰に立っておられた
Bさん。神様の栄光を見せられた。

私の信仰人生の中に、大きな大きな足跡を
残して行って下さった。

あのような信仰の歩みがしたい。

AさんとBさんご夫妻に会わせて下さった
神様に心から感謝している。

 


2010年01月17日(日)
  「SEE YOU LATER 」

一昨年、末期癌が突如発覚し、それを通してイエス様を信じ
られたAさん。昨年、天に帰られた。

呼吸困難になられ、苦しまれ、酸素タンクを持ちながらも、
最後まで、御言葉を少しでも学びたいと、望まれたAさん。

その苦しみから解き放たれ、今頃、天で安らいで喜んでおら
れる事を思うと、本当に慰められる。

そのAさんが神様に向かれた原因が、夫のアメリカ人Bさん
だった。
「もう優しい、優しい、ものすごい信仰の持ち主です」とAさん
はいつも言っておられた。

「死後、夫と同じ所へ行きたい!」それが、Aさんが神様を
求められた強い動機だった。

罪を持ったままでは、それが出来ないことを、常々聞いて
おられた。
余命3ヶ月との宣告を受けた時に、全くわからないが、
「夫のBさんの神様!」と祈り始められた。

最大の恐怖が、もう次の朝、目が覚めないのでは、という事
だった。毎日毎日、寝る時に「翌朝目が覚めますように」と祈
られ、朝起きると「目が覚めました。有難うございました」と
祈ったと。

以前も夫が、聖書の事、神様の事をよく話してくれてたの
ですが、まあ頑固で自我の強い強い私は、全然耳を傾けま
せんでした、と。
ただ、夫への義理と人情というか、まあ夫のために、時に
教会へ行っていた次第です、と。

こんな頑固で頑なな自分が、死を前にすると、ほんとに変えら
れました。砕かれました、と言われた。人間は、普段高慢で
いるけれど、ほんとに無力なものだと、神様に心が向きました
と。
これが無いと、私にみたいに頑固な者は絶対に、救われなか
ったですよ。感謝で一杯ですと、微笑まれた。

罪を悔い改め、はっきりとイエス様を心に受け入れた日
から、ほんとにもう使用前、使用後のように、その日を
境に、何もかもが変わってしまったと、驚いておられた。

その前日まで、もう食欲が全く無くて、食べる事に関心
など全然向かなくて、本当にまさに砂を噛んでいる
ようだったと。全く美味しくなくて、でも食べないといけ
ないので、仕方なく押し込んでいて、苦痛だったと。

それが、イエス様を信じたその日から、食事がまあ
美味しいんですよ!美味しくて、美味しくて、食欲
がどんどん出て、幾らでも食べられて。驚きました!

そんな折り、病院にクリスマスカードを送って頂いて、
それがまあ嬉しくて、嬉しくて、カードを枕元に開けて、
クリスマス賛美を一人で歌ってたんです、と満面の
笑みで。
ほんとに御霊様が内に住んで下さったんだ。

余命3ヶ月と言われたのに、どんどん過ぎても、
生かせて頂いて、外泊許可まで下りて、最後は
家に帰られた。亡くなられる前まで、家で最愛の
夫Bさんと過ごせる恵みを、神様は下さった。

近所の知り合いにバッタリ!会った時に、状況を
話すと、死を前にして、私がもう明るくて、元気で笑って
いるのに、その人がもう驚いて、呆然としていて、と
茶目っ気たっぷりに笑っておられた。

神様の下さる救いとは、何と大きなものなのだろう!!




2010年01月16日(土)
  「続・ガリラヤで」

で、神様の思いと自分の思いが違って、つまずいた
ペテロと弟子たちに「ガリラヤに行け。そこでわたしに
会える」と言われた。

ガリラヤはペテロや弟子たちの故郷であり、初めて
イエス様に出会った場所。
信仰が与えられ、献身した場所、人間をとる漁師として
召された所だ。

ペテロの原点、弟子たちの原点。そこに帰れと。
そこで、わたしに会えると。

挫折した時、失敗した時、何が何だか、わけがわからなく
なった時、失望落胆した時、一歩も進めなくなった時、
原点に帰れと。

自分がイエス様に出会った時のこと、献身した時のこと、
祈りが答えられたこと、癒されたこと、心が満たされたこと、
大きな喜びを下さった時のこと、イエス様に深く出会った
時のことを思い出し、そこに帰れと。

そこでイエス様は待っていて下さり、必ずそこで会える。
再び引き上げられる。再び力と喜びが与えられる。
感謝が湧き、恵みを数えられる。

Dさん「ほんとにその通りです。苦しくて、辛くて、どうにも
ならない時、不満と愚痴しか無い時に、初めてイエス様に
出会って、神様の愛を知って嬉しくて嬉しくて、涙が溢れた
時のことを思い出すと、立ち帰れるんです。

そして、心が神様で満たされて、神様さえいて下されば、
もう何もいらないと思った時のことを思い出すと、
もう一度、あそこに帰りたい!と心底思える。

心が変えられて素直にされる。すると、やっぱり神様は絶対良く
して下さる、信じて行こうと思える。すると希望が与えられて、
心が平安になる。その通りです。

今の苦しい試練は、これから将来も何があっても、いつも
ガリラヤへ帰る事を教えるために、与えて下さってるん
だなあと。」

ふとHさんの事を思い出した。

あっちからもこっちらかも、対人関係も経済的にも、非常に
厳しい状況が臨み、もう煮詰まり、重苦しい、しんどい疲れ
果てた、心荒んだ状態で、教会に来た。

メッセージがあり、メッセンジャーはメッセージの内容に
丁度ピッタリの証しを、証し集の中から紹介した。
その証し集は、教会内の日頃の恵みの証しをまとめたもので、
名前は書いていないものだった。

祈りがジャストタイミングで見事に答えられ、まことに神が
生きておられ、愛して下さっているとしか、誰が聞いても言
いようのない証しだった。

メッセンジャーは知ってか知らずか、それはまさにHさんの
証しであった。しかし、前もってコピーし、準備されたもの
であった。

その証しが読まれた時、Hさんの目に涙が浮かび、見る見る
内に涙が溢れた。余りにもしんどい状況に、荒んでいた心に
神様の愛が、恵みが、よみがえった。
Hさんはその日、悔い改め、神様に素直に従って行きたい
と祈りを献げた。

自分にして下さった神さまのみわざに、ご愛に、もう一度
立ち返る時、癒され、引き上げられ、新たな力が与えられる。
また、前に進んで行ける。

イエスは言われた「恐れてはいけません。行って、わたしの
兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。
そこでわたしに会えるのです」マタイ28:10

「そこでわたしに会えるのです」



2010年01月15日(金)
  「ガリラヤで」

ペテロの学びをしていた。

イエス様は、前もってペテロが「つまずく」と言われた。
「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます」

「しかし、わたしは、よみがえってから、あなたがたより先に
ガリラヤへ行きます」と。

「全部の者がつまずいても、私は決してつまずかない」と
ペテロは答えた。

自分の強い思いがある時に、神様につまずく。
つまり、つまずくのは、自分の肉の強い思いがあるから。

神様の御心と合わず、神様のされる事と、自分の思って
いる事が全く違うので、神様がわからなくなる。
つまり、「自分の」思い描いている神様像から来る。

ペテロも弟子たちも、イエス様がローマ帝国を覆して、地上
に王国を建設し、イエス様が王になると思い込んでいた。
そのためには、戦うつもりであった。剣も用意していた。

しかし、イエス様は呆気なく捕らえられて行った。
一人が戦おうとし、兵士の耳を切り落とした途端、
イエス様はすぐさま相手を癒された。

目の前のイエス様が、自分の思いと、自分の理想と全く
違っていた。
自分の強固な理想があって、神様はこうすべきとの思い
が強い時につまずく。

実は自分の思いの実現、自分の理想実現のための信仰
である事に気づかないまま。

Aさん「まさしく自分です。神様に従って行くと、ご利益
がある。自分に利益があり、得をする。だから、従っていた
に過ぎなかった。
それだと、順境の間は、行け行けで景気良く従って行くが、
ほんとに試練が来た時に、つまずくんですよね。

神なら自分を幸せにするべき、利益をくれるべき、
何でこうなんだ!と、神様がわからなくなる。

自分が軸で、自分中心にしか思考が展開しないから、
神様が見えない、わからない。」

Bさん「神なのだから、自分の願うものを与えてくれる
べき。自分の思いを叶えてくれるべき。そういう価値観
だったから、願っているのに与えられないと、神でなく、
自分の欲しいものが中心で、つまり自分が中心だから、
思い通りにならないと、神を離れて行く。神を捨てる事
になる。

叶えてくれるなら、偶像でもなんでもよくなる。自分中心
の恐ろしさを、その時に、脳天ガーンと気づかされた。

信仰と言っても、神を自分のために利用しているに過ぎない。
御霊様に気づきが与えられて、もう涙、涙で、心から
悔い改めた。明け渡した時、あれだけ望んでいたものを、
ほんとに心底もういいと思えた。

それが、その後、自分の願い通りのものを与えられた
んですよ。
神様は何とあわれみ深く、恵み深いか、ただただひれ伏
した」

Cさん「自分の思い通りにならない時、神様に不平不満、
愚痴、反抗で一杯になる。
それは、自分の物凄く強い思い、強固な理想があるから。
その自分の姿に気づかず、わからないから、神様を責める
ばかり。

自分自身、自分が砕かれて初めて気づけた。強烈な自我
が砕かれた時、初めて神様が見えた!神様が問題なので
なく、強い自我が妨げていたことがよくわかる。

それを砕こうとして、試練を与えられているのに、ます
ます心固くして真逆の方へ行ってしまうんですよね。
今はよくわかる。砕かれたことが感謝でならない」



2010年01月13日(水)
  「弱さのうちに」

海外より、数年振り帰国のAちゃんが集会に来てくれた。

Aちゃんには、「信仰」による、神のみわざの思い出がある。

少し経済的必要が生じて、パートを祈っていた。皆でずっと
祈り続けていた中、仕事が目の前に与えられた。
子供も小さいし、パート希望だったが、来た仕事はフルタイム
だった。それも自分が全く苦手な分野だった。

絶対に無理と、どうしたものかと祈った。とりあえず、
夫さんに相談すると、簡単に「やってみたら」「協力するよ」
の返答だった。

「え!」夫は、子供が小さいから「ノー」と言うだろう、それで
一件落着と思っていた。が、予想外の展開になった。
何の障害も無く、門が開かれている。

続けて祈っていると、皆にも祈って貰い、祈りを積み重ねた
結果来た仕事。神様が与えて下さったもの、祈りの答え。
それを思う時、自分には絶対に出来ないが、従って行こう
と思えた。

Aちゃんにとれば、信仰による一大決心であった。

一番最初にその仕事が来た時、自分には出来ないと
ワーワー泣いて電話して来ていて。

信仰によって決心し、信仰によって一歩を踏み出した!

すると、仕事が素晴らしく祝福され、次から次へと
成果を上げた。

Aちゃんは絶対に自分がしたとは言わず、「神様です!」
「神様です!」とすべての栄光を神様に帰した。

すると、更に祝福され、どんどん結果が与えられ、周囲も
びっくり!!

心底神様に栄光を帰して行くなら、自分が栄光を奪わ
なければ、幾らでも祝福に祝福を加えられることを、
教えられ、見せられた。

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」
Uコリント12:9

自分の無力を認める時、そこにこそ、神の栄光が現れる。
無力こそが、神の栄光を現わし、輝かせて行く。


クリスチャン人生、無力でないところに、様々なトラブルの
原因がある。





2010年01月11日(月)
  「肉」

Aさん「昔に、一度献身の決心をしたけれど、全然献身
なんてしていない。全くしていない。
自分のためにだけ、生きて来た。」

「でも、自分のためにだけ、生きて来た事がわかるんだ」

「今、わかる」「それって、聖霊様だよね」

「人の事、相手の事なんて、全く考えていなかった。始め
から終わりまで自分の事だけ。
今、ものすごく苦しい。何という生き方して来たんだろうって。

苦しいけれど、苦しいからこそ、はっきり自分は救われている
事が確信できる。以前は、平安が全く無くて、時々ほんとに
自分は救われているんだろうかと思った事があった。

今、聖霊様が内におられる事がはっきりわかる。
すごく嬉しい。
以前は聖霊様が内におられるなど、全くわからなかった。
今、はっきり自分でわかる。だから本当に感謝でならない」


救われているけれど、ずっと肉に従って生きて来たんだ。
二つの性質があり、肉は、完全徹底自己中心。

Aさん「憎しみで憎しみで、もうどうにもならない事も
経験した。もう傷つけないと気が済まない、怒りと
憎しみで煮えくり返る。これが肉なんだよね」

「肉に従って行くと恐ろしい。憎悪がエスカレート
して、殺人になって行くこと容易に想像出来る。
憎しみって、鬱積すると本当に人を殺せる。恐ろしい」

以前、自分の内にある古い性質、罪の性質、肉
はモンスターだと礼拝メッセージであった。
猟奇的な犯罪者を見るなら、何という恐ろしいと
眉をひそめるが、別に驚く事ではない。
肉とはそういう事で、罪の性質とはそういうものだと。
自分の内の肉は、同じものだ。

人生で、そういうスチュエーションに、たまたま自分が
遭遇しなかっただけで、様々な要素が重なり合ったなら
自分だって、何をするかわからない。それが罪の性質だ。

ポルポトが自分の内にあるって、言うことじゃん。

Bさん「私!ポルポト時代にいたら、一番に密告してます!
自分が助かるために」(笑)

本当に御霊様に従って行かなければ、自分は何をする
かわからないし、どうなるかわからない。
人間、良い人なんかじゃ全然無い。

十字架を平然と見ていて、何も感じないのが肉であり、
罪の性質であり・・そこから救い出された、救いであり、

「古い人がキリストとともに十字架につけられた」

「自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに
十字架につけてしまった」

イエス様の十字架。ここだけに救いがある。救われている。

真剣に御霊様に従って行けますように。



2010年01月08日(金)
  「これ無しには、わからない」

Aさんが話す。

「救われて何十年、神様が全然わかってなかった。
頭で、御言葉を聞いて、すうっ〜と通り過ぎて行く。

これまで御言葉の種がいっぱいいっぱい蒔かれて来た。
確かに、蒔かれているから、ふっと時折り思い出
したりする。学びでの先生の言葉も思い出す。感謝だ。

でも、自分は全くその「種」に、水をやり、世話をし
育てて、来なかったんだと。

自分のためにだけ生きて来た。固い固い強固な
自我があって、自己中心。
神様の栄光のためなんて、全く無かった。人のため
にも無い。すべて、ひたすら自分のため。

だから、いつも全く平安が無い。自分で自分を守ら
ないといけないから、不安で不安で、ああなったら、
こうなったらどうしようと、恐れでいっぱい。もう恐怖。

でも、絶対に神様に明け渡せない。なぜなら、明け渡
すと、大変な試練が来て、あれもこれも取られ、
もうとんでもないひどい事になるとしか思えない。恐怖。

どうしても、そうとしか思えない。神様は恐い方。
明け渡したら、最善をして下さるというのがもう全くの
未知の領域で、どうしても信じられない。
信じようとしない、固い自我。
長い間、そこを堂々巡り。明け渡すと最悪になるとの
思いにがんじがらめ。

愛を全く知らないことが、わかった。
今、自分の心が変わっているのがわかる。自分では
絶対に不可能。神様が変えて下さった。

今、神様が最善をして下さることを信じれる。これは奇跡。
変えられた。信じれる。今、心が平安。希望がある。」

この奇跡は、大きな変化は何で?
どうして変わったのか?

「砕かれたから。これしかない。全く神様がわから
なかった。
確かに救われていて、天国へ行けるんだろうけど、神様
と共なる生活など全く無いし、実感も全く無かった。
自我の厚い殻が破られる必要があったとわかる。

砕かれて、神様を実感するようになった。すべて自我が
妨げてるんだよね。自分のことしか無かった。

自分の思い通りに、周囲もコントロールして、ただただ
自己中心の世界。神様など無かった。

砕かれることが、すべてなんだなあと。痛くて、辛くて、
苦しいけれど、これ無しに、神様は絶対にわからないね。
痛いけれど、本当に良かった、感謝だと思える」

「砕かれない限り、神様は、頭でしか、わからないね」

2010年01月05日(火)
  「福音が・・」

年末〜年始に、カンボジア宣教地訪問へ。

チケットが無事取れた。3年続きで、毎年年末に
カンボジア行きを与えられ、主の恵み!感謝!!

一緒に行く次男が、11月上旬に新型インフルにかかった。
「もう大変で、風邪気をつけて。新型になったら、カンボジア
どこでないよ」との事で、

祈りが「新型からも季節型からも守られますように。とにかく
行き着けますように」と、皆にも祈ってもらい、切に祈る。

祈っていて、なぜか絶対に大丈夫だ!と思える。
「雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには
地に落ちることはありません」
「頭の毛さえも、みな数えられています」
父のお許しなしには、風邪にならない。

主の主権により、新型と季節型から守られ、無事
カンボジア着(^^)/

一年振りのカンボジア、何だか、わくわく。

どんどん変わっていた。
韓国製42階建てのビル予定地だったのが、11階
まで出来ていた!!すでにそのマンション完売なのだ
そうだ。
豪勢な大型ショッピングモールが新しく出来ていた。
びっくり!メーカー品は、日本と値段が変わらない。
誰が買うのだろう??お金持ちが買うのだそうだ。

初回、空港出た途端、驚いた道路脇のごみの山!
来る度に、ごみが減り、街がきれいになって行く。
ゴミ清掃車が巡回している。

1年ごとに変わっていて、確かに経済が回り、発展
している。


そんな中、野外子供集会に行った。

最初聞いて、何で?午前に子供集会があるのか?と
不思議だったが、貧しくて学校へ行けない子供たちが
いる地域だと。

車が入れない細い道との事で、バイクの後ろに
乗って行く。ドーンドン上下に振動、穴ぼこの、余りの
悪路に、写真を撮っていて、落ちそうになる。

ほんとに貧しい、バラックのような家が並ぶ。
掘っ立て小屋のような。

木陰に青いシートを敷いていると、子供たちが二人
三人とやって来る。裸の子供達も。

伝道師さんがボールを使って、うまく子供達の心
を引きつけ、遊んでいる。そうこうしていると、次々
とどこからか集まって来る。
30人ほどになると、ゲームをし、賛美が始まる。
聖書のお話がなされている。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、
福音を宣べ伝えなさい」

このような所にまで、福音が宣べ伝えられている
ことに、ものすごく感動する。神様のわざを、神様
を感じた。

伝道師さんのお手伝いを通して、私たちの教会
もこの働きの一環に関わっていることに、感謝
でならなかった。