2010年04月15日(木)
  「妨害」

サタンの学びをする。

思いが戦場であり、思いの火矢を絶えず吹き込んで来る。

サタンの火矢は前後の関連無く、脈絡なく、突然来るから
わかる。
その直前まで思ってもいなかったのに、突然、何年も前の
嫌な事や、傷ついた事がポーンと浮かぶ。
自分は思っていないのだから、まさにサタンだ。

みんなで「それ、しょっ中ある!」

Aさん「突然、ずうっと昔に主人がああ言った、こう言った
と思いが来るんですよぉ。もうすっかり忘れてるのに。

ほんとにサタンです。もうどうでも良いような事なのに、
そこから、発展して、どんどんネガティブ思考になって(笑)
いつしか、悶々状態になって。かなりたって気づいて、
あ、サタンにやられたと」

Bさん「あるある!ふっとした出来事に関連して、
思ってもいないのに、あの時、こうした、ああした、
それが、恨みつらみになって(笑)」

Cさん「私は思い煩いが来る。不安材料の箇所に
思いが行った途端、心が真っ暗になって、今の今
まで平安に過ごしていたのに、突然、思い煩いと
不安で、どんどん落ち込んで行く。
それが毎回、おんなじ所だから、サタンですよねえ。
自分の弱い所なんですねえ」

Dさん「目の前の事で、心がざわついてくる。
一つ一つ神様から来たものと、受け止めて対処
して行けばよいのに、これをしていると、別のことが
気になって仕方なく、又、その事に手をつけると、
又、別の事が気になって仕方がない。

心が落ち着かず、あれも、これもと、心定まらず、
イライライライラして来る。これもサタンですよねえ。

心が余りにもざわつくので、神様の御前に静まって
思い煩いをことごとく祈ったら、平安になりました!」

Gさんが言ってた。
「祈る前はすごく平安で、祈り始めたら、あの事、この
事を祈っていたら、対人関係の事でどんどん腹が立っ
て来て、腹が立って、腹が立って、祈りを止めてしまった。
祈る前は、どうも無かったのに。
ああそうか、サタンなんだ。サタンにやられたんです
ねえ。」

Kさん「神様のみこころを行なおうとする時、絶対に
サタンが来る。献げようとすると、献げたくなくなる。
あれや、これや言い訳が出て来る。
しなくてもいいよと、思えて来る。
『無理!無理!』『出来ない』『面倒くさい』いろんな
思いが来て、妨害して来る。
みこころ行なおうとする時、サタンが来るのをいつも
経験する。これだけ妨害するからには、すごい祝福
があって、サタンはそれを、得させたくないんだと思う」





2010年04月11日(日)
  「砕き」

Aさんに、数年間に及ぶ、しんどい厳しい試練が続いていた。
Aさんも祈り、皆で、祈って対応していた。長い間の苦しい
試練に終結が来た。
心の整理をつけ、しばしの休息を得た。

しばらくすると、全く同じような試練が来た。ひと息ついた
ところで、同じような苦しみがまた臨んで来た。

「でも、状況じゃないですよね。状況は関係無い。神様が私
を砕きたいんですよね。それほど自分の自我が強いんですよね。
この試練を通して、自分が変えられることを祈って行きます」

皆が「わあ、でも、そのように受け取れる事がすごい!!
ふつう、状況と自分しか見えなくて、落ち込んで、落胆して、
わけわからんようになる。
状況じゃなくて、神様を見ていて、神様視点で、すごい!」

Bさん「だいたい状況しか見えなくて、パニックになって、落ち
込んで、右往左往して、しばらくしてから、やっと神様を見上
げる」

Cさん「わかる、わかる。一通り、自分の力で、対応して、
自分で動き回った後で、神様を思い出す」(^_^;)

Dさんにも、以前に厳しい試練が臨んだ。どんなにか苦しい
事だろうと、皆で祈った。

でも、Dさんの言葉に驚いた。「よくわかるんです。私は
こういう事でないと、砕かれない。自分の中に頑なさが
ある事がわかります。神様が見捨てないで、放ってお
かれないで、取り扱って下さっている事が嬉しいです」

Eさん「的確に、自分に一番堪える事柄が来るね。
一番の自分の急所に、ガーンと砕きが来るよね。
あ、神様だって、すぐわかる。

ものすごく痛いけれど、砕かれる事が感謝。
自分で自分を砕くことは出来ないから、神様が
砕いて下さることが感謝だと思える。

砕かれて、自分が変えられているのがわかる。
神様が近くなって行くから、嬉しいよね」





2010年04月08日(木)
  「認めた時に」

思い煩いを持っていないで、一つ一つ神様に
委ねる事を学んでいた。

Aさん「私、祈りの時に、心配事や思い煩いを委ね
ますと祈ってるんですよぉ。
でも、全然無くならない。委ねた後も、不安で思い
煩いがあって消えない。何でなんですかねえ」

「口だけで、心は委ねてないんじゃ(^^)」

「・・・あ、そうです。委ねますと祈るのに、全然
委ねてないです」(笑)

「委ねられません、委ねたくないです、と祈った
ら、導いて下さるよ」

「あ、ほんとだ。全然正直じゃないから、神様
との交わりが成り立ってないですよね。自分が
見えた。祈りを変えます」


Bさんが、嫌で嫌で、たまらない人がいて、しかし、
自分はクリスチャン。
「愛せますように、愛せますように」と祈っていた。

いじわるされるので、辛くて、辛くて、帰宅しては
泣いていた。ずうっと何も変わらず、愛せますよう
にと祈りながら日を重ねていた。

しかし、全然祈りが答えられない。何一つ変わ
らない。

そして、その日、愛せますようにと祈っていて、
大嘘だと気づいた。愛せますようになどと
全然思っていない。愛したくなどない!

その日祈りが変わった。「神様!愛したくなど
ありません。あの人が大嫌いです!」と本音を
神様にぶつけた瞬間、心が変えられた。

自分の目が変わって、その人に対して、違う見方
が出来た。
自分をそのように攻撃し、いじわるする事しか
できないその人が、気の毒に思え、かわいそうに
思えた。

その日、心からその人の祝福を祈る事ができた。
自分でなく、御霊様だった。
自分の本当の姿を認めた時に、変えられた。




2010年04月06日(火)
  「気づき」

Aさん「対人関係で、相手が肝心なところになると、
きちんと説明のないまま、それ以上、語ろうとしない。

こちらとしては、理解し合いたいと思っているのに、
それじゃあ、話にならないと、相手が心を開いて来ない
事を不満に思う。関係がうまく行かないのは、相手が
心を開かないからだと思っていた。

しかし、聖霊様に気づきを与えられた。相手が心を
開かないためと、相手のせいと思っていたが、実は
自分が心を開いていない事に。心を閉じているのは
自分の方だった」


Bさん「ずうっと長い間、クリスチャン生活、何十年も、
自分の本音だと思っていたものが、実は建前であった
事に気づかされた。つまり、本音だと思っていたものの
下に、真の本音があった。

だから、建前でずっと神様に向いているから、神様
に触れていない。頭でしか神様がわからなかった。

自分ではその事に、全く気づかなかった。繕って、
神様の前に出ている事がわからなかった。

成育歴からの、様々な事を考えた時に、思い
当たり、神様が何もかも、すべてを益として下さる
事を信じられるから、今、心から感謝できる。

土石流のような試練が来て、その試練の中で、
砕かれて、自分が粉砕される感じで、初めて
神様と自分の姿が見えて来た。すべてのことが
真に心から感謝だと思う」

Cさん「最近、昔の知り合いに会って、その人は
関係無いんですが、その当時の自分自身の苦しか
った状況が、鮮明に思い出された。

もう出口の無い苦しみ、辛さで、何もどうにも出来
ない状況が、フラッシュバックして来た。

そして、歳月経た今、苦しみの中で、何かを求めて
いた自分に、神様が出会って下さって、心に平安
を頂いた。

状況は変わらないが、今、同じ状況を感謝できる
んです。
以前の事を思い出させられる機会を与えられて、
心の平安を得ている、今の自分がどんなに感謝で
あるかに気づかせられて、感謝でした」


日々に、起こる出来事の中で、御霊様の「気づき」
が与えられている事が、信仰人生、大きな恵み!!
気づきが来た時、神様に触れ、神様を実感させら
れる。



2010年04月03日(土)
  「御言葉に従うと」

Aさんが「厳しい試練があって、心が苦しみでいっぱい
になって、もう苦しくて、苦しくてたまらなくなり、そして
それが思い煩いとなって、どんどん大きくなり、飲み込
まれてしまいそうになった。

どうにもならず、神様に心の底から助けを求めた。
その時、『すべての事について感謝しなさい』
という御言葉が臨んだ。

その御言葉に反応して、え?感謝?と思い、感謝に
目が転じた。

そうすると、今、現在、こうやって身体が守られている
こと、経済的に困る事なく、生活ができていること、
仕事が与えられていること、それも大好きな仕事であり、
生きがいが与えられていること、仕事を通して、色々な
出会いがあり、喜びが与えられていること・・

もう、感謝を数えると、次々に、どんどん出て来て、
感謝していると、心が変えられているのに気づいた。

あれほど落ち込んで、恐れと不安に飲み込まれた心が、
喜びが湧き、平安になっている。

御言葉の力を味わった。目が問題と状況に向くと、恐れ
と不安に飲み込まれ、目が御言葉と神様に向くと、
途端、喜びと平安に変わる。感謝でした(^^)/」


Bさん「物凄く慌ただしい、時間の無い中で、沢山の事
をこなさないといけない、頭が混乱して、パニックになり
そうな、状況だった。

そんな時、礼拝メッセージで、まず祈りが大切であり、
自分で動き回るのでなく、静まって、まず主を待ち望んで
行動して行く事を語られた。

御言葉が与えられて、まず祈って、主に導かれて、すべて
の事を成すことができた。主と共にできた事が感謝だった。

頭では、祈りが大切、自分の力で事をしても無駄、御霊
に導かれてこそ、実をもたらすと、わかっているが、
御言葉を聞いていなければ、頭のままで終わっていたと
思う。自分で動き回っていたことと思う。

神様が御言葉を聞かせて下さり、事に臨ませて下さった、
その神様に心から感謝だった。」

御言葉を受け止め、実際に御言葉を行なって行く時、神様
を経験して行く。

Cさん「お金が余り無かったので、献げ物ができにくい
状態だった。どうしたらよいか、祈っていたら、御言葉を
語られ、献げるように示された。

目に見えるところを見ると、不安が来るが、御言葉に
従って、献げようと思い、献げた。
すると、献げた途端、すごいプレゼントが来た。

自分の好きなもので、大きな喜びを与えられた。そして
それより、神様がすべてご存じで、大きく祝福して下さって、
神様を体験できた事が何より嬉しかった」

2010年04月01日(木)
  「霊の目が開かれるため」

Aさん「私、20数年たって、やっと神様が、真の福音の意味
が、わかりました。今まで、同じような人々の証しを聞いてたん
ですよぉ

10数年前にも、Bさんから、自分の力で頑張っていて、苦しい、
苦しい信仰生活を送っていた。「ねばならない」で、縛られて、
本当の喜びなど無く、でも、従わねばならないで、しんどくて
たまらなかった。

極限の試練を通して、自分の力で、ほんとにどうにもならなくて、
ギブアップした時に、解放された。自由にされた、喜びを知れた。

Cさんは、信仰生活は修業だと思っていた。修業は苦しいのは
当たり前で、苦しい方が良いとさえ思っていた。しかし、試練を
通して、限界や瀬戸際を通り、砕かれて、解放されて行った。

そんな証しを幾つも幾つも聞いているのに、頭でしかわかって
なかった。ふんふんと聞いているが、全然わかってなかった
です。

いろんな試練通り、失敗も通り、今、以前と全然違う。本当に
喜びがある。以前は無かった。神様は正しい方だから、これ
は絶対的な真理だから、従って行かなくてはならない、従っ
て行こうとの思いだった。

「神様を愛して〜する」など、全然わからなかった。「??」
「愛して??」ハテナハテナの世界で、恐いから、絶対的な方
だから従うという感じだった。

それが色々な所を通り、砕かれ、もう粉々に砕かれ、今、
ほんとに自由にされた(^^) 解放された(^^)
やっと真の福音の意味が知れた。」


幾ら、頭で聞いても、わからないという事がわかる(^^;)
そして、荒野のイスラエルのように、神様の祝福を奇跡
を幾ら見ても、わかるものでもない。外側の奇跡を幾ら
見ても、自分は変わらない。自我は強固だ。

いろんな苦しい所を通りながら、自分が砕かれて、変え
られて行く。苦しい中で、神様が見せて下さった時、
初めて、霊的なことや、神様が見える。

本人が通るしかない。神様のことは、霊的なことは、
本人が様々な局面を通って、砕かれて、神様が見せて
下さる以外に、知りようがない。

だから、人生、様々起こる事は、一つの無駄もなく、
一つ一つの出来事が、神様を知るためであり、霊の目が
開かれるためだ。

だとすれば、苦しい事も、辛い事も、神様を知るためなら
嬉しいかも知れない。