2010年12月19日(日)
  「思い出」

クリスマスなので、久し振りに地区集会に行った。
その椅子に座った時、在りし日のAさんの暖かい
穏やかな満面の笑みを鮮明に思い出した。

Aさんに突如、末期癌が発覚し、余命幾ばくの宣告。
死に向き合われた。
クリスチャンであった夫Bさんと同じ所へ行きたいと、
願われた。
お見舞いに行くと、ベッドの枕元に読みかけの聖書が
置かれていた。

耳にはイヤホンで、聖書のメッセージを聞かれ、
初めて、祈りをしましたと。

「神様、どうか、明日の朝、目覚めることができます
ように」心の底からの願いであり、祈りだったと。

一番の恐怖が、夜眠っている間に、そのまま死んで
しまうのではないか。二度と目覚める事が無いので
はというのが、床につく時の、非常なる恐怖だったと。

その、死に対する不安と恐怖、思い煩いで、全く
食事が喉を通らなくなった。食べないと、点滴になり
体力が落ちるので、無理やり喉に入れた。

美味しくないというより、味を全く感じず、砂を噛む
ようだったと。食べることが苦痛だった。

神様は切なる求めに答えられ、御言葉がわかる
ように、心を開いて下さって、Aさんはある日、
はっきりと「信じます」と、主イエス様を受け入れ
られた。

その日を境に、変わりようが、天と地だった。
Aさん「使用前、使用後のようでしょ」と笑われた。

「イエス様を信じた翌日、突然、ご飯が美味しく
なったんです!と。まあ、美味しくて、美味しくて、
どんどん食べられるんです!」と、晴れやかな笑顔で。

「こんな事あるのかと、自分でもわけがわからない
のですが、心に嬉しい気持ちがこみ上げて来て、
まあ、それが嬉しいんですよ。

丁度そんな時、祈って下さっている方がクリスマス
カードを下さって、もうそれが嬉しくて、嬉しくて、
病院の枕元にそれを飾って、クリスマス賛美を
一人で歌って、又〃喜びが込み上げて来て、
嬉しくてたまらなかったです」と笑みがこぼれ落ちる
ように話された。

「もう余命も終わろうとする頃で、いつ死んでも
おかしくない時で、こんなに嬉しいなんて、
まあ、神様すごいです」と。

もう最期を家で過ごすようにと、帰宅許可が
下りて、数ヶ月振りに、バッタリ近所の人に出会った。

入院と聞いて心配して貰っていたようで、もう
ありのままを話した。もう余命も尽きて、いつ死
んでもおかしくない状態だと。

「まあ、その人が、もうびっくりして、私が明るい
事に、笑っている事に更に驚いて、まあ、可笑しかった
ですよ」と満面の笑みで話された。

宣教師さんが「余命を決めるのは医師ではありません。
神様です」と言われた言葉の通り、

結局、余命宣告期間の3倍半を、神様は生を与えて下さり、
ご主人との幸いな、祝福の時間を与えられた。


素晴らしい証しを残して行かれたAさん。

その柔和なお顔に、満面の笑みが、心に焼き付いている。