2002年03月16日(土)
  いじめ

教会の一人の婦人の子供がいじめに会っている。
泣きながら、話してくれた。

陰険で陰湿ないじめ。首謀者がいて、背後で皆
をうまく操り、順番にいじめの標的にするとか。
表面は仲良しの振りをして、裏で巧妙に操作す
る。その知恵はどこから来るのだろう。

そこにいた72才の婦人が「いじめは今に始ま
った事じゃないですよ。いつの時代にもありま
すよ。私もいじめられました。父が小さい頃に
亡くなって、『ててなし子』と随分いじめられ
ましたよ。」

「いじめるその子は可哀相な子なんですよ。愛
を知らないんですよ。愛を一杯に受けて、十分
に愛されて育つと、そうはならないですよ。」

その婦人「でも子供が言ったんです。『自分も
知らないで、いじめに加わってた。こんなに辛
くて痛くて苦しいものだとわからなかった。痛
みが初めてわかった。自分はもうしない。』っ
て。神様が痛みを通して、人の痛みを教えて下
さって、成長させて下さるんだなと思います」

皆が「うわ〜すごい!!そんな風に思えるなん
て、すごい!!」
普通、そういう風にならない。いじめられた子
が人の痛みをわかって・・などでなく、次に立
場が変わるといじめる側に回る。いじめは人間
の罪から来てる。

「わたしはあなたがたのために立てている計画
をよく知っているからだ。それはわざわいでは
なくて、平安を与える計画であり、あなたがた
に将来と希望を与えるためのものだ」エレミヤ29:11

私達は偶然に翻弄されてはいない。不運に見舞
われているのではない。この事態を与えておら
れるのは神。神の御手から来ている。ご計画が
ある。平安と将来と希望を与えるためのもの。

このいじめを通して、神様は測り知れない益を
もたらして下さる。神の愛を知り、神の栄光が
現れる。私達には何が起ころうと、いつも希望
がある。

「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自
分の聖さにあずからせようとして、懲らしめる
のです。すべての懲らしめは、その時は喜ばし
いものではなく、かえって悲しく・・後になる
と平安な義の実を結ばせます」ヘブル12:10

痛みを通して、練り聖めて下さる。人格と信仰
を成長させて下さる。
「私も子供も、この事を通して成長させて下さ
ること感謝です。痛いけれど、これを通して、
神様の栄光現わして下さる事、信じれます」

大切なことは、悩みや問題の無い生活を求める
ことでなく、問題と悩みの中で、神に従う事を
求めることだと教えられた。

そんな事を話していると、別の婦人が「うちの
子もいじめに会ったんです。仕返ししろと言っ
たー!!口で負けるから、足で蹴れと教えたー
!!どうしよう!!間違いを教えたー。
今日帰って取り消します。その子供さんの事、
話してやります」(大笑)

“私たちは、四方八方から苦しめられますが、
窮することはありません。途方にくれています
が、行きづまることはありません。”

by多恵子