2014年10月20日(月)
  「聞かれる祈りと聞かれない祈り」

聞かれる祈り、聞かれない祈りを経験させられる。

Aさん。
クリスチャンになってからも、ずっと
「神様あれをああして下さい。これをこうして下さい。
神様、あっちへ行って下さい。こっちへ来て下さい」
式の祈りをしていました。

ある時、どうしても受け入れがたい状況があり、
「これを取り去って下さい」「〃」と祈っていた。
でも、思い通りにならない。祈りが答えられない。

それでつぶやき、不満になり、「どうしてですか?」
「何でですか?」「何で聞いて下さらないのですか」
と、神様にぶつけて行く。

でも、その祈りは聞いて下さって、神様を自分の
思い通りに動かそうとしている、自分の姿を見せら
れ、気づかせられる。

何ということをしているのか、「神様ごめんなさい」
と言った時に、目の前の思い通りにならない事態
は、自分のためであり、自我を砕くためであると、
示される。

自分の自我に触れ、神様の教えたいことがわか
った時に、心が平安でいっぱいになり、平安で
満ちる経験をする。

そんな事を繰り返し経験して行く時に、
ああ、神様の下さるものは最善なんだと
段々信じれるようになる。

突然の事態が起きると、動転し、慌てふためく
が、少し落ち着くと、ああ、教えて下さりたいこと
があり、そのために起きていると、今は思える
ようになって、
「教えて下さりたいことは何ですか」の祈りになる。

その祈りはいつも答えられて、様々な時に、
色々な事が教えられる。
それがわかる時に、何よりも喜びを感じる。

聞かれる祈りと、聞かれない祈りを通して、
神様は成長に導いて下さることを経験する。