2015年10月20日(火) 「ゆだねるということ」
神様に委ねたら、御心の通りに導かれること、 大きな祝福を刈り取ることが、よくわかる。 のだが・・その委ねることが非常に難しい。 ある人に、困難な問題が来て、それがまた 次々と重なって、もう押しつぶされそうに なった。 これは主に委ねなければ、身動きもとれ ず、委ねようと委ねるのだが、それが、 しばらくするとまた、思い煩いに襲われる。 委ね方が足らないのか?とまた委ねる。 その時は、「委ねました!!渡しました!」 とすっきりするが、しばらくすると、また 戻っていて、心は暗く、重苦しく、沈む。 そして平安がなく、また委ねますと言う。 しかしまた・・同じ事を何度も繰り返した。 思い煩いは無くならず、心は重くしんどく、 暗い。 そんな事を延々繰り返していて、とうとう 自分は委ねられないのだということに、 行き着いた。 なぜ委ねられないのか。自我が握り締めて いるから。 心の奥では、神様の御心でなく、自分の思 い通りの解決を願っているから。 明け渡す、委ねるとは、イエスでもノーでも 右でも左でも、白でも黒でもOKですという ことだ。 それは嫌なのだ。ノーだと嫌だ。 だから委ねない。自分が握っている。 そして、自分が手放すと、物事が事態が、 だめになるような気がする。崩れてしまう 気がする。 だから、放せない。 そのところで神様を信じることができない。 しかし、苦しくてどうにもならず、ギブアップ になる時、どうにもならず、明け渡させて 下さる。 委ねることができません。自分が握り締めて います、と祈って行こう。 不思議に、委ねることができるようにされる。