2019年12月08日(日) 「変わらない日常の恵み」
ある方が、「厳しい大変な試練の中にあるのですが、 神様に守られていて、感謝です。 試練があったからこそなのですが、毎日の平凡な何気ない 日常が、何と感謝なのかを、身にしみてわからせてもらい ました。 家族内の、何か特別な行事や、スペシャルな事柄も感謝 なのですが、毎日の平凡な日常が、もっと更に感謝なのだと、 しみじみ身をもってわかりました。 神様に感謝でいっぱいです」 Aさん「私も同じです。厳しい試練を通ったからだと思います。 家族でご飯が食べられること、朝起きて、毎日の変わりない なすべき事ができて、平凡に過ごせることが、かけがえのない 大きな感謝なのだと、平凡な日々が、実は大きな恵みなん だと。本当に感謝です」 ありきたりの、平々凡々とした毎日が、恵みであり、感謝 なのだと、なかなかわからない。 特別な事、大きな事が無いと感謝だと思えない。 平凡はつまらなくて、退屈で、虚しいと思えてしまう。 肉は頑固で、自我は頑なで、砕かれない限り、そう思え ないのかも知れない。 よくドラマで、犯罪者が罪を悔いて、涙を流し、昔を 回想するシーンがある。 それが決まって、ただ単に家族で食卓を囲んでいる 場面、庭で遊ぶ場面、平凡な日常。 何の変哲もない、平々凡々とした日常が、実は大きな大きな 宝で財宝。 クリスマスの、「インマヌエル」、主が共にいます。 何をしているかでなく、主が共にいますことが、大きな恵み、宝。 主がともにおられるから、恵みが見えて、何をしていようと、 そこは感謝と恵みの領域になる。