2020年04月08日(水) 「自分のことはわからない」
自分のことは、なかなかわからない、と語り合っていた。 なぜか、人の試煉は、はたから、はっきり見える。 「聖書の育児学びで、様々学んで、具体的も学んで、 改めて、一つ一つの学びが、ほんとうにそうだと思え、 非常に有益な沢山のことを知りました。 そんな折り、近親者の集まりがあって、幼児たちとお母さんも 数人いて。 その時に、「あ!」と、子供への禁句の言葉とか、してはならない 対応とか、そこは、きちんと叱らなければならない箇所とか、はっきりと 見えて、びっくりでした。 自分もしているし、気をつけなくてはと。 それで思ったんです。人のことは冷静に見えるのに、私も自分の ことは見えないんですよねえ。 人が言ってくれる事には、ちゃんと耳を傾けないといけないと思い ました。 他人は私のことが、はっきり見えてるんだなあと。」 「そうなんです。試煉の時、自分のことはほんと見えない。 真っ暗闇の中にいるよう。見えないですよねえ。 これまで試煉の学びをずっとしてきて、親しい友の試煉は、ものすごく 見える。わかる。 神様は、これこれこういう事を教えたくて、あなたの、この部分を 対処したくて、取り扱っておられる。○○のところを、○○する ように、指し示しておられるから、そのところを○○すればよい。 全部きれいに、言って上げられる(^^;) しかし、これが、自分のことは、わからないんですよねえ(>_<)」 「でも、祈っていると、何やかんや、気づきを与えて導いて下さい ますよね。 しんどい試煉の中、一人で、もう声を出して祈ってたんです。 すると、口と、心が違うことに気づかされました。 祈りの言葉と、自分の心が一致していない、ズレている、かいりしている。 その時に、本当の自分の思いや、気持ちにたどり着き、いろんな気づきが 与えられました。 本当の自分の思い、気持ちを、神様に祈ることができて、心がすっきり し、厳しい試練の中なのに、平安になったんです。 この試煉も、人の知らないものではない。耐えることのできない試煉は 無い。脱出の道も備えられている。 それを信じることができるようにされて。 やっぱり、いろんな事を、学ぶようにされていたんだなあと。」