2020年11月04日(水)
  「砕かれないと・・」

★Aさん「私、思うんですけど、砕かれないと、神様って
わからないですねえ。

私、10年位、教会に行ってたんです。毎週ではない
んですが、特別な集会や通常の礼拝やら、折々に。

聖書のお話、ずっと聞いてたんですが、全然わから
なかったです。
ずっと通っていたんですが、わからなかったです。

10年経た頃に、すごく大変な問題が起きまして、
もう、何が何やらわからない、苦しい、辛い真っ暗な中
を通りました。

自分に関わる事で、もう心底、砕かれました。
その試練によって、初めて神様に出会えたんです。

まさに御言葉の通りで、

“苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました”詩篇119:71

苦しみに会ったことは、ほんとに幸せでした。
砕かれて、目が開かれて、神様がわかったんです。

高ぶってるんですよねえ。自分の力で、何もどうにも
出来ない試練によって、へりくだらされたんですねえ。

神様に出会えて、喜びがあって、平安で平安で、
幸せです。

感謝でならないです。苦しみに会って、ほんとに
良かったです(^^)

もし苦しみに会っていなければ、高ぶったままで、
今も、神様がわからなかったです。」


★「強い自我のもと、人間中心の価値観で御言葉
を聞くので、全然わからないですよねえ。

むしろ真逆に思えて。自分で努力しないで、どうする。
頑張れば出来るはず。

強い事が善で、弱さは悪。弱さなど認められない。

救われて、クリスチャンになっても、根深い古い価値観が
培われているので、そっちの価値観で信仰生活を送る。

そんな中で、
御言葉を行なおうとするが、出来ない壁にぶち当たる。
敵のためなんて祈れないし、敵など愛せるわけがない。

そして御言葉が行なえない、自我にぶち当たる。
この自我が砕かれて行くのが、信仰生活の歴史ですよねえ。

クリスチャンになっても、砕かれないと、御言葉がわからない。
神様がよくわからない。

砕かれて、神様がわかるので、痛くて、嫌だけれど、
砕かれるって、感謝なんですよねえ。」