2021年02月10日(水)
  「そうじゃなくて、神様視点」

Aさんが、昨年12月に献身の決心が与えられた。
以前からずっと思いが与えられていたが、

果たして、自分が献身して従えるのだろうかと、尻込みし、
自分のようなものがと、気後れがする気持ちも大きかった。

しかし、その事を祈りに持って行って、祈り続けていた時に、
ある思いが与えられた。

それは、主を信じて救われた時に、自分は何もしなかった。
立派な人間で無かったし、善行を積んだのでもなかった。
ありのままで、そのままで、主のもとへ行き、救われた。

献身も、その通りで良いのだと。
立派な人間だから、信仰深いから、献身できるのでなく、
ありのまま、そのまま、主のもとへ行って良いのだと。

心が楽になり、ありのままの自分自身を主にお献げする
事ができた。
そして、平安に満たされた。

そして1ヶ月半が過ぎた時に、伝道に行っていて、凍った
道で滑ってしまい、転んだ時に、骨折してしまった。

大きな事だったが、病院で無事手術を終え、リハビリ途上
にいる。

その時に、1ヶ月半前に、献身与えられたことが、感謝でなら
なかったと。
自分と自分の生涯はお献げしたので、この事も受け止め、受け
入れることができた。
万事益と信じることができる。予め、献身をもって備えて下さった
と、更に感謝が溢れた。


Bさんの事を思い出した。

以前に、証しして下さった。
神様から強い導きを感じて、以前から祈ってたこともあって、招きに
出て、献身の決心を与えられたんです。

そのすぐ後に、主人の会社が倒産して、職を失いました。
子供たちもいて、普段の生活で必要出費も多く、ほとんどギリギリ
で貯えもできずでした。

すぐに職探しを初め、不況でなかなか無く、必死で探し続けました。

その時に、「え?私が献身したから、試練が来たのか?」との思い
が来たんです。

献身したから、こういう事になったのか?と。
でも、主が教えて下さいました。そうじゃなくて、失職の厳しい試練を
主が予めご存じで、それに対応できるためにも、献身の恵みを
与えて下さったのだと。

心が感謝で溢れました。
そして新しい仕事が与えられました。

神様視点で見て行く時、計り知れない恵みが見えて来る。