2024年02月13日(火)
  「境界線」

Dさんが、近しい人が病気になり、心配で心配で
たまらず、心が相手にのめり込み、入り込んで
しまい、

自分も落ち込み、滅入り、もう体調にも来て、
病気になりそうだった。

このことを神様にもって行った時に、


境界線を乗り越えて、浸食していることに
気づかされた。非常に近いがゆえに、自分が無く
なってしまっていた。

境界線の学びを思い出し、相手の問題と自分
の問題をはっきりして行くと、心が落ち着いて
すっきりした。

自分にできることをして行けばよいと平安に
なった。
今は、何より祈ることで、相手のために祈る
よう、主は導かれているとわかった。


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別の形で、よくあるのが、「ノー」が言えない。

浸食して来る相手に、「ノー」が言えなくて、
ずるずる受け入れている内に、苦しくてたま
らなくなってくる。

別に用でも、大事な事でもないのに、ずるずると
付き合わないといけない場合、

自分にはすべきことがあり、時間が取られて
行く。

段々、怒りと恨みになって行く。

「ノー」をきちんと言えば、怒ることも恨みに
思うことからも守られる。

なぜ、言えないかは、相手が嫌な思いをする
のではと。
こちらも嫌われたくない思いも、あるかもしれ
ない。

しかし、自分がノーを、きちんと言わなければ、
相手のノーも受け入れることができない。

色々考えさせられる「境界線」。