2004年08月22日(土) 「光に照らし出された罪」
それが罪であると、わからないような罪。 世の中では、しごく当然で、別に罪ではない。 世の基準と神様の基準が、全く異なることを 見せられる。 Dちゃん、何か心がもやもやして、すっきり しない。でも、自分ではわからない。 何か、自分の認識していない罪があるのかなあ、 ぐらいだ。 でも、何か心にもやがある。すると、ある事態が 起きて、自分には直接関係ない事であるが、もし、 自分ならと当てはめて考えて行った時、突如、自 分の犯している罪に思い至り、罪が見えた。 神様だ。神様が目の前に解き明かして、見せて下 さったのだ。 暗闇のこの世界では、別に当り前のことだが、完全 に聖い神様の光に照らされた時、汚れた、忌まわし い、大きな罪だと見せられた。 神様は聖いお方、神様の聖さに触れた。 自分の罪深さがわかった。心からの悔い改めが与え られた。悔い改めた時、その心のもやもやがきれいに 消えた。心がすっきりした。 実は見たくない、触れたくない、消してしまいたいで、 心の引き出しにしっかり自分でしまい込み、鍵をかけ てしまっていたのだ。 自分の心が故意にそうする時、偽りに引き込まれ、自 分に欺かれてしまう。 その事を、「無かったこと」と心が定めてしまうと、 無かったことにしてしまう、心はそう出来る恐ろしさ を教えられる。 神は光。光に照らし出されて、初めて自分の罪がわか る。罪がわかることが、何よりも感謝で恵み。罪がわ かれば悔い改めることができ、その罪は取り去られる。 「神は光であって、神のうちには暗いところが少しも ない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなた がたに伝える知らせです。 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、 しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言 っているのであって、真理を行っていません」 Tヨハネ1:5 by多恵子