2005年05月26日(木)
  「存在そのものが喜び」

孫は、今、1才2ヶ月だ。

手をひじで曲げて前に直角に出し、バランスを
取って、ロボットみたいに歩き始めたかと思
うと、あれよあれよという間に、どんどん歩いて
いる。

赤ちゃんを見ていると、神様と自分の関係を
教えられる。
赤ちゃんは自分の無力を知っていて、何か
恐怖が来ると、すぐにしがみついて来る。

公園へ連れて行き、大きな犬が吠えた途端
止まって、だっこと手を伸ばす。
あんなに小さいなりで、あれほど大きな犬、
大変な恐怖だろうなと思う。

どんどん歩くが、足元の段差が大きくて、自
分の手に負えないと、手を出して来て、助け
を求める。

不安が無い間は、どんどん進むが、何か障
害があり、不安材料があると、しがみついて
来る。顔がこわばって、本当に怯えている。

情報が無いのだから、理解出来ないのだか
ら、あの小ささでは、目に映る得体の知れな
い何もかもが、幽霊のように恐怖だろうと思う。

弟子達が、海での大嵐の中、向こうから来る
白いぼんやりしたものを幽霊だと恐れたよう
に。

腕の中で、しっかり抱きしめてやると落ち着く。
「大丈夫。何があっても、必ず守るから何の心
配もないよ。」それは、そのままイエス様が私
に言って下さってるんだとわかる。

「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることは
ない」

赤ちゃんは、何もしなくても、存在そのものが
周囲に大きな喜びと祝福を与える。
心和ませられ、心癒される。

神様にとって私達も存在そのものを喜びと
していて下さる。
赤ちゃんはお母さんの腕の中で、全き平安
そのもの。

神様の御腕の中で、憩って、安らいでいたい。
by 多恵子