2007年04月22日(日)
  「どうして下さるか、楽しみ」

Aさんが経済的な非常な困窮に陥った。
身体的な事で、仕事を辞める必要が生じたからだ。
これからしばらく全く収入が無くなる事に、パニ
ックになった。
今まで、毎月必ず給料が入るので、初めての経験
であり、ほとんど恐怖だった。

「ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方
が、どうして、御子といっしょにすべてのものを
私たちに恵んでくださらないことがありましょう」
ロー真8:32

御子を下さった方が、経済的必要など下さらない
わけがない。私達もずうっと祈って与えられて来
た。
こういう事は絶対に大丈夫なんだと、幾ら言って
も恐怖でパニック。通らないとわからない。

やがて職を辞し、無一文の生活になったが、本当
に神があらゆる方面から豊かに与えて下さった。
溢れるばかりに恵みを振り注いで下さった。
結局、身体の回復までの間、神が完璧に養われた。

その間、ずうっと、カラスがエリヤに食物を持っ
て来る、同じ事態を体験した。
いつも、いつも必要を満たして下さった。
その繰り返しの中で、神は必ず必要を与えて下さる
方である事を確信して行った。

「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光
の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たし
てくださいます」ピリピ4:19

定期的な給料が入って来る時は、わからなかった
神の恵みを体験的に知った。
経験的に、神を知る知識が少しづつ増し加えられ
て行く時に、自分が変えられて行く。

その後も、困窮が時々起こるが、今度は「神がどの
ように満たして下さるのか、どうして下さるのかが
楽しみになった」。

神は必要は必ず与えて下さる。どこからでも与え
られる。愛していて下さる。ご計画がある。しよ
うとしておられる事がある。

経済的困窮だけでなく、様々な問題が目の前に起こ
る時に「これを、神はどのようにして下さるか、
楽しみだ」と思えることが、何という幸い。
感謝だろう。