2007年10月30日(火)
  「時がある」

「天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある」伝道3:1

厳粛な「神の時」が、あることをしみじみと
教えられる。

Aさんが、子供の進路がなかなか決まらない。
Aさんに、大丈夫なんだろうか。不安がどっと
押し寄せる。
重い煩いに襲われる。ほんとに進路が定まるん
だろうか。
一生、ひきこもりってしまうんじゃないか。
わけのわからない恐れに飲み込まれそうになる。

最悪のシナリオを自分で作って、結末まで作って、
自分でどつぼに陥る。

「そうそう。何か最後まで出来上がってるんよね。
シナリオが(笑)、それも最悪で(笑)絶対にそう
ならんのに、出来上がっとるんよね」

神様は「ただ信じていなさい」と言われる。
神の時に、みこころが成就することも頭ではわかる。
教理的にはしっかりわかる。

現状を見ては不安に落ち込み、神様を見ては、
そうじゃない、信じようと思え、平安になる。又、
現状を見ると、恐れと不安・・その狭間を行ったり
来たり(笑)
その間、神の時がある、時がある。神の時が満ちた
なら成就すると、その事がいつも脳裏をかすめる。

やっぱりその通りに、神は真実であられ、神の時に
進路が定まった!神の時があるのだ。
今、喜びもって歩めている。

神の時がある。待つこと、ひたすら待ち望むことを
教えられる。

三原開拓宣教、5年間、じっと忍耐の時だった。
ちょこちょこっと人が来るが、続かず、何も動きの
ない、ひたすら待ち望む期間だった。

その間、ずっと祈りに祈る中で、神の時がある、
それが神様からの答えだった。

全く何も動かない中で、ひたすら時を待つ中で
信仰が試され、訓練され、教えられる。

そのような忍耐に次ぐ忍耐の時を経て、今、
Bさんが忠実に集って下さっている。
様々なコンタクトが与えられ、親しく交われる
地元の人々が与えられている。
神の時が来れば、本当に門が開かれ、道が
見えて来る。

Aさん「神の時なんですね。神の時があるんです
ねえ。身を持って教えられますね」

神の時でないなら、どんなに焦っても、何一つ動か
ない。全く動かない。
しかし、神の時が来るなら、ひとりでに門が開き、
神が動かれる。神が働かれ、神がされるので、
神の栄光が現れる。

ただ待ち続けよう。神の厳粛な時がある。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
伝道3:11