2008年07月27日(日)
  「わたしの平安」

ここしばらく、孫が病気続きだった。

小さな孫Aは、カンボジアで原虫がお腹に入り、夜中に
激痛で苦しんだ。
何せ病院に行けない。症状を見て、あれかこれかと親
が判断する。前の宣教師の先生が残して言って下さった
メモを頼りに、これか!と症状を見て、薬を飲ませる。

ふと、こんな素人判断でよいのだろうか??と不安に
なりつつ、神様にお委ねで。薬が効いて、おさまった!

次に風邪か熱が出て、嘔吐を繰り返し、次に耳が痛いと。
外耳炎。そうこうしてると、膀胱炎にもなった。

次に孫Bが風邪が移って、高熱、食欲なくて、ぐったり。

国内の孫Cが耳垂れが止まらず、中耳炎から、鼓膜
切開。孫Dがとびひになる。

次から次へと、心痛み、心配し、治れば安心する・・
でも、それなら神様知らない人と同じ。

これだけ続くからには、何を教えようとしておられる
のだろうか。

祈っていると、

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです」
Tペテロ5:7

「神が心配してくださる」が心に臨んで来た。

神が「わたしが、ABCDを心配している!!」と
言って下さった。
神が心配していて下さるなら、何の問題があるか。
安堵と平安が心に満ちた。

「平安」で答えて下さった。

「わたしはあなたがたに、わたしの平安を与え
ます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与える
のとは違います」ヨハネ

クリスチャンしか持つことのできない、「主の平安」
を、どんな状況の中でも、与えて下さる。

この主の平安があれば、どんな中でも生きて行ける。