2008年10月30日(木)
  「主の良くしてくださったこと」

今日Aさんに出会うやいなや、

「与えられたんですよー!!」(^^)/

「え?どうやって?」

実はAさん、所持金が数えるほどになってしまった。
困った、困った、色々必要があって、どうしよう。

「祈りよ!祈り!」「そうですよね。今までずっと
祈って与えられて来た。祈ります!」

丁度、貧しいやもめが、レプタ2つ投げ入れた
箇所を学んでいた。

イエス様はやもめの献金を喜ばれた。

そして「どの人よりもたくさん投げ入れました。
乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部
を投げ入れたからです」

やもめは、生かされていること、守られている
こと、愛されていることの感謝が溢れて、何も
かも持てる全部を献げた。
あとの生活は神様を信じ、神様にお委ねして。

その献金と、その心をイエス様はじっと見て
おられた。

Aさんは、礼拝での献金の時に、今まで神様
がどんなに良くして下さったか、どんなに愛して
下さったか、感謝が溢れたそうだ。

振り返ると、必ず必要な時に、すべての必要
を与えて下さった。心に平安と喜びを下さった。
自分を祝福の器と用いて、家庭を祝福して
下さった。家庭が変わった。

本当の愛を知り、生きる目的を知り、自分を
根底から変えてくれた。
余りの祝福と恵みに、感謝が溢れて、その
僅かばかりの全所持金をすべて献げた。

前回お金が無くなった時、祈って祈っていたら、
机の奥から、全く忘れていたデパート券が
出て来た。
その前は、祈りに祈っていると、昔入れた
ままの貯金箱からお金が出て来た。

「今回も何かあるかもよ!」

その言葉が心に残り、帰って沢山持って
いる通帳を銀行で一つ一つチェックした。

すると、○千円のお金が入っていた!

「わあ、すごい!良かったねえ!!(^^)/」

そんな祝福を聞いていて、


しみじみと、自分自身にも神様は今まで
どんなに良くして下さったか、に思いを馳せる。

数え切れない恵みと祝福が、洪水のごとく
溢れた。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
あなたの一生を良いもので満たされる」
詩編103:2