2009年05月24日(日)
  「何も無いところに」

癌で余命すでに数ヶ月過ぎ去ったAさん。

“この病気は・・神の栄光のためのものです。
神の子がそれによって栄光を受けるためです”
ヨハネ11:4

栄光を見せられている。
先週も、ある教会の婦人会で祈って下さった
とお聞きし、主の栄光を拝した。

体調お悪く、今週の礼拝に来ることができなかった。
お身体少しづつ衰弱して来ておられる。

しかし、お身体身動き取れない中も、先日、
御言葉を聞きたい、学びをしたいと、近くの
Bさんがお家に訪ね、二人で学びをされた。

夫のCさんに起こしてもらわなければ、一人
で起きる事もできない状態で、
どんなにかしんどくて、お身体は辛いだろうに、
普通、身体が弱ると、とてもじゃないが気力が
失せるのに、
心は違って、喜びがあられ、気力があられる。

神様を少しでも知りたい、渇きと強い求めに、
皆で、心正されるような、心で正座するような、
励ましを受ける。

「すごいですねえ」神様の栄光を見る。

「何もない」から、神様がすべてのすべてであり、
あんなに渇きと求めが、与えられておられるんだ
なあと思う。

Aさん「私は、まあカチカチ、ガチガチの固い固い
岩のように頑固な者だったんですよ。

私、ステージ1の初期癌で何度か手術してる
んですよ。でも、初期はダメですねえ。
全然平気で、きれいに切除すれば良いと、
どうも無いんですよ。

夫が神様の事を話してくれるんですが、全く
全然聞く耳無かったです(笑)
まあ、頑固だったですよ。教会へ行ったのも
義理だけだったんですよ(笑)

それが、ある日突然ステージ4、余命1ヶ月
と言われ、『ステージ4て何ですか?』と聞くと
『先が無いということです』と言われ、もう
ショックでパニックで、涙が出て止まらなかった
です。泣いて泣いて、来る日も来る日も泣き
明かしました。

私、砕かれました。ステージ1ではダメで、
4でないとだめだったんですよ。
生まれて初めて、神様に向きました。傲慢
だったんですよねえ。
こんな傲慢な者が、まあ神様を信じることが
できて、感謝で感謝でならないです。
もうただただ、有難いばかりです。

これがあったからこそ、神様に出会うことが
できました。

もうはっきり死ぬとわかった時、夫と同じ所
へ行きたいと思ったんです。

夫は、罪を持った今のままでは、同じ所へ
行けないと言い、神様を求めたいと思いました。

そして、皆がこんな自分のために、祈っていて
下さると聞き、それが心に染み、もう暖かかった
です。嬉しかったです。それで、この神様を求め
たいと思いました」

夫Cさんが、ずっと素晴らしい証しを重ねて来ら
れたんだなあと思う。

Aさん大笑いされて話された。「神様信じる前にね、
もう病院で死ぬと思いましたからね、まあ夫
に、へそくりの在りかを全部話しましてね。
まあ、もうなんにも無くなってしまいました」(笑)

所有物どころか、命も余命通り過ぎて、今日
明日かもわからない状態、その中で、喜んでおられ、
不安も、恐れも。思い煩いも全く無いと言われる。


物も、健康も、余命も、すべてを失い、無くなった
極限に、

そこにあったのは、「イエス様」!! 


「感謝」!「平安」!「喜び」!「安堵」!

そこに神がおられた

その事をAさんを通して、目の当たりに
見せられた。


「何もない」ところに、イエス様がすべてのすべて
となって下さるんだ。

すべてを失ったところに、希望と喜びがある。

何という神様世界!!